【寄せ場交流会2020第三部:コロナ禍における外国人支援と現状】~大学生実行委員感想レポート~

3月ももうすぐ終わり。出会いと別れの季節ですね・・・

みなさんいかがお過ごしでしょうか。

お待たせいたしました。寄せ場交流会第三部の感想レポートと資料を添付させていただきます。今回のレポートも大学生実行委員が気持ちを込めて書かせていただきました。最後まで読んでいただけたら嬉しいです。

資料に関しては、個人情報等もあり、共有させていただける部分のみの掲載とさせていただきますことご了承ください。

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第三部「コロナ禍における外国人支援と現状」

 第三部は、司会を務めた重江カントクの「寄せ場交流会に呼びたいアワード」にノミネートされたお二人、金光敏さん(Minamiこども教室実行委員長/コリアNGOセンター事務局長)と斉藤善久さん(神戸大学大学院国際協力研究科准教授)を招いて、外国人支援の現場とコロナ禍での対応について理解を深める場となりました。日本人中心の制度やそれゆえのアクセスのしづらさから、外国にルーツのある人々が取り残されている状況が、コロナ禍で顕在化しています。こどもや親、外国人技能実習生というそれぞれの支援の現場を、鮮明に伝えていただきました。

 金さんからは、こども教室の様子と、コロナ禍での変化をお話ししてもらいました。
 こども教室は西日本最大の歓楽街ミナミに隣接した大阪市中央区島之内で、毎週火曜に学習支援を行っています。夜に働き、明け方に帰る親の生活にともない、子どもが夜間に一人で出歩いたり、兄弟だけで過ごしたりと、社会的孤立を誘発しやすい環境だと言います。また、日本語の読み書きが十分にできないため、もらえるはずの公的援助に届かない例が目立つ地域でもあります。2012年4月に島之内で起きた、フィリピン人母子の無理心中未遂事件を受け、市立南小学校と連携し、子どもを入り口とした家庭への支援を2013年に発足してから続けてきました。

 「コロナ以降、これがある意味逆転状態になってしまった」。子どもへの学習支援をしながら、親の生活相談が絶えず来るようになったと言います。
 3月半ば、歓楽街に閑古鳥が鳴き始め、収入の減る世帯が増えました。5月末に相談会を開催したところ、二日間で300人を越える人たちが訪れたそうです。大きな目的は、特別定額給付金のもらいそびれを防ぐためでした。5月半ば、子どもたちの親が不安そうな顔で問い合わせてきたそうです。「日本人のもらえる給付金はもらえないのか、悔しい、日本人になりたかった」と言われ、よく聞いてみると、特別定額給付金は日本人のみだと思い込んでいたことが分かりました。「日本社会に移民家庭がいることを前提にしていないと、いざ緊急事態になったときに外国人が排除されることを垣間見ました」
 その後は、ある親からLINEで書類の写真が届くと、書き方を教えたり、役所まで同行して話を聞いたりしました。結果として大半の世帯は給付金を受け取ることができましたが、書類はもちろん、記者会見なども日本語がベースです。外国語表記がないため、日本語に慣れていないと手続きにすらたどりつけないのです。
 2021年に入り、昨年よりも状況は深刻になっています。それは、緊急貸付や給付金などをもらいきった家庭が多いからです。政府も新たな支援策を打ち出しましたが、歓楽街に人が戻ってくるのか不安も大きく、先行きは決して安泰ではありません。

