麦本三歩は続きが好き
前書き:住野よるです。僕が趣味で書いてる小説に「麦本三歩の好きなもの」というのがあり、第一集と第二集が出版されてます。いずれ次も出すと言いながら時間がかなり空いてしまったので今回、皆さんに三歩が生きてるのお知らせするため短めのを公開してみます!急に平日の真昼間に!いつまでかは分かりません!これはいつか出る第三集の最初に収録予定ですので、第二集の後の話です。趣味だし誤字脱字あるかと思います&本になる時に変更点あると思いますが、もしお暇でしたら三歩のとある一日を覗いてみてください👧
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📚麦本三歩は続きが好き🍞
麦本三歩は社会の一員である。
だから冬なら目覚めてしばらく布団に捕まったり、夏なら起きた瞬間びっしょびしょだったとしても、なんだかんだ言って毎日やるべきことをやらなければならない。
その点、今は春だ。なので快適な覚醒を迎えられる。昨夜もいつの間にか眠っていていつしか目覚めた三歩は、おおもう朝か、なんて背中をかきながら手探りで目覚まし時計を掴んだ。時刻は午前十時二十分ちょっと。
ベッドからのろり起き上がり、冷蔵庫に歩み寄って取り出した麦茶入りポットは冷たい。中身をコップに注いで一気飲みすると、春とはいえ逃げていってた水分が全身に染みわたる。植物の気分ってこんなかなーと毎朝三歩に思わせる。
洗面所に移動し文字通り顔を洗ったら、浴室乾燥機で乾かしておいたタオルで顔を拭く。このタオルと一緒に生活してきてもう数年、結構ぱりぱりになってきた。そろそろお別れ時かもしれない。寂しいけれど、人は別れと出会いを繰り返し生きるものだから。愛着を込めて二回多めにほっぺをすりすりしておく。
居間に戻って目覚まし時計の横に置いてあったスマホを手に取り、画面を一回タップしたらばロック画面の壁紙には美しいパフェが現れ三歩の胃を刺激する。去年あの麗しの友人と食べに行ったものだ。ちなみに三歩が選んだのは秋季限定の栗メインでお芋も乗ったパーフェクトなやつ。そのちょうどてっぺんにトッピングよろしく表示されたデジタル時計で確認できる時刻は、さっきから進んで午前十時三十分ちょっと前。
うん、よし。
「遅刻っだあああああああああああああああああああ!」
時間や次元や自転や自分へツッコミを込めて三歩叫ぶ。ご近所迷惑なんのその。
いやいやいやいやいやなんか現実逃避して普通に良い朝のムーブをかましてしまったけどそれどころじゃないのでございます! 語尾に構うな!
遅刻だ遅刻! 大遅刻! 大寝坊! 今日は朝からのシフト開館シフトだから八時半には図書館にいなければならなかったのにそれをもう二時間もぶっちぎってしまっている! いやまだ一時間五十七分だから約一時間と言っても、とかなんとか言い訳考えてる暇があったら電話しろ!
図書館、と登録された電話番号から当たり前の鬼電、怖すぎる! こんなのかけ直すやついんのかよと思えどもタップするしかない。コール音が止まった瞬間同時に止まるのではってくらい心臓が爆音で鳴っている。
実際には止まらず動き出した。口が!
「ごごごごめんなしゃ、ごめんなさい! すみません! ぬぇ坊しました! すsssぐ行きます!」
焦りすぎて何回かuを忘れた発音が出た。
三歩の焦りに反してあちら側からは笑い声が聞こえてくる。『三歩ちゃん無事みたいですー』という声も。良かった優しい先輩だ! って安心するな優しさに甘えるな遅刻は遅刻だ。
三歩のこれまでの図書館スタッフ人生サボりはあっても意外と寝坊で遅刻はなかった。今回が初。ラジオで芸人さんが仕事で寝坊した時なぜか一回ゆっくり煙草吸っちゃったなんて言ってるの聞いて、なんでだよ! と笑いながらツッコんだりしてた。いやなんでだよ! なんでアラーム鳴らなかったんだよ! なんで十時間もぐっすり寝てんだよ! タオルとの別れを惜しんでんじゃねえよ私ぃぃぃ!
