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「ないものはない」=有る、難さ

①与論町誌のページ数

21~26(上段)ページ

②要約

●ソテツは実・幹の髄を、ごはん・餅・みその原料にして食べられていたんだよ。〈毒性が強いので十分水にさらしてから〉
●キャッサバも戦後は貴重な食糧源になっていたよ。
●バンジロウ(グアバ)や野イチゴは野生のおやつなんだよ。

野生のバンジロウ(グアバ)。写真は未熟なもの

●ヨモギは万能!!餅にもなるし、薬にもなる。

プチムッチャー(ヨモギ餅)

●与論の大木代表格、ガジュマル。その効用は多岐にわたり、神木や玉串・防風林・飼料としても利用されているんだよ!!
●フクギは、沖縄ほどたくさんは植栽されていない。フクギの染料を使った記録もあまり与論には残されていないようだ。
●与論には真っ直ぐ育つ樹木が少ない。そのため、用材となるものは主に沖縄や奄美大島に頼っていたんだよ。

ぐにゃぐにゃ伸びるガジュマルの木


●牛の飼料には、自生植物を結構何でも使っていたよう。飼料用ナピアグラスが与論に入ってきたのは、1929年。
●豚の飼料は、人間の残飯が主。ヤギはサルカケミカンが好物。サツマイモの葉っぱはみんな好き。
●ゲッキツ・クスノハカエデ・クワは硬いから農具として重宝していたんだよ!
●ホウライチク〈竹の一種〉は生活密着植物。茅葺き屋根の抑えに使ったり、釣り竿に使ったり、ザルになったり、おもちゃになったり。与論の生活にホウライチク有り!!(昔の生活)

茅葺き屋根の家

③感想(私的解釈や学び)

このページを読み進めていて、頭をよぎった言葉たち。
①「ないものはない」
②「足るを知る」
③「何もない頃に生まれ だからこそ意味がある」
無いことが当たり前だったゆんぬんちゅは、有る難しさをごく自然に体感していたんだな。と感じました。
物流が自由にできない環境で、目の前にある植物や自然と共生をすることが当たり前だった時代。
現代のモノが溢れる生活に慣れた私には、想像もつかないしその時代には生きていけないだろうな。と想いを馳せつつ、「有る、難さ」を噛みしめて生きていきたいです。
と~とぅがなしm(_ _)m

④本文引用

二 生活と植物
 私たちの生活様式が変化するにつれ、植物とのかかわり方も変遷する。特に産業の発達や経済成長と関連が深く、一九六〇年代頃の経済の高度成長期を境に、かつての窮乏生活をした時代に関係の深かった自生植物については忘れられつつある。山野の植物の中には、薬用植物・山菜などとしてその効用が見なおされているものもあるが、つきあいの薄れつつある植物も、私たちが自然の中で生を営むかぎり、生態系を構成する仲間としてかかわりあいは続いていく。
 ここには自生植物(一部栽培種を含む)のうち、古くから生活に利用されてきた植物名とその用途の概略を記してみた。
(一) 食用植物 (食生活と関係のあるもの)
 ソテツは潮風や乾燥に強く、土壌のほとんどない断崖やヤセ地にも生育し、ききんのときの食糧として島民のいのちを守ってきた。 でんぷんを多量に含む果実や幹の髄を食用とするが毒性を有するため、水で十分さらした後にごはん、ふくれ菓子(シチチムッチャー)、みそなどの原料とする。しぜんに結実した果実を収穫するだけでなく、六月頃の開花時には人手によって雄花序を雌花序に混入し受粉を確実にして収量をあげることもしていた。
 キャッサバ(芋をタピオカと言う)は第二次大戦後の大事な食糧源であった。本来は熱帯の植物であるが、さし木でよく繁殖し、直径一〇センチメートル以上にもなる大きな細長い芋をつける。この芋の部分を利用するが毒性(おもに外皮の部分)があるため皮をむいてふかしたり、水にさらしてからでんぷん粉にして食用に用いていた。
 野生の果樹として現在でも愛されているのがバンジロウである。熱帯アフリカ原産で与論では栽培はされず野生のものを利用する程度である。八-九月頃に黄色く熟した果実を食べる。
 子供達の好んで食べていたものにホウロクイチゴ・クワ・イヌマキ・エビズルの果実がある。その他果実を食べることのできるものとしては、ナワシロイチゴ・ツルグミ・フクマンギ・ハマイヌビワ・ヒメクマヤナギ・テンノウメ・アコウなどがある。またヤブニッケイの果実もって食べていたと聞く。