 次に、斉藤さんへバトンが渡され、外国人技能実習制度の変遷や実習生の現状を教えてもらいました。
 半世紀にわたって手を加えられてきた外国人研修・技能実習制度は、外国人なしでは成り立たない日本経済と互いに補完し合っています。1990年代にできた研修という在留資格は、人手不足の会社に海外の若者をあてがい、期間が終わると本国に帰ってもらう、いまに繋がる仕組みとなりました(変遷などは添付の資料をご覧ください)。
 斉藤さんの考える問題点は、転職・退職ができないことだと言います。「どこの会社で何を勉強するという計画を出すから、その通りにやるしかない」
 転職可能を謳って2019年に始まった特定技能制度では、どの受け入れ企業もやめられると困るため、業界団体の中で引き抜き行為の禁止に同意しており、技能実習生は転職できると思っていても、採用側が採らないという仕組みになっています(※特定技能制度ではない技能実習生は、原則職場を移ることができません)。また多額の費用(たとえば年収の5倍)を払って来日しているため、仕事を辞めて帰国することもできない状況です。
 ある男性(添付資料に在留カードが載っています)は、職場の異常さを目撃し、会社から逃げ出しました。斉藤さんの示した、彼撮影の2本の動画は、彼の同僚の日本人が人としての尊厳を奪われる様子を捉えていました。恐怖を覚え、失踪、不法就労に行き着かざるを得ない状態になりました。
 2020年に入り、彼のような「不法就労者」がコロナ禍で一番困っていると言います。身分証を偽造しているなど立場が弱く、簡単に首を切られます。前述の彼は、熊本で不法就労中、同乗者がシートベルトをしておらず、取り締まりに引っかかり、身分証を確認されました。身分証が偽物のため警察に捕まり、入管(出入国在留管理局)へ送られるも、コロナ感染対策で収容されず、仮放免されます。しかしお金がない、住居がないといった状況で、斉藤さんに電話をかけてきたそうです。スマートフォンをパチンコ店で充電し、Wi-Fiを使ってなんとか連絡を取り、民間シェルターへ繋ぎました。
 また、「留学生」の多くは対面でのアルバイトをしているため、コロナ禍で働き場所を失いました。バイトがなくなる→お金を稼げない→学費を払えない→退学処分→在留資格がなくなる→どうしたらいいか分からない、といったケースが考えられます。
 そして、「技能実習生」はコロナで解雇といった端的なものではなく、田舎の会社にいた実習生が外出した際に「この辺で都会に行くやつは少ないのに、お前がコロナを持って帰ってきたらどうするんだ」と言われて解雇されるとか、帰国が困難で「東京に行ったらスタッフが待っている」とだまして送り出したまま見捨てる会社があったそうです。
 斉藤さんは、外国人支援の難しさとして、言葉の壁や信頼関係の築き方、活動資金の工面などを挙げています。とりわけ、SNSやデジタル化の重要性を強く話していました。多くの技能実習生は、自分の会社や社長の名前がわからないため、テキストではなく写真や動画で送るようにするとわかりやすくて便利なのにどの行政もやっていない、と話していました。また、支援団体による対象者の取り合いも起きていると言い、早い段階で対象者と支援者の照合ができる仕組みを望んでいました。

 司会の重江カントクより、かつて寄せ場労働者へしてきたような扱いを、外国にルーツのある人や外国から来た実習生にしているなかで、地域で共生社会を築くことができるかと問うと、お二人とも、日本の人権意識や優越感に触れられました。
 金さんは、「この病理は、日本が近代国家を形成していく過程のなかで、アジアに対する蔑視が克服されることなくいままできていること」にあるとしました。戦中に植民地支配していた国々に対する保障を、日本国内に比べて十分とは言えない形で行ってきました。「日本人であることと、日本人ではないことへの線引きが明確」と続け、外国籍の子どもへの教育は義務教育ではなく、社会的サービスの一環(恩恵)と捉えられていることに、「国籍が違うだけなのに」と疑問を呈していました。
 斉藤さんは、「戦争のころから日本側の頭は変わっていない。(戦時中に)占領していた国から来る人は多い。日本に対して上を見る目線で、日本に来たら精神性とか働き方が参考になるでしょうと思っている」と続けました。今日、技能実習生の送り出し国は途上国全般ではなくほとんどアジアの国に集中していることについて、「優越感とのせめぎあい」と表現します。現状は、「海外に進出できず、技術を高められず、安い人材をつかまえて何とかするしかない。…農業や介護も、外国人が入らないと成り立たない産業構造になっていく。(日本社会における外国人技能実習生たちの存在は)カンフル剤だったけれど、いまはモルヒネ状態」だと訴えていました。

