役割を終えたものたちへ感謝して手放す
自宅の模様替えと並行して、近藤麻理恵さんのおかたづけメソッドをもとに、モノを捨て去っている。
セオリーでは洋服からなのだけど、衣替えでだいぶ捨てたので、2番めとされている本の処分から。
本は書棚が4つあって、合計で多分1,000冊を超えている。2LDKの間取りなのに、1部屋は壁面のほとんどが本棚になっているありさま。さらに漫画専用の本棚もあるから、紙類に壁が覆い尽くされていると言っても過言ではない。
でもでも、薄々、気づいていた。
ほとんどの本が、買って、一度読んでから、開いたことがない。
仕事でリファレンスのように使う本は、「一軍」と読んでいる机の真横の書棚にあり(ここだけでも200冊くらいあるorz…)、それ以外は「二軍」なのだけど、彼らは書棚にお人形のようにじっと鎮座なさっている。
仕事の内容の変化により、二軍から一軍へ、一軍から二軍へと移動する子たちもときどきいるんだけど、ほぼほぼスタメンは固定化されつつある。
だからいつかは片付けないと、突然死したら、ごみ捨てで筋肉ついちゃう人を生み出しそうで生み出しそうで、と思っていた。
そんな矢先に近藤麻理恵さんのメソッドのよさを直接伺う機会に恵まれて、一念発起してやってみた、というのが経緯でした。
”トキメキ”という判断基準は初老の男性としては、最初ちょっと照れてしまった。
だけど、徐々に”トキメキ”が受け容れられるようになってくると、「これはいまもトキメク!」「これはトキメカん!!!」と仕分けられるようになる初老。
この”トキメキ”という基準なんだけど、おそらく「いまも役割をもっていて、そばにいて助けてくれる、または助けてほしいと心底思える存在」ということと、いまの私は捉えている。
本に限らず、買ったその瞬間には、その時の自分が抱える「不」を解決する、解決できる、解決を助けてくれると思っているはず。
その解決に役立ったか、はたまたまったく役に立たなかったかはさておき、手元に置いていて、役割を終えたのか、と考えると仕分けがしやすい。
一番困るのは「これからも出番があるかも」と思ってしまう瞬間。
でもそんなときはこの本を読もう。
いつかやってくるかもしれないタタール人に備えて人生を砂漠に面した砦でビクビクしながら生きるのはゴメンだ。
やってきたときには年老いて体がまともに動かず、何にもできないなんてのもゴメンだ。
もし本当に必要なときがきたら、また買えばいい。そのときには知識はアップデートされているだろう。アンラーンして学び直しすれば、さらに自分がアップデートされる。
以前はトキメいたけど、いまはトキメかなくなったものには「あのときは助けてくれてありがとう。いまはあなたが僕の血肉になって生き続けているよ。とても助かりました。さようなら」とお礼をいってお別れする。
役割を終えたモノに囲まれていることも幸せだけれど、一度契を結んだ相手との、いまは愛情もないのに一緒にいるようで、義理に押しつぶされる生活は苦しい。
と、片付けが進むにつれて感じている。
義理で持ち続けるくらいなら、きれいに華麗に優雅にお別れして、また会うときには爽やかに再会したいものだ。
書棚の片付けは半分くらいまで終えた。残りは本丸の一軍と二軍の間の書棚。そして一軍も例外ではなく手を付けていく。
そのあとは自分が宝だと思って残し続けているモノに着手する。もう心ではすべてお礼を言ってお別れするつもり。だけどメソッドでは一番最後に、と書かれているのでぐっとこらえる。
でも楽しみだ。
片付けるほどに身軽になっていく。もっと身軽に気軽になっていこう。
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