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与論の海の生物たち①海洋概況

①与論町誌のページ数

49(上段)~53ページ

②要約

●言わずもがな、与論の先人は古くから海と深く関わって生活してきたよ。
●雲の流れ、潮の流れを観察して天候を読み解き、農業や漁業を行ってきたよ。
●黒潮は方言で「クルシュ」。黒みを帯びた濃藍色の潮流だから。
●黒潮の源は、ルソン島東沖の潮流と推定されているよ。
●台湾の南東部あたりが、黒潮の始まりであると考えられているが学問的には明らかにされていないんだと。
●黒潮は北上して奄美大島の北西で枝分かれし、日本海に入ったものが対島海流になり、残りの黒潮本流の大部分はトカラ海峡を、一部は大隅海峡を通りぬけ北東に進む。
●珊瑚礁は、腔腸動物の石灰質の骨格によって形成されているんだよ。

珊瑚礁


●腔腸動物のうち、特にサンゴ虫が珊瑚礁形成に主要な役割を果たしているんだと。サンゴ虫が石などにくっつき、大きく成長していくと新たに芽体を生み出し、どんどん増えて形成されたものが、「珊瑚礁」になるんだって。
●珊瑚礁の分類は、過去のnoteを添付 ↓↓

●与論島の海岸から、リーフ(礁嶺)までの礁全体の幅は宇勝で約五〇〇メートル、大金久海岸では約一五〇〇メートル。
●島の東側を代表する大金久海岸などの砂粒は細かく(太平洋から打ちよせる大波によって)、島の西側の兼母海岸の砂は比較的に粒が粗い(波が静かなため)。
●百合ヶ浜は島の東北端にあって、潮流により出現し、月や日により数や場所が変転する珍しい砂洲なんだよ。また古老達は、この砂洲の数や形状によって、その年が豊年か凶年かを占ったと伝えられているよ。
●与論島の海砂の中には、星砂(有孔虫の死骸)があるよ!

星砂

●オニヒトデは最長30cmぐらいになり、背中の鋭い棘から有毒な液を出しサンゴ類を枯死させる怖い生き物だよ。
●オニヒトデの猛毒は、人間も恐怖!踏んじゃうと足が腫れ、2週間ほど歩行困難になることもあるんだとっ!!!
●オニヒトデが、初めて出現したのは大正中期ごろ。出現当初は、オニヒトデを「ハニムシ(金虫)」と呼ばれていた。(海底に沈んでいる鉄屑周辺で見かけたから)。後に、「アガチュン」と呼ばれるようになったそうな。
●オニヒトデが激増したことから、昭和53年より国や県の補助事業により駆除作業が行われるようになったよ。
●オニヒトデの天敵は、ホラ貝。しかし、ホラ貝の乱獲によってオニヒトデが増殖した大きな要因と考えらている。

オニヒトデ

③感想(私的釈や学び)

与論というか、昔の人は本当に自然とナチュラルに共生していたんだなという再認識。波を見て風を感じて自然の動きと共に生きるって大事なことですね。天気予報はアプリに頼りっきりな私がいうのも変ですが。。。
与論といえば、「百合が浜」「星砂」「珊瑚礁」のイメージが強いですよね!!そんな海洋概況の説明をしたページでした。
なぜ、与論がリーフで囲まれているのか?星砂の正体は?オニヒトデの被害などなど面白いことが、いっぱい書かれていましたので是非本文もお楽しみください。


④本文引用

〈但し、読みやすくするために改行・記号等の編集有り。です〉

第四節 海の動植物
 一 海洋の概況
 東に太平洋、西に東シナ海、周囲海に面した与論島の人々は朝な夕な海を眺めて生活している。 朝起きて空模様を見て次に海を眺め、雲の動きと海の色や波の動きをアッチャーユネー見て天気を予測し、「シカマビッチャイやアミ夕方ユネービッチャイぬ明日アッチャーパリ」(朝やけは雨、夕焼けの翌日は晴)などと古老達によっていい伝えられているが、その日の天気を予知した古老達の生活の知恵であり、生活体験からえたすばらしい俚諺リゲンである。

