[白乃クロミ・九条林檎 SS] 大人の遊び
ショートカットの小さな少女が、自室の中で鏡を見ながらしきりにパンダの髪飾りの位置を気にしていた。とはいえほとんど直すべきところはなく、単にこれから控えた出来事を前に落ち着いていられないだけだ。鏡の前の少女、白乃クロミは時計に目をやると、意を決したようにバーチャル世界への扉の前に立つ。これから彼女は、敬愛する同期である九条林檎とのデートなのだ。
白乃クロミはバーチャルタレントだ。デビューして半年以上経つが、同時にデビューしたメンバーである九条林檎とは時々一緒に出掛ける仲だ。クロミの住む世界と林檎の住む世界は厳密には別だが、バーチャル技術の恩恵で実際に会うことも、他のバーチャル世界を旅することもできる。今回は林檎の案内で、様々なバーチャル世界に訪れることになっていた。問題なのは、林檎が誘ってくれた時に言っていた言葉だ。
「そうだな、今回は大人の遊びを体験してみるのもいいな」
林檎と出かけるのは初めてではないし、バーチャル世界を一緒に巡るのも一度や二度ではない。それでも林檎と会う前には少し緊張してしまうというのに、この言葉のせいでクロミはいつもよりも緊張していた。いつもは会ってしまえばなくなる緊張も、今回ばかりはわからない。出発前の最後の確認として、持ってきてくれと言われていた水着があることを確認する。クロミは意を決して扉をくぐった。
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待ち合わせ場所では、アッシュブロンドの長い髪をなびかせた、長身の令嬢が何やら手元を動かしていた。女性はクロミに気づくと、育ちのよさそうな微笑みを向けながら手を振っていた。
「ミミ、ごきげんよう。会えるのを楽しみにしていた」
「林檎さん!待たせたか!?クロミも会いたかったぞ!」
ミミというのはクロミのあだ名だ。林檎に名前を呼ばれると、いつものようにクロミの緊張はどこかへ行ってしまった。嬉しさに任せて林檎に抱き着くと、林檎はクロミの体をやさしく受け止めてくれた。近況を一通り話し終えると、林檎は手元で何かを操作しながら出発を告げた。
「では最初は海水浴と行こうじゃないか。今日のテーマはアメリカ、だ。いくつかワールドを借りておいた。プライベートモードにしてあるから人目を気にせず遊べるな」
クロミからは見えないが、林檎の手元には操作パネルが出ていて、今回のバーチャル旅行のための操作をしている。そのことはクロミが初めて林檎とバーチャル旅行をしたときに教わって知っていた。クロミは操作の邪魔にならないように少しだけ距離を開ける。
「あめりか!クロミも英語で話す必要があるか?あいらーびゅー、まいあっぽー!」
クロミが無邪気に話す様子に、林檎の口元がさらに緩む。
「残念ながら我しかいないからな、そしたら我も英語で話さなければな。Love you too, my sweety. なんてな、ははは」
林檎の流暢な英語にクロミは感心するばかりだ。それが顔に出ていたのか、林檎が言葉を付け加える。
「発音がそれっぽいだけで、我は英語できんぞ?さて、準備ができた。出発しようか」
クロミ達の周りを光が包む。あたりの景色が分解され、再構築されていく。サンタモニカを模した海の輪郭が描かれると、その中が澄んだ青で塗りつぶされていく。太陽の輝きはここが日本ではないことを教えてくれているようだ。光が収まると、クロミ達は広大で美しいビーチを二人で独占していた。
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水着に着替えたクロミ達は、広い海を存分に楽しんだ。たった二人の海水浴はバーチャル旅行ならではの贅沢だ。海を遊びつくすと次は陸だと、アメリカ西部の荒野を模したワールドへと移動した。このワールドでは、広大な荒野を自力で高速移動できるように設定がされている。そのおかげで、普通は車でもないとまともに移動できない荒野を飛ぶように巡ることができた。これもまたバーチャルならではの体験だろう。クロミ達は思いっきり速度を上げてひたすら長い道が伸びる荒野を駆けまわり、時に顔を見合わせて笑いながら散策を楽しんだ。
日が暮れかかり、荒野も存分に見て回ったというタイミングで、林檎はクロミを呼び止めた。
「さあ、次で最後のワールドだ。次は我と一緒に大人の遊びを体験してみようじゃないか」
