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イオリの『Memory』、観たってハナシ
走って帰ってきた。
息を切らして、全力で、夜の街に響き渡る足音も気にせず、ただ感情のままに走った。
といっても、最寄りのコンビニから家までの短い帰路の最中だけ。
しかし、引きこもりと不登校、4年間ほど続いた運動不足が祟って、湯舟に浸かったというのにまだ心臓が落ち着いてくれない。
その前は、かなりスローテンポの曲にリズムを合わせて、普段15分で済む帰路を凡そ倍の時間にして歩いていた。
それはある公演において、恐らく大体の人間が予想していなかったであろう、エンドロールの曲。
たぶん、僕が経た恋路を、どこかから覗き見してつくられたのだと思う。
そうじゃないと、僕はあの人と同じ人生を歩んでいる人間だということになる。
そんな歌のことを、2024年11月17日に上映されたある公演を振り返りながら、なんとなく綴ってみようと思って、久しぶりにnoteのサイトに来てみた。
ただいま。久しぶり。また書くよ。キモい文章。
13時半。
御堂筋線なんば駅の中央札を、一回洗濯されてしまった定期で通過。
Google先生を召喚し、ナビゲートしてもらって、とうとうなんばパークスシネマに到着した。
2024年は11月の17日を迎えている。そんな日に、ここなんばパークスシネマではある公演が上映される。
カンザキイオリ 3rd One-Man Memory「自由に捕らわれる。」
※以降「本公演」とか「今回」って書くね。
前日に新宿ピカデリーで二回、そしてこの日なんばパークスシネマで二回、合わせて四回(CF支援者限定の先行試写会を含むと五回)本公演は上映された。
本作品では「カンザキイオリが歌唱するライブシーン」と8月23日(金)に発売された「カンザキイオリ小説第3作目【自由に捕らわれる。】を元にしたショートフィルム」を掛け合わせた映像作品とを予定しており、アーティストと小説家の側面を持つ、カンザキイオリならではの創作でボカロP出身アーティストでは前例を見ない映像作品となる。
ちなみにこの文章はLIVE VIEWING JAPANさんのサイトに載っていた文章のコピペ。
↓
カンザキイオリ 3rd One-Man Memory「⾃由に捕らわれる。」 koe Inc.
要は、映画館でショートフィルム+ライブ映像(収録)を組み合わせた不思議な作品が見れるよ~~~ってハナシ。
会場近くで誰かと話せるかな、と思っていたけれど、どうやら上映開始は14時ちょうどだったらしく、結局上映前には誰とも話せなかった。
16時45分の公演も見る友人を待つ予定があったので、終演後でもいっか、とマイペースに考えていた。
会場のすぐ側には芝生があって、家族連れや上映時間待ちの同士たちが座ったり寝転がったりしてまったりしていた。
「なんか女性が多いな~イオリさんってこんなに女性ファン多かったんだっけ?」と思ってたんだけど、終演後に友達と話していて、ショートフィルムに出演する俳優さんのファンもたくさん見に来ていたってことに気が付いた。
そこでは様々な界隈が混在している様子はなかなか興味深かったね。
因みに、会場内の雰囲気はライブではなく完全に映画だった。ちょっと緊張した。
上映直前、EP「自由に捕らわれる」の楽曲たちが収録されている順番通りに流されている中、スマホの電源を切り、始まりゆく公演を待った。
いろいろ書く前に
この文章は、基本的に僕が不安定な記憶を頼りにマイペースで書いているので、曲の感想の文量に差があるかもしれません。文体も口調も適当です。でも、どの曲が好きでどの曲が嫌いだから差を産み出している、とかじゃないのでゆるく見てネ。怒らないでね。怒る人いないと思うけど。
そもそもこの文章を読んでる人がそんなにいないと思うけど。様々な感想や解釈、時々考察が入りますが、僕はパンフレットを買っていないので、もしパンフレット内で何か言及があればそちらが100%正しい情報です。僕- Internet -を信じるな。
僕のTwitter、特に「しんよさ」というsubアカウントには感想ツイートがたくさんありますが、見ない方がいいです。気持ち悪いので。
このnoteはどちらかというと感情の備忘録みたいな感じなので、ライブレポではないです。
ここら辺ご了承を!