 ヨモギは餅に混ぜるため現在もよく利用する。山菜として利用したものはノビル・クサギの若葉・ハマボウフウやシマアザミの葉柄・アコウやハマイヌビワの新芽・スベリヒユ・ハルノノゲシなどがある。ツワブキは個体数が比較的少なく、また本土のように好んで食べる習慣もない。スイゼンジナ・ウイキョウは栽培植物であるが、食用にすることは少なくなった。
 ゲットウ・オオハマボウ・サンゴジュの葉は食べ物を盛る中皿として代用され、リュウキュウバショウの葉やゲットウの葉はにぎりめしを包むのにも使われた。またヨモギ餅を包むのには香りを良くするためゲットウの葉が用いられている。
(二) 防風林・用材・薪炭材
 台風の到来が多くその上ほとんどの家屋がカヤ葺きだったため、防風林のはたす役割は大きく高木になりうる樹種はすべて利用されていた。

どの家のまわりにも高くそびえているのはガジュマルである。 ガジュマルの生葉は牛の飼料にでき、岩の多い場所でも気根を出しながらよく生育し、屋敷の状況に応じて樹形を整えることもできるなど、その効用は大である。西区の有馬ミチ子氏宅には与論島で最も大きいガジュマル(通称マサダガジュマル)が存在する。このガジュマルは次々に気根を出しながら生長し、屋敷の正面を囲っている。このガジュマルは古くから神木としてアガめられており、一九七六年には町の天然記念物に指定されている。なおこの屋敷の東側には根回り八〇センチメートルほどのリュウキュウコクタンの大木が二本そびえており、これも与論島で最も大きいものとされている。
 アコウ・ハマイヌビワなども高木が多いがガジュマルと同じく牛の飼料としても利用されている。フクギは限られた屋敷にしか植栽されていないが防火・用材を兼ねて植えられたもののようである。沖縄ではフクギの樹皮
を染料に利用(紅型ビンガタなどの染料)しているといわれるが与論島ではその効用を聞いてない。


 大金久・ハキビナをはじめ砂浜の背後には砂防林としてのモクマオウ林ができている。モクマオウは熱帯アジアからアフリカ東海岸、ポリネシアに分布する樹種で与論島では一九三七年から植栽されるようになった。 またアダン林が砂防の役割をはたしているところもある。 畑のまわりには食料自給を兼ねて、ソテツを植えているところが多く、これが砂防の役目もはたしている。
 与論島にはイタジイ・オキナワウラジロガシなどのブナ科の樹種がなく、主要な用材は沖縄や奄美大島産のものが使用されていた。与論島産のものでよく利用されていたのはリュウキュウマツ・モクマオウ・イヌマキ・クワ・クスノハカエデ・フクギなどである。
 リュウキュウマツは琉球列島固有の樹種であり、痩地でもよく生育する。与論島におけるリュウキュウマツの植栽は一九二四年(大正十三) 港納悦氏が沖永良部島の和泊から種子を取り寄せて植えたのに始まり、一九三〇年(昭和五)には港豊茂氏が沖縄の名護からやはり種子を取り寄せ数カ所に配分し育苗させている。なお、この二回の移入より以前、供利には巨木(トゥムイマチギ幹回り三・八メートル、樹高一五メートルの老木で最近枯死)が一本とその種子から育ったと考えられるもの(クヮーマチギ)とが生育していたが、これらのリュウキュウマツに結実した種子による人工的な繁殖は困難であったと聞く。

 砂防・緑肥用として植えられたソウシジュ・チシャノキ・ゲッキツなど材質の堅い林木もすべて用材として使われた。
 茅葺き用の芽は、トキワススキ・ハチジョウススキであり、そのおさえとしてはホウライチクを用いる。
 薪には、火もちの良し悪しはあるが、植物の枯れたものは何でも利用したと言ってよい。薪に利用される材が少ないためソテツの葉・アダンの葉・トキワススキ・ハチジョウススキなどがパーダムヌと称してよく使われた。これらは火力は強いが火もちが悪く、のべつまくなしにくべる必要があった。

(三) 飼 料
 常緑の植物が多いため牛の飼料の大部分はナマの植物であるが、これといった牧草地がなく不足することがしばしばである。おもな飼料としてはサツマイモのツル(サツマイモは年間を通して必要なだけずつ掘り取る)、サトウキビの葉、樹木の葉、水田のアゼや畑の雑草などを与えている。飼料用としてのナピアグラスは川畑谷長氏が一九二九年に県農試大島支場から初めて移入した。
 自生植物のうち牛の飼料にはガジュマル・アコウ・ハマイヌビワ・クワ・トベラ・オオハマボウ・イヌビワ・ネズミモチなどの樹木の葉、オオイタビ・リュウキュウボタンツル・ツルソバなどの蔓性植物、メヒシバ・ハルノノゲシ・イヌビエ・ハイキビ・チガヤなどの草本が利用され、足りないときはトキワススキやダンチクなどの葉、アダンの新芽、ヤブニッケイの葉も与えられる。
 豚の飼料としてはおもに残飯をぞうすい状にして与えるがツルノゲイトウ・スベリヒユ・サツマイモの葉なども好んで食べる。
 山羊ヤギの最も好む植物はサルカケミカンであり、クワ・カラムシ・ハルノノゲシ・クロイゲ・サツマイモの葉も与える。