林檎が微笑む。クロミにはその笑みがいつもより妖艶に見えてどきりとしてしまう。今まで忘れていた緊張を思い出してすこしそわそわしてしまう。林檎はそれをどう解釈したのか、楽しみだな、と一瞬だけ目配せをして手元で操作を進めている。いつも大人の女性を自負しているクロミも、いざ大人の遊び、という響きを耳にすると否応なしに心拍数が上がってしまう。結局クロミは林檎が操作を終えるまで、おとなしく待っていることしかできなかった。
「よしできた。さあ、行こうじゃないか」
林檎が手を差し出す。クロミは一瞬だけためらって、その手を取った。クロミ達の周りを光が覆う。慣れたはずの移動時間がやけに長く感じられた。
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光が徐々に収まっていき、クロミ達の居場所がはっきりしてくる。最初に目に入ったのは高級感のある赤い絨毯だ。あたりの壁は大理石で、洋風の柱や調度品の数々が並んでいる。高い天井にはシャンデリアのような照明が吊るされ、あたりを明るく照らしている。どうやらここはホテルのエントランスのようだった。
クロミが林檎の顔を見上げる。林檎は「行けば分かる」とだけ言い、クロミの手を引いて歩きだした。クロミはなすがままただついていくだけだ。大きな扉の前で立ち止まると、扉がゆっくりと開いていった。
クロミ達のところまで喧噪が届いてくる。リズムのいい音楽が流れているようだが、人々の声は無秩序だ。手前左側にはいくつものテーブルがあり、そのテーブルに人だかりができている。右側にもたくさんのテーブルがあったが、そちらは椅子がしつらえられ、立ってみている人はほとんどいない。奥の方には様々な機械やモニタが並んでいて、人々がその機械やモニタに真剣な顔で向き合っている。カードを配る音と、チップを積む音と、電子音と歓声とがまじりあって、独特な熱気を作り出していた。
「というわけで最後はバーチャルカジノだ。さながらラスベガスだな。国によっては18とかから入れるらしいが、ギャンブルという意味では大人の遊びだろう。ここはバーチャルなのでノー問題。もちろんお金を賭けているわけじゃないからな」
クロミは林檎の説明をぽかんとしながら聞いていたが、気を取り戻すと改めてあたりを見渡す。確かにここは大人の世界だ。そしてとてもきらきらして楽しそうに見える。
「よし!クロミも一攫千金だっ!!」
クロミはすっかりやる気になっていた。
受付に行くと、数十枚のチップが渡された。それぞれのチップには50という数字が書いてある。林檎によると、1人1500のチップが無料でもらえるらしい。50のチップが30枚。同じ日のうちにもっと遊びたい場合は200円で1500チップが買えるらしい。このワールドの運営者に還元されるんだろう、と林檎が言う。
さらに、このチップは一定枚数でバーチャルアイテムと交換できるようだ。クロミ達はまずは景品を見に行くことにした。スロットマシンの列の脇を通り抜け、景品引換所に向かう。いろいろなものが並ぶ中、林檎がカエルのぬいぐるみの前で立ち止まった。かわいい、と林檎がつぶやくのをクロミは聞き逃さなかった。
「林檎さん、これがほしいのか!?」
「タグーに似ていてかわいらしいと思ってな」
林檎が答える。タグーとは林檎の使い魔で、カエルのような姿をしていると聞いていた。値札を見ると、チップ10,000と書いてあった。
「もし普通に買ったら1200円だから、このサイズのバーチャルアイテムにしては少し高めだな」
「じゃあクロミがこのチップを増やして林檎さんにプレゼントするぞ!」
クロミがこぶしをぐっと握りしめて言う。
「ミミは何か欲しい者はないのか?」
「いや!今日は林檎さんにお礼をしたいから、林檎さんの欲しいものを取ろう!」
クロミがまっすぐに林檎を見つめると、林檎はくすりと笑った。
「じゃあ、二人でこのぬいぐるみを目指そうか」
「あい!」
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問題なのはどのゲームをプレイするかだ。バカラ、ポーカー、ブラックジャックなどのカードゲームは、ルールを覚えていなかったので今回は諦めることにした。スロットマシンも別々にプレイすることになりそうなので見送った。最終的にクロミ達が選んだのはルーレットだ。
「なんか初めてだとどきどきするな…」
