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下襲の長さのこと

「光る君へ」の第4話に出てきた下襲の長さについて少し検討をしてみたので。

15:59ごろのシーンに注目

このシーン、兼家が花山の後釜になる懐仁がいますねぇ、という話のシーンで兼家が登場する際に頭を下げた五位官人の後ろ姿に下襲のサイズ確認になりそうな画面があったので、計算をしてみた結果、おおよそ7尺。

7尺は微妙に「さもありなん」のサイズ感。なのでちょっと驚き。

このシーン

キャプチャではないので画像は粗いです。。
ふくらはぎから出てきた下襲(裾)を折り目を左にして腰(石帯の上手)にかけて、丁寧に1/4ぐらいになるように畳んでいますね。
石帯は通用帯。まぁ、通常勤務の状況なんでありです。

この画面から

どうやってそれ、出した?

じゃぁ、どうやってこの長さを出したのさ? ということになると思いますがこんな感じです。

まず、現代の男性の平均身長を調べます → 170センチとのこと。
ここから、「ふくらはぎ」から肩までは約120センチ。

ここからは計算。
石帯から垂れ下がっているのを上に伸ばすと、1回の折り目となる。
なので、生地はお尻(奥)側と、外(手前)側の2つになる。
だけど奥側、手前側では等分に折られていないのでその分を計算する。

奥側を1とすると、手前側は3/4の長さになるので、
  120+((120÷4)×3)=210センチ
で出せた。
それを尺にすると、6尺9寸 ≒ 7尺 となる。

有職故実書の登場

この約7尺と言いうのは、あり得る長さなのか?
ということで手元の下襲のサイズが書かれた有職故実書の登場を願いまして、鎌倉初期に書かれた『飾抄』を参照。

まず、儀式関連の有職故実書はよく日本史で出てくる『西宮記』や『江家次第』なんかがあるけど、下襲の色名は書かれているけど、サイズの記載がないので、サイズが書かれている『餝抄』に登場願いました。

『餝抄』は中院 通方さんがまとめた装束に関する有職書で、その中には、
  参議 8尺
  四位 7尺
とあるので、近似値として五位は四位と同等か、1尺少なく6尺程度になっているだろうと想像できる。
(通方さん、この文章を書いているときに「しかし現在(鎌倉初期)はこの長さじゃないんだけどね。守られてないのよ。勝手に長くしちゃってさ」とぼやいてもいます)

ここまで、現代人の平均身長から割り出した内容なのに注意が必要。

これが当時の体格で想像すれば大体、5尺ぐらいになりそうなので、さもありなん、と感じになるんでないかな。
あと、『餝抄』も鎌倉時代の記録なので約200年前の花山帝の時代から比べれば徐々に大きく見せようと徐々に長くもなるし、また強装束化しているからあくまでも参考値。

ちなみに持ち方や畳み方

持ち方は後世、衣紋道が成立して山科家と高倉家がわかれた際に折り目をどちらにするかで区別もしているが、まぁ、「おれがおれが」ということで区別するためだけに故実を作った可能性もあるから、今回の摂関期の始まりではどちらでもいいですけど。

参考文献など

塙保己一 編 ほか『羣書類従』第8輯 (装束部・文筆部 第1),群書類従刊行会 (酣灯社内),1953, p. 125-192
須股 孝信, 畿内の遺構配置にみる古代の土木技術(その3), 土木史研究, 1992, 12 巻, p. 131-142

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