『だから、もう眠らせて欲しい』を読んで
何年ぶりの読書感想文だろうか。
ずっと気になっていたnoteに光の速さで登録してしまうほど、読書感想文を書きたいと思ったことは未だかつてなかった。
私はとある地方のしがないコメディカルだ。
昨年、がんを患った。いわゆるAYA世代。
幸い、転移もなく手術をして放射線治療の後、内服薬で再発予防をしている。
抗がん剤は使用していない。
そういった経験もあり、医療従事者、患者という目線でこの本を興味深く読むことができた。
ユカとYくん。ユカは壮絶な過去がありながら死と向き合い、夫に辛い思いをさせたくないと安楽死を望む。
対してYくんは委ねる人。苦しいのが嫌だからと安楽死について言及したこともあるが、今を生きる人。
結果的に2人とも自身の望む最期を迎えられた。
のではないかと思う。
ユカの10日間は、決して苦しいだけの10日間ではなかったと。
人は、最後まで、迷い、人とのつながりを求めている。
あれだけ覚悟しているように見えたユカも、きっと最後まで人とのつながりを求めていたのではないか。だからこそ、医療者と対話し人とつながることで医療トラウマも癒されたのでは。
Yくんは、大きな苦しみもなく最後まで社会とつながり、希望通り自宅で最期を迎えた。
安らかで楽な死。
本を読み進めていくうちに、私が今までに出会った何人かの患者さんを思い出していた。
医療者と、家族、そして患者の目指しているゴールが異なる。
そう言える場面は何度となく見てきた。
具体的なエピソードは語れないが、いくつか考えさせられたことがある。
緩和ケアを受けられる人は限られている。
全国一律ではないかもしれないが、がん患者は緩和ケアを受けることができる。
しかし、緩和ケアが必要な人は、がん患者だけではない。
ここ最近は心不全患者の緩和ケアも出てきているが、非がんの緩和ケアが一般的になっているとは言い難い。
現在の緩和ケアも一般的かと言われるとまだまだ格差があるのは否めない。
緩和ケアが当たり前になり広く緩和ケアが受けられるようになったら、緩和ケア病棟の入院対象ではない患者さんは救われるのだろうか。
がんに限らず全ての人に終末期はある。
名ばかりではない本当の緩和ケアが広まって欲しい。
安心して死にたいと言える社会。
死にたいと言っても否定されず、どうやって生きていきたいかを語り合えること。
死ぬことは生きることの一部。
生きることの終わり。
死に方は生き方によって変わってくる。
安楽死制度があっても、それを使いたいと思う人を一人でも減らしたい。
安楽死制度があろうがなかろうが、安楽死を無くし、安らかで楽な死を目指す。そういう考え方があるのかと、目からウロコが落ちた。
大切なのは、本当のこと、本当の気持ちや意思を話し合える関係性。
安楽死制度の是非を議論することには意味がない、とこの本を読み終えた今なら私も思う。
安楽死制度を進めるカギは、私たち一人一人の手の内にあるのだから。