大学受験
第一志望の大学なんてのは全然決められなくて、私は高3になる時にようやく目指せそうな場所を見つけて、そこを目指している。
母は、将来の選択肢を広げるためだと言って中学受験をさせた。無駄に馬鹿じゃなかったせいで、期待をしたのだろうか。
中学に入って、中2くらいだろうか。
将来の計画書を書く授業があった。
この頃には母は手に職だ、お金だ、医者になれとずっと言っていた。
ほんとは中学受験をさせたのもそのためで、周りに流されやすい私を、頭のいい環境に入れて医学部に行かせたかったのだろう。
残念ながら私は勉強面で人に流されて勉強するような偉い子ではなかったけど。
言われるがまま、医学部と書いた。
出来上がった紙を、家に帰ってすぐ捨てた。
なんか違う気がした。
別になりたくなかった。
確かに父は医者だし、その他諸々のことを鑑みても私は医者にならなければいけなかったのかもしれない。でも全くなりたいとは思わなかった。
父のことはすごいと思ったが、目指したいとは思わなかった。親や祖父母は、考えが甘いと私に言った。よく分からない。いつか後悔するということだろうか。別にいい。
親が医者の友達はよく医学部を目指しているが、そんなに親を目指したいのだろうか。それとも親孝行だろうか。当たり前のように、継ぐべきだと思っているのだろうか。親からの圧力に負けているのだろうか。それともお金だろうか。
親が医者じゃないのに、医者になりたいと言っている友達がいて、何でなのか聞いてみた。
ただ純粋に家族が病気になったとき力になりたいから、と言っていた。
その気持ちだけで、そんなに努力が出来るのか。すごいと思った。
私は努力したくないのだと思う。ゴミなのだろう。医学部なんて目指したくないし、医者とかいう過酷な仕事に就きたくもない。
ただ平凡なまま、生きて行ければそれでいい。
母は医者になれと言い続け、中3の頃医学塾に私を入れようとしてきたが、全力で拒否して何とかなった。
父は別にならなくてもいいと言った。
志がある奴がなればいいよと。その通りだなと思った。
でも母は裏でほんとは父もなって欲しいと思ってるよ、とずっと言ってきた。
まぁそうなのかもしれない。
中3は部活に捧げ、勉強を捨てていたら落ちこぼれて最下層に転落した。高校には上がれたが授業は何も分からなかった。
急に文理選択という言葉が出てきた。意外と早いものだ、と思った。
シンプルに理系科目が終わっていたので文系を志望していた。実際、読書が好きだった。理系に興味はミジンコほどしかなかった。
5月くらいだろうか。
家で進路の話になって、文系に行くと言ったら母と父にクソほど怒られて、泣いたことを覚えている。
そこから塾に入れられた。やれば理系科目はできない訳では無いことに気がついた。定期試験くらいならクラス上位を取れた。
2ヶ月に一度ほどの文理選択アンケートにはずっと文系志望と書き続けた。
でも最終的には、理系にしたのだ。
文理決定の数日前だった。
母と話していて、当たり前のように私は理系に行くとこになっていることに気がついた。
文系…と言ったらは?理系に決まってんでしょ、と言われた記憶がある。
塾の先生も親と共謀していたのか、理系だよね?文系なんて……と言っていた。きっと文系の生徒もいるだろうにクソ野郎だと思った。
私は文系にしたら親に殺されるような気がした。最終決定の数日前だったが担任に「理系にします。理系科目に興味が出てきたので。」と言ってめちゃくちゃ驚かせた。
担任に親の圧力が嫌だ、という話はしていたので「それは自分の意思?親御さん?」と言われた。
自分の意思です、医療系か情報系に行きたい、と言った。実際医療系(医学部以外)いいな〜くらいの気持ちはあった。資格職だし。
理系になってしばらくしたころ、第1志望を提出する必要があった。今の段階でいいし、全然変わってもいいよ、と言われたのでたしかどこかの薬学部を書いた記憶がある。
提出するのに印鑑が必要で、母に見せた。
