[姫咲真理愛・ナイトメア 夢SS] 薔薇の刻印
「引っ越すんだって?」
ほとんど人が残っていないのだろう、普段より静かな校内の、ひときわ静かな片隅にある教室で、二人の女子生徒が話していた。彼女たちが普段同好会活動の拠点にしているこの部屋は、ソファやティーセットまで揃っていて、ここが学校であることを忘れそうだ。窓から入る茜色の夕日が室内をオレンジ色に染めていた。深い紫色の髪の少女、闇月メアが問いかけてから、少しの間沈黙が流れる。
「うん。気軽には会えない距離。」
もう一人の少女、姫咲真理愛が沈黙を破って答える。その口調は、あくまでも平坦に、事実のみを述べているように響いた。
「そっか、寂しくなるな」
メアが隣に座る真理愛の方を見ずに言う。二人掛けのソファがいつもより広い。
「なあ、バーチャル同好会は…」
少し間をおいてメアが尋ねる。普段の会話よりもずっとゆっくりと、静かに会話が続いていく。
「すごく迷ったんだけど、辞めようと思う」
真理愛がはっきりと告げる。会話の後の沈黙がより長くなる。
「バーチャル同好会の活動だったら場所に関係なくできるだろ?忙しかったら活動の頻度は調整してもいいし」
「それも考えたけど、やっぱり辞めるって結論は変わらないかな。勘違いしないでね、メアちゃんが…同好会が嫌いになったわけじゃないの」
メアは真理愛の方に向き直って言葉に耳を傾ける。真理愛の顔はいつになく真剣だった。
「ただね、やっぱり引越しとかでしばらく忙しくて何もできないと思うし、それに」
真理愛が一度言葉を切る。一度小さく息を吸って、それからまた話を続ける。
「進路のこともあるし、新しい学校では新しい部活に入ろうかなとも思ってるんだ。まだ具体的に決めてはないけど、やってみたいことはいっぱいあるの」
メアは黙って真理愛の言葉を聞いていた。
「だからこれは自分勝手なけじめなんだ。中途半端にしておきたくはなくて。バーチャル同好会の活動でできたお友達のみんなには…とっても申し訳ないんだけどね」
真理愛の目が少しうるんだ。それは強い決意の目だとメアは知っていた。
「…そっか、分かった。…真理愛は、強いな」
「そんなことないよ!ずっと悩んで、こんなふうに決めることしかできなかったの。家族に無理言って自分だけここに残ろうかとか、いろいろ考えた。でも、家の経済的なこととかももちろんあって。未練たらたらだよ。辞めたくないし離れたくない」
真理愛がメアの目を見て訴える。メアが寂しそうに微笑んだ。
「でも、決めたんだろ」
「…うん」
「じゃあやっぱり、真理愛は強いよ。…我は、ずっと考えてることがあるのに、まだ、決心がつかないんだ。我は弱いな」
そう言うとメアは真理愛から目をそらした。日が傾いて、自分たちの部屋が徐々に暗くなっていく。このまま闇に飲まれてしまいそうで、生まれて初めて夜が怖いとメアは思った。
「メアちゃんが弱いことなんてないよ!自分の芯をしっかり持ってて、言いたいことをちゃんと言って…」
真理愛は語気を強めてメアの言葉を否定する。それでも、メアの横顔から読み取れる表情は変わらない。
「ははっ、言いたいことをちゃんと言って、か。今まさにそれができなくて困ってるのに」
空元気の笑い声だとすぐに分かった。慌てて真理愛が尋ねる。
「も、もしかして私に関すること?ごめんね、急にこんなこと言い出すし、普段からメアちゃんに気持ち悪い言動してるし、何言われてもなるべく傷つかないように頑張るから、もし言いたいことがあるなら言って?」
「気持ち悪い言動…そうなのかな。うん、真理愛のこと。真理愛はいつも我に、…好きって言ってくれるだろ?好きなものを好きって言えるのは、真理愛の強さだと思うよ」
メアの言葉はいつもの調子とは程遠く、歯切れが悪い。それでもこれがメアの本心だった。
「それはメアちゃんのおかげだよ!バーチャル同好会のおかげで、私は聖母を辞めれたんだから。それにメアちゃんだって、好きとか愛してるとか言ってるじゃん!」
「…そうだな。我も好きなものは好きって言うし、愛してるって言うようにしてきた。でもさ、言うのに本当の勇気がいる好きもあるんだ、って気づいたんだ。真理愛にはその勇気があると思うよ」
ほとんど独白のようなメアの言葉が零れ落ちてくる。真理愛はそれをただ聞いていた。どう返せばいいのか分からなかったのだ。少しの沈黙の後、メアが静かに息を吐く。
「はあ、こんなにうじうじ悩んで、かっこ悪い、我らしくないな。…でも、自分の心をさらけ出すのは…、醜い欲望を見せて、それが拒否されるかもしれないって考えるのは、怖いことだと思うんだ」
メアの口調はいつになく弱々しかった。しかしそう言い切った後、再び真理愛の方に向き直る。何かを決めたようなメアの表情に、真理愛もメアに改めて向き合う。メアが何かを言おうとして、それを取りやめる、というやり取りを数度経て、メアが一度大きく深呼吸をして、真理愛のことを見つめた。
