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川
2024年2月16日 00:03
悔しい、悔しい、悔しい。ずっと悔しい。その悔しさに勝ちたくて、頑張ってきたつもりだった。 昇降口を出れば、憎たらしいほどの晴天。燦々と降り注ぐ太陽の光を睨みあげてため息をつく。なんで私が。期末テストの順位が記された紙の白さだけが脳裏にこびりついて消えない。数か月前から毎日こつこつと勉強を続けてきた結果は2位だった。友達に褒められても、私は全然嬉しくない。どうして、どうして、そればかり頭のなか
2023年12月29日 22:05
ピンクのクマのぬいぐるみ。ピンクのハートのネックレス。ピンクのショルダーバッグ。二十才の誕生日に届いた、ピンクベージュの三つ折り財布。私が幼いころにお母さんと離婚したお父さんは、いつまでも私のことをピンクが好きな女の子だと思っている。誕生日になると毎年決まって届く段ボール箱、そのなかに入っていたピンクのプレゼントは、今ではほとんど押入れの奥。久しぶりに引っ張り出して眺めると、ピンクはピンクでもそ
2023年11月9日 23:28
大学の心理学部に入学して二年。毎週金曜日、実験心理学の授業のあと、羽藤先生の研究室に入り浸ることは私の日課になった。廊下を歩きながら、今日の授業で学んだ「心理的リアクタンス」について頭のなかで反芻する。やってはいけないと禁止されたことほどやってみたくなる、やりなさいと強制されたことほどやりたくなくなる、外的な理由によって失われた選択肢を魅力的に感じる、といった現象を説明する概念が心理的リアクタン
2023年9月24日 21:44
万華鏡をみているみたい。初恋はそういう、魔法だ。 使い古した有線イヤホンをして、再生ボタンを押す。つくりものの声がつくりものの恋を歌う、それなのにどうしてか私のこころは揺らぎ、今日も生き生きて痛みを感じている。 初夏の湿り気に項垂れながら立ち寄ったコンビニ、覗き込んだ色とりどりのアイスたち。あのころ鮮明にみえていた世界と今私が眼差す世界は、なにか変わってしまったのだろうか。不意に引き戻さ
2023年9月22日 16:04
高校二年生の夏休み。所属している写真部は、箱根へ一泊二日の撮影旅行へ出かけることになった。風景を撮るもよし、人を撮るもよし。自由に撮影をして、夏休み明けに学内展示を行うことになっている。 三年生の先輩方はこの旅行をもって引退する。佐良先輩と過ごせる時間は残り少ない。写真部はもともと小規模で、今回の旅行に参加するのも六人。二年生の女子部員は私だけで、一年生は不参加。「箱根、たのしみですね」
2023年9月11日 21:04
最大15000人を収容できる大きなアリーナのステージを、3階席最後列、いわゆる“天井席”と呼ばれる、ステージからもっとも遠い座席から眺める。ここから見える彼は豆粒サイズで、高機能の双眼鏡を使うかメインステージ横のモニターを見なければその表情を確認することはできない。物理的距離は確実に100m以上ある。1階のアリーナ席にいるファンのことは羨ましいけれど、この席に不満はない。わたしは今、彼と同じ空間
2023年7月28日 21:18
20歳の誕生日。一緒に流行りのカフェへ行くはずだった友達が高熱を出し、予定がなくなってしまった。仕方のないことだとわかっていても、ちょっと落ち込む。こんな日は自分で自分の機嫌を取るしかない。 せっかくだから美味しいものでも食べよう、と考えて思いついたのは家の近くの路地裏で見つけた喫茶店。レトロで渋い大人な店構えのそこに踏み入る勇気が、今まではなかったのだ。今日こそは、雰囲気だけでも大人の仲
2023年6月29日 21:07
毎晩飲んでいる薬とアルコールをちゃんぽんするいつもの夜、ふらっと散歩に出かけてはたと気づいた。仮にも二十代の女が深夜に出歩くもんじゃない。 私とその男——青年とも少年とも形容し難い人物とは完全に目が合ってしまった。端麗な顔立ちをしているその男はにっと笑って、「やってんねぇ」と楽しげに言う。とんがったふたつの犬歯が特徴的だった。「お姉さん、こんな時間に出歩いたら危ないよ」「あなたも大概
2023年6月1日 20:44
心身のバランスを崩して隠居するようになってから1年が経った。ここ数か月で体調がやっと安定してきたのでまずは外に出ることから始めようかと、散歩に出かける。 誰にも会わないし、身だしなみを整えるのはおっくうだ。働いていたころは毎日フルメイクしていたのにと思いながら深めのバケットハットをかぶって、ぼさぼさな髪の毛もくたびれた顔も隠してしまう。 ここは、家から10分程度歩いてゆるやかな坂を下ると