「手書き」が持つ魅力的な魔法の力
2022年。新たな年を迎えてはや1ヶ月が経ち、未だに不安な状況が続いてるが、最近嬉しいと思ったささやかな経験をシェアしたいと思います。
「手書き」のメッセージをもらった話
1つ目の「手書き」体験:
この歳になってポストカードをなんとありがたい事に2通も頂いた。しかも海外に住んでる遠方の友人から、突然。
(国内ですら自分宛てへの年賀状が1通も来てなかったのに…!)
今の時代、手紙をもらう事自体、非日常的なのですごく嬉しかった。
メッセージこそ短く収められていたけど、とてもほっこりした。
わざわざ気にかけてこないと手紙を出そうとまで思わないし、まずポストカードを選んだり、書く内容を少し考えたり、そもそも書くこと自体手間だし。
2つ目の「手書き」体験:
2つ目は、お年玉に同封されていた手書きの占いだ。
これには少し背景があるのだが、とにかくただ金銭のやり取りをするのはつまらないから年始ということもあり、ポチ袋をお願いしたらお金と手書きの占いをセットにして渡してくれたのだ。
(てっきりお金しか入ってないものだと思ったから余計に驚き!)
手書きの占いのセンスもとても良く、結果は(もちろん)超大吉であった。
「手紙」からは少しずれているが、「手書き」のメッセージとして受けたときは同じように嬉しかったし、なんならすごく感動した。
なぜ「手書き」は人の心に何かを訴えかけることができるのか
僕が経験したコミュニケーションのやり取りなんて普段のLINEとかでもできることだし、お金のやり取りだって今ならPayPayとかで シュンと送金もできてしまう。
やっていることは同じなのに自分の感情の結果がまるで違う。
人柄を知っている友人からのメッセージだからこそ、文字を通してその人なりのトーンで気持ちが伝わるのか。
言うなれば労力を割いて書いた文字は、その人からの魂やら気持ち、エネルギーが文字を通して読み手にも伝播(?)するからアナログで非合理的であっても「手書き」でのコミュニケーションの良さが伝わかるのかもしれない。(すごくスピリチュアル!)
例えば
、これは完全に自分だけが思うことかもしれないが、
「ありがとう」
とLINE上で受け取るのと、一言手書きで綴られたものを受け取るのとでは、後者のほうが冷たさというか無機質さが少なる印象がある。
本当に感謝の気持が込められてるのかは置いといて、「手書き」でポジティブなメッセージを伝えられた方は嬉しい気持ちになるのも事実だ。
そういうことをなんとなく感じれる(気がする)から、「手書き」のメッセージからも余計に温もりを感じれるのかもしれない。
フィルム写真で言うと、あの独特な空気感はデジタル写真には表現できなく、その空気までもフィルムに取り込めるからそう感じさせるのかもしれない。
便箋ほど長く書かなければいけないと思うプレッシャーもなく、返事がなくてもいい気軽さ。
今年はもっとアナログな事に挑戦してポストカード送ってもいいかもしれない。
それではまた!
#マイキーのコラム
この記事を書いた人:mikey