それではいってみようっ
<おはよう>
これは僕の挨拶じゃなくてね。
部ごとのタイトルなのさ。
第一部が始まると、塩崎太智さん演じる主人公「類瀬姿夜」が何もなくただただ広い取調室にいる場面が映し出された
小説冒頭部分、5ページ強にわたって繰り広げられていたあのモノローグか~と思っていると、姿夜くんの情緒が豹変。激昂。声量デカすぎて普通にビクッとした。
続いて、姿夜くんの夢のシーンに切り替わる。
古谷呂敏さん演じる「水野琥太郎」が登場。カフェのような場所で、姿夜くんに料理を振る舞う場面。夢の中という設定上、この場面ではセリフが殆ど(っていうか全く?)なかった。
「お盆に落っことしたハンバーグ、三秒ルールで食っちゃえばいいのにな」ってちょっと思ってた。
とはいえ、姿夜くんの性格と、琥太郎さんに見られている状況的にそれはないか、とも思った。
ショートフィルムが終了すると場面は一変、この物語の原作者であり、この公演を作り出した張本人カンザキイオリと、それを囲む愉快なバンドメンバーの影が映された。
彼の掠れた声色が静謐の役割を担い、急激なバンドサウンドの参戦で我々を一気に世界観に引き込むは、一曲目『あんたは死んだ』
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— カンザキイオリ info (@info_kanzaki) August 7, 2024
3rd EP「自由に捕らわれる。」
クロスフェード動画より「あんたは死んだ」
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記憶が間違ってなければ、昨年の年末に開催されたAcoustic Mini Live「日々、」にて初公開された楽曲。
主人公姿夜が、亡くなった水野琥太郎に向けて叫ぶような楽曲。
「自由に捕らわれる」という作品を(表題曲を除く)一曲だけで表してください。
という問があったら僕はこの曲を解答欄に書くかな。
<中学2年生>
姿夜くんが琥太郎さんと出会った頃の話。
いつも行っているハンバーガー店(ごめん、どのお店か全然わからなかった)でよく目にする人。よく目が合う人。
いつも本を読んでいたから、それを真似て本屋で同じ小説を買ってみたり、隣でそれを読んでみたりする。
そういう人っているよなぁ。僕が大学に行くときに使っている梅田からのスクールバスでも、「この人いつもいるな」とか思うもんな。
僕がバスに乗るときは、いつもモクローのぬいを鞄につけてる人がいる。
それはよくて。
小説を読んでいるときも思ったけど、「悪い人ですか?」という問に対して肯定し「僕は悪い人だ」って言っちゃう人、存在しちゃいけないと思うんです。環境によくない。僕の周りにそういう人がいなくてよかった。純粋な自然界を破壊されなくてよかった。
古谷呂敏さん、容易に人を狂わせる大人の演技でめっちゃよかったな。ストリウスの人とは思えないぜ。
姿夜くんが部屋のベッドに駆け込み、叫び、泣きじゃくるシーン。どこか見覚えがあった。この時中学二年生なんだもんな~僕も親と喧嘩したときあんな感じだったな~と思えるほど、年頃な少年の解像度が高くて、個人的に好みな場面の一つだった。
さぁ、そして二曲目。
EP通りならまぁ『スーツ』だろうなぁと。
ただ、ショートフィルムの場面を考えると、まだ『スーツ』のシーンまで行ってないよなぁ。
順番は一旦ぶっ壊して、一曲ずつやるのかなぁ。
うーん、部屋の描写があったし、あり得るなら『カーテ
『#心がどっか寂いんだ』
WAIT , WHAT??????????????????
完全に想定外。
「あ、もうEPの曲順とか関係なく、そのシーンに合ってるものを本棚から取り寄せてきて歌っちゃうんだ」ってかんじ。
まだ関わり始めたころの、相手がどういう人物か分かりきっていない、だけど何故か存在する言い表せない信頼感を表現するにふさわしい曲だと思った。
だけど叫べない会場で歌うな。おれらが歌えないだろうが。
驚きは絶えない。
続く三曲目にはなんと、花譜楽曲『人を気取る』が現れた。
まだ三曲目だって。
この曲が武道館で初披露されてからずっと「こりゃあカンザキイオリの要素が濃い曲だなぁ」と思っていて、実際そういう声は少なくなかった。
だからいずれセルフカバーで歌うんだろうなぁと思っていたが、いやはやここだったか。
しかし、確かにこの年頃の姿夜くんを表すには適していたかもしれない。
『人間じゃない癖に』でもそうだけど、自分のことを『人ではない』と定義している曲は、まだ何者にもなっていない、何者になるかも分からない年代の若者には刺さったりするよね。僕もそうだったし。
一番最後の『さよならの味がする』のアレンジ、「イオリならそうするよね~~~~!!!!!」第一弾。超興奮。あぁもう最高や。
あと、アウトロを弾くGt 大島健さんのスタイルと姿勢が良すぎて強キャラかと思っちゃったね。
<中学3年生>
琥太郎さんが自分を「衝動的な子だった」と言っていて、その後の首筋を噛むシーンもそれが要因の一つなんだろうなぁと感じていた。
そのあとの姿夜くんが放った「もっと噛んで」は本当によくないと思うけど。教育上危ない。教育するのにこの作品見せんなよ。
