見送る、別れに対する姿勢の話
ここ数日そんな話をしている機会が多かったので折角だから健忘録的に記しておきます。
良かったら自分はこんな感じだな、ということを考えてみてください。
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人間生きていると沢山の別れを経験します。
死別、離別、理由も様々、亡くなる、引っ越しだったり、人生のレイヤーが変わり関係性がなくなる、恋人と別れる、転職で関係性が不要に。喧嘩別れしてさよなら、忙しくて時間が取れないうちに趣味友と関係切れるとか。
ほんと別れる理由は様々です、続けたい理由は好きだから楽しいからとか単純なのにね。
ここから、私の立ち位置と経験の話に軽く触れます。
私はそこそこのIT職、副業で気功と催眠術師、遊びでSM系に出入りしたり、イベントをしたり、呼ばれたりしています。
なので、副業系の別れは大体の関係の前提です。
定期的にお会いしている方でも、本当に不思議なほど関係が切れます。会わなくなる、お別れをする。
依頼の提供したいものとして、戦うための羽休め、安全基地的側面があり(詳しくは依頼note参照)
依存させない、幸福に時間を過ごすためのルールを様々定めています。
それでも定期的に話を聞いていれば、この人が幸せになってほしい、と好意的に応援する立ち位置に立ち続けることになるのです。
悲しめば共に悲しみ、楽しめば共に楽しむ。どんなことを話したとしても基本的に聴いていますから、一歩ずつ進んでいったり変化していく人を間近で見つめていけるのは楽しみの一つです。
たくさんの悩み、楽しみ方、人そのものと対峙できるのは飽きずに人生を生きるためのスパイスと言えるでしょう。
死にたいとか聞くこともあります、人なんてそんなものです。
波はなんだかんだあって、絶望的な気持ちになる、闇が振り払えない、包まれる夜もあります、そんな時に1人だと寂しいじゃないですか、そんな時こそ没頭できる何かの出番だと思うのです。
世の中で依存しやすいものは大体救いと紙一重です、上手く使って楽しく過ごしたいものですね、全てのものは幸福のために。
巣立って次のステージへ行くのは健全なことである。
というのが私の立ち位置。
経験の話をすると、祖母や祖父を見送り、おじを送り、恋愛はそこそこ振ってきて、離婚もしました、転職も数回、知り合いと揉めて関係切ったこともあり、実の父とは死ぬまで連絡を取らないでしょう。
祖父とはあまり、思い出がなく祖母とは同居していた時期も長かったので、亡くした後体調を崩し、社会に出れなくなりました。
目の前で命が止まる瞬間は今でも鮮明に思い出すことができます。
その後に辛くて苦しくて訳がわからないのに表現する言葉も持たなくて、泣けなくて。お葬式の後から時が止まったようでした。
そうかもういないのか、って出かけると思うんですよ。
初めて泣けたのは、色々検査することになっての病院。
3ヶ月くらいは経っていたかな、記憶は曖昧です。
でもなんで泣かなかったのかって振り返ると単純でした、お葬式の時に私よりもっと苦しい人がいる、私なんか辛くない、泣く立場ではないって刻んでしまったから。
で、その後にストレスでぶっ壊れた訳です。
この話を続けても良いけれど、次の話をしましょう
おじは、自殺で亡くしてます。
たまたまでかけて、家に帰ったらでした。身体はまだ暖かく、とても良い表情でした。
これは亡くなってからわかったことですが、だいぶ追い詰められていたこと、理由となってることが現代ではどうしようもないこと、年々悪化していること、など今のうち、と思う要素は揃っていたのだと思います。
お別れすらできなかった、会うはずだった機会を私は逸した。とその当時は思ったものです。
でも、会えなかったのだから仕方ない、おじとは夜毎語り合ってた時期があったりで、素敵な人でした。
結婚や恋人関係は、私から振ることしか実はやってきてません。
将来を見ることができない、楽しみにできない、頑張る理由がなくなった、これ以上近くで見ると嫌いになると思ったら別れる、そして戻せれば友達に戻しておしまい。
転職も基準は同じ、愛さなくなったらおしまい。デメリットがメリットを上回ったら次を探し始める、です。
知り合いと揉める系は発生するとショックなんですけど、見ている場所も生きる速さやベクトルも異なるので、すれ違い、間を埋められない、違うのだから仕方ないと腑に落としておしまい。
実の父とは、もう10年以上会っていないのですが愛し方が私の欲しいものでもなく一般的にマイナスなルートを通るので、悪意がないとしてももう不要だなという位置付け。
モラハラやDVは病識がないから治らないのよなーと思うのはこれが理由。ただし、病気をしたと聞いてるので私の記憶はもう彼にない可能性があります。
さて、これでざっくり経験の話はおしまい。
こんな立ち位置で経験なので、有り体に言えば全てのものは見送らざるを得ないだろうなという考え方になってきます。
執着は年々薄くなり、今を楽しめるならそれが宝物だなぁと思ってくるのです。
逆に思うのは、損が大きいものに触れない、やばいと辞めてしまうというのも覚悟になる気がします。
やめとけば良かったとか、一生の傷になりそう、墓場まで持っていく秘密になってしまうならばやめて見送って手放してしまう。
良くも悪くも思い出ってのはずっと残ります、出かけた先、遊んだもの、一緒に聴いた音楽、見た映画etc
それがどんな終わり方、別れ方するであれ、その時間は本当でした。思い出を脚色したり美化する例はあると思いますがそれも含めて舞い上がっていて良いのだと思います。
愛し続けたかった、好きだった、信じていた、裏切られた、ずっと一緒に居たかった、あなたが居なくて寂しい!大嫌いだ!
この正の感情や負の感情のどれも、強く五感を揺さぶる感情で、味わえばとても強いものです。
だから、ちゃんと感じてください。
今辛くても大人になる程諦めるのが上手くなっていきます、大丈夫。
空いた巣箱を見て、ここに居た生き物に想いを馳せて良いのです。
吐きたければ吐けば良いし、聞いてもらえるなら誰かに聞いてもらっても良いです。
せっかくのその人の贈り物最後まで堪能しましょう、どうでも良い人は、すぐ忘れてしまうのだから。
そんなに大ダメージになるほど、自分の中を占めていたんだってわかったら、その空間も認めて、風を入れたら良いんですよ。
風を通しておけば、またその隙間に何か住み着くかもしれませんし、空いたからこそ訪れるものがきっとあります。
両手が埋まれば、新しく誰かを抱き止める余裕はないし、ぽっかり空いたからこそ、次のものはもっとしっくりくるかもしれません。
ちなみに、死別も離別もあんまりやれることは変わらないんですよね。
会うと体調崩す、付き合うと辛くなるとか、いると苦しくなる職場とかは、個人的にはさっさと捨てた方がいいと思うし、それでも!そこに居たいのならそれは、それで納得しておけばいいと思います。
でもその苦しみも辛さも泣けるのも命あるからこそ。
関係が終わるとか、別れて相手がまだこの世に生きているなら
お幸せに♪で、いいんじゃないかな、なんて。
自分の人生とまたどこかで道が交わるかもしれないけれど、今は一旦終わったんだって。だから達者でな!
と、ストレートに切り替えてしまう。後悔しない程度に色々やってみても、自分のところに残らないなら、初めから自分のものではなかったのです。
おわりに先日話していて笑った話を一つ。
0/319と表記された機械があります、とにかく演出はたくさん見れます(入場時に◯ニコーン!!って音が鳴ったり金で保留したり、とにかく熱い演出がたくさん)座りますか?
と、問いかけたとして、座りますか?
この話について少し補足すると、パチンコスロットのギャンブルは、確率が公表されていて、この台は何分の何で当選すると、わかりますし、わかっててやるのです。
当たる確率が0と分かってても、それやりますか?ってのがこの問いの面白いところ。
私は楽しければやる、楽しくなければやらない、結果的に当たらないのはつまらなくてやめる、が回答でした。
人生なんて、何もしなくても終わってしまうもの。
沢山の経験をして、亡くなる時に楽しかった!良かったと言える後悔のない人生にしていきましょね。
何人見送っても、また次の何かしらがきます。
手放したら、何を次に手にするかワクワクする。
全てを手放しても、残るものはきっとあるし、自分の中には幸福な思い出が残っています。
無駄なものなんて何一つありません、だから私はその人の人生観や哲学を聞くのも好きです。
私は離れる人には
ありがとうを贈るし、また、いったところがどんなところなのかたまには聞かせて欲しい、って今日も見送るのです。
私の手元は空けて、次のものを暖めるための準備に入ります。
愛は終わらないものなのです。
旅路の幸運を祈る!
そのうち追加するかもだけど一旦おしまい
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