🌲自己紹介🌲
はじめまして。
ようさんです😄
現在は理学療法士をしていて、
病院に勤務している30歳です。
30歳ですけど、
理学療法士は2年目になります。
以前は、
イベントの総合プロデュース会社の営業
として働いており、
全く病院とは無縁の仕事をしていました。
私のこれまでの経歴を知って頂きたいので、
この投稿は丸々私のことを書いていきます。
◎出身地と家族構成
私は宮崎県の人口1万人くらいの田舎町で
生を授かりました。
父の再婚もあり、
現在は義弟妹も含めて8人兄弟妹の次男です。
◎幼児期〜両親の離婚〜
僕と兄と弟の3人は、
最初の母(「初代母」)から生まれ、
3人とも歳が近く、
今でも仲良くゴルフに行ったりします。
まあ、とにかく悪ガキ達でした。
今考えても、
何であんなことしてたんだろ?
っていうくらいの悪戯ばかりしていました。
そのたび祖母からは
こっぴどく叱られていました。
「孫の手」で頭を叩かれたりしました。
今だったら虐待に相当しそうですね(笑)
なぜ祖母かと言うと、
物心つく前に両親が離婚してしまい、
経済的に父方の方に私たちは引き取られました。
父方に引き取られてからは、
母方の祖母が来てくれて、
暫く私たち3人の面倒を見てくれました。
母方の祖母がとても可愛がってくれたので、
母がいないことに寂しさを感じることなく
育ってきました。
そんな母方の祖母もいつの間にか居なくなり、
悲しい気持ちになったことを
今でも覚えています。
その後、
父方の祖父母が面倒を
見てくれることになります。
⬆️孫の手はこちらの祖母です(笑)
◎学童期〜ソフトボールと父の不在〜
兄の影響で小学2年生から
ソフトボールを始めました。
自主練習とかはほとんどしなかったのですが、
練習も試合も好きで、
結構熱中していたと思います。
ちょうどこの頃より父が仕事の関係で不在で、
年に1回帰ってくるくらいでした。
参観日や行事には誰も来ず、
運動会の時だけ祖父母が来てくれました。
ソフトボールの遠征も、
いつも祖父が送迎してくれていました。
寂しさはあるものの、
周りの友人やその保護者に可愛がられ、
帰ったら祖父母も兄弟もいたので
塞ぎ込んだりはしませんでした。
◎青年期〜死別・借金生活の始まり〜
中学では野球部に所属し、
私は主力選手として活躍していました。
しかし、学生最後の試合を間近に
腰の疲労骨折をしてしまい、
戦線を離脱しました。
それでもコルセットを巻いて
意地で何とか出場しました。
最後の大会を終えて、
高校進学に向けて
フォーム改善や体力トレーニングを
頑張っていました。
この頃、自分の投げ方が分からなくなる、
いわゆる「イップス」
になってしまいました。
祖父は高校進学後も
父の代わりに
送迎や試合の応援にきてくれていました。
しかし、
高校2年の4月にガンで亡くなりました。
私はいつも試合を観に来てくれていた祖父に、
良い姿を見せてあげることは叶いませんでした。
とてもじゃありませんが、
私の高校野球人生は華やかなものではなく、
不完全燃焼でした。
そのため、進学後も野球を続けることを決め、
進学後も野球漬けの毎日でした。
その頃より、
父から「金を貸してくれ」と
言われるようになりました。
ちょうどバイトもし始めており、
今までの恩があるからという思いで
お金を貸しました。
その後、
それは徐々にエスカレートしていきました…。
それは借りていた奨学金にまで及び、
「家のため」「困っている」「返すから」
という言葉を鵜呑みにして
何度もお金を貸しました。
◎成人期〜借金借金で負の連鎖〜
就職は始めにお伝えした、
イベント系の会社に入社しました。
そこからは一人暮らしが始まり、
「貯金頑張るぞー!」と思っていた
私に厳しい現実が突きつけられます。
給料は手取りで16万円台。
そこから家賃、光熱費、食費、奨学金の返済、
その他携帯代や車代、保険代、部費、雑費等。
貰った給料は次の日には支払いでほぼ無くなるという生活でした。
そんな中、父からの電話…
「金を貸してくれ」
正直、自分の生活で一杯、
頼りの祖父はもう居ない、
でも父が再婚して出来た小さい妹達には
苦労をさせたくない。
という色んな気持ちで、
私の心はぐちゃぐちゃでした。
更に兄と弟も同じような境遇で、
「俺が貸さなきゃ次は兄弟に皺寄せがいく」
という思いから、
「消費者金融」から
借金をするようになりました。
父の「ちゃんと返すから」
という言葉を信じていました。
しかし、借り口が増えすぎた父も
首が回らなくなっていました。
私たちへの返済遅れていくばかりでした…
名義は私たちの名前なので、
もちろん請求は私たちに来ます。
そうなるとただでさえ困窮していた生活に
新たな借金返済が増え、
貯金おろか、
食費を賄うのもやっとでした。
先はとにかく真っ暗闇でした・・・
◎なぜ理学療法士に…?
きっかけは仕事中の
交通事故で入院したことです。
その日の現場は山の中で、雨が降っていました。
資材を反対車線に停めている車に運ぼうと
道路を横断している時、
そこで ぷつり...
と記憶が途絶えました。
そこからの記憶は断片的。
けたたましい騒音の中、
必死に何かを私に叫ぶ声。
眩しい光に包まれながら
心地よい気分の中、
聞こえてきた「手術」という言葉。
目を覚ましたら私は病院にいました。
そして病床に伏す僕の傍らには、
なんと僕を産んだ母がいました。
20年以上振りの再会。
でも不思議と感動はなく、
僕が放った一言は、
「なにしてん?」
でした(笑)
私が危ないと思い、兄が呼んだみたいでした。
それほどの状態だったということですね。、
そして、そこからはリハビリが始まりました。
私は若いこともあり、
耳鳴りと軽度の顔面神経麻痺程度で、
大きな後遺症もなく元気に回復しました。
その当時、
私を担当して下さった理学療法士さんに
私は強い憧れを抱き、
「理学療法士になりたい」
と思うようになりました。
でもそこで新たな壁が立ち塞がります。
「学費」です。
◎怪我の功名
そんな大きな壁にぶつかった私に、
朗報が舞い込んできました。
それは「専門実践教育訓練給付金制度」です。
これは学費にかかる費用の50%
(年40万を限度)が支給されるものです。
※ただ、適用にはいくつか条件があります。
また、「支援給付金」というものもあり、
2ヶ月に1度、失業保険の8割が支給される
というのもありました。
加えて、いつになるかは分からないけど、
事故の賠償金も入るとのことでした。
私は利用できる全てのものを利用して、
1年間入学金を貯めるために働き、
令和2年に無事入学できました。
賠償金で大きなお金を得ましたが、
兄と弟、自分の借金をゼロにするために
全て使いました。
ほとんどすっからかんになりましたが、
やっと新しい人生、
普通の社会人としてスタートライン
に立てた気がします。
ここでは簡単に書きますが、
借金の返済と時を同じくして、
父とは離別しました。
今回の件で、父もだいぶ肩の荷が軽くなったと思います。
今後は歳の離れた妹達にとっては、良い父親でいてくれることを願っています。
◎そして現在〜理学療法士になってから思うこと〜
学校では国家試験に合格するために、
結構ストイックに勉強しました。
1度社会人を経験し、
再び高い学費を払うこともあり、
勉強にはとても集中できました。
入学から3年後、
無事国家試験に合格し
理学療法士の免許を取得することができました。
そして臨床に出て、
色んな患者様とお話をして思うこと・・・
それは「予防」が大切ということです。
もっと根本的なところを言うと、
「健康」
でいることです。
皆さんに共通していることは、
「何かがあってから病院や整体に通う」です。
でも何かあってからじゃ遅いんです。
皆さんは病院に来てから
何をしてもらっていますか?
数分の診察をしてお薬もらうだけですよね?
でもそれって、
症状に対するアプローチだから
根本的な解決ではないです。
「人生」の貴重な時間の半日を使って、
それをずっと繰り返しています!
これって皆さんの貴重な貴重な
「時間」も「お金」も
奪われてしまっていますよ?
もったいなくないですか?
「健康」であれば、
ここで使っている「時間」も「お金」も
別のことに費やすことができます。
昨今、少子高齢化も進んできており、
「医療保険による財政逼迫」
「健康寿命の低下」
が問題視されています。
そこで我々が取り組むべきは「予防医学」です。
「予防医学」は国も推奨しており、
今後の日本に、とっても重要なことです。
じゃあ何をするか?
大いに結構です!
是非やりましょう!
でもちょっと待って!!!
もちろんそれらも
予防的な観点から見て大事なことですが、
さきほど病院でお薬を貰うという話をしました。
私たち生物を「木」で例えると、
お薬は「葉っぱ」の所へのアプローチです。
そして運動とか健康食品とかは
「幹」の部分へのアプローチです。
そう、
これらは「やり方」でしかないんです。
皆さん元気で立派な木を育てたい時、
どこにお水をあげますか?
もちろん「根っこ」ですよね。
根本に水をあげるから、
木は元気になるんですよね。
これが「在り方」なんです。
ヒトの「在り方」を無視して「やり方」を
してもほぼほぼ良くはならないのです。
なんでほぼという言い方かというと、
一定数は「やり方」で上手くいく人たちが
いるからです。
でも「やり方」というのは同じもの、
要はテンプレートみたいなものなので、
誰しもが同じ「やり方」では
通用しないことがあります。
例えば、
同じような症状の人に
同じ薬を処方したとして、
その効き目には個人差があります。
最悪効かないことだってあります。
そこには、
心身機能の状態や既往歴、習慣や環境など、
「症状以外の何か」があるということです。
だから「在り方」なくしてヒトは健康にはなれないんです。
私はある人との出会いで
このことに気付かされました。
はい。
長くなりましたが、以上が自己紹介でした。
ここまで読んで頂き感謝感激です。
両親の離婚、再婚、死別、借金、離別、健康
など、中々濃い内容だったかと思います。
今後は、私が
✅経験から学んだこと
✅お金を使って学んだこと
✅健康になるために必要なこと
などを投稿していきますので、
今後ともご愛読頂けたら幸いです😊
ありがとうございました。