ほしいもの?
ちょっとした試行整理に、ほしいものについて掘り下げてみる。
欲望が大体の人にはある。
〇〇になりたい、これが欲しい、あれが欲しい、好かれたい、愛されたいも欲しいのひとつになるだろう。
では、なぜ欲しいのだろう。
その物を持つと、周囲から褒められるから?
それとも自己満足?
空腹や愛されたいなどの、根源的なもの?
そんなもの本当に必要なのか。
何かを欲しがるとき、人は対価として何かしらを差し出す。
例えば最新のゲーム、なら予約しておくとかお金を払うとかするわけで。
欲しいものがお金で買うことができない時、
人は何を対価として差し出すのだろう?
自分の思う、
一番高価なもの?
希少なもの?
感情や唯一のなにか?
それとも手に入らなそうであきらめるのだろうか。
欲しいとき、どんな方法で、欲しいことを言い表すのか、態度で示す?
その何かを長年欲しいときに、ほしがるだけで何もせずとも手に入るなんてことはあるんだろうか。
人との関係は、一方的に欲しがっても手に入らないものの最たるものだと最近思う。
相手の観点からみて、不要と言われればそれまでの話だから。
そこに食い下がろうと、いらないものは、いらないのである。
じゃあ君「でも」いいや
仕方ないから君「で」いいかな
と、とにかくあなた「が」ほしいとはなりにくいものである。
お互いを唯一として、求め合えないのであれば、その関係は不均衡になってしまうのではないか?
それは友人でも恋人でも。
君の代わりなんていくらでも存在するし、なんなら妥協
のような関係は。
きっとお互いの幸せのためには、
ほしがれる人たち同士で関係を築いた方がいいと近頃は特に思う。
ホームパーティの持ち寄り料理みたいに、なにかしらを交換出来たらいいんではないかと思っている。
何も持たない交換はどうしても歪になることが多い気がして
与えるだけ、与えられるだけというのもきっと怖いことなんじゃないか?
私は、一度目の結婚のときに君が欲しい、と言われた気がしていたけど
蓋を開けたらだれでもよく、なんなら母体が欲しいだけの人だったことがある。
騙したのかもしれないし、妥協したのかもしれない、当人も欲しいものが不明瞭だったのかもしれないが
往々にしてほしさ、というのはどこが真実なのかを隠してしまう。
なんならその当人でさえ何故望むのか言語化しえないこともある、
それが後々に、霧でも晴れるかのように見えてくる時があるのだろう。
自分は、どうしてこれが欲しいのだろう、なぜ求めているのだろう。
自分の人生は何を手に入れたいのか、何が幸せなのか。
その時々のステージに応じて、考え直してみて欲しい。
思考するきっかけがあったので、健忘禄に書き出してみた。