某メンタリストを論破してみよう
基本的人権を保護する手段として日本には生活保護という制度があるし、その制度からも漏れてしまう存在としてホームレスがいるわけだが、身体障害者や知的障害者、時にシングルマザーなども含めて“社会的弱者“と呼ばれる彼らを税金で救うべきか否かという論争はたびたび巻き起こる。
今回の某メンタリストの件しかり、そのような思想が暴走した結果としてのスリランカ女性の入管事件、やまゆり園殺傷事件しかり、決してあってはいけないと思うと同時に、それを考え抜いた結果として社会的弱者は切り捨てるべきだと信じ切ってしまった人に向けて、どうやってその思想を改めるよう説得できるかと考えるとなかなか難しい。
メンタリストの弟は彼を頑張って論破しますと言っていたが、実際そんなことできるんだろうか。
論破のアプローチを考えよう
社会的弱者をどうか切り捨てないで欲しいというときには、大きく4つの説得方法があると思う。
①生産性によらず人間の命は当然尊重されるものであって、社会的弱者も当然救わねばならない
②(仮に①の道徳感が受け入れられなかったとしても、)弱者は自ら選んでなったのではなく、人間誰しも弱者の立場になる可能性はあるのだから、毎日を健やかにかつチャレンジングに生きるためにセーフティネットとしての弱者救済は行うべきである
③(仮に①の道徳感もなく、自分は絶対に転落しないと②を受け入れることができなかったとしても、)そもそも社会が機会平等を提供できていないのだから、せめて恵まれたものの責務として弱者救済は行うべきである
④(①②③が受け入れられないとんでも利己的な野郎であったとしても、)社会的弱者を表立って切り捨てることは損になる/救うことによってメリットがあるので救った方が良い
※弱者であっても誰かの役にはたっているんだ!というのは今回はあえて除外した。生産性の大小の話を始めると無限に論点が増えてしまうというのと、そもそも趣旨とズレるためだ。
さて、脳内メンタリスト相手に論破を試みよう
①は残念ながら、今理解できていないのであれば改めて言ったところで何も変わらないだろう。
なぜならそれは何も新しい価値観ではなく皆が知っていることであり、かつそこに特別論理はなく、人間としてのプライドであったり、宗教的価値観であったり、ある人にはあるし、ない人にはないというものの類だからだ。
では②はどうだろう。
これはきちんと現在のファクト+歴史を学べば、当然社会をプラスに働かせるにはそうした方がいいと思うはずだ。
ただこの論理には欠点があって、弱者の割合が一定を超えてしまった場合には必ずしも救わずに時に見捨てるほうがプラスであるという結論が出てしまう。これを言い返して来るくらいには某メンタリストは頭がいいから多分論破される。
③はというと、ある程度見識があり自分の置かれている環境が恵まれていると理解できる人であれば効きやすいだが、コンプレックスに取り憑かれている人や、特に成り上がりで成功した人には中々効きにくい。
自分だって大変で苦労して頑張ってここまで来たのだから、そこから脱せないやつは努力が足りないという言い分が返ってきてしまう。
今回のメンタリストの主張は大半がここに起因する。怠け者を救うくらいなら猫を救いたいと豪語する彼はきっと何らか証拠を持った上で言っているのだろうから、これも論破されると考えておいた方がいい。
では④はというと、これは絶対にメンタリストには効かない。従来であればこんな非人道的な発言をすれば真っ先に表舞台から追い出されて終わりだが、彼の主な収入源はyoutubeだ。炎上して再生されればされるほど金が入る仕組みである以上、弱者を救いましょうなどという当たり前のことを言って、やれ偽善的だと言われる慈善活動なんかをするよりも、よっぽど弱者を殺そう!と言って再生回数が増えるほうが彼にとって利がある。(長期的にはわからないが…)
※また事件を起こしてしまうほどの理性を失った人間にも当然効かないため、youtuberを改心させることだけでなく、凶悪犯罪を止めるにも④は有効ではない。
要するに、ロジックで弱者を救うことを正当化することは無理なのだ。
無理とかいうな!お前コンサルだろ!と言われるかもしれないが、無理なもんは無理だ。無理筋からは撤退するよう進言することもコンサルとしての重要な役回りだ。
メンタリストに敗れて…
ロジックで論破する以外の手段はただ一つ。
「①生産性によらず人間の命は当然尊重されるものであって、社会的弱者も当然救わねばならない」と説き続けるしかない。
しかし無い心を動かすことは難しく、かつ実現するとしてもかなり長い時間がかかるため、短期的打ち手としてメンタリスト相手にも④が効くような仕組みにしなければいけない。
独裁者なら選挙で追放すればいい。カルト的宗教なら潰せばいい。じゃあ人の心を持たないyoutuberは?同じくアカウントをとめるなりなんなりして活躍の場所を奪うしかない。
それでも様々なプロデュース業を裏で行なっている某メンタリストの収入源を完全に無くすことはできないだろうが、裏で活用することすら企業にダメージがあると思われるよう、異を唱え続けなければならないのだろう。
かといって、自分がなぜそんなに命を尊重しなければいけないと思っているかというとそれもよくわからない。多分、洗脳に近い何かだと思う。
実際自分が理性を保ったまま全身動かなくなってしまって、もう二度と喋ることも、遊ぶこともできず、家族に大きな負担をかけるとなれば死にたくなるかもしれない。
実際に安楽死を認めている国もあり、命を尊重することが必ずしも人権の尊重とイコールにならないことは重々承知している。
ただその場合も、どの命も平等に救われるべきだという思想のもとに違う打ち手を取っているというだけであって、弱者の命を軽んじて良いということとは全く意味が異なる。
ただ、やはりなぜ命は平等なのかと言われるとやっぱり説明できない。
説明はできない、当然論破もできない。完敗だ。
しかし、仮にメンタリストに論破されたからといって、メンタリストが正しいと結論づけられるわけではない。ないものを証明するのが難しいように、きっと正しくても論破できないことだってある。
できなくても、彼は間違っていると声を上げ続けるしかないのだ。