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恋愛は幸せのマストじゃない
自己肯定感が高いという点と、恋愛に興味がないという点で私と共通している友人がいる。
彼女はいつ何時も「誰が何と言おうが私はかわいいし、幸せ」と本心から言えるような人間だ。周りがどうだろうと、独自の幸せ基準を持っている。
そんな彼女が言ったのだ。
「わたし、幸せじゃないのかもしれない。わからなくなった」と。
いったいどうしたんだ。
びっくりした。
何でも、家族に結婚をしないという意思を伝えたら微妙な反応をされたのだという。明確な否定をされたわけではなく、
「なんだかなあ」
「せっかくかわいいのに。他にもそう思ってくれる人がいるだろうに、もったいない」
というようなことを言われたらしい。
「わたしは前に比べたら自分をかわいいと思えるようになったし、幸せだよ。本当だよ。でも、他にもかわいいと思ってくれる人がいるのに、っていうのを聞いて、本当は前と比べてかわいくなった、じゃなくて、100人中80人が認めるかわいいじゃないと満足できないのかもしれないって思ったの。じゃあみんなにかわいいって思われたら、わたしも恋愛したいって思えるようになるの?」
彼女の主張は切実だった。
ありがたいことに彼女には幼少期から仲良くしてもらっているので、いっしょに大人になってきた私は、彼女が何を考え、周りに何を言われてきたか、多少は知っている。
今は自己肯定感の高い彼女だが、前からずっとそうだったわけではない。
学生時代、彼女はよく言っていた。
「わたしは底辺だから」と。
自分がブスでだめな人間だと、本気で思っていた。
誰かと比べて上だとか下だとか、彼女からはそういう話を聞いた。
それが少しずつ、「いまの自分もいい」「まえよりかわいくなった」「しあわせ」みたいな言葉が増えて、「○○と比べて」みたいな話が減っていって、自分なりの幸せを見つけたんだなあと思っていたのに。
その彼女が、自分が恋愛に興味がないのは、本心では自分がかわいいと思えてないからなのかもしれない。たくさんの誰かに「かわいい」って認められないと、今までの傷が癒えないし、立ち上がれないのかもしれない。結婚してない(=自分のかわいさを認められていない)わたしは幸せじゃないのかもしれない。わからない。と言ったのだ。
一瞬、脳みそがフリーズした。
私はとても悲しかった。
だって、私にとっての彼女は、絵も文字もうまくて、私の知らないことをたくさん知っていて、速く長く泳げて、頭のいい自慢の友人だったから。自分にいまいち自信のない彼女が、少しずつ自信を取り戻していく姿をうれしいなと感じながら見守っていたから。
それが全部幻だったかも、なんて聞いたら猛烈に反論したくなって、頭で考えるより先に言葉が出た。
「私も結婚とか恋愛のこと、周りにすごく話を振られるし、したらもっと幸せになれるのにとかって言われるよ。まあ実際したら楽しめると思うしその自信もある。でもね、」
それはほかのことにも言えるの。たとえば囲碁やサッカーをこれから始めたとしても私は楽しめる自信があるよ。でも、そんなこと言ってたらきりがないでしょ。1回の人生でできることなんか限られてる。
私たちは、漫画やアイドルやほかのことと出会って、恋愛は選ばなかっただけ。これも暫定的にであって、これから先恋愛がしたくなったら恋愛を選べばいい。だから、恋愛と結婚がないと幸せになれないわけがない。
そういう話をした。
「これがあるから幸せ!」はあっても、
「これがないと幸せになれない」わけはないと思うのだ。
鬼滅の刃で義勇が言ったセリフを少し変えて拝借するが、わたしは「幸せを決める権を他人に握らせるな」ということをモットーに生きて行きたいのだ。
周りの人と比べやすい世の中だからこそ、誰かの意見が判断基準になると自分の気持ちが疎かになりがちだ。ひとりひとり持っている魅力や能力は違うのに、みんな同じ価値基準で測ろうとするからおかしくなってしまう。
誰かに自分の「かわいい」や「しあわせ」をくじかれても、何言ってんの?くらいのスタンスで生きていきたいし、わたしも自分の幸せが分からなくなったら、義勇の言葉を思い出して自分の世界を守りたい。
わたしはかわいい。しあわせだ。
それが幻かどうかは私が決めるし、私が作るものだ。