 テレビやラジオなどで天気予報がなされているが、農業や漁業では、今でも雲の動きや波の動きを観察して、その日の天気を予想して生活しているのが現状である。
 島民にとって、海の幸としての魚介類・海藻類、食塩つくりなど原始時代から海に対する関心や海とのかかわりあいは、まことに深遠なものがあったと思われる。
 果てしなく広がる海、低気圧が発生すればいち早く大きなうねりとなり、台風が接近すれば岩石も砕く怒涛ドトウ逆まく大波浪となり、ある時は終日油を流したような静かな海となり、月や太陽の引力によって起こる潮汐チョウセキやいまもって完全に解明されていない潮流の不思議さ、神秘さに感動しつつ、近海を流れる黒潮について記述する。

 (一)黒 潮
 黒潮の存在は太古から漁民の間で体験を通して知られており、その名は黒みを帯びた濃藍色を呈することから方言ではクルシュとも言われている。
 一九六五~一九七〇年の国際黒潮共同調査の際、日本の海上保安庁観察船拓洋丸タクヨウマルと気象庁観測船浚風丸シュンプウマルが観測して、ルソン島東沖の二ノットをこえる潮流が黒潮の源であると推定されている。(一ノットは時速一八五二メートル)
 そして台湾の南東部あたりで厚さ四〇〇メートルで流速が一・二ノットと強い流れに変わっているという報告がなされており、このあたりが黒潮の始まりであると考えられているが、北赤道海流の流れがそのまま黒潮になっているかどうかについては、学問的には明らかにされていない。

 黒潮はルソン島東沖から台湾東沖、南西諸島西側の東シナ海大陸棚外縁に沿って一~二・五ノットで北上して奄美大島の北西で枝分かれしたのが、対島海流となって日本海に入っている。残りの黒潮本流の大部分は屋久島と奄美大島の間のトカラ海峡を、一部は大隅海峡を通りぬけ北東に進んで紀伊半島の南沖を通る頃は南方からの流れも加わって流速は二・五~四ノットになる。この黒潮によって運ばれる重要魚類の卵・稚魚・幼魚は、おびただしい数量に達している。

 (二) 珊瑚礁と砂
 珊瑚礁は、腔腸コウチョウ動物の石灰質の骨格によって浅海域に形成された隆起地形で、腔腸動物のうち特にサンゴ虫が、造礁性の生物として主要な役割を果たしている。サンゴ虫の足盤ソクバンで他の物に付着し、そのまわりに小骨格をつくり、さらにこの親骨格オヤコッカクの上に芽体ガタイと呼ばれる新しい足盤を形成する。

 これらの芽体のまわりには、さらに新しい芽体が形成され、次つぎに芽体がふえていく。この繰り返しによって大量のサンゴ虫の骨格が形成され、それがやがて珊瑚礁となるのである。珊瑚礁は三つの主要な型に分類される。

1 堡礁= サンゴ礁と陸地との間に礁湖ショウコをもつもの。
2 環礁= 馬のひづめの形に似たものや環状のサンゴ礁が礁湖を囲み、
     その中に島をもたないもの。
3 裾礁= 陸地や島のまわりの海岸線に発達するもの。

 造礁性のサンゴ虫そのものは、五〇メートルより浅いところにだけ多く生息していて、与論島の現生珊瑚礁はこれらのうち、堡礁と裾礁として発達している。
 珊瑚礁は、これらの造礁サンゴを主体として石灰藻や貝殻および有孔虫の殻などが集まってできた岩礁で、深さ四〇メートル以内の水温が二五~三〇度で、海水が濁っていないこと、そして岩盤などがあることなどが、珊瑚礁の成立する条件となる。
 与論島の堡礁の地形は、海岸・礁湖(ラグーン)・礁嶺(リーフ)・礁斜面からなり、海岸から礁嶺までの礁全体の幅は宇勝で約五〇〇メートル、大金久海岸では約一五〇〇メートルである。
 造礁サンゴは、腔腸動物門・花虫綱・六放サンゴ亜綱・イシサンゴ目・ミドリイシ類や、ヒドロ虫綱・ヒドロサンゴ八放サンゴ亜綱・シロサンゴなどによってできた珊瑚礁の破片や有孔虫の死骸が海岸線の砂となり、 島の周辺至るところに打ち上げられている。

