『人生は航海のごとし〜1925〜』ー感情日記ー
『人生は航海のごとし〜1925〜』ー感情日記ー
あと一歩、踏み出す勇気があったなら。
ほんの少し、指先が夢に触れたなら。
こんなにもうじうじと嘆いている自分は、
ここにいなかったのだろう。
子供頃に描いた夢も希望も、
大人になってみれば案外、
"呆気ないものだったんだな"と思う。
たとえ夢の道を進み続けるとしても、
他の人がどう考えているのかは分からないが、
少なくとも自分は
"期待外れに終わる"と考えている。
「私の夢は、あくまで私の夢だから。
夢は夢のままでいい。」
これを諦めと呼んでも、
敷かれたレールを脱線したと呼んでも、
私にとって夢より大事な事は
"自分がどうしたいのか"という"自分の思い"だ。
限られた時間の中で、
二度と戻ることの出来ない
日々を過ごし、気づけば、
人生の終わりを迎えている。
それに、自分の人生が始まる前や終わる後は、
どんなに一生を賭けても知り得ることはない。
「私たちは、道の途中にしか居られないから。
悩みながらも進むことにするよ。」
傍から見ればその決断が、
間違いだと思うのだろう。
当時の自分は、
その決断が正しいと思い込むのだろう。
後から思い返した時、
間違った事をしたと気づいても、
もう手遅れで、
取り返しのつかないものなんだろう。
「なぁ。誰もが思い描く完璧な人間って
一体、誰なんだ?どんな人生なんだ?」
普通であることを選んだ道は、楽しいのかな。
波乱万丈な選択を選んだ方が、幸せなのかな。
「私はそこに、何を求めているの?」
何を求めて、どれを選んでいるのだろう。
その基準が分からなくなって
他の人の人生を覗いた時、ハッとしたんだ。
"その基準は、自分の内側にあったんだ"と。
知らず知らずの内に、自分の外側から
沢山の事を、自分の内側に溜め込んでいる。
そして、外から答えを求められた時に、
内側に溜め込んだ情報や知識の中から、
適切な答えを探し出していたんだって。
「道理で、他の人と同じ答えにならない訳だ。」
どんなに他の人と同じ思考を持つ人に
なろうと必死に努力しても、
私という個性が消えることは決してなかった。
「私は私のやり方で、
人生の最後まで、生きていく。」
他人や自分の期待に応えられなくても、
子供の頃に描いた夢や希望が叶わなくとも、
何も残せなくても、
意味のない人生だったとしても、
「それはそれでいい。」
それよりも今、
私たちは道のど真ん中を生きている。
「生きているだけでも、充分に幸せだ、と。」
生きて何をするかは、
考えながら生きていけばいい。
"迷い悩み、思い考えることが、
生きている人の特権だ"と思う。
「私だって何度も、迷い悩み、
思い考えながら、生きています。」
"もう何をしたって正解なんじゃないかな"と、
思える程に、開き直るぐらいに、ね。
「さて、あなたはどうしますか?」
このままず〜っと、
うじうじして嘆き続けますか?
それとも、覚悟を決めて進み始めますか?
「迷い悩み、思い考えながらでいいですから、
勇気を出してもう一歩。
ほんの少し、手を伸ばしてみませんか?」