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真鍋淑郎さんが発言した「日本に帰りたくない理由」について思うこと

ノーベル物理学賞を受賞した気象学者の真鍋淑郎さん。
過去にアインシュタイン や キュリー夫人、レントゲンも過去に受賞した分野であり、まさに名誉ある賞だ。

そんな中、プリンストン大学で行われた記者会見で真鍋さんが答えたある発言について思ったことを書いていきたいと思います。

「日本の人々は、いつもお互いのことを気にしている」

1958年に東京大学大学院の気象学博士課程を修了後に渡米。
アメリカ国立気象国(現在の米国海洋大気庁)で研究員として働きその後に真鍋さんはアメリカ国籍を取得している。

日本に残って研究をすることもできたであろうが、アメリカに渡って研究を続けるということは、今の時代で同じことをするのとはまるで訳が違うと思う。(純粋にすごい、。)

真鍋さんはプリンストン大学で以下のように話しました。

日本の人々は、非常に調和を重んじる関係性を築きます。お互いが良い関係を維持するためにこれが重要です。他人を気にして、他人を邪魔するようなことは一切やりません。

だから、日本人に質問をした時、『はい』または『いいえ』という答えが返ってきますよね。しかし、日本人が『はい』と言うとき、必ずしも『はい』を意味するわけではないのです。実は『いいえ』を意味している場合がある。なぜなら、他の人を傷つけたくないからです。とにかく、他人の気に障るようなことをしたくないのです

真鍋さん米国に渡る前の当時の日本って今よりもより「日本らしい」風潮が当たり前だったんだとと思う。

これを悪いと言っているのではないし、他のどの国を見てもこれほど素晴らしい国や国民はいないんじゃないかと思います。
だけど、個人的には時としてものすごく居心地悪く、やりづらく思ってしまう。

アメリカでの生活「いい意味で他人に無関心」

自分も高校卒業後はアメリカの大学に進学したので、余計に日本とアメリカの生活を通してその違いを肌で感じることができた。

例えば、大学での授業だ。だいたい先生は生徒に対して質問があるかクラスに問うと思うが、アメリカではバンバン質問する。
真鍋さんが言う「調和を重んじる関係性」というものが恐らく無いんだと思う。

どいうことかというと、教授は質問があるか?ということに対して、自分が分からない箇所を質問をする。他人を気にして、他人を邪魔している感覚とは全く思っていないからである。(本来そんなことを思う必要も無いが)

これ以上にないくらいシンプルでストレート。
自分も含めて日本であれば、後で個別で聞こうとか、授業終了間際であれば尚更他の人を気にして聞かないであろう。
多くのアメリカ人は「他人を気にしたり、大勢の前で質問した自分は一体他の人にどう思われるのだろうか」とかあまり気にしないのであろう。

でもこれってすごく自分に一番優しくしていることだと思う日本とアメリカの両文化を体験した僕自身、気持ちが楽だったなぁと当時を振り返っても思う。

後は純粋に変な格好してる人がいてもあまり気にしていのも、そこまで他人に興味がない証拠なのかもしれない。

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日本での生活「悪い意味で他人に興味がある」

これは我々日本人の国民性でもあると思うが、団体意識が強いから、周りに同調しなくてはいけない、はみ出るようなことを避けるというのを無意識に行動してしまっているのかもしれない。
日本の教育システムから足並み揃えてというようなのもあって、小さいときからより刷り込まれているんだと思うし。

そうなると、はみ出し者が目立ちそこから「他者への批判や干渉」に繋がり、それを無意識に感じるから余計に自分がその「はみ出しもの」対象とならないように「他人への目」を気にするのではないだろうか。

留学中は年末年始東京に帰るが、その僅かな期間ですらアメリカには全く違う感覚の「他人の目」が気になって疲れるものだ。

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まとめ

留学生活を終えて日本に戻ってもう数年経ち、アメリカと日本の両方それぞれにいいところがあるし、どっちが良いかと言われればそれはもう、個人の好みだ。

世界と比べても超便利で超平和な日本ではあると思うが、自分は真鍋さんの記者会見に共感しました。
適度に調和を保ち、適度に自分にわがままであっても良いものではないでしょうか?

それではまた!


#マイキーのコラム
この記事を書いた人:mikey


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