〜コロナがあってよかったと思えるように〜

たくさんの方が世界で亡くなっており、こんなことはそう簡単に口に出来ることではないだろうけれど、「コロナがあってよかった」、「コロナがあったから大切なことに気づけた」という風にしなければ、このコロナ騒動は一体何だったんだと、非常に無力感に包まれることになるのではないかと思います。

東日本大震災の時もそうでした。少しさかのぼれば第二次世界大戦の時もそうでした。悲劇があったからこそ、気づけたことがたくさんあります。まるで、その大切なことに気づかせるためにその惨事は起こったのではないかと、そのようにまで思います。

今回のコロナを通じ、いかに人がお互いに助け合いながら生きていたかを痛感させられました。当たり前のようにお客様が来ていた日常は、それは当たり前ではなかったのです。商売をする人は、本質的な意味においてお客様がいらしてくれることの凄さ、大切さを実感したのではないでしょうか。

コロナ後の世界では、コロナ前の世界よりももっともっと素晴らしいやり取りがお客様との間に築かれて行くのではないかと、そんな風に思います。りんご一個、パン一枚を買って下さることの有り難さ。

でも、振り返ってみると、きっと戦争後の日本においても当初は命あることの大切さ、商売が出来ることの有り難さを感じていたはずなんです。それがいつしか豊かになり、人間はその有り難さを忘れてしまったのだと思います。

人間は、忘れてしまう生きものです。喉元過ぎればその強烈な、ヤケドをする程だった熱さも忘れてしまいます。

コロナ騒動も、いつか人間は遠い過去の話として忘れてしまうでしょう。少なくとも、まだこの世に生まれてきていない人たちの時代になれば、それは文字通り「歴史上の出来事」になってしまいます。いつか必ずその日は来ます。

そうしないためにも、コロナを経験した私たちは今回の教訓を、コロナから得た学びをこれからの人生に活かして行かなければなりません。そして、次世代の人たちに伝えて行く必要があるでしょう。

当たり前ではない日常。全てがありがたく、感謝すべきこと。
今回のコロナ騒動から、私たちはいくつの大切なことを学び取れるでしょうか。

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