[さめルク SS] 流れ星ひとすじ
玄関の呼び鈴が鳴る。部屋の主、さめのうたがモニターを一瞥して開錠ボタンを押した。
しばらくして部屋の扉を開けた中性的な青年然とした人物は、慣れた様子で部屋に入ると、1つ2つと扉を開けてPCの前に座るうたに声をかける。
「いやー、間に合ってよかった」
うたがPCから目を離し、来客に向き合う。
「ルク、もしかして配信に合わせてきたの?コラボする?」
夜宙ルクは鞄を置くと、中から少量の荷物を取り出しながら答える。
「いや、配信中にインターホン鳴らすと音入っちゃうかなと思ってその前に着きたくてさ。先にシャワー借りていい?今日は夜配信は無しって言ってあるからやるならさめくんの枠かな、一旦考えさせて」
「うん、場所分かるよね?」
ルクが疲れを少しにじませた声で返事をすると、迷わず浴室に向かった。うたは再びPCに向き合い配信の準備をする。23時になり、さめのうたの配信が始まった。
ルクが静かに扉を開ける。シャワーを浴びて濡れた髪をタオルで覆いながら、訪ねてきたときの格好で部屋に入る。PCのカメラに映らないようにベッドのそばまで行くと、ベッドに座り壁にもたれかかった。うたは配信中で、リスナーのコメントを拾いながら楽しそうに話している。ルクはその様子をぼんやりと見ていた。
『ところで今ルクが遊びに来てるんだけど』
うたが振り返る。
「ルク、今日コラボする?」
この音声もおそらくマイクによって拾われている。ルクは配信に乗るように少し声を張って答えた。
「ごめん、今日踊ってきて疲れてるからまた今度でいいかな?」
「うーん、それじゃしょうがないか。ルクはゆっくり休んでて」
「ありがとう。みんなごめんねー」
最後にリスナーに向けて謝意を伝える。うたがあっさりと引き下がったのは意外だった。そんなに自分は疲れているように見えたのだろうか。
『というわけで振られてしまったので、今日はボク一人で配信を続けるね。ルクとのコラボはまた計画しているからその時に』
うたが配信に戻る。彼女の後姿をじっくり見たのはもしかしたら初めてかもしれない、などとルクは考えながら、しばらく配信するうたを眺めていた。うたは楽しそうに、物騒な話題を中心に話を盛り上げている。最近はいつにもまして楽しそうで、ルクにはそれが嬉しかった。
気が付くと少しまどろんでいたらしい。ルクが目を開けると、うたの顔が目の前にあった。うたは隣にかがんでルクの顔を覗きこんでいる。意外な近さに驚いて少しのけぞる。壁に寄り掛かっているせいでそれ以上下がれなかった。
「ごめん、俺寝てた?」
「うん、すこしうとうとしてたかな」
「配信は?」
「ちょっと前に終わったよ」
話しながらうたはルクの隣に座った。服越しに体が触れる。ルクは少し気まずい思いでほんの少し体をずらした。
「ルク、疲れてるね」
「そうだね、踊ってきたし」
そう言いつつも、少し眠ったことである程度の疲れは取れていた。むしろこの疲労感の原因は他にある。
「なんか嫌なことあった?」
うたがルクの心を読んだように問いかける。ルクは言葉に詰まるが、それでも動揺を悟られないように答える。
「いや、単純に少し疲れただけ」
ふーん、という言葉とともにうたがルクの肩に寄り掛かる。さすがに避けることはできずに、うたの体重を支える。それほど体重を預けていないのか、それとも華奢な体ゆえか、それほど重さを感じなかった。
しばらく沈黙が続く。時間は12時を少し回ったところだ。明日は朝はお互いに早くはないから、また夜更かしすることになるのだろうか、とルクはぼんやり考える。うたの顔を覗き見ると、うたは目を瞑っている。それが眠っているわけではないことは、体重のかかり方で分かった。中性的な顔立ちと整った鼻筋に見とれてしまう。そうして見ていると、うたが目を開く。不意に見つめあう形になって、ルクが照れたようにはにかむと、うたも微笑みを返した。うたがルクの瞳をのぞき込みながら言う。
「目、やっぱり綺麗だね」
ルクの瞳の中心には大粒の星が浮かんでいる。うたにとって、その星には確かに引力が存在しているように思えた。
「いつもはカラコンで隠してるからね」
人目を引きすぎる瞳は普段はカラコンで黒く塗りつぶされている。そうでもしないと会う人5人中4人に瞳を注視される羽目になるからだ。
「舐めてみたいな」
しばらくじっと見つめていたうたが突飛なことを言い出す。ルクが驚いて聞き返す。
「さめくんそんな趣味だったの…?」
「いや、そんなことはないけど」
うたが平然と返す。
「だったらなんで…」
「見てたら思ったんだよね。他の人のはそんなことないんだけど、ルクのだったら舐めてみたいな」
目を見つめながら淡々と発せられるうたの言葉に、ルクが戸惑いの表情を浮かべる。
「流石にそれは…」
