![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/75468181/rectangle_large_type_2_d7603b3a07cce7ae5d153bb44ac45bb4.png?width=1200)
キヲク座と童謡の景色を巡る、12ヶ月の音楽の旅を終えて
去年の3月に、キヲク座が12ヶ月連シングル配信をすると発表して12ヶ月が経った。
1ヶ月1つの配信。
・春が来た
・茶摘み
・かたつむり
・夏は来ぬ
・かもめの水兵さん
・竹田の子守唄
・ちいさい秋みつけた
・もみじ
・きよしこの夜
・故郷
・雪
・チューリップ
・ぞうさん〜一年生になったら(完走記念)
1年前の今頃は、12ヶ月後に世界が今のようになっているような予感はあまりなくて、着地地点は予想したものではなかったかもしれないけれど。
去年、2021年の春頃は、まだ新型コロナウイルスの変異株の話題がそれほど出ていなかった頃だったように思うし、ワクチンを打てばきっと秋頃には少しずつ元の生活に戻るような気配があって。
少し落ち着いてきた日常と、その中にある喧騒と。
そんな入り乱れた世界の中にわずかな希望が見えて、静と動が同居している頃だったような気がする。
そんな中で始まった、「春が来た」から始まった旅。
今改めて聴くと、あの頃にこんな音を聴いていたんだなと、どこか懐かしいような思い出が蘇ってくる。
鳥たちが飛び始め、少しずつ話し声が多くなっていく中で、どこか失われた日常と、変わらず訪れる季節感を噛み締めていた気がする…。
今年もお花見はいけないな…
なんて、ぼーっと歩きながら近所の小さな桜を眺めていたように思う。
キヲク座がどんなアーティストであるとかメンバーは誰かとか、調べるとすぐに出てくるとは思うけれど…。
公式のサイトの検索をすると、
"童謡や民謡を再構築する楽家集団"
となっている。
まぁ何はともあれ、とにかく一度聴いてみるのが良いと思う。
きっと、その音の新鮮さと新しい世界に引き込まれると思うから。
初めて聴いたのは、2017年頃だったかな。
Spotifyでたまたま見つけて聴いた時に、一瞬でそのおしゃれな音と世界にひきこまれた。
その時は「色あはせ」を聴いて、「ロンドンデリーの歌」がお気に入りだった。「遊山」の「赤とんぼ」も好きだった。
童謡や、民謡を一度分解し再構築して、新しい音に落とし込むのは簡単ではないと思う。
広く知れ渡り、幼少期からの身体の奥底に染み込んだ音や世界に、どれだけ響くか。
あるいはそれとは違う、新しい世界を見せられるか。
上乗せできるか。
それに何より、歴史の重みの中で蓄積され、沢山の想いが詰まった曲の持つエネルギーにどれだけ向き合えるか。
確か2020年後半の朝ドラが、そうした世界を描いていたように思うから、もしかしたらいつも以上にそんなことを考えていた時期なのかもしれない。
それだけに、初めて聴いたときは、よくぞ…と感じたのを覚えている。
おしゃれで、かっこよくて。
でも曲の中にある大事なものを失わない世界観。
粋
という言葉がとても似合うような気がする。
個人的には音もだけれど、MVもお気に入りで。
富岡製糸場で撮影した、「北風小僧の寒太郎」。
2021年の12月に公開された「きよしこの夜」。
12ヶ月連続配信楽曲のTeaserも、短いけれど、映像美に溢れた素敵なものになっている。
12ヶ月の連続配信は、ゲストボーカルやミュージシャンを迎えて、月を追う毎にどんどん豪華になって、より洗練された音になり、いろんな音が混ざり合って世界が広がっていった。
流石に全員分をあげきれないので抜粋で失礼を。
各楽曲等の演奏者は公式HPに掲載されておりますので。
"小田朋美さんや、古川麦さん、吉田ヨウヘイさん、岡田拓郎さん、深海合唱団、石川広行さん、大石俊太郎さん、今村岳志さん、山崎ゆかりさん、遊佐未森さん、 佐藤望さん、松下ぱなおさん、寺尾紗穂さん"
それぞれに多方面で活躍している豪華な面々が名を連ねて、たくさんの良さが混ざり合って、素敵な世界が広がっていった。
興味があったら、チラっとその名を調べてみると、意外と知っているバンドや音楽の中にその人たちの名前を見つけることができるかもしれない。
完全な余談だけれど…
個人的には、岡田拓郎さんの泡立て器ギターは衝撃的だった…。
そして12ヶ月の完走記念は、「ぞうさん〜一年生になったら」だった。
この楽曲は2019年の5月に、某国営放送の「名曲アルバム」で放送されていた。
当時録画で見たのだけれど、テレビからこのおしゃれでかっこよくなったこの曲が国営放送から流れるのかー、と感慨深いものがあった。
確か、まどみちお特集か何かだったように思う。
12ヶ月間、キヲク座が創り上げる新しい童謡の世界と一緒に旅をして。
去年の今頃とはまた違う世界と予想していなかったような世界のことを考えながら、なんとも言えない気持ちになる。
少しは慣れて、希望が見えた世界の中でまた重く怠いような先の見えない世界に突入して、一体全体何を作り上げるのか見通せず、それぞれが正義を掲げ走るあべこべなような世界の息苦しさと。
その中でも当たり前のように訪れる、日常的な日々の中で誰かがいなくなる寂しさや、生きている世界の実感のなさと、変わっていく社会と、迫り来る災害と、節目の何十年かという歳月と。
なにと戦っているのか、誰と争っているのかわからなくなるような空気感の中で。
今、この時代、この瞬間に、童謡や民謡を再構築し創り上げる、というのは何か意味があったんだろうなと思ってしまう。
決してそれは狙ったわけではないと思うし、偶然世界を取り巻く情勢と、移り変わる時代の波の中で、ちょうどピースが合わさったのだと思うけれど。
一つ一つの楽曲の世界にはいろんな時代の歴史や、想いが詰まっていて、積み重なった歳月があると思う。
そんな楽曲が生まれた何十年後かに歴史を学び、音楽を学び、いろんな背景があったことを理解した上で音楽を愛し、時に奏で、聴いている。
流行や時代に合わせていろんなものが変化していくけれど、折に触れて変わらない何かに触れる時に、歴史の渦の中に放り込まれ、向き合わされる何かがあると思う。
漠然とそんなことを、霞みがかった頭の中で、12ヶ月の音楽の旅を終えて感じている。
こういう偶然が重なることってあるんだなと思う。
たとえ消えてしまっても、なくなってしまっても、変わってしまっても。
音の中にそっとしまい込んだ景色、匂い、肌で感じた感触。
そういう形での音楽のあり方。
何十年後かに、偶然誰かがキヲク座の創り出した音楽の世界を開いた時に、何かを考えるような道標になっていたら良いなと思う。
もちろん今聴いても、良いんだよ。
どこか懐かしいような、でも新しいような、着飾らなくて良いおしゃれな音に包まれるから。
いいなと思ったら応援しよう!
![よしのん](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/37689509/profile_3126188385a94c3d6ff2f2904ab9349b.jpg?width=600&crop=1:1,smart)