これには琥太郎さんの理性も流石に危うかったのか「たばこを買ってくる」と言って外出して頭冷やしに行っていたね。そらそうなるって。
もしかして琥太郎さんだけじゃなくて、姿夜くんも充分にヤバいのでは?これで中学3年生ってマジかよ。
誰もいなくなった部屋。読んでいた本を丁寧に戻し、ハンガーに吊るされているスーツを手に取る。
嗅ぐのはまぁ理解できる。好意を寄せている相手の匂いは確かに気になるからね。
ただやっぱ鼻血出すシーンはよくないよ。このシーンのショートフィルム、全体を通して本当によくない。4年前とかに上映されてなくてよかった。恐らく人生における何かが変わっていた。
そしてこの形態の公演でよかった、とも思った。配信とかに載せらんないよこれ。
帰ってきた琥太郎さんがとった行動、唇についた血を舐め取る、これもしっかりと。
大抵の人って、一緒に部屋にいた人がいきなり鼻血を出してる状況を見たら、「大丈夫?どうしたの?どこかぶつけた?」みたいに聞くと思うんだよ。
琥太郎さんも「どうしたの?」みたいに聞いてはいたけど、心配するというよりかは鼻血を出すに至った姿夜くんの行動原理を聞きたいように見えたんだよね。
自分の服とか、部屋の床とか、そういう場所に汚れがついても構わない。そんなことよりも姿夜くんが何で自分のスーツを持って鼻血を出してるのかが知りたい、知りたくてたまらない、みたいな雰囲気。
映像で見るとやっぱとんでもないなこれ。俳優さんのファンの方々大丈夫だったかな。
そんなドがつくほどのえっちなシーンの後には、ドがつくほどのえっちな歌唱があるわけでして。
四曲目、ここでEPの曲順に戻り『スーツ』
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3rd EP「自由に捕らわれる。」
クロスフェード動画より「スーツ」
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イオリさんがその場でジャケットを羽織るというとんでもシーンから始まり、原曲通り陽気な雰囲気に吞み込まれていく。
「階段で転ぼう」の部分で実際にこけるような動きをしていて、「この人って案外動けるんだなぁ」とか思っていた。
思っていたら、イオリさんがベルトを外し始め、そのまま床にぶん投げちゃった。
彼の動きは曲調に比例してどんどん激しくなり、その動きによってイオリさんのスーツはどんどんはだけていく。そう、はだけていった。
「子供には見せられないシーンがこのあと始まる」という例の画像はこの瞬間のためにあると言ってもよかった。B地区はギリ見えなかった。見えてたかもしれない。シュレディンガーのB地区。そんな言葉がこの世界にあってよかったことないだろ。
この形の作品だからか、僕が『スーツ』に望んでいたバンドメンバー紹介は流石に行われなかった。
とはいえ、それぞれの演奏は原曲に負けず劣らずの盛り上がりだった。個人的にはDr 関優梨子さんのターンがめちゃくちゃ好き。
曲が終わり、イオリさんは糸が切れたように仰向けになって倒れてしまっている。
それは五曲目の『吸血鬼』の導入の最適解だった。
琥太郎さんの「唇についた血を舐め取る」アレ。
心の中ではずっと「おいこれどう見ても吸血鬼やんけ!!やるよな??流石にこれ吸血鬼やるよな???やらないことなんてないよな??????」と喚いていた。
やりました。爆速頷きにっこりマン爆誕。「イオリならそうするよね~~~~!!!!!」第二弾やね。
仰向けになりながら、腕を天井に向けて伸ばし、指パッチン。
間違いねぇ…断言できる。この世で一番それをやっちゃいけねぇのは
カンザキイオリ…お前だ。
ああなんてこった!カンザキイオリは止まらない!
そのまま六曲目『成長痛』
ファーストウェイブおっぱい
聞いていると、どうやらアレンジは先月末に投稿されたばかりの梵そよぎver.のようだった。「全部死ねェッッッ!!!!!!!」のところでピー音が入っていたからね。
陽気かつ妖艶(というか、彼がエロすぎるだけ)な雰囲気が続くこの場面では、確かにこのアレンジの方が似合っている。
いつも通り「全部死ねェッッッ!!!!!!」は相変わらず全部死んでほしそうでたいそうよかった。
<高校1年生>
二人でガラスペンを買うシーン。イオリさんが実際に買っていたのはオレンジや茶色っぽいボディだったが、姿夜くんが選んだのは無色透明のものだった。僕は水色と薄い緑の二本セットを買った。インクはまだ買ってない。セーラーから出てる『夜桜』のインクAmazonに売ってなかったんだ。僕夜桜なのに。
購入後、フードコートにて琥太郎さんが料理を取りに行っている間、ガラスペンを買ってもらってウキウキな姿夜くんは早速試し書き。文房具大好きだからこの気持ちめっちゃわかる。
その様子をちょうど戻ってきた琥太郎さんに目撃され、「毛細管現象っていうんだよ」と説明されていた。琥太郎さんもニッコニコで幸せ空間だったね。こうして何かを教えるという行為は「そういえば琥太郎さんって塾の先生なんだよな」って思い出せるいいシーンでもある。
互いが自分の名前を書いている間、パスタを一口ずつ含む。
琥太郎さんがパスタを食べた後に言った「ちゃんと歯磨きするから」が好き。琥太郎さんが食べていたのはペペロンチーノだった。それに、スーツの件からも分かるように、姿夜くんは琥太郎さんの匂いが大好きだ。