「衛生的にも良くないしね。じゃあ、瞼の上からキスならどう?」
うたが焦点を目から顔全体に合わせなおす。発話内容を理解するのに数秒かかった。
「どう、じゃないよ。駄目に決まってるじゃん」
「じゃあ唇で我慢しよう」
「は?」
今度こそ本当に理解が遅れた。そして理解したあと急激に目が冴える。ルクは顔が熱くなるのをはっきりと感じていた。押し黙ったルクを見かねたのか、うたがもう一度口を開く。
「瞼じゃなくて唇にキスするね、って」
「いやいやいやおかしいでしょ。そもそも俺ら友達だよね?」
動揺と照れと焦りが混ざった口調でルクが聞き返す。
「そうだね」
対するうたは、だからなに?とでも言いたげに、表向き平然と首をかしげながら言った。顔が赤いような気がしたが、部屋は少し薄暗く、ルクから細かい顔色までは判断できなかった。
「何?さめくん俺のこと好きなの?」
ルクは思ったことをそのまま口に出す。
「そうだけど」
あくまで口調は平然と、そして毅然とうたが答える。ルクの照れと混乱が深まる。いつの間にか、うたと接している腕が熱を持っていることに気づいた。口が乾いていることを自覚する。
「え、そんなの聞いたことないよ俺」
ルクの声が少し掠れた。
「いつも言ってるじゃん、大好きだよって」
「それは配信でしょ?配信以外で聞いたことないし」
ルクができる限りの反論を試みる。
「じゃあ、ルク、大好きだよ、愛してる。はい」
うたは淡々と、それでいて一音一音はっきりと言葉を発する。そして取ってつけたように、はい、と締めくくった。
「はい、じゃないよ」
「まだ他に何かあるの?」
「それは…えー…」
いつもはすらすら出てくるはずのうたへの反論も、今となっては何も出てこなかった。うたの言っていることはどこかずれているように感じられるのに、ルクには何も言い返すことができなかった。言いよどんでいるうちに、うたが言葉を継ぐ。
「あ、ルクからボクに…」
「ほら心の準備!心の準備がいるじゃん!」
嫌な予感を察知してルクが言葉をかぶせる。うたの唇の端がわずかに上がる。
「それってつまり準備ができたらいいってことでしょ?じゃあいいじゃん」
「それは…」
何もよくない、とはなぜか言えなかった。
「いい加減ボクからの無茶振りは慣れたんじゃなかったの」
「無茶のレベルがちが…」
言い終わる前に口が塞がれた。急に距離が近づいて、お互いの熱をより近くで感じる。最も熱い接点が離れて、集まっていた熱がお互いの体を巡った。
心臓の音が痛い。うたの表情は赤らんで見えるが、どうにも確信が持てなかった。自分の顔が燃えるように赤いことだけははっきりと分かる。うたはそのまま、両手を肩に当てて、下から上に撫で上げるように動かした。何度かその動きを、わずかに力を増しながら繰り返し、それから諦めたように体を肩に預け、体重をかけてくる。
「ねえ、もしかして押し倒そうとしてる?」
「そうだよ」
撫で上げる動きは非力なうたなりに肩から押し倒そうとした結果だったらしい。もしかして、と思って口にした言葉があっさり肯定されて、口づけされたときよりも強く動揺した。今度こそ少し距離を取らないとどうにかなってしまいそうで、重心を少し後ろにずらすと、ちょうどそのタイミングでうたが体重をかけてきた。その動きがかみ合って、重心が重力に従ってベッドに沈んだ。
「さめくんの力で押し倒されるの俺くらいだと思うよ。いくらなんでも力無さすぎでしょ」
うたの体重を全身で感じながら、精いっぱいの煽りを入れる。
「いいんだよ。夜はルクが押し倒されてくれないといけないくらいの力しか出ないから、ルクの嫌なことしないで済むでしょう?」
今のは押し倒されてあげたわけじゃない、と反論を試みる。
「いや、今のは別に…」
反論は再び物理的に封じられてしまった。顔にうたの髪がかかるのが少しくすぐったい。髪にかけていたタオルがベッドに落ちている。もしかしたら自分は押し倒されたかったのだろうか。
「嫌だったらちゃんと抵抗してね」
顔を離したうたが改めてルクの意思を問う。ルクは何もしなかった。うたがルクの首元にある星に手をかけると、ファスナーを少しづつおろしていく。
「あ」
うたが声を上げる。ファスナーは襟の折れ目で止まっていた。折れ目のせいでいつも少しだけ引っかかりを感じる場所だ。そのわずかに抵抗が増える場所でうたが手を止めてルクを見ている。
ルクがうたの目を見返す。そのままうたの手に自分の手を重ねた。止まっていたファスナーが、ルクのわずかな力で動き出した。二人の手が滑らかに服の上を滑っていく。重なった手は同じ熱量を持って溶け合っているようだった。ルクにはもう、考えている余裕も、それを言葉にする余裕もなかった。
静寂が夜を包む。星が地面に落ちる音が、こつん、と小さく部屋に響いた。