 寄せられた質問のなかで、「私に何ができますか」という問いがあり、金さんは「手の届くお隣さんとの関係を築いてほしい」と答えました。「手紙読むよ、区役所いっしょに行くよという声かけ」が大事だと続けました。
 斉藤さんは、「本当におせっかいなおじさんおばさんになってほしい」。また、法務省や厚労省などに電話をすることも勧めていました。窓口の奥にいる人(=中央に近い人)に、現場の声を届けることで、求める政策の実現を近づける作戦のようです。
 他には、「なぜベトナムでは労働者が借金しなきゃならないのか」とか「ウーバーイーツで働く外国人の事情を教えてほしい」などの質問がありました。ベトナムでは、技能実習制度があたかも「仕事」という商品売買のように機能していて、しかも買い手だった技能実習生が帰国後は送り出し機関のスタッフなどになり、さらなるカモを探して送り出すという、ゾンビ映画のような、ネズミ講システムだそうです。また、ウーバーイーツのアカウントがネット上で売買されていることや、ウーバーイーツの仕事があると言われて職場を失踪するケース、失踪してみたら詐欺で、紹介料だけ取られて失業するケースなどが増えていると教えてもらいました。


 一学生が、中間レポートを書くように簡単にまとめさせていただきましたが、ここまでスリムにしてよかったのかと思います。それほど濃く感じた第三部を聞いて、私は隣人に関心を持ち続けようと思いました。寄せ場のひとつ釜ヶ崎に通うようになって、近い距離にいる人も遠い距離にいる人も隣人であることを身体で経験してきました。相手のなかに、私や知り合いの一部を見つけたときに、隣人のように感じます。
 肩書きや態度などで線を引かず、どうにかコミュニケーションを取ろうとすることは、勇気が必要ですが、たぶんこの人とどこかで交わるだろう、それはいまここかもしれないと思うと、すっと話しかけるようになってきました。どこまでもお隣さんが続いている感覚です。
 金さんが「それぞれの経験値を社会益にしていく」と話していました。釜ヶ崎だからこそ、日雇い労働や生活保護の現場でのケースワークがあり、そこから新しく若年層や外国人労働者、セクシャルマイノリティなどへアプローチしていきやすい土壌があると思いました。


 最後に、金さんの印象的だった言葉を連ねたいと思います。
“「(コロナで)大変やと思うよ。でも日本人も大変やねん。なかなか外国人にまで手が届かないよ」って言われたんですね。まあまあそうなんかなって思ってたけど、あとから考えたらやっぱりおかしいわけですね。私たちは、健常者でも大変だから、障がい者まで手がまわらへんよって言わないでしょ。若い人と高齢者だって、そういうことも言うたりしないわけです。…外国人のことになるといとも簡単に階層がつくられて、外国人が後回しにされるのは仕方のないことなんや、甘受しないとあかんのだという語りが堂々とされるような状況がある。その一方で、日本の社会は、外国人なしでは成り立たないという矛盾を抱えている。日本人は「外国人」という言葉をやたらしきりに強調するんだけれども、本来なら移民家族なんですよ、移民家族。つまり、日本に新しい生活の基盤を形成したいと思って来ている。あるいは、それぞれの都合やニーズに合わせて、国境を越えるという国際的趨勢に位置付いてやって来ているのに、いつまで経っても、「外国人」と「内国人」を簡単にくびきをひいて分けてしまうような社会は、これからの日本社会にとってもよいことではないと思います。…平時から移民家族とどう向き合うのか、移民家族にも誰に対しても保障されるチャンスをどのように確保していくのかっていうことが語られなければ、共生社会に対して心寄せない状況になっていくのではないか。”

 日本人であること、ないことを皆さんはどう考えますか。あなたのお隣さんは誰ですか。ここまで読んでいただき、ありがとうございます。


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