『三歩ちゃん無事ならよかった。珍しいから心配したよー』
「ごっめんなさいすぐに」
言いながら片腕でスウェットの下を脱ぐ。寝坊した時にはスピーカーフォンの存在なんて忘れる。
「Thぐ行きます!」
流暢に噛んだ。
『今日そんなに忙しくなかったから大丈夫だよ、お気をつけてー』
もう三度謝ってから電話を切り、肩で息をしながら右足のくるぶしに引っかかっていたスウェットを足の動きでベッドに脱ぎ捨てる。二十代後半大人が下着パンツ丸出しで電話謝罪はたとえ一人でもちょっと情けなさ過ぎだけど知るか!
スマホをテーブルの上に置き、三歩改めてずしゃああ。今のは膝から崩れ落ちる暇はないので脳内で再現した音です。
「やってしまったあ!」
落ち込んでも時間が戻るわけじゃないんだから職場も問題なかったわけだし午後からいつもより張り切って働いたら社会人としてモーマンタイでしょ、なんて友達が寝坊に落ち込んでた時に言った自分を殴りたい。しばきまわしたい。まじむりちょーむりほんとむり。ぐぅ。
最後のは無理さ加減に唸ったんじゃなく三歩のお腹が鳴った音です。
うるさいお腹はほっといて上半身も急いで脱いで慌てていつもの場所から一番手前にあったシャツとカーディガンとコットンパンツを身に着ける。色合いシンプルなのが手前で良かった白紺黒! ワインレッドのカーディガンや緑色のパンツも用意があるけど今日は絶対その日じゃない。
寝ぐせだけ簡単に直す化粧はもういいマスクでしのぐ。冬に買ったお徳用の箱から一枚取り出しポケットにねじ込む。今すぐつけなかったのは時間の短縮目的じゃない。財布とパスケースとスマホと鍵だけ持ったのを確認しあとは昨日も使ったトートバッグ肩にかけたら昨日買っといた細長いパンを一本だけ口にくわえGO!
まさか自分がひほふひほふする人生だとは思わなかった三歩。隣に住んでるお節介な幼馴染が起こしてくれよおおと存在しない誰かに文句を唱える口はふさがっているので黙って乱暴にドアと鍵を閉めてエレベーターまで廊下をダッシュする。ちなみに例のお隣さんは今年度もここにお住まいの模様。今だけ幼馴染が良かった!
一階から上ってくる箱を待つ間にトートバッグ持ってない方の手を駆使してパンを口の中にねじ込むも飲み込むのが間に合わず頬ぱんぱんにさせる。誰も乗ってこないで! と願って乗った時に限ってすぐ一個下の階でウーバーイーツのお兄さんがやってくるんだもの。こんな晴れてるんだから自分で買いにいきなさいよ! と今度は存在する誰かに文句を唱える口もふさがっているので黙ってもぐもぐする。
一階に着いてエントランス出た頃にはいつの間にかパンもいなくなっていたのでまたダッシュ。汗だくで駅までたどり着き、改札通ってホームで待つ三分の間に眉毛だけちょっと描いてあとはマスクオンで隠す。ちょうど電車が来た。よかった都会に住んでて!
こんなあるあるもすることになるとは思っていなかった。早く着いてほしいからと一番前の車両に勇んで乗り込んでから、降りる駅はホームの中腹に出口に向かう階段があることを思い出す。意味ないいいいと嘆き「すみません、しゅみまへん」と人にぶつかりつつ少しでも近くに移動する。そうかあの車両内を移動してる人はみんな遅刻していたのか! 人によるわ!