(実は小説だと「毛細管現象」と「歯磨き」のくだりが逆だったりする。)
琥太郎さんがおもむろに手を差し出し、それに応じるように姿夜くんも手を伸ばす。
二人は見つめあい、手を絡ませる。
その周囲は目まぐるしく動き続けるのに、二人の時間だけ止められたかのようだった。途中「あれ、今大島さんみたいな人通った?」とか思ってた。
ただ個人的に、小説の姿夜くんがガラスペンを取り出すタイミングにあった「友達とばったり遭遇し、琥太郎さんが「姿夜の親父さん?」と勘違いされる」というシーンが無かったのでそこだけちょっと残念だったかな。あそこ僕好きなんだよね。琥太郎さんの反応も好き。
だとしても、素敵なシーンだったことに変わりはない。
これは流石に誰もが予想通り、七曲目は『ガラスペン』
セカンドウェイブおっぱい
イオリさんは先ほどの大解放スーツから一転、フード付きパーカーという防御力特化フォームにタイプチェンジしていた。
因みになんだけど、ファーストウェイブとセカンドウェイブでは言い方が異なっていて、前者ではワードを覚えたばかりの中坊が最高のクソガキスマイルをもって大声で叫ぶイメージだったのに対し、後者では保健の授業中にこっそり隣の席のやつに囁いて笑かすみたいなイメージだった。どちらにせよカンザキイオリはクソガキやね。
ここで一旦イケメンタイムが挟まれます。
八曲目『畢生よ』
元は小説「俺の残機を投下します」のPVテーマソングであった花譜楽曲の一つで、カンザキイオリ第一回公演「不器用な男」にてセルフ歌唱を初披露。
その後アルバム「不器用な男」にも収録された楽曲。
ライブアレンジのセルフ歌唱をまた聞けるとは思ってなかったからすごいうれしかった。めっちゃ好きなんだよねこの曲。
『ガラスペン』の二番Aメロにて「結局畢生とは 小説でもない 映画でもない」という歌詞があるのでそこ繋がりなのかな。
ここで終わると思ったか観測者。
まさかまさかのあの曲が九曲目に
『quiz』
!??!?!?!?!?!??!?!?!??!??!?!?!?!?!?!?!?!?!???!?!?!?
正直震えが止まらなかった。
観測者界隈では「観測者KILLER」と呼ばれている(呼んでるのは僕だけ)その名の通り観測者殺しの名曲。
初期、つまり雛鳥衣装時代の曲の中でも常に一定の層に激刺さりしている。
この曲の訪れは唐突だったが、実は歌詞を見てみると二人の関係性を表すのに適していることがわかる。
僕は特に
「正解は自分で決めるものって 自分が一番知ってたのに」
「この足で正解を選ばなきゃいけない。 もう逃げられない。」
この二つの歌詞がまんまぴったりだなと感じた。
「自由に捕らわれる」という名を冠するあらゆる作品は、子供から大人になる狭間で「これからは正解を自分で見つけなさい」という世界から課された自由に対する苦悩と不満を描いている。
答えのない世界から答えを模索するという根底は、実はこの二曲のどちらにも含まれていた。
だから、この選曲は流石に一本取られたなって思ったね。
この曲の歌い方も印象に残ってる。
無暗にがなりを入れたり、アレンジを加える箇所が他と比較すると少なかった。
花譜の歌い方に対するリスペクトも少なからずあっただろうが、歌詞に含まれたメッセージ性を言葉通りにそのまま届けたかったんだろうな、ともおもう。
<高校2年生>
琥太郎さん宅の寝室、寝付けない二人が話すシーン。
学校の先生から言われた「そろそろ進路を考えなさい」の一言から、姿夜くんは将来のことを考え始めていた。
夢、やりたいことが浮かばない一方、琥太郎さんとともに過ごすビジョンばかりが脳裏に浮かぶ。
姿夜くんが、琥太郎さんに対して抱きつつある愛についての悩みを吐露するシーン。
僕は特に(ショートフィルム内のセリフが覚えきれなかったので、小説の方の文章を引用すると)「法律でできないことを僕は強く望んでしまっていて、それはつまり、僕は犯罪者かもしれない。」というセリフが心に刺さった。
同性愛だの同性婚だのについて語りだすと、それは公演の感想ではなく政治的意見になってしまうのでここでは詳細を省くけど、僕は基本的に「与えられたルールやマナーの範囲内で、なるべく多くの人が幸せになれる方法を模索するべきだよね」という考えだったので、姿夜くんの悲痛な言葉には考えさせられるものがあった。
それを聞いた琥太郎さんが姿夜くんに伝える「僕も君の家族になりたい」って言葉と、姿夜くんのナレーションで放たれる「でも、あんたは死んだ」の二つの文章は、小説の展開を最後まで知っていてもやはり突き刺されるような痛みが走るようだった。
ここまで互いを想いあっていた二人のうち、片方が欠けてしまった理由については、ここで語るべきではないと思う。実際に小説を手に取って、自分の手でページを捲って、自分の目で読んでほしい。本当に。
そしてもし余裕があればCDも買って、物語を頭に入れてから、自分の耳で歌を聞いてみてほしい。
十曲目『カーテン』
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3rd EP「自由に捕らわれる。」
クロスフェード動画より「カーテン」
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今回、僕の中で一番解釈が変わり、僕の中で一番印象に残った曲。
