おとといの夢
唯一掴まった僕の母国語を扱えるガイドが、ほがらかな表情で話す若者の言葉を通訳してくれる。
ここは〈ヴィタ教神系〉という宗教(教神系、絶妙に夢っぽい造語だ)の聖地らしい。僕の立場や職業について詳しい描写はないままだったが、単身で取材をしに来ていることだけは間違いないようだ。
聖地の中心には、白く、無機質な佇まいの塔が建っていて、周囲には大小併せて七つの共同体(村や町のようなもの)が存在する。塔は単に〈塔〉、〈白い塔〉と訳された。現地人がしきりに〈ヴィタ〉と発するので、それがこの塔を指すことはなんとなくわかった。
塔の入り口には交代で見張りが立てられ、一年に一度だけ行われる儀式以外では立ち入りを固く禁じられていた。
儀式の内容は、志願した若者(〈スク〉と呼ばれる)が塔に入り、数年から数十年かけて塔を登って、そして降りてくること。
いわゆる成人の儀のようなものとも異なり、まったく強制されることもなく、自発的に強く希望した者だけが塔に挑むことになるらしい。
塔への挑戦権が得られるのは19歳から23歳まで、男女は関係ない。七つの共同体に一年おきに挑戦権が回ってくるので、その年の当番となった共同体からスクを募る(このため、そもそも挑戦の機会を得ないまま一生を終える者も多い)。
スクの希望者は数年にひとりのペースで現れる。大抵は突如として「どうしても塔を登らねばならない」と悟るらしい。
塔の内部がどうなっているかは誰も知らないが、伝承によると、塔の中は現実とは異なる時間・空間の流れに従っている。塔を登る者と降りる者では、見かけは同じだが別の空間を通っており、また現実世界での数年が塔の中では数時間に等しい。
塔の中では、(自発的でなくとも)他の者と出会うことは許されない。前を行くスクに追いついて顔を合わせてしまったなら、彼らは思い出や秘密についていくらか話をしたあと、塔に入る際に持たされた短剣でどちらかを殺さなければならない。
ヴィタ教神系では後から来る者を尊ぶべきだとされており、(ほとんどの場合において)追いつかれたスクは抵抗をせずに殺される、と考えられている。
塔を生きて降りる者はごくわずかで、ほとんどのスクは途中で死ぬか、殺される。
挑戦を終えて帰ったスクは共同体の預言者のような存在になって残りの一生を過ごす。塔の最上部で大いなる智恵を授かるとも、塔を登る過程で一生分の未来を視るともされているが、本人たちは決して塔の中での出来事について語らない。
これがおとといの夢なのですが僕の無意識凄すぎませんか。本当に面白そうで、夢の中の僕も本当に面白そうに話を聞いていました。怖えー、岸辺露伴は動かないの新しいやつ?もう創作なんかするよりめちゃめちゃ寝まくったほうが早いだろ、寝ぼけつつSafariで「ヴィタ教神系」と検索するも当然それらしいヒットはなく、感動を胸に二度寝を敢行したところ、人間がひとりもいない津田沼の夢と、椅子がテレビでテレビが冷蔵庫の夢を観ました。嗚呼、さらばヴィタ教神系・・・