三両目まで来てからこの辺でいいかと空いたスペースで立ち止まり落ち着かぬ踵を上げ下げさせてぴょこぴょこする。なんか浮かれてんな平日の真昼間からと思われるかもしれませんが違うんですすぐ走り出すためなんです百メートル走の前に選手達が手足動かしてるのと同じなんです、と言い訳したい口は荒い呼吸整えるのに使ってるので黙ってドアを睨みつける。もっと早く走れと無理な念を飛ばす。途中ふとしたタイミングでガラスに映った自分が視界に入り、そこにいたのはマスク姿で鼻息荒く眼力バキバキで挙動のおかしい変態だったが気にならなかった。それより遅れる日だってあるんだから早く駅に着いちゃう日があってもいいだろ! と電車に念を飛ばす方が大事だった。
当たり前に三歩の願いむなしく電車は目的の駅にちゃんとした時間をかけて到着。んもう! と脳内で鳴り響いた声は牛みたいでも、三歩自身は颯爽と走る競走馬を意識して電車から飛び出す。
誰とも勝負してないから見事一着で改札にゴールイン! かと思いきやSuicaの接触が悪くてピンポーンと改札機に止められ早足だったからストッパーがお腹にクリーンヒットする。うべっ。
一着どころか後ろの人を詰まらせつつもう一回ちゃんと触れさせてダッシュダッシュ。お昼からの授業のために登校している学生達にどんな目で見られようとも、通学路もキャンパス内も全力疾走する女その名も麦本三歩。結構な人数に、あ図書館の人だ、と思われているし、実は今日のことがきっかけで後日三歩の夢が一つ叶ったりするんだけれども、私も全力でそっち行くから図書館の方からも近づいてこい! と無理な念を飛ばすので忙しい三歩にとっては今のところ全部どうでもいい。
ついに図書館に到着、ガラス突き破って走り抜けたいところだったがそこは一応スタッフの自我が残っていたので自動ドア前で急ブレーキをかけトップスピードから徒歩スピードへ。自動ドアに、早く開け! と念じた後、絨毯を踏みしめながらスタッフ専用バックヤードの扉に近づき、引き戸を開けたらそこに優しい先輩がいてすぐ跪こうかと思ったんだけどここでは土下座は禁止されている。普通にめっちゃ頭を下げた。頭突きだとしたら多分けっこう威力があった。
「すみません寝坊しますた!」
「三歩ちゃん後頭部にすっごい寝ぐせ。現場の臨場感がありありと」
こちらの気も知らず楽しそうな先輩に、もう大変だったんですよーなんて普段なら言えなくもないんだけど、今日は別。ミスするのはともかくそこに存在すらしてないって三歩の自分用倫理からすればかなりまずいのだ。ともかくじゃないけどな!
バッグ下ろして勢いよくロッカー開けて爆速でエプロンつけて超速で寝ぐせ直して閲覧室にスライディングするような勢いで飛び出しそこにいた他のスタッフ達にも頭突きをくらわす。
怒られはしなかった。心配したとか珍しいという声をかけられた。言葉の暴力をちょっとは覚悟してた。一番に言いそうなおかしな先輩はお休みかと思ったら、ご安心。すぐ書庫から帰ってくるなり「えー三歩はちゃんと出勤するからまだ許されてるのに」と罪の意識をぐにってされた。やだなーって思いつつも、あーこれこれ、と三歩はちょっとSMみたいな気持ちを味わった。知らんけど。
さて三歩の初お寝坊スペクタクルこれで終わりではない。次の日もまたやった! とか、寝坊癖がついた! とかいかにも三歩らしいけれど、そういうことじゃない。一応、三歩の名誉のために。
あの謎のSM感はなんだったのか、三歩が考え始めたことによって続きが出来たのだ。
いや反省してるんならそんなこと考えてないで真面目に働けよってのは本当にその通りなんだけれども、考えちゃったものは仕方ない。
考えるうち、恐らくは最近あんまり仕事にミスがなく怒られてなかったのを補充したんだなと、三歩は思い至った。怒られたいわけじゃなくて。あくまで気を引き締める安全帯として、あと、あの宿敵への闘争心を忘れないレリーフとしてだ。
そしたら他にも補充が必要なもの、あるな。
もちろん遅れた分、お仕事を一生懸命頑張るのは当然のこと。三歩はそれ以外にも、今日損なってきたものを補充しなければならないとエプロンを外しながら思いついた。
なので今日もし怖い先輩がいたとして、バイクで送ろうかとかっこよく提案されても断っていただろう。満タンにしなければならぬので、などと意味不明に宣い「ああ、そう」と冷たく返されていたことだろう。
