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haruka nakamuraさんの音楽を聴きたくて「息をひそめて」を観たら、作品にのみ込まれた話

haruka nakamuraさんの音楽を聴きたくて、Huluで配信されている「息をひそめて」を観た。
もちろんドラマも予告を見て気になったけれど、、
作品ではなくて、音楽を聴きたい、という邪な気持ちだった。最初は。
本当にごめんなさい、という想いなのですが…。

でも全8話を見終えて、作品が素敵で、たまらなく素敵で。

役者さんって、本当にすごいなとか。
命は美しい、人の声は歌声は、どんな楽器よりも勝る、ということを感じさせられて。
それになにより、多摩川沿いの景色が美しくて。
きっとここでなければ、この街でなければ、創れなかった作品なんだなとか思って。


そんなことを感情の流れるままに、書き残しておかねば、と。
作品の批評とか、演技の批評なんてとてもできる立場もなければ見識もないので、感想だけ。

何が言いたいかって、、

haruka nakamuraさんの音楽が好きな人向け
私と一緒に邪な気持ちでみて罪悪感を感じましょう!…ではなくて。
音楽が好きならきっとこの作品は、たまらなく心くすぐられるものだと思う。散りばめられた音楽とか、景色とか。いろんなものがフラッシュバックすると思う。なんだかharuka nakamuraさんの音楽の原風景を見ている気持ちになる、気がする。

2020年を振り返っての記録としても
あの時多くの人が抱えていたものが、ものすごくリアルに描かれていて、きっと後々の時にあの時はね…。という話をする時に、この作品が残っていてほしいと思わされるものだった。

2021年のこのタイミングでみるということ
行き場のない気持ちと暗闇の2020年から、2021年という希望の光が見えているこのタイミング。8話の設定の2021年11月という希望的観測のような、確証にも近いような設定。
いったいこの時期を、監督はどうやって見出したのか、ものすんごく訊きたい。

街並みや日常一コマが綺麗で、どこかノスタルジックというか
監督の感性だと思うのだけれど。日常の一瞬一瞬の切り取り方が本当に綺麗で。食のシーンとか、映像に映る部屋の小さな家具とか小物とか。
すごいコントラストというか、鮮明さで日常の一コマを見ているだなと。

個人的には、この時期に観てよかったと思う。
少し早ければ、そこには希望の光が違って見えただろうし、少し遅ければ、光は淡いものになっていたかもしれないから。

ずらずらと音楽中心のことを書いていくと思うけれど、まず初めに。

この作品を創り出してくれた、監督と役者さんとスタッフの方と、関係者の方に感謝を。

今の状況が落ち着いてから作品をつくる、という選択もあったと思う。
でもあえて、最中に生のものつくるという決断。

たぶん、撮影している頃はものすごいエネルギーを必要としていた頃なんだと思う。
今の時期とは違って暗闇の中にいる情勢とか、先行きの見えないなか、リアルタイムのことを演技しなければいけないこと。
それでも、光がある世界を創り出していかなければいけないこと。
すんごくつらいこともあったんだろうな、とか思う。
役者として、1人の人間として。
監督と、斎藤工さんと、haruka nakamuraさんのインスタライブを見たからその影響もあるかもしれない。

でも渦中で生まれた作品だからこその、作品が持つエネルギーはあると思う。そういうものをひしひしと感じた。

でも一方で、社会の状況だけではなくて、もともとあった社会的な姿も映し出していると思う。
それが意図したものなのか、作品をつくる上で必然的に生まれてきたものなのかはわからないけれど。
そうした意味でも、今の状況が終わった時や、何年後かにこの作品を見たら、違ったニュアンスを持つのかもしれないのかなとか思う。

1話30分完結型。


でも、1話1話の中にどこかつながるものが散りばめられていた。
川とか、マンションとか、窓とか食とか。
このご時世でなければ映せないもの、と、日常的なものと。
そしてharuka nakamuraさんの音楽は物語に時に応援歌として、時に寄り添うように、人と人をつなぐように、形を変えて流れていた。

1話目

個人的には、1話目で正直ノックダウンした。
飲食店が抱えていたもの、社会が抱えていたものと。
そこにいる1人の人間の想いと。

作品の話とは逸れるけれど、森山直太朗さんの、「どこもかしこも駐車場」という曲が勝手に脳内再生した場面もあった。

けれど一番は、、
最後の方で映像が切り替わる一瞬のところに、ピアノの音が入る瞬間。
あれはもうたまらなかった。

映像が切り替わるタイミング、ピアノの音が入るタイミング。
その一瞬にかすかに入り込む、ピアノのペダルを踏む音。

作品の中に流れる音楽が好きな側からすれば、映像と音がリンクした瞬間がたまらなくて、あぁもうこれは絶対いいものだ。
と、勝手に思ってしまった。

2話目

石井杏奈さんと長澤樹さんの、アドリブではと思うほどの自然な会話の場面や、萩原利久さんとの3人の楽しそうな場面での笑顔が、素敵で。
若い人の笑顔って本当にいいなと思った。
ほんの些細かもしれないけれど、こんなご時世だから生まれた出会い。
そして若い頃の、一瞬かもしれない出来事って、実はすごい影響持つのだよなとか。
それになにより、濱田マリさんがちょい役ー。というのに個人的に時代の流れを感じてしまった。

3話目

安達祐実さんと村上虹郎さんの3話は、まさに今の時代!という感じで。
微妙な距離感、でもお互いに引き合うなにか、の距離感の出しかた。
成熟した演技力みたいなものってこういうのなんだな、と。
銭湯とかお鍋、っていいなと思った。