薬学部なんてやめてよ?と言われた。
父も言っていた。
薬学部なんかに6年も行く必要はない、と。医学部からしたらそうだろう。
そこから薬学部は視野から外れた。
ちょうどこの頃、部活が嫌になって部活に行きたくないから塾に逃げるという日々を続けていた。
元々、部活は中3の時全国大会で大敗してからスランプから脱せず、苦痛の日々が続いていた。
部活に行くか、塾に行くか。
どっちにしろ地獄だが、どちらかには休まずに行き続けた。朝早く起きて、学校に1番について、夜遅くに家に帰った。
病気になった。
いま思えばこんな日々を過ごしていて耐えられるわけなかったのかもしれない。
でもたった数ヶ月だった。私は弱すぎるのかもしれない。
高2。
病気になったおかげで、勉強なんてそっちのけになった。学校行くのでギリ。行けたのは良かった。
塾も週一にした。身体が持たないから。
弟の中学受験もあり、親は私より弟にかまっていた。これも良かった。
志望校はとりあえず看護学部と書いていた。
親は看護師なんて……と言っていたので検査技師と書いていた。
別にめちゃくちゃなりたい訳じゃなかった。
資格が取れるのいいなぁ、と思っただけだ。
担任と面談した際、別にいま決めなくても、大学で決めることもできるよ。と言われたことを覚えている。
そんなこんなで高二も終わりに近づいたころ、病気は良くなるどころか体調の悪さでの二次被害だろうか、精神的な不調が酷くなり、もう死ぬしかないと思っていた。
病気が病気の世話なんてできねーな、と思って志望校を変えることにした。
第一志望にしていた大学の別の学部、そこが良さそうだった。医療系のしがらみから逃げられた。
少し息がしやすくなった。
高3になった。
一学期、放課後の課外が長くなり、心身の体調に限界が来て死のうと思って遺書を書いたりしていたが、ぎりぎり生き延びた。
一学期も終わる頃、勉強していなそうな私を見た親がオンラインの塾に入れた。
たしかに、学校には夜まで残っていたし補講も全て出ていたけど、なんの勉強をしていたのか記憶がない。していなかったのかもしれない。体調がすこぶる悪かった。
塾は週に1時間だけ。楽だった。勉強に励んだ。
体調の悪さはハンデだが、頑張ってはいる。
親とは進路の話をしない。
私の第一志望に行って欲しくないらしい。
たしかに全然偏差値の高い学校ではない。
家が近くて、選択肢が広そうだから選んだだけ。
ただ、私が生きられそうなところ、を選んだ。
私の通っている高校から目指すような大学ではないのだろう。実際、同じ大学を目指している人を見たことはないし、なんなら悪口に使われていたのを聞いた。失礼だね。
でもこれでいいのだと思う。
私立は行く気がない。人混みが苦手だから東京の大学には行きたくない。ごちゃごちゃとした雑踏が苦手だ。人がまばらで、緑豊かな道を歩きたい。
塾の先生に提案されたところをそのまま受けることにした。全然受からなそうなところしかないけど。共テ利用で受かりそうなところを書いた。全落ちは悲しいからね。
母に私立の話をチョロっとしたら、歯学部でも受けろと言われた。まだこんなこと言うんだな、と思い絶望した。
絶対私立の話をしないように頑張って、調査書を発行する時に初めて決めた学校を言った。もちろん歯学部なんて書いていない。
それ受かったら行くの?と聞かれて、
第一志望は行くよ。ほかは行かない。
と言ったら第一志望、行くの笑
と言われた。こいつはなんなんだろうか。
浪人して医学部に行って欲しそうな顔で私を見るな。
父も同じことを言っていた。はたして、大学に受かったとてこの人たちは浪人させてくるんじゃないだろうか。そしたら死ねばいいか。
まぁたしかに中学受験をしてこの大学は親不孝者のゴミなのかもしれない。でも生きるために大学に行く。それでいい。私は、ただ生きられればそれでいい。
受かるか分からない成績だが、落ちたら死ななければいけないな、と思っている。
というか死ぬだろう。
だからあと1ヶ月、頑張る。