(四) その他
〔神事〕 サカキが分布していないためか、神前にはガジュマルをそなえる。また祭り事によってはおハラいをするのにダンチクを使用する。
〔緑肥〕 ソテツやアカギの葉、 クワズイモなどを水田にき込む。
〔農具〕 クワカマの柄、クサビには材の堅いゲッキツ・クスノハカエデ・クワの木を用い、牛のくらにも桑を使用した。荷物を支えて運ぶ棒は強じんな繊維を含むアオノリュウゼツランの花茎やダイサンチクを使用した。ザル類の材料にはホウライチク、草を入れるかご(オーダ)にはシチトウイ・ゲットウ・稲わら、縄を編んでつくるかご(アンオーダ・チナオーダ・イシオーダ)にはシュロの繊維やアダンの気根を使用した。シュロ縄は水にぬらしても腐りにくく牛の腹帯(パルビ)、胸掛(クイジャ)、ロープ(ピキノー)としても使われた。
〔漁具〕 釣り竿ザオにはホテイチク、もりの柄にはホウライチクを使用した。水中めがねのふちを作るのにはハマビワ・モンパノキ・ギョボクが使われ、アダンの新芽(白い部分)を抜きとって魚を追い込むのに用いた。
〔漁用毒〕 イワダイゲキ・トウダイグサ・ルリハコベ・イヌタデを石でたたきその汁を魚をとる毒として利用していた。フクロギも使用されていたと聞く。
〔繊維〕 衣類の原料にはおもにリュウキュウバショウが使われ、アオノリュウゼツランも利用されていた。縄をなう材料としてはシュロの葉柄基部の繊維、アダンの気根、ゲットウの幹(葉鞘)、シチトウイを使用するが特にシュロ縄やアダン気根の縄は強じんで水湿にも強く耐久性に富む。蚊帳カヤを織るのにアオノリュウゼツランの繊維は最適である。
〔染料〕 アイ染めのため、リュウキュウアイを栽培していた。
〔工芸=生活必需品〕 ミノの材料にはシチトウイ・シュロの繊維、笠にはシチトウイ・ビロウの葉・アダンの葉、草履ゾウリにはシチトウイ、わらじには稲わらを使用した。うちわにはビロウの葉を使い、帽子はアダンの葉をぬい合わせてつくった。庭ボウキの材料にはホテイチク・ゲッキツの小枝がよく、室内箒にはトキワススキの花穂・ナミモロコシの花穂が利用される。 ビロウの葉は香りがよくつるべやひしゃくを作るのに使用される。
〔薬用〕 熱を下げるにはヨモギの生葉をもんでその汁を飲用したり、リュウキュウバショウの幹をかるくたたいてくだき氷枕の代用として頭にあてがったりする。はれものには吸い出しとしてオオバコの葉を火で温めて患部にあて、切り傷にはヨモギ・クマノギクの生葉をもんで傷口に押さえつけるようにしてあてがう。
〔毒性のある植物〕 クワズイモ・フクロギ・キョウチクトウ・ミフクラギや魚をとる毒として使用されていた植物。
〔玩具〕 竹馬にはホウライチク、舟を造るのにはギョボク、風車や草笛はアダンの葉を使用する。 手毬テマリはソテツの葉柄下部の柔毛を糸でまるめてつくり、水鉄砲はホウライチクを用い、玉はモクタチバナやサンゴジュの果実を使う。輪まわしの輪はガジュマルの気根をまるくしホウライチクで留めて使う。工作用の接着剤代用にはガジュマルの樹液を用いる。爪を染めるのにオシロイバナの花やヒメクマヤナギの果実などを使い、ヒメクマヤナギの果実ではハンカチなども染める。
〔観賞用〕 栽培していたものが野生化したと考えられるものに、グラジオラス・ムラサキオモト・ハカタガラクサ・海岸のテンニンギクなどがある。----------
出典:「第一編,第一章 自然環境,第二節 陸の植物,二 生活と植物」.『与論町誌』.与論町誌編集委員会.与論町教育員会,1988,p.21-26

⑤関連記事・資料

出典:J-STAGE,論文執筆者/不破 正仁さん, 黒田 乃生さん, 原 忠信さん, 高 松花さん

出典:海風blog,紹介本『ソテツをみなおす』奄美・沖縄の蘇鉄文化誌,著者:奄美沖縄環境史研究会/安渓貴子さん・当山昌直さん編

出典:奄美群島生物資源データベース,国土交通省「平成17年度奄美群島生物資源等の産業化・ネットワーク化調査」

出典:与論島クオリア,喜山壮一さん

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