「…ごめん、今言うよ。……真理愛。我は…真理愛のことが好きだ」
「今のって、その…。いつも、たまに言ってくれるような好きじゃなくて、みんなに言ってるような好きじゃなくて、…告白、なの、かな」
夕日だけが二人を照らす薄暗い室内でも分かるくらいに顔を赤くして、真理愛はうろたえながらもどうにか言葉を紡ぐ。メアもまた顔を赤くしながらわずかに頷いた。沈黙が流れる。
「…ありがとう。とっても嬉しい。嬉しいよ。……でも、もう遠くに行っちゃう私に、それを受ける資格は無いと思う」
落ち着いた真理愛が告げる。メアが真理愛の瞳を見つめ、もう一度口を開いた。
「…我は真理愛のことが好きなんだ。我と、付き合って欲しい」
「…でも」
「遠距離でもいい。忙しくてあんまり会えなくてもいい。我は真理愛が好きなんだ。真理愛が同じ気持ちなら、それ以外のことはどうだっていい。だから…振るならちゃんと振ってほしい」
メアの声は震えていた。
「メアちゃん…」
「はは、手が震えてる。弱さを見せるのは…自分の気持ちを全部さらけ出して、相手に全て委ねるのは…やっぱり怖い。でも、真理愛の返事は…ちゃんと、受け止めるから」
メアが自分の手を見つめながらこぼした。真理愛もメアの手を見る。メアの言う通り、その手はわずかに震えていた。
「メアちゃんはやっぱり強いよ。真っ直ぐ、弱さも全部ぶつけてくれる…。弱いのは、逃げようとしてたのは私の方だね。メアちゃんの気持ちにちゃんと向き合わなくちゃね」
真理愛は覚悟を決める。今から私は、私のすべてをぶつけるんだ。ただメアの気持ちに、覚悟に応えたかった。
「私はメアちゃんが好き。もう何回も言ってるから、メアちゃんも知ってるでしょ?遠くに行っちゃうからとか、そんなのは言い訳だね。今までも私は自分に言い訳して、私がメアちゃんとどういう関係になりたいのか、考えることから逃げてたんだと思う。私も、怖かったんだ。メアちゃんの言葉で初めて気付いた。メアちゃんが好きだって言って、それで嫌われても、メアちゃんが好きだって気持ちは変わらないから別にいいんだって思ってた。でも、私が怖かったのは、メアちゃんに好きになってもらうことの方だったみたい。だってこんな私が、メアちゃんに相応しいなんてとても思えなかったから。好きって言われて、それから失望されるのが怖かったんだ」
一度視線を逸らす。自分を鼓舞して、そしてまた向き直る。
「でもね、怖くても気持ちを伝えてくれたメアちゃんの前で、私が怖がって逃げちゃいけないよね。私はね、…私もね、メアちゃんが好き。メアちゃんがこんな私を受け入れてくれるなら、…ううん、たとえ受け入れられなくても、言いたいことは一緒だね。メアちゃん、好きです。私と、付き合ってくれますか?」
「真理愛…本当に…」
メアがまだ真理愛の言葉を飲み込めていないというような様子で見つめる。
「ほんとだよ。確認したいのはこっちの方。メアちゃんは本当に私でいいの?」
真理愛がまっすぐにメアを見つめる。
「真理愛だから…真理愛がいいんだ。本当に…嬉しい…」
「私もだよ、まさかメアちゃんから告白してくれるなんて…。夢みたい。わ、メアちゃん泣かないでよ!」
いつの間にか、メアの目から涙がこぼれる。
「っ…われは泣いてなどっ…」
それを見て真理愛も、お互いが同じ気持ちなのだと改めて実感する。
「わた、しまでっ、涙でて、きちゃった」
いつの間にか真理愛の瞳から涙があふれていた。メアがなんとか涙を拭う。メアが真理愛に手を伸ばす。
「我、かっこ悪いな…。…っ、はあ。真理愛も、泣いてる」
メアの指先が真理愛の顔に触れる。真理愛の涙をメアが拭う。薄暗い教室で、お互いの顔を見つめるために、二人の距離が近づいた。
「真理愛、好きだよ」
「メアちゃん、私も好き」
ひどく紅潮している真理愛の頬をメアが撫でる。メアの指先が頬から下に、顎の下までゆっくりと動いた。
「真理愛」
ふたりの距離がさらに近づく。手を伸ばせば背中に手をまわして抱きしめられる距離だ。メアの手が真理愛の顔を僅かな力で引き寄せる。真理愛が目をつぶる。
真理愛は不思議と冷静だった。想いが通じ合った今でも、同好会から離れることを考え直そうとは思わなかった。むしろこれで、心置きなくここを離れられると思った。例え場所が離れていても、同じところにいなくても、切れない繋がりがここにあるのだ。それでもやっぱり会いづらくなるのは寂しいけれど――。
メアとの繋がりを、ぬくもりを確かめ合う。確かなつながりのしるしがお互いに刻まれる。このしるしがあれば、どんなところにでも行けると、真理愛は思った。
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