 砂粒の細かい海岸と粗い海岸とでは、粒の細かい海岸ほど歴史の古い海岸といわれているが、島の東側を代表する大金久海岸などは、太平洋から打ちよせる大波によって粒が細かくなっており、彼のやや静かな島の西側の兼母海岸の砂は比較的に粒が粗い。
 戦後の建築様式が鉄筋コンクリートになり、ブロック塀や護岸工事側溝等のセメント工事で多量の海岸の砂が利用されているが、海岸の砂をこれ以上減らさないようにしたいものである。

 (三) 百合ヶ浜
 百合ヶ浜は島の東北端に位置し、南北に連なる大金久海岸の沖合約一・五キロメートルのリーフの内側の浅瀬に、潮流によって出現する砂洲である。百合ヶ浜は、干潮時に自然にできる純白の砂浜で、その数や場所、形状帯も一定せず、月や日により変転する独特な珍しい砂洲である。そしてこの砂の中には、星砂(有孔虫の死骸)といわれる星形の砂があり、若者達の幸福のシンボル (象微)として人気の的になっている。また古老達は、この砂洲の数や形状によって、その年が豊年か凶年かを占ったと言い伝えられている。

 (四) サンゴとオニヒトデ
 オニヒトデは有棘ユウシ目オニヒトデ科に属し、腕は一三~一六本あり、長さは最長三〇センチメートルぐらい。背面の三~六センチメートルの鋭い毒棘から有毒な液を出しサンゴ類を枯死させる。
 このオニヒトデのことを方言名でアガチュンといい、漁師を大変こわがらせていた。あやまってはだしでこの刺(トゲ)をふんづけると、激痛があり、その周辺がはれ、化膿し、二週間以上歩行困難となり手術を要することにもなるからである。筆者の父(明治二十六年生)の話によるとこのオニヒトデは、大正中期頃、|兼母カネボの沖合の礁嶺で座礁した南方帰りの木造船が沈船した周辺に、初めて出現するようになったという。当時はこのオニヒトデのことをハニムシ(金虫)と言っていた。その理由は海底に沈んでいる鉄屑テツクズ周辺にこれを見かけたのでこのように言われていたが、後でアガチュンと言われるようになったとのことである。

 一九六五年(昭和四十)以降オーストラリア東岸やその他で大発生し、サンゴ類に大被害を与えている。これとほとんど期を同じくして南西諸島全域に発生しサンゴ礁の枯死現象が目立ち、昭和五十三年度から国や県の補助事業として「有害水産動植物駆除事業」が実施され、オニヒトデ駆除として昭和五十七年度で一五〇〇万円余りの予算を計上して、この駆除に全力をあげている現状である。
 このオニヒトデの天敵はホラガイであるが、近年観光客等の来島により、ホラガイの殻が各地で高価で取り引きされているためダイバー達によって乱獲され、それがオニヒトデの繁殖条件の大きな要因であるといわれている。
 戦後日本復帰までは、農家によってカボチャや冬瓜トウガその他ナス類等の施肥用としてウニやヤツデとともにオニヒトデが捕獲されていた頃は、個体数は極めて少なかった。
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出典:「第一編,第一章 自然環境,第四節 海の動植物,一 海洋の概況」.『与論町誌』.与論町誌編集委員会.与論町教育員会,1988,p.49-53

⑤関連記事・資料

出典:WWFジャパン,2020.05.11記事

https://www.wwf.or.jp/activities/data/20200511wildlife01.pdf

出典:『ヨロン島とサンゴ礁』,NPO法人 海の再生ネットワークよろん

出典:日本大百科全書(ニッポニカ),ジャパンナレッジ

出典:Marine Diving web,株式会社マリンクリエイティブ

出典:「まるで天国のような幻の砂浜!与論島の『百合ヶ浜』」,『旅時間』.株式会社 taBeee.2019

出典:「サンゴ礁の白い砂」,国士舘大学 文学部 地理学教室 長谷川 均さん

出典:南海日日新聞,2014.08.27記事

出典:さすらいの風来簿,原田誠一郎さん


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