我が子が宇宙人だったことを知る今日

言わなくても分かってる
とか
一緒に暮らしてきたんだから伝わる
とか
社会の常識
とか
そういった類のものが全く通用しないほどの、宇宙人として育っていた、我が子が。

大凡の想定しうるレスポンスはもうしてこないだろう。
こちらが望む・予想する行動も言動も諦めた、と思ったら、急に気持ちが楽になった。
我が子はもう、半分は巣立ったのかな、と思った。
わたしがどうこうできる存在ではなくなったのだな、と感じた。
こうして、この子は「わたしの子」でなく、「自分」として生きていくんだな。
なんか素晴らしいな、ここまで命を繋げられてよかったな。
これからも命だけは繋いでいかなければな。
こんな、変な、もう下手したら言葉も通じていないのかもしれない存在が、我が子だなんて、最高だなと思った。
この遺伝子は紛れもなく、亡くなった旦那さんからのものだ。
もっと一緒に居られたら、旦那さんのこんな部分も垣間見えたのかなと思うと、非常に勿体なく思う。
やっぱり、旦那さんは最高の相手だった。

もう離れていくばかりの可愛い我が子。
どうか命だけは落とさないで、どんどん旅立っていって、わたしの知らない世界を生きてほしい。

こんな日が、子育てをしていると来るんだな。
産んでよかった、わたしの命を、わたしで絶たなくてよかった。
あわよくば、我が子に、生きていて生まれてよかったと思ってほしいけれど、忘れてはいけない。
子どものすべては、わたしが望むように、もう1ミリたりともならない。
それでいい。

不出来な親で、歪に不完全に愛して、でもそれでもよかった。

今日は幸せな日。
現実の問題を全て差し置いて、そう思う日。

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