元々、『カーテン』は姿夜の弟である「ゆん」こと夕進のことだと思ってた。いや、実際はそうである部分もあるのかもしれない。
『スーツ』というワードが姿夜の姉「あーちゃん」こと朝美について描かれている場面で頻出していたのと同じように、ゆんが完全に心を開く前、部屋に閉じこもっていたときの描写と似通っていると思っていた。
どこまでが正しいのか僕にはわからない。
それと、僕はこの曲のことを普段聞きの再生リストからは基本的に外していた。
他と比べるとスローテンポの曲調で構成されていたから、テンションを上げたい時に聞くにはしっとりしすぎている。
だから、普段聞きでリピートするというよりかは、EPに収録されている他の曲と合わせて通してEPを味わいたい時に聞く。
そういった認識だった。
ただ、高校2年生のショートフィルムを見た上で、この曲を聞いてみると見え方が変わったような気がした。
姿夜くんにとって琥太郎さんが、琥太郎さんにとって姿夜くんが、カーテンから差し込む一条の光と同義だったのかもしれないなと。
『カーテン』、めっちゃいいじゃん。
この曲だけめっちゃ書いてて申し訳ないんだけどあと一つだけ。
高校2年生のライブパートでは、カーテンのような薄い一枚の布に覆われていて、そこに歌詞やエフェクトが映されるというステージになっていた。
分かりやすいところで言うと、DUSTCELLやamazarashiのライブみたいな感じ。イオリさんの「別れなど、少年少女に恐れなし」のライブステージにも似ていたね。
すごい綺麗だった。
十一曲目では、本公演で最も原曲離れした一曲が。
『人間じゃない癖に』
ここに貼ってあるのは、EP『少年少女』に収録された原曲アレンジ。
ガシガシのバンドサウンドで形成されていて、少年少女EPの中でも、いや、カンザキイオリ楽曲の中でも随一と言っていいほどテンション爆上げできる一曲。
ゆえに、この原曲を聴いても、今回披露されたアレンジは聞けない。
このパートでは、バンドアコースティック編成になり、それによって演奏も他パートとは異なっていた。
この場で吐露された姿夜くんの言葉には、「人間じゃないのかもしれない」というセリフも含まれていて、もしかしたらと身構えてはいた。
それに、EP「自由に捕らわれる」楽曲がカラオケに追加された際、「人間をやめよう」とイオリさん本人が大層幸せそうに言っている。
人間じゃないとか人間をやめるとか、たくさん言っていたのにやらないなんてことはないだろうと思っていた。
とてつもないお知らせです。
— カンザキイオリ (@kurogaki0311) September 20, 2024
なんと、な、なんと。
JOYSOUNDさんに新曲が追加されまくりました!!!!!!!!!!!!!!!!
この土日、ぜひ歌ってみてください!
人間を!!!!やめよう!!!!!#娯楽 #幸せ https://t.co/YJcorCsSVo
ただ、『カーテン』と『人間じゃない癖に』は正反対と言っていいほど曲調が異なっていて、「このパートで繋げるには無理があるんじゃないかな………」と思っていたので半ば諦めていた。
そこで提出された対策案。
そう、「流れに合わないなら、合うようにアレンジしちゃえばいい」です。
た、たしかに!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
元々原曲の方をとても好んで聞いていて、カラオケで毎回入れて激昂するくらいだった。
だから今回聞けてめちゃくちゃうれしかった。
アコースティックにアレンジされた姿では、原曲とはまた違った見え方をしていて、より言葉の輪郭が鮮明になっていたような気がする。
そして僕がこの曲で何より特筆したいのが、ラスサビの「人間じゃなくてもさ」のアレンジ。
「なくても↑さ」って歌い方だったんだけど、これ、僕がいつも妄想したり歌ったりするときにしてたアレンジだったの。
だから、「イオリならそうするよね~~~~!!!!!」第三弾どころか、「え!?!?!?!???!?そうだよね!?!?!??!?!???!?そこそうするよね!!!!!うわああああああイオリさんもするんだ!!!!!!!!!!!うおおおおおおおおおお激アツ!!!!!!ほらやっぱするんだよ!!!!!!イオリさんだってそう歌うんだって!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」だった。うるさいな。
それとこれも書いておきたいのはやはりラストのロングトーン。
KAMITSUBAKI FES'23で披露した『アダルトチルドレン』のロングトーンも相当すごかったけど、恐らくそれすらも上回る長さと力強さだった。
大暴走スーツのパートでイオリさんのおpp胸筋を見たファンからは「痩せた」とか「筋肉ついた」とかいろいろ言われてたけど、たぶん一番ムキムキになったのは肺だね。
十二曲目を聞いて思ったのは、この曲ってEP「自由に捕らわれる」幻の八曲目なんじゃないか?だったね
『グドラックメメントモリ』
と、いうのも。
「確かにここの歌詞は姿夜くんor琥太郎さんのこういうところを表してるようにも見えるよね~~~~」はこれまでもいくつかあった。
ただ、この曲、歌詞全部そうじゃないか???
