親ガチャ論の否定はぐっとこらえて

スマホゲーム等でアイテムを入手するためにおこなうくじ引きのことをガチャという。このガチャという言葉にかけて、家庭環境(広義には生まれ育った環境)が良好であることを親ガチャに当たる、そうでないことを親ガチャに外れるという。
親ガチャ論においてよく引き合いにだされるのが「人生は本人の努力次第でどうにでもなる」という意見である。自分の人生を振り返ると決して恵まれた環境ではなかったが、努力した結果、現在の社会的地位、資産、家族等を築いたのだ、と。
しかし、本当にそうだろうか。進学や就職等、人生を左右するイベントにおいて運は味方しなかったであろうか。そして、その運は本人の努力のみが手繰り寄せたものであっただろうか。また、進学や就職に際し、挑戦する機会はどれほど与えられただろうか。たとえば、進学において志望校以外を受験する機会がどれほどあっただろうか。就職において都会にある企業を訪問する機会をどれほど得られただろうか。残念なことに、このような機会を多く得るためには相応のお金が必要となる。
私は小学校から大学まで公立校に通い、新卒で外資系企業に入社後、同じ業界で長く働いている。仕事で付き合いのある方と話すと自分と同じような背景を持つ方は大変少ないと感じる。私立校やインターナショナルスクールの出身者、帰国子女等が多く、平均的な家庭の資産・収入を超える環境で育ったことが想像できる。彼らは質の高いとされる教育を享受するのに加え、進学、就職およびその後のキャリア形成に有利な人的ネットワークを自然と築いていることも多い。また、偏差値の高い大学に通う子どもの家庭の収入が比較的高いことはデータによっても示されている。親ガチャに外れたにも関わらず成功するのは稀なケースなのだ。
境遇に左右されず努力を重ねてきた人が親ガチャ論を否定したくなる気持ちはよく分かるが、声を大にしてそれを発することはこらえるべきだ。私は善人ぶってこのように言うわけではない。親ガチャ論を否定する意見が社会的に大きくなった結果、自身を否定されたと感じ自暴自棄に陥る人が増える可能性がある。そしてそれが取り返しのつかない事件を生み、あなたや身近な人が被害者になるかもしれないのだ。
人生のスタート地点から生じる格差が小さくなるように社会の仕組みを変えることは容易ではないが、同じ社会で生きる人たちの境遇を理解しようと努めることが大切だ。

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