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【柳下さん死なないで】読書は「人生のリハーサル」

わたしと柳下さんが出会ったのは、今から3年前のこと。
共通の友達が柳下さんを紹介をしてくれた。彼曰く「僕が知っている中で、いちばん本を読んでいる人だ」と。目を丸くして見ているわたしに向かって、柳下さんが片手を差し出した。
「僕、手が大きいんですよ。だから文庫本を片手でめくれるんです」
その後、そんな彼と出版社を立ち上げ本を出すことになろうとは、そのときには夢にも思っていなかった。

共通の友達が言っていたとおり、柳下さんは本当に本をよく読む。校閲者・編集者・本屋さんだからというのもあるだろうが、純粋に本を読むのが好きなのだ。だから本を作るし、本を売る。自分の愛する本が消えないために。彼の行動原理はとてもシンプルだ。

柳下さんは読書体験をこんなふうに表現していた。「人生のリハーサル」だと。

僕は、読書こそ人生のリハーサルだと考えている。
火星に行ったことがなくても、小説を読めばそれを体験することができる。
テーブルマナーから、中東で美しい絨毯を買う方法まで、ガイドブックがそれを教えてくれる。
世俗でも、法律でも、実用書はタイヤにチェーンを装着するように、悪路の不安を和らげてくれる。
本は世界に通じるすべての入り口に存在していて、僕らを正しくガイドしてくれる。
信じられないかもしれないけれど、これは、本当のことなんだよ。
引用元:https://www.e-aidem.com/ch/jimocoro/entry/dokusho01


「だから、本ばかり読むことは、そんなにえらいことじゃないんだ」
ちょっと前に彼はそうも言っていた。
「本を読むのと同じくらい、楽器を弾くことも、スポーツをすることも、恋をすることも、友達と遊ぶことも大事。本を読むことはリハーサルなんだから、ちゃんと本番に挑まないとね」


わたしが読書をするようになったきっかけは『小公女』という物語だった。

経営者の娘として何不自由なく育ったセーラは、勉学にはげむため寄宿舎に入る。優しくて賢い彼女はそこでたいそう人気者だったが、ある日父を亡くして一文無しになってしまう。手元に残されたのは、父から贈られた人形のエミリーのみ。一気に待遇が変わり、貧しく孤独な生活のなかでも、「プリンセス」らしく気高さを保とうと努力した女の子の物語だ。

わたしはこれを読んだとき「自分が求めていたのはこれだ」と思った。すごく感動して、これを書いた人に感謝の気持ちでいっぱいになった。それからわたしの心にセーラが住まうようになった。どんなに悲しく辛い状況でも、優しく気高くいようとした少女。

わたしが必要としているのは「現実からの逃避先」ではない。わたしが求めているのは、「現実で闘うためのロールモデル」だった。本の中でひとり闘う女の子の姿に自分を重ね、わたしもこんなふうに自分の人生という舞台に立とうとしていたのだと思う。
そんなことを、柳下さんの言葉を聞いて思い出した。


「読書は『人生のリハーサル』って本当にその通りだね」
つい最近、柳下さんと本について語る機会があって、その話をしたら、柳下さんはふとこんなことを言った。
「だから、本を読まないのってこわくないのかな?って思う。僕はリハーサルをしないでぶっつけ本番で人生に挑むって、なんだかこわいけれど」

わたしはそれを聞いて「へえ」と思った。柳下さんにもこわいことがあるんだなと。
いや、むしろ、柳下さんはたくさん本を読むことで、こわいものを減らしてきたのだろう。本を読むことで、この強靭な精神力を手に入れたのかもしれない。

「また本を作ろうね」と柳下さんは言う。
その言葉にそれ以上の意味は何も含まれていない。彼が「本を作ろう」と言うとすごく純粋に響く。だって、とても良いものだから。「世界に通じるすべての入り口に存在していて、僕らを正しくガイドしてくれる」ものだから。ゆえにわたしたちはそれを愛し、それを作るのだ。


今年、わたしたちは3冊の本を一緒に作った。
ポプラ社から出た『経営者の孤独。』。そしてわたしたちの出版社・文鳥社から出した『戦争と五人の女』『あの子が苦手なわたしが苦手』。

できるたびに「良い本だね」と言い合う。
それはきっと誰かにとって、この本が「人生のリハーサル」になるだろうということだ。わたしたちにとって、あらゆる本がそうだったように。

柳下さん、来年もまた、一緒に本を作りましょう。


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