そもそも、この物語が姿夜くんと琥太郎さんの二人で進行しているから、「僕」や「君」といった一人称+二人称が組み込まれた歌詞は大体解釈を合わせやすくなっている。
『グドラックメメントモリ』の場合、「僕」と「あなた」が全体を通して登場するから、どこの歌詞を汲み取ったとて姿夜くんと琥太郎さんに似合ってしまうという事態が発生してしまっている。
手紙の文体ような誰かに宛てて書かれた歌詞だということもこの物語を装飾するにふさわしく見える要因かもしれない。
小説内では、姿夜くんが亡くなった琥太郎さんに向けて手紙のような言葉を想い続ける場面が何回か描写されている。
「僕」と「あなた」という呼び方も、姿夜くんと一致してるもんね。
<おやすみ>
琥太郎さんは死んだ。
あれだけ姿夜くんのことを想っていて、あれだけ姿夜くんのことを愛していたのに。
残された姿夜くんが目を覚ますと、最初の取調室にいて、目の前には亡くなったはずの琥太郎さんの姿があった。
琥太郎さんは姿夜くんを見てほほ笑むばかり。
向いに座って、かつてフードコートでもそうしたように、手を差し伸べる。
それに応えてその手を掴んだ姿夜くんをそのまま、扉の向こう側に連れていく。
某ライトノベルの表現を借りるならば、そこからの景色は全て「ありうべからざる今」だった。
本屋で働くようになった姿夜くんが、店先に足を運んだ琥太郎さんを見つけて、店を閉めてまで二人でいたがる様子も。
ハンバーガー店で後から席に着いた琥太郎さんが、姿夜くんの分のポテトをつまみ食いして、二人でじゃれあう様子も。
二人分の料理を用意する琥太郎さんと、花束を買って帰ってきた姿夜くんが、同じように手のひらを合わせ「いただきます」をしている様子も。
二人で宝石店を訪れ、姿夜くんが選んだ指輪を琥太郎さんに差し出し、プロポーズする様子も。
二人が純白の衣装を纏い、紙吹雪が舞い踊る中で、愛を誓うキスを交わす様子も。
二人の人生という劇を鑑賞しながら、グラスに注がれた赤い液体を呑み、二人で眠りに落ちる様子も。
全て、もうあり得ることのない思い出になった。
EP「自由に捕らわれる」に収録されている楽曲は、追いかけるような合いの手が入っていたり、異なる歌詞が交差していたり、ただただ歌詞の繰り返しがあったりなど、一人では完璧に歌うことはできないものばかりだった。
もう完全な形には、なれないんだね。
このショートフィルムで、琥太郎さんの死と、残された姿夜くんの寂しさが映像として形になり、視覚的に捉えられるようになった。
小説の六章では、もっと現実的で、もっと残酷で、負の感情が渦巻いていて、それでも進もうとする登場人物たちが描かれている。
その中には、琥太郎さんがこの世を去ってしまったことの真実が綴られていた。
ショートフィルムの世界よりずっと現実だった。
だからこそ、この第六部である<おやすみ>で描かれた夢のような空間が幸福に見えるし、これが妄想でしかないんだと痛感してしまう。
このときに流れていた劇伴は『カーテン』のアレンジだった。
でも呼び出してくれる人もいないから、「カーテンコールにはならないんだよな」と勝手に思ったりしていた。
十三曲目
<おやすみ>からの『時計』かぁ、って思った。
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3rd EP「自由に捕らわれる。」
クロスフェード動画より「時計」
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僕がEPの中で一番気に入っていた曲。
普段はロックだったりバンドサウンドだったり、パッと聞いてテンションが上がったりするかっこいい曲が好みだった。
『時計』だけがそのレールから外れ、僕の中で一番好きな曲になった。
曲を聴く前に小説を読み終えていたので、物語の内容が大体頭に入っている状態で聞いたゆえに捉え方が違ったのかな、と今は思う。
この曲こそ、EPの中でも特に一人では完璧に歌うことはできない曲。
イオリさんも、片方のパートのみ歌唱し、もう片方は収録済みの音声を流すことで楽曲を作り上げていた。
もしかしたら、姿夜くんが一人で歌っていて、自分の頭の中で琥太郎さんの声を再現し、歌ってもらっていたのかな。
そうだったらすごい切ないな。
この曲の部分で、もう一つ思ったことがあった。
おやすみのライブパートでは、中心にイオリさんがいて、そこから四方にバンドメンバーがそれぞれ位置する形だった。
その円周上をなぞるように、時計の針が音楽に合わせて動き続けるような演出が成されていた。
本来、時計の秒針や心臓の鼓動といったものは、ある一定のリズムが刻まれ続けているがゆえに、それらが音楽に対して合わせることは基本的には不可能。
だからこそ『時計』の演出は、そういった不可能を音楽という力を使って捻じ曲げて、理想の形にしたものだと思うんだよね。
フードコートで、周囲は目まぐるしく動き続けるのに、二人の時間だけ止められたかのようだったことも、きっと姿夜くんと琥太郎さんの間に、時間という概念が付け入る隙はなかったことを表している気がした。
二人の愛ってこの世界に存在するあらゆる法則を乗り越えられる力を持っていたんだなと、そういう風に見えてしまった。
十四曲目、『命に嫌われている。』