4話目

このご時世に注目された職で、いろんなものを見つけたり、人と繋がることもあったんだなとか、流行った職を違った視点で見られた。
そして、蒔田彩珠さんと光石研さんの粛々と時間が流れるような、父と娘の時間の流れ方。
いったい蒔田彩珠さんって何者、と思って調べてしまった。
光石研さんとのシーンでの、立ち振る舞いの所作とか、表情の一瞬一瞬の変化がすごくて。
最後部屋を出るシーンでセリフを言いながらの、悲しさと切なさと高揚感と希望みたいなものが入り混じった表情は、なんとも言えなくて。

5・6話目

夫婦それぞれの視点での、三浦貴大さんと瀧内公美さんの掛け合い。
5話で、あぁそれはダメ、傷がついてしまうー。とハラハラしながら見ていた。けれど、自分も同性として、思うところも少しあって。
6話での視点は、瀧内公美さんの表情の変化を見て、あぁそっかその一言がよくなかったんだと、気がつけなかった自分がいて。
言わなくても伝わる、ではないこと。
言葉にしないと伝わらないこと、を改めて思う。
夫婦視点で描かれていることが今っぽいなと思いながら、三浦貴大さんと瀧内公美の本当の夫婦にしか見えない演技力にはぁーと感嘆してしまった。
ところで、あのカレーはどこへ…

7話目

この話は、息するのが大変だった
たくさん、たくさん、胸がぎゅっとした。
若い彼ら彼女らの、あの瞬間の涙を見て、やるせない気持ちになった。
と同時に、大人ってなんだろう、と考えさせられた。
みんな、とはどこか違う、わたし。
でもしっかり自分の核を持っている姿。
そこでぶつかる大人と、友だちとの微妙な隙間。
そしてこのご時世で広がる、溝みたいなもの。
小川未祐さんの芯のある姿と演技に、いろいろ思うところはあって。

そして、、監督、わかっていらっしゃる。
と思う反面、それはダメ、本当に、というシーンがあって。

言わせて、どうしても。
書かせて、これだけは。

haruka nakamuraさんの音楽が好きな、1人の人間として。

小川未祐さん演じる、諏訪珠美がたくさんの感情を抱えて、自転車に乗って河川敷をかけて行くシーン。

そこに、「CURTAIN CALL 」は流れた。
自分の耳を疑った。疑ったけれど間違いなかった。
そう、「CURTAIN CALL 」なのだ。
しかも、haruka nakamura PIANO ENSEMBLE バージョンのが!!

あれはもう涙腺を完全にやられてしまってダメだった。
涙が止まらなかった、最後まで。

女の子と「CURTAIN CALL 」。
学生と「CURTAIN CALL 」。
絶対ダメだって…と内心思ってしまった。
歌を歌っている、うららさんの姿が浮かんでしまうし、去年のCMの映像も浮かんでしまうし。

でも、「CURTAIN CALL 」が一番似合うシーンだと思った。
PIANO ENSEMBLEバージョンだからこそ、だせる映像の力だと思った。
たくさんの感情がぐちゃぐちゃに入り混じって爆発しそうな、若い頃の言葉では言い表せない得体の知れない何か。
一瞬のきらめき、消えていく儚いもの。
でも確かに、記憶に残るもの。

そして、1人で歌唱するシーンまで、息吸ったっけ?、と思うほどに一瞬で映像が過ぎ去っていった。
うたう場面に、ピアノの音が優しく寄り添うように入ってくるのがたまらなかった。

8話目

言葉の使いかたが良くないかもしれないけれど、もう斎藤工さんの独壇場というか。
1話前が学生の視点からの大人、だったからか、その勢いのままで、大人からみた大人の視点がついてくるというか。
視野は広い、というか見える人には共通してあるのだと思う。
どこか冷めたような感覚。俯瞰的に見えてしまう世界。
だからこそどちらにも偏れなくて、境界線の上に立ってしまう。

わかったような大人になって。
物分かりの良い大人になって、自分が遠くなって行く感覚。
ここにいる。けれど、ここにいない。
何か足りない。
みている方はそんなことを思うけれど、この状況でこの役に入るって相当つらいのだろうなと思ってみていた。

夏帆さんとの掛け合いはなんだか微笑ましく思うとともに、夏帆さんの視線の動き、セリフの間が気持ちよかった。

エンドロールになかったし、メロディも違ったけれど、haruka nakamuraさんの「灯台」が流れたようにも思えたけれど。

合唱のシーンはもうたまらないし、人の声って本当にすごいなと。
斎藤工さんの、曲を紹介するときの言葉に詰まるような姿に、設定は2021年11月のことだけれど、撮っている最中のことに想いを馳せる。

だからか、若い彼ら彼女らの、高揚感と笑顔と緊張感とが入り混じったうたう姿をみて、自然と涙が溢れてきた。

川は海につながっている。
人も街も景色も変わって行く。
でも変わらないなにかも、そこには確かにある。
そう思いたい。

どんな状況でも、どんな困難下でも、人は生きていかなければいけないし、生きている。
綺麗事ばかりではないし、つらい場面なんてたくさんある。
それでも人は生きているし、つながっている。
命って美しいな、と思う。

最後に

できたら、劇場で、大音量で、大きな画面で、映像と音楽を観たいです。
できたら、作品をずっと、ずっと手元に残しておきたいです。

そして、、
本当にありがとうございました。
この作品を創り出してくれた、たくさんの人に、感謝を。

追伸

多摩川沿いの景色が美しすぎて、そしてなにより8話の最後のたくさんの人の笑顔がたまらなくて。
あの街並みが好きになりました。できることなら住んでみたい。
この状況が落ち着いたら、ゆっくりと町歩きをしに行きたいと思います。


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