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「私は母を幸せにしたい」-私が私の人生を全うすることは母の人生の昇華でもある?-

ベランダで足湯に浸かりながら、明けゆく空を眺めていた。

この2ヶ月