[さめのうた・夜宙ルク SS] さめくん、どうしよう
『さめくん、どうしよう』
さめのうたが電話に出て最初に聞いたのは異様に震えた幼馴染の声だった。電話の主、夜宙ルクはそれきり何も話さず、時折呼吸の乱れる音だけが電話越しに聞こえてくる。何らかの異常事態が起きていることは明白だったが、うたはつとめて冷静な声で、静かに、ルクに語り掛けた。
「どうしたの」
『ひ、人を』
それだけ言ってまた会話が途切れる。うたは辛抱強く待ってから、一度だけ相槌を打った。
「うん」
『人を、殺した…』
直後に咳き込む音が聞こえ、荒い呼吸音が続く。呼吸が落ち着くのを待って、うたは再びゆっくりと話しかける。
「今、どこにいるの。そっちに行ってもいい?」
『家…家に、いる』
「分かった。そのまま、できれば横になって、待ってて」
話の緩やかさとは対照的に、うたの体は滑らかに素早く音を立てずに動いて最低限の外出の準備を整えた。
「電話、つないでた方がいいかな」
家を出る前に尋ねる。ルクは呼吸こそ初めより落ち着いていたが、答えはなかった。うたは通話を維持したまま、家の扉を閉めた。
ルクの家に着くまで、ルクは一言も発さなかった。うたも何も話さずに、ただルクの時折混じる苦しそうな吐息を聞いていた。ルクの家のインターホンを押す。扉を開けようとするが、鍵がかかっていた。
「ルク、ボクだよ。鍵、開けてくれる?」
うたがしばらく待っていると、電話越しに動く気配が聞こえて、カチャリと鍵が開く音がした。ルクが扉を開けなかったのでうたが扉を開ける。十数日ぶりにあった幼馴染は憔悴した顔で立っていた。
電話を切って扉を閉めると、まずうたはルクの肩に触れた。びくりとおびえたような反射があって、それから肩の力が抜ける。肩に触れた手を腕に沿って少しずつ動かしていくと、かすかにふるえていたルクの手から緊張が抜けていくのが分かった。うたの手が指先まで届いたとき、うたはルクの手を握って言った。
「まずは座って話をしようか」
うん、とかすかな返事を聞いて、うたはルクの手を握ったまま玄関の鍵を閉めた。そうしてルクの手を引いて部屋まで連れていく。ルクをベッドに座らせると、少し待ってて、と言って手を離す。縋るようなルクの手の動きに少し後ろ髪を引かれながら、台所でお湯を沸かし、ホットココアを淹れてルクのもとへと戻った。ルクにマグカップを渡すと、両手でルクの手を包む。ココアの熱がルクの手越しにうたの手のひらに伝わった。
「飲んで」
ルクが緩慢な動きでココアを口にする。ココアの温かさがルクの体に染み渡るまで、うたはルクの空いている手を握ってただ何も話さなかった。
ルクがココアを飲み干して、少し落ち着きを取り戻したあとで、うたが尋ねる。
「いったい、何があったの」
ルクは苦しそうな顔をして、何度か深呼吸をしてから、ぽつぽつとことの経緯を話し始めた。
友達が…、友達と、口論になって。友達だって思ってたのは、俺だけだったのかもしれないんだけど。でも、本当にそんなつもりはなくて、なかったんだけど、とっさに、…。話が、あるって言うから、散歩しながら話してて…。別の友達がね、その子とうまくいってないみたいで、なんか、その友達、今すごい頑張ってるんだけど、邪魔したいって、全部ダメにしてやりたい、って、協力してくれって、言うから。俺は、その友達が頑張ってるの知ってたから、嫌だったし、でも友達は絶対やるって言うから、止めたくて。でも、だめだよ、だってあんなに頑張って、…。味方だって思ってたって、でもやっちゃいけないことってあるじゃん。だから追いかけて、捕まえて、考え直してって、言おうとして…。俺も怒ってた、んだと思うんだけど、逃げようとするから、つい力が入って、バランスが崩れて…。気が、ついたら、頭からすごい、血が、出てて、反応もなくて、息、してなくて。そしたら、俺が、俺が、殺したんだって、死んでるんだって、思って、怖くなって、何も考え、られなくて、息が、苦しくなって
そこまで話してルクが吐きそうな勢いで咳き込む。うたはずっと少しの相槌で話を聞いていたが、ルクが咳き込むのを見てルクの背中を静かにさすった。ルクの呼吸が少し落ち着きを取り戻す。
「それで、ルクはどうしたいの?」
無音の部屋にうたの問いが浮かぶ。
「分かんない。わかんないよ…」
ルクはうなだれながら震えた声で答えた。
「少し、近づいてもいい?」
拒絶の返答がないことを確認すると、うたはゆっくりとルクに身を寄せる。ルクが逃げるようにわずかに体をずらすが、やがてうたの体に身を預けるように脱力した。うたがそのままルクを抱きしめる。
「今は、全部忘れていいから。全部忘れて、今日はもう眠っていいよ」
そのままうたはただルクを抱きしめていた。ルクの呼吸が落ち着きを取り戻してくると、ルクをベットに寝かせて寄り添うようにしてうたもベッドに入る。しばらくして、ルクの寝息が聞こえるようになると、うたは少しだけ身を動かしてスマートフォンを手繰り寄せた。
「んっ…」
ルクが目を覚ますと、その声に呼応するようにうたも目を覚ます。
「あれ、さめくん…。そっか、っ俺」
「落ち着いて」
ともすればパニックになってしまいそうなルクを落ち着かせるために腕に触れる。
「少しは…話せそうになった?」
「…うん」
ルクが頷く。
「じゃあ、もう一度聞くね。ルクは、…どうしたい?」
ルクはしばらく無言で目の前を見つめていた。うたはそれを何もせずただ待っていた。長い長い沈黙の後、ルクが口を開く。
「多分、俺は、報いを…罪を償わないといけないんだと思う」
うたが頷く。
「ルクが寝た後、少し調べたんだ。…その友達は確かに亡くなってる。ニュースになってた。犯人は不明、とは書いてあった。一応、逃げる、って選択肢もあると思う。逃げられるかどうかは…分からないけど」
ルクは首を横に振った。うたが微笑む。
「じゃあボクはルクの味方だよ。ルクの友達として…できることはする」
「ありがとう」
ルクが膝を抱えながらつぶやく。
「こんな俺が生きてていいのかな」
「もしも償いとして死を選ぶなら、…一緒に死ぬくらいはしてあげるよ」
その言葉を聞いて、ルクが初めて微笑みを見せる。
「俺がもしわがままを言っていいなら、さめくんには…生きててほしいな。さめくんに生きててもらうためにも、俺も生きて罪を償わなきゃね」
うたも優しく笑う。ルクの瞳から涙が零れた。涙は止まることなく、やがてルクは声を上げて泣き始める。うたは泣き続ける友人を静かに抱きしめ、その罪の涙を受け止め続けた。