退勤処理を済ませてから午後シフトだった後輩ちゃんに今朝の顛末を語った。改札機にひっかかったところでちゃんと笑ってもらい、朝シフト勢の中では最後に退館。これからやること見られたら怪しまれそうなのと、今日は一人で帰りたかったため、長めに居座っていた。
自動ドアを抜け図書館を出た三歩は、そのまま正門には向かわず建物からちょっと離れたところでぽつんとおもむろに立ち止まる。
そしてきちんと補充するために、自動ドアと図書館に向かって、手を合わせ頭をさげた。
本達を守ってくれてるのにこっち来いなんて思ってすみませんした。
これからも安全なスピードで私達を招き入れてください。
心の中で唱え終わったら、もっかいだけぺこっと頭を下げて正門からキャンパスを出る。
駅に向かう道中では、来る時すべてを無視してしまった風景を、いつもの倍くらい細かく五感で注目していった。ちなみにマスクは昼休みにちょいメイクしたのでもう外してる。
朝はダッシュで駆け抜けたケンタッキーの前を通ると、扉が開いてフライドチキンの香ばしさとメープルの甘い香りが漂ってくる。今すぐ食べたくなったけど、今日は他に食べるものあるから明日のお昼にどうかと真剣に考えだす。
朝もいたのかもしれない。古いタコ焼き屋の店頭で寝ている猫もきちんと三歩は目のレンズにうつした。「猫だ可愛い」とこっそり口にも出してみる。後ろを通った高校生カップルに「ほんとだ」と反応されてちょっと恥ずかしかったけど、こういうのはいつもある。
駅に着いたら改札のSuicaを読み取る場所に、ゆっくり丁寧にパスケースを置いた。それから労う気持ちで今日の朝まっとうに仕事を遂行した改札機くんをぽんぽんと撫で、ホームに移動する。
電車が来たら三両目に乗り込んだ。出来るだけ朝と同じような位置に立って、周りの人達からも電車からも変態だと思われないよう、合わせる手はちっちゃくドアに向かってまた会釈。
無理して早く走らなくて大丈夫です。明日からも私達を目的地まで運んでください。睨みつけてごめん。
心の中で唱えている最中、後ろをスーツケース持った人が通ろうとしたので体をよじって道を空ける。ひょっとすればあの人も何かに遅刻しそうなのかもしれない。良かった丁度、朝ぶつかってしまった乗客達への分も補充された。残りの乗車時間、電車内ではきちんと足の裏をつけてどっしり構えさせてもらった。
家の最寄り駅で電車を降りて、売店でチョコレート入りのパンと牛乳を買った。帰り道を歩きながら、ゆっくり味わって食べる。
「んふふ」
食べ物なんて空腹満たせればそれでいいみたいな食べ方を、いつもの三歩なら絶対しない。ちゃんと味わい舌としっかり仲良くさせて、鼻に抜ける風味まで舐めるように味わう。それでこそ心が満たされていく。
パンがあと一口になったところで、自転車に乗って四角いリュックを持ったお兄さんとすれ違った。今日の朝の人よりは年下だろう。三歩は知り合いでもない彼が通り過ぎ去ってから、軽くぺこりした。お仕事中のご苦労を労った。
しっかり色や匂いや猫をチェックしながら、普段通りぺたぺた歩いていればあっという間に自宅マンションに辿り着く。本来、心理的なあっという間があれば物理的なあっという間は必要ないのだ。
エレベーターで上る途中、ここは密室なのでがっつり声に出しておいた。
「どうぞどんな天気でも注文してくださいまし」
自分の階で降り自宅の前に立ったら、最後は両隣のドアに向かって手を合わせる。
一瞬でも幼馴染だったら良かったとか思ってすみません、あと朝の大声もごめんなさい、今後とも何卒よろしくお願いします。
最後の分も謝り終えて、これでよしっと、三歩は鍵を差し込みドアを開けた。
派手目な色のカーディガンを着よう、タオルともちゃんと別れを惜しもう、あと電話中にパンツ丸出しはやめよう。
そんなことを思い描くのと一緒に三歩は、自分みたいに帰り道で補充できない人だっているかもしれないから、代わりにちょっとだけ多く祈っておこうと思った。
明日初めて何かをやらかし、いつもと比べて何かを損ねる誰かの日常が、その後ちゃんと補充されますように。
いつもの倍は優しくドアを閉めた三歩の分は、しっかり補充出来ていた。日常の中で、好きなものを見逃さない自分を。