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社会人大学院で出会った人々(グッサロエッセイ②)

3/1に大学院で1年次の期末発表があり、そこでエッセイ本を作って配布しよう!という企画。エッセイの中身を連載形式noteで紹介していく第2話です


※前回のお話はこちらから↓

それでは、第2話よろしくお願いします!


入学願書を出した日


 
そもそも、なぜこの大学院に入学しようと思ったか。私の普段の仕事は、とある小さな専門新聞の記者です。そこで記事を書いたり、外部の先生から届いた先生の原稿を編集したりしています。

2024年の2月、新聞の印刷所で最終校正をしていた時、私の書いた記事に、編集長のじいちゃんが、表記ゆれを指摘しました。

表記ゆれってのは、1つの記事の中で、同じ単語、「例えば」と「たとえば」とか、「繋がる」と「つながる」みたいな、そういうやつ。

当時、社会人5年目だった私には、それが重要なことだとは思えなかった。生返事する私に対して、編集長のじいちゃんが「書く前にちゃんと調べなかったのか」と苦笑いした。

その時、急に自分が恥ずかしくなったのを覚えている。
「なんて私はテキトーな仕事をしているんだろう」と。

それから私は編集長に聞いた。私はもっと成長したい。編集長が1番成長したのはいつですか。

そしたら、30代の時に異動した部門の仕事が楽しくて、たくさん本を読んで勉強したと教えてくれた。その時の私は27歳。まだ間に合う、と思った。

そして編集長は身体が弱い。この人が現役で働き続けてくれている間に、早く成長した姿を見せて恩返しをしたいと思った。

そこから、どうしたらいいか考えて思い出したのは、当時からさらに2年前、私が編集担当として立ち会った、新聞の取材で、その社会人学校の存在を知ったこと。

その時、学長先生の話が印象に残っていた。記者からどんな院生が通っているのか、と聞かれて、こんな取り組みをしている人、あんな活動をしている人がいる、と楽しそうに答えていたのを思い出した。

私はその時、その学校がどんな学びをするのか、正直よく分かっていなかったけど、もっと成長したくて、30歳になる前、20代のうちに、なんかもっと人生をワクワクしたものに変えたくて、飛び込んだのだった。

学校のHPを見たら、入学願書の最終締め切りの2週間前だった。
急いで帰って、家で必要な書類と、入学課題のレポートを書いた。

ろくな証明写真を撮る時間もなく、自宅でスマホをスタンドに立てて、「証明写真アプリ」なるものを使って、とりあえずスーツに着替えて一人撮影会をしているところを、後から帰宅した彼氏から怪訝そうに見られた。

「あーまたなんかやってんな」みたいな顔してた。私は一生懸命、説明した。それは相談ではなく、ほぼ事後報告。「受験することに決めたから!もう手続き進めてるから!」と。

同棲してるアラサー手前の彼女と「いつか結婚できたら良いよね」なんて話してたのが、急に社会人大学院に2年間通うと言い出したのに、多少、心配はしつつも、「まあ、良いんじゃない」と応援してくれた。「やってみなはれ」ってやつだ。良い彼氏である。
 

学校で出会った仲間


ここまで書いてきて分かったことは、過去の出来事、特に自分の心に残った大事な思い出を文章に全て残そうとすると、膨大な時間とパワーが必要になる。時系列で入学してから、1年目の終わりに差し掛かろうとしている現在までに起こったことを書き記そうとすると、どうやっても直近のイベントまで至らない。

このペースでは3月1日に控えている、大学院の1年次期末発表には到底、間に合わない。だから時計の針をグルグル回して、最近の出来事までワープしてみます。

入学から、春夏秋冬、それぞれのイベントについては、またどこかの機会にじっくり書かせてください。どれも疎かにザカザカ書けるような事柄ではないから。

さて。

2025年2月現在の私が最近、心に残ったのは、大学院の同級生が開催した「オシゴトーク」というイベント。

主催した同級生の女性を、ここでは「かおるさん」と書かせていただく。彼女とその同級生たちは、私が所属する東京校ではなく、関西の校舎のメンバーだ。

なんで私が彼女たちと繋がれたかというと、夏季集中講義という、通常とは別の特別授業が各地域の校舎で行われ、とある授業の先生が飲み会好きで、校舎を巡回しながら、授業後にはぜひ懇親会をしましょうと言いつつ、

「関西校は参加者が少ないから、現地授業として巡回するか、オンライン授業にするか迷ってるんですよね」
「人数少ないのは残念なので、ぜひ他の受講者も声かけてください」

とオリエンテーションで話していたから、それならちょっくら、東京から関西まで足を伸ばして、飲み会要員の足しにしてもらおうかなと考えたのだ。

この時期にはすでに、上半期で大学院の先輩たちの行動力に感化されて、大学院の仲間が運転する車やら新幹線やらでひょいひょい色んな地域に遊びに行っていた。

この時は、誰かから「一緒に行こうよ!」と誘われるでもなく、なんとなく「他校舎に遊びに行ってみたいなあ」という純粋な好奇心から飛び出した。
当日は、最初こそ、初対面だった現地のメンバーから「え、なんでわざわざ来たんですか? え? 仕事の出張ついでとかでなく?」

とドン引きされた訳だけど、授業のディスカッションを通じてすぐに仲良くなって、授業後の飲み会では、ワイワイガヤガヤ、楽しく温かく歓迎してもらった。

飲みにつれてってもらったお店は、今はもう閉店してしまったらしい。広島焼のポスターやら阪神の野球中継がされていたテレビとかが写り込んだ、あの集合写真は大事な、忘れがたい思い出の断片となった。
 

オシゴトーク

 
そこから、一緒に飲んだ関西メンバーとのグループチャットに入れてもらい、夏季講座が終わって、下期の通常授業が始まってからも、お互いの近況とかイベントの告知とか色々連絡しあっていた。そのチャットで誘ってもらったのが、今回の「オシゴトーク」というわけだ。

この「オシゴトーク」は、2回目の開催で、初回は年末に行われた。ところがどっこい、私は年末、あまりにも用事を1日に詰め込みすぎて、どうしても何とか、オンラインで途中から「チョイ参加」するよ!と言っていたくせに、ドッタンバッタンしている間に、すっかり頭からすっぱ抜けてしまって、翌日に「ウワア!やっちまった!!!」と後から気づいて、平謝りの連絡を送った。

主催のかおるさんは、あんまりにもあっさり「はいよ~」くらいの返事だったから、逆に私は焦りに焦って、「これはもう呆れて、見限られてしまったのではないか?」と青ざめた。

それからヤキモキ、心にひっかかりを小さく残していたら、2か月後に「グッサン!第2回やるから遊びにおいでよ~」と、やっぱりあっけらかんと、お声がけいただいた。安心して、嬉しくて、ほっとした。
 
 私に個別で連絡をもらった後、大学院の掲示板のような全体チャットに告知アナウンスを流していた。

かおるさんは「グッサンはもう関係者扱いだから~」と、軽やかに言ってくれた。

なんと嬉しい。ちょっぴり涙ぐんでしまうくらいだ。

第3話「働くって何だろう」につづく