夫が荼毘に付されるのをみたらよかった

通夜、葬式とそばにあった夫の遺体が荼毘に付される日。
棺をのせたハンドル付きの耐火性の台が鉄の扉の前で一回止まって、最期のお別れですと葬儀場の人が言って、みんな最期のお別れの言葉をかけて、夫の遺体は開いた鉄の扉の向こうに押し込まれていった。
そのあと、着火のボタンを押されて、それが夫の姿を見た最期。

本当なら、着火したあと、燃えていく遺体を見ればよかった。
きちんと骨になったか確認する小窓があると、何かで見た。
火が着いたばかりの遺体は少し起き上がるんだと何かで読んだ。
その一部始終を見ればよかったと、いま思う。

夫の肉体は燃えてしまってもうこの世にはないんだと、直接見ていないから信じられていない。
着火直後の少しの起き上がりを見て、仄かな期待のあとの恐ろしいほどの絶望を感じたらよかった。
そうしたなら、夫はもうどこにもいないと、諦められたような気がして。

何のきっかけもなく、ふっと今も夫が何処かにいる気がする。
ちゃんと、全部見て納得できたらよかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?