”器量のいい女の子”

「みちょぱすごいぞ芸人」と私のトラウマ

わたしはバラエティ番組が大好きである。ゴールデンから深夜まで数多の番組を録画予約し、疲れた夜に毛布にくるまって、ただくだらない笑いで一日を〆るのはもう十年近くの日課だ。

そんなわけでもちろんバラエティ番組四天王とでもいうべきアメトーークは欠かさず見ているわけだけど、この間のみちょぱすごいぞ芸人だけはどうしても笑えなかった。そこまでフェミニズムにうるさく生きている私でなくても不快に感じるくらい様々なトラウマを想起させるような内容で、あの場にいるみちょぱの気持ちを考えてというわけではなく、単純に個人としてわたしの若気の至りを思い出して悲しくなってしまった。

”器量の良い女の子”

私は大学時代のアルバイト先で、日常的なセクハラに合っていた。

しかしわたしはそのことに気づいていなかった。

バイト先の人間関係はとても良好で、40代の店長も副店長も友達のように仲良くしていた。休みがあれば何人かでドライブにいくこともあったし、やめたいと思ったこともなかった。

ただバイトに行くたびに、わたしのつけている髪飾りを指して「パンティーみたいだね」と言われたり、「昨日やった?あ、彼氏とだと思っただろ、課題のことだよ」と言われたり、「上がったらホテル行こうぜ」と言われたりしていただけで、それも別に全部本気じゃなくて、私たちの間では挨拶みたいなものだった。

日本において”セクハラを流せる女性”というのは、女としての器量が良いような評価を受けることが多い。ちょっと恥ずかしい顔をしながら「やめてくださいよ~!」なんて言うだけでおじさんは喜ぶし、わたしもおじさんを転がすことでちょっとした特別扱いを受けて悦に入っていた。

ただ、そういう扱いは徐々に、徐々に、自分でも気づかないようなゆっくりとした速度で心をじくじくと抉っていた。

ある日突然バイトに行きたくなくなったが最後、そのまま卒業まで半年出勤せず、わたしはそのままバイトを卒業した。

”女性職”のKPIは、”女”のKPIではない

”器量の良い女の子”を求めるおじさん達は、私たちのことを若い女の子として十把一絡げに評価し、お金を対価におじさんの相手をするような”キャバ嬢”や”クラブのママ”といった女性職の役割を私たちに求める。

ただ私たちはおじさんに奉仕をする立場にはないし、それによって適切なリターンも得ていない。セクハラに嫌な顔をしたからと言って私たちを”空気が読めない”などと評価するおじさんは、無銭飲食をしているに等しいと自覚するべきだ。

そのことを、私はセクハラを受けない環境に入って初めて知った。

セクハラに対してにこにこと笑顔を貼り付けながら日々生きているのは、24時間365日無賃でキャバ嬢をやっているようなもので、純粋に死ぬほど疲れる。今の会社は私に女性職の役割を求める上司はおらず、わたしはただ社会人として求められる仕事だけをすればいい。普通の男性が得ているその環境がどれだけ楽か、セクハラを受けない環境に入らなければわたしは永遠に気づくことがなかった。

浅はかだった自分

そしてこれまでを振り返る。

おじさんを転がして、適当にちやほやされて、周りの子に比べて特別扱いを受けているようなあの時間は、瞬間的な若い女の子としての価値でしかない。積みあがることもなく、所詮いつかは消えてしまう。

それどころか、わたしの人間としての価値を大きく下げていた。あの時自分の自尊心を曲げてヘラヘラしていた自分の顔すらゆがんで思い出されて、浅はかすぎて搾取されていることにも気づかなかった若気の至りを思い出して、時間を超えて苦しくなる。

あのおじさんたちは私を若い女の子としてしか見ていないから、少し環境が離れればまるで興味を失った。私もそんなおじさんたちを都合のいいおじさんとしか見ていなかったから、顔もおぼろげにしか思い出せない。どちらも相手を人間として評価していない以上、そこにまともな人間関係はない。

せめて「すごいぞ」という言葉は使わないで

これからもみちょぱがその戦術とツールで人脈をつくり、芸能界を駆け上がろうとしているなら、それはそれでいい。立派な武器だと思うし、おじさんは存分に利用すればいい。ただ、自分の価値をセクハラを華麗に受け流せることという一軸で評価されるのは不本意なこととして怒るべきだ。

同じ女としてみてもみちょぱは器量のいい子だと思うし、場の空気を読んで身の振り方を変えられる頭の切れる女性だと思う。もっと評価されるべきことがある。おじさんを気持ちよくすることなんかで価値をはかられる義理はない。

ましてわたしのような一般の女性は、そして自分がなぜちやほやされるのかわかっていないような私よりも若い女性は、あの番組を見て、女として評価を受けることの見本解だと思わないでほしい。

私たちは、人間として評価をされるべきなのであって、おじさんを喜ばせるための玩具じゃないんだから。

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