#002「僕たちはよく似てる」と感じたら
『思い、思われ、ふり、ふられ』という漫画の中で、よく似た経験、よく似たコンプレックスを持つ二人が出てくる。
紆余曲折あって惹かれあう二人は、家庭環境や将来の夢がよく似ていて、あまりによく似ているからこそ相手にふさわしいのは自分ではないのではないか、と葛藤する。
「似た痛みを分かり合って一時的に癒された気になっても結局どこにも進んでない」「別のとこから引っ張る存在が(必要だ)」
と言う元彼に対して由奈が出した答えが、爽やかで力強くて良かった。
似た痛みを持つからこそ自分がそれを克服できれば、誰よりも相手を引っ張る存在になれるんだと。
二人が思い出の高台から一緒に街並みを眺めるシーンでは『Nのために』の希美と成瀬を思い出した。共に今いる島に窮屈さを抱く二人が、一緒にここから消えてしまえたらいいと願うときのやり切れなさとか切なさとか切実さ。
SHAKALABBITSの『星空の下で』の歌い出し(と歌い終わり)。
今まで何度も思った「僕たちはよく似てる」 あの時ふたりで消えてしまえたなら
この解説が面白かった。
よく似ている者同士がぶつかる壁は、「刺激」なのか。よく似すぎていると、堂々巡りしているかのような、先へ進めないかのような、合わせ鏡を見ているかのような気持ちになるのだろうか。
合わせ鏡といえば、漫画『A子さんの恋人』の作中作。
漫画家である主人公のA子は、自分とよく似た元恋人のA太郎とのことを「部屋の少女」に表す。相手の中に自分を写して、互いに溺れてしまったままになっていたエンディングを変えようと何度も描き直す。
描き直し期間中の「ロールキャベツの話」も謎に印象に残った。ロールキャベツは作るのに5工程いるんだけど、作って冷凍しておけば、「解凍する」の1工程で済むんだよ、っていう、ただそれだけのくだりではあるけれど。
『A子さんの恋人』の最終話のメッセージは、山里亮太と結婚したときの蒼井優の言葉
「“誰を好きか”より“誰といるときの自分が好きか”」が重要らしいよ
に近いものがあり、この二択は、『脳内ポイズンベリー』でも登場していた。
平野啓一郎の「分人」で整理できるそれで、「人間にしてくれる」という感覚にも通じるものがある。
『思い、思われ、ふり、ふられ』の由奈みたいに、「"好きな相手"といる時の自分」を好きだと言えるように持っていくことだってできるわけで。
ーー✂︎ーー
話を戻すと、似ている者同士が真剣に向き合うと、ときに行き止まりにたどり着きがちで、ただ、結果として出された答えがハッピーエンドであれアンハッピーエンドであれ、お互いの人生の、ある時点で、代替えのきかない役割を果たすことは間違いない。
ある意味では、それで充分ともいえる気がする。