クロミが緊張した声で言う。すでにボールは投げられていて、クロミ達はボールがルーレットのどこに入るのかに賭けなければならない。
「クロミはどこに賭けるんだ?」
「まずは…林檎さんの赤に100だ!」
「じゃ我も」
二人とも赤のエリアにチップを2枚置く。ディーラーからストップの声がかかる。もう賭けの変更はできず、あとはボールが落ちるのを見守るだけだ。
「赤…!赤…!」
クロミが祈りながらボールの行方を見つめる。ボールの動きは緩やかになり、外周から離れて内側に落ちてゆくと、2、3度弾んで区切られたマスに収まった。そのマスには赤背景に白字で5と記されていた。
「赤の5だっ!!」
「我のためにあるような数字じゃないか、幸先がいいな」
赤に入る確率は約1/2で、それを当てるとかけたチップが2倍になって戻ってくる。クロミ達の手には4枚のチップが戻ってきた。
「増えたぞ!この調子でばんばんふやしていくぞ~!」
クロミは楽しそうな声を上げると、次の賭け先を真剣に考えている。林檎もそんなクロミを見て楽しそうにしながら、手持ちのチップをテーブルに置いた。
それからも思い思いの賭け方でチップを置いていく。最初は調子が良かったのだが、一度クロミが大きく張ったものが外れてしまってからは外れることが多くなってきた。その後も当たったり外れたりを繰り返していたが、いつのまにかクロミの手元にあるチップは2枚になっていた。
「林檎さん…残り100しかなくなってしまった…」
「我もあと400しかない。やはり難しいな」
「クロミは諦めないぞ!あと10回くらい連続で勝てばいいんだろっ!赤で勝負だ!」
クロミが最後のチップを赤に置く。
「じゃあ我は一応保険をかけておこうな」
そういうと林檎はチップ2枚を黒に置いた。ルーレットが回りだす。ボールが落ちたのは「00」。38あるマスの中で2つだけ、赤にも黒にも属さない緑色に塗られたマス。クロミの最後のチップと、クロミが外れた場合は増えた分をクロミにあげようという林檎の目論見の両方が、ディーラーの手で回収されていった。
「くやしい…!二人とも当たらないなんてことあるか!?クロミちょっとチップ買ってくるな!!次は当てるっ!」
クロミが受付に向かって歩き出そうとするのを林檎が止める。
「ミミはギャンブルやらない方がいいタイプだな。今日のところはおしまいにしよう。またくればチップがもらえるから、悔しかったらまた来ようじゃないか」
クロミは未練がましそうに受付の方を見ていたが、やがて諦めてため息をついた。
「…わかった」
「我の残りも使ってしまうからちょっと待っていてくれ。最後だから1点賭けにしようか」
そうして一つの数字を選び林檎が残りのチップを置く。1点賭けは倍率は高いが、当然めったに当たるものではない。林檎は期待せずにボールが落ちるのを待つ。数瞬後、落ちたボールは林檎が置いた数値と同じマスに入っていた。おお、と周りから歓声が上がる。ディーラーが大量のチップを林檎に手渡す。その額実に10,800。林檎が賭けたのは黒の33だった。
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林檎がカエルのぬいぐるみを手に、クロミと共にエントランスへと戻ってきた。
「最後の最後で大当たりとはな。おかげでぬいぐるみが貰えた」
「本当はクロミがあげたかったんだが…」
クロミは悔しそうな未練があるような顔で言う。
「何を言ってるんだ、最後はミミにあやかって勝ったんだ。実質ミミのおかげだ」
それでも納得がいかなそうなクロミの頭に林檎が手を置く。
「それに、今日はとても楽しかった。このぬいぐるみを見たら今日のことが思い出せるんだ。普通に買ったら得られないプレゼントだ。ミミ、今日はありがとう」
クロミは少しだけ言葉を失い、それから今日一番の笑顔になる。
「クロミもっ!今日は楽しかったぞ!!こちらこそありがとうだ!林檎さん、また遊びに行こうな!!!」
クロミ達を光が包む。最初の待ち合わせ場所に戻ると、今日のデートは終わりだ。自分の世界へと戻る瞬間まで、クロミは大きく手を振っていた。林檎も上品に手を振ってくれている。気が付くと、クロミは最初の扉の前にいた。いつもと同じ林檎と別れた後の寂しさと、楽しさの余韻だけがクロミに残っていた。
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