この曲って、最終的に伝えられている言葉が「生きろ」であることは有名な話で。
イオリさんが、姿夜くんに向けて送るエールだったりしたら、うれしいなって思ったりする。
そういえば、どこかでイオリさんが「歌詞は衝動的に書いた」みたいなことを言っていたような気がする。
衝動的に、という点だけ見れば、琥太郎さんの特徴とも一致していて、もしかするといいな、って思ったりもする。
アレンジも普段と違っていて、具体的にどういう演奏だったのかを言葉で言い表すのが難しいけど、巡る時間の中に記されてきた歴史、思い出を振り返るような曲調だった。
聞いているときに個人的にパッと思いついた言葉は、「歩みながら思い出してるのかな」だった。
<月>
遺書、スーツ、カーテン、ガラスペン、時計。
全ての要素がこの時間に集まっていた。
『遺書』という言葉は、この物語の中で総じて狡いものだなと思う。
姿夜くんが琥太郎さんと繋がりを持つきっかけとなった本の題名は『遺書』だった。
姿夜くんと琥太郎さんを、真の意味で繋いでくれたのも遺書だった。
そして、今に残された姿夜くんが唯一縋ることが出来て、琥太郎さんに想いを馳せられるものも、『遺書』だった。
しかしそれらは全て、琥太郎さんがすべてを話して、教えて、伝えてさえいれば、そんなもの最初から必要なかった。
でも、遺書がなければ二人の関係性はその時点で終わっていたかもしれない。
関係を産み出し、継続させ、今も繋ぐことができるのは、『遺書』だけだった。
切なくもあるし、全てが最適だったとは言えないかもしれないけれど、果てしなく美しいものだったことは確かだ。
十五曲目『自由に捕らわれる。(2024年 ver.)』
ここで、ようやく表題曲。
物語を締めくくるのにふさわしい、いや、この曲でなければならなかっただろう。
この『自由に捕らわれる。』という楽曲のセルフカバーはこの世に二種類存在していて、今から約二年前の春ごろに<カンザキイオリが贈る春の三部作第二弾>として投稿されたものがある。
アレンジが異なるのはもちろん、イオリさんの歌い方にも変化が確認できる。
がなる箇所が違っていたり、協調されている歌い方が変わっていたり、その時に伝えたい部分を、その時に伝えたいやり方でそれぞれ表現されている。
「「痛い」 「寒い」 「辛い」 「怖い」」
「知らないくせに」
(2024年 ver.でがなった部分)
「馬鹿にしてんのか」
「暗い曲にのめり込んでなどいない」
「知らないくせに」
(2022年に投稿されたセルフカバーでがなった部分)
2024年 ver.はがなる部分が少なくなった代わりに、2022年に投稿されたものよりもずっと声の張り具合が力強くなっている。
しかし、この両方を足して、そこに170%を上乗せして、さらに力強く、今まで溜め込んできたものをすべて吐き出すように、今までセーブしていたものを全て解放して叫ぶように歌ったのが、本公演の歌唱だった。
一番最初の「馬鹿にしてんのか」という歌詞は、2022年投稿セルフカバーの時点でがなりが加えられており、それだけで充分力強い印象があった。
ただ本公演ではそんなもんではなかった。
「ぶァ゛か゛あに゛し゛て゛ぇ゛んのかァ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ああああああああああ゛ああ!!!!!゛!゛!゛!゛!゛!゛!゛゛!!!!゛」って感じだった。
いや、あの、僕がこれ馬鹿にしてるとかそういうんじゃなくて。イオリさんも怒らないで。
というか、文字で表せるような叫び方じゃなかった。
叫び要素が強すぎて、普段ならがなりを抑えている「馬鹿にはしてないか」の部分にさえがなりの余韻が残っていた。
速度を出している物体がいきなりブレーキをかけても急に止まることはできない、人間の声も同じなんだなぁ、って思った。
時折イオリさんが見せるがなりってのは、基本メロディーを無視する(てか、がなりでメロディーを意識できることの方が少ないか。)場合が殆どだが、この歌の場合、メロディーをとって歌っているという印象があんまりなかった。
それほど、彼は感情をもって僕らに言葉を届けてくれようとしていたんだ。
イオリさんが叫びたいと思った部分、伝えたいと思った部分、どの歌い方よりも感情的に、爆発的に、何があったとしても絶対に届かせるための叫びだった。
正直な話、これが世界で約四回しか流されなかったのは惜しい。
全世界に存在するカンザキファンたちに聞いてほしい。
てか僕ももう一回聞きたい。正直な、このアレンジで歌ってる部分の全てが衝撃的すぎてどこがやばかったのかすらあんまり覚えてないんだ。
それは全曲通してそうか。
全ての楽曲が終了し、バンドメンバーが立ち尽くす。
イオリさんは手に持っていたギターを置いて、どこかに歩き出す。
いやぁ、本当によかった。ショートフィルムとライブを映画館で見る、盛り上がらずに静かに鑑賞するのは新しい感覚で興味深かった。
そういえば、月というチャプターで十五曲で締めたのか。中々乙なもんですね。
てか、全然暗転しないな。
まだ何かあるのかな。
『日々、』でやったように、最後は朗読とかで締めるのかな。
バンドメンバーから離れていくし、これからもう一曲やりま~すなんてことは無
………………グランドピアノ?
十六曲目『告白』
??????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????
ちょっ、と待ってほしい。
いや、え?これで終わるつもりか??????いや、今表題曲やりましたよね???普通それで締めるような、いや少年少女も『青い号哭』で終わってたっけ………………いやでもさ、それこそその少年少女でアンコールとして歌ったのがこの『告白』だよ??それを今回も終盤に持ってきてさましてやそれをエンディングにしy
ああああああああああああああああスタッフロールが流れ始めてる!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!なんてこった!!!!この曲エンディングに持ってきやがったなこいつ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
あっやっべ首攣ったまってしぬしぬしぬしぬしぬ(執筆中)
ピアノで一人弾き語りをするというのは、イオリさんといえば、みたいなところがあったから、なるほどそれで締めるのかという気持ちもあった。
ただ、『告白』で締めるのはちょっと話が違うよねぇ~?前もって話しておいてね~~~
とはいえ、この曲ジェンダーレスに恋を表現できる歌ではあるので、姿夜くんと琥太郎さんの物語を締めくくる役割もしっかり担えるわけなんですね。
とか言ってたら間奏に『カーテン』のメロディー入れてきやがったぞ。もしかしてこれが列記としたカーテンコールってコト!?
ただ、僕は『告白』という曲がカンザキイオリ楽曲の中で三番目に嫌いなので、結構複雑な心境で見守っていました。嫌いな理由は、好みじゃないとかではなく、ただ自分の昔の恋人との付き合いに刺さってあんまり普段からたくさん聞きたくないってだけです。
あとは、ピアノの周りにある四角い光の線の上を、小さな影が走っていて「点Pじゃん」とか思ってました。
そうして、『告白』の歌唱は完遂され、カンザキイオリ 3rd One-Man Memory「自由に捕らわれる。」は幕を下ろした。
そのあと僕は、16時45分開始の回も見る友人を待ちながら、上映前に会えなかった方々とカフェで談笑したり、公演で受けた感情をなるべくそのまま詩に書き起こしてみたりなどをしていました。
え、交流、ですか。
ちょっとわからないです。
僕が走って帰ったって話
会場を出て、友達と御堂筋線のどこかで解散したあと、僕は電車内でも詩を書いていた。
恋の話を見たり、生き方の話を見たりして、かつての恋路に対する未練とか執着みたいなものに、ある程度解答を出せて、決着をつけられそうな気がした。
ただ、そんな恋の話を書いたせいで、なんかすごく寂しくなってしまって、駅を降りたあと、『告白』のあのゆっくりなリズムに歩幅を合わせて歩きながら帰った。
普段10分か15分くらいで家に着くくらいの距離なのに、たぶん30分くらいは経っていた。ゆっくりすぎやね。
途中、私は某DUSTCELLの武道館ライブのチケット代をローソンで支払わなければならなかったので、家から一番近いローソンに足を運んだ。支払いが21時までなのにローソンに着いたのは20時半だった。
無事に支払いを済ませ、一度自動ドアを通過するが、そのとき『告白』の後に流れてくる「新曲!少年少女!」という声が聞こえた。
全然今回の公演と関係ない曲なのに、なぜだか体が疼いて仕方なくて、もう一度店内に戻ってZONeを買って飛び出した。
久しぶりに全力疾走をした。
100mもないであろう道を、息を切らして、全力で、夜の街に響き渡る足音も気にせず、ただ感情のままに走った。
でも、なんかすごい楽しかったからいいや。
そして湯舟に浸かり、飯を食って、このnoteを書き始めてから、およそ11時間が経過した。
流石にZONeのカフェインも効果が薄れてきていて、これを書いている最中、何回か目の前がまっくらになっていた。
だけどこうして無事全て書ききることが出来たし、今日の体験をこうしてその日の感情が薄れる前に書き残せてよかった。
この1日で書けるのは、まぁこんな具合です。
たのしかったね。
さいごに
そのとき聞いていた、くそきしょな再生リストを晒しておきます。
イオリさんのライブ行きたいよ〜
おわり!