[白乃クロミ SS] 音のない気配
静かな夜に鍵を開ける音が響く。音のない気配。そうか、今日は任務の日か、と思って玄関に向かう。内側から鍵を閉める音以外は何も聞こえない。
玄関を覗くとそれを予期していたかのように少女が顔を上げる。一瞬だけ無表情な彼女の顔が見えたが、すぐにいつもの無邪気な笑顔を取り戻した。
「ただいまだっ!」
「ああ、おかえり」
笑顔と共に、普段の騒がしさもまた戻ってくる。目の前にいるクロミという少女は、今日のような日を除けば音楽隊のように華やかで騒がしい。そして今日のような日でも、家に帰ってくると楽しそうに笑い、声を上げ、足音を立てて歩くのだ。
用意していた夕食をテーブルに並べる。クロミは楽しそうに話しかけてくる。
「あのなっ、それでなっ」
ん、ときちんと聞いていることを示す相槌を打つと、きちんと聞いていることくらい分かっている、と言わんばかりの笑顔と勢いで話を続ける。
「大変だったね」
「そうなんだ!クロミは絶対にそうなるって言ったんだが、誰もクロミのこと信じてくれなかったんだぞ?ひどくないか?」
怒っているような表情を作る彼女のかわいらしさに自然と頬が緩んでしまう。温めなおした料理を並べると、彼女はそれを見て満面の笑みを浮かべる。彼女の表情はころころと変わってせわしない。
「それじゃ、食べよっか」
「ありがとうだぞ!いただきますっ」
いただきます、と言って食事を始める。口にものを入れている間だけは彼女は静かだ。満足いただける味に仕上がっていたようで、そんなにおいしそうに食べてもらえると、作った甲斐があったとしみじみ思う。
食事の後は別々に時間を過ごすことも多い。彼女は自分の仕事をすることが多く、そういうときはなるべく邪魔にならないように静かにしている。仕事、つまりタレント業と、時々、暗殺稼業だ。家でやる仕事はほとんどが前者の仕事だ、と思う。後者の仕事についてはまったく何も知らない。いつ何をやっているのかも分からない。そういう仕事で、そういう約束だ。だから彼女が家を出るとき、どこに行くのか、何をしに行くのか、知らないことも多い。タレントとしての彼女の活動を見るに、ほとんどがタレントとしての仕事だと思うが、それを教えてしまうのは、教えられなかった日が任務の日なのだと教えるのと同じだ。だから彼女は仕事の内容について何も話さずに家を出る。告げられるのは帰りが早いのか、遅いのか、分からないのか、それだけだ。
それでも、結局はどちらの仕事だったのか、すぐに分かってしまう。タレントの仕事の日に、彼女の帰りを家で待っていると、足音ですぐに彼女が帰ってきたのだと分かる。足取りは軽やかで、気配だけで今日も楽しかったのだというのが伝わってくる。そしてそうではない日、任務の日には、今日のように気配が消えたまま、音もなく帰ってくる。玄関に入ったときにはいつものように華やかな彼女に戻っていて、まるで気配を消して歩く彼女は別人だったかのように、普段通りに笑っている。その中で一つだけ、いつもと違うところがあって、消えた彼女は別人ではないのだと教えてくれるのだ。
足音がして、扉が開く。クロミは就寝の準備を終えていた。大きな瞳が何かを訴えるようで、とても静かだ。普段ならこんなことはない。今日のような日の終わりの、最後のお願いごとの時にだけ、彼女はそれを口に出すことができなくなる。
「もう寝ようか」
だから代わりにこちらから言うのだ。いつもなら素直にそう言ってくるか、あるいは別々のタイミングで寝ることも多いけれど、任務の日に限ってはどうも一人では寝たくないらしく、それでいてそれを頼みづらくなるらしい。
「うん」
彼女は静かに、少し嬉しそうに返事をする。寝室に向かうと彼女はわずかな足音を立ててついてくる。彼女がこの家にわずかに遠慮しているように思えた。そんな様子にまったく気づかなかったふりをして、いつもと変わらないように寝る支度を済ませてベッドに入る。
「おやすみ」
「ん、おやすみ」
いつもより少しだけ、彼女との距離が遠い。遠くなった分だけきっちりと距離を詰める。いつもより少しだけずれた位置で、二人の距離は変わらずに眠りに落ちてゆく。今日の夜はいつもより少しだけ静かだ。
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