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現実はいつもひとつ(硯矢)

硯矢千智です。ヨルノサンポ団という劇団で時々役者などしています。
大学で演劇を始めてから、早いものでもうすぐ10年になります。演劇こそ我が人生!と言えるほどの経歴も技量も持ち合わせておりませんが、ありがたいことに、大学を卒業して働くようになった今でも、舞台の上に立つ機会をもらっています。三日坊主で飽き性の私が、飛び飛びであれ、10年も続けているのは我ながらすごい事だなと思い、最近しばしばその理由を考えていました。

少年ジャンプを読む父と、漫画をほとんど読まない母との間で育ちましたが、母が読む数少ない漫画のひとつが『ガラスの仮面』でした。学業のかたわら実家の中華料理屋でバイトしているふつうの女の子・北島マヤが、元天才女優の月影千草に才能を見出され、幾多の困難を乗り越えながらも大女優の道へ邁進していく少女漫画です。
『ガラスの仮面』といえば、劇中劇の描写が詳細ですばらしいことがよく挙げられますが、それと同じくらい、オーディションのシーンが印象に残っています。まだ無名で、素朴な雰囲気のマヤのことなど眼中になかった他の参加者たちが、演技課題が始まるやいなや、その圧倒的な才能と豹変ぶりに愕然とする(いわゆる「おそろしい子……!」状態)場面に憧れました。自分じゃない何者かになれるなんて、すごい、すごすぎる。ゴムゴムの実や念能力や鼻毛真拳と同様に、マヤの持つ天性の演技力はとても魅力的な特殊能力であり必殺技だったのです。
『ガラスの仮面』が好きで、ジャンプ漫画が好きで、ディズニーのキャストさんが好きな私の「演じる」ということへの憧れの根本には、「ここではないどこかの、自分ではない誰かへの劇的な変身」という前提があったように思います。

前にサンポ団のラジオか何かで「やってみたい役はあるか」と聞かれたときに、確か「探偵」と答えたと記憶していますが、実際に探偵になりたいのかと聞かれると、なりたくない。事件には関わりたくないし、地道な調査は大変でかつ難しそうだし、何より、人の人生を左右するのはちょっと私には荷が重い(探偵のお仕事に対して、大いに偏見と想像が入っていますが………)。
部分部分でこうなれたらいいよなあという憧れは確かにあれど、現実にそう生きてみるかと言われるとちょっと尻込みしてしまう、そのどっちつかずのちょうどいいところが自分にとっての「演じたい」なんだろうなという気がします。あくまで舞台の上でだけ、その役に変身したい。あくまで現実の外のものとして、その世界を見ていたい。
外から見るにしろ演じるにしろ、あまりに完璧な理想って、多分「なんで現実はこうじゃないんだ!」って辛さが勝って、長くは触れていられない気がします。これはこれでいいけど現実もなんだかんだ悪くないかな、とか、こういうところはお互い様ですね、という、余裕とか一線みたいなものが楽しさに繋がっているような。

現実の私はひとりで、次の一歩の方向も一つに決めなきゃいけないんだけど、それとは別として、地球の裏側の道の途中の一部分をちょっとだけ歩かせてもらえる。目的地とは関係なしに、通り道じゃない景色をちょっとだけ覗き見できる、そういう旅行雑誌みたいな楽しさに惹かれてこの10年があったのかな〜、とぼんやり考えます。

だから私が舞台の上で楽しそうに人を斬ったり煙草を吸ったり既婚者と恋愛したりしていても、現実に浮気をしたり煙草を吸ったり人斬り侍になったりしたいというわけではないんですよ。なりたい自分はもうちょっとささやかで穏やかな感じに、別にいる。

もちろん、演じたい役、観たいお話、一人ひとりにそれぞれのスタンスがあり、それぞれの思う魅力があると思いますので、機会があれば他の方のお話も聞きたい所存。私も"理想の自分"を役として演じられることがあったら、考えがガラッと変わるかもしれないし。もっとも、理想の自分というものが、まだまだわかっていないのですが…………。

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