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8月2日の日記「リボルバー」
人生のうち、本気になって取り組めることが残弾としてわかりやすく視認できたら。
仮に5発あるとして、
小学生の時にサッカーで1発。
中学生でゲームに1発。
高校生で恋愛と音楽で2発。
今取り組んでいる漫画がラスト1発。
ということになる。
好きな曲の中で「リボルバー」というタイトルがつけられているものが2つある。正直何故リボルバーなのかは分からなかった。
だから僕にとってリボルバーが何を象徴しているかを考えてみた。
他の銃と違って残弾が見えること、1発1発を自分の手で込めること、
そして1発1発を自分の手で撃つこと(フルオートではないという意味でで)。あとはなんだろうロシアンルーレットから連想すると博打みたいなニュアンスもある気がする。個人的に銃といえば…って感じで真っ先に浮かぶのがリボルバーだったり、案外自分の中のリボルバー像がしっかりしている。あ、あとビートルズのアルバムの印象も強い(好きなアルバムではない)。
撃ち切って残弾0のリボルバーをどうしたらいいか。
答えは簡単。弾を再装填する事だ。
でもひとつ問題なのは、このリボルバーはたまたま拾ったものであって、銃社会じゃない日本で弾を買うことは出来ないし、ましてや道に落ちてるなんてことは無いだろう。
なので自分で作るしか無い。
それはもはや新しい本気で取り組む事な気がする。
最近思った前向きな諦めというかなんというか、そういう話をする。
一度撃ってしまった弾丸の責任は、良くも悪くも一生背負う事になるということだ。人生の本気で取り組んだことってのは簡単に無駄になってくれたりしない。ある意味で消えない罪として体に深く刻まれている。
サッカーのおかげで恵まれた体格を、ゲームで今の価値観や友人を、恋愛で人との関わり方を、音楽で自分を表現することを。
今描いてる漫画だって、新しいスタートに見えて今まで本気で取り組んできた事たちの骨格を流用しているようなもので、どうしたって自分の生き方そのものがにじみ出てくる。
作品にだけではない。
取り組み方、道具への考え方。そういう部分もそうだ。
つまり単発ずつ撃つリボルバーだと思っていたものの正体は、
人生というデッカイ弾丸1発を撃つ、俺自身だったのだ。
俺は移動式の砲台。
何でもやり放題。
ahamoは電話かけ放題。
どうだい?
畳み掛けるような韻の応酬。
砲台からどうだい?まで。
いや、実をいうと正体から始まっていたのだよ。
このくだらない言葉遊びも含めて俺という砲台であり弾丸のでかい1発。
ということ。
後悔のないように、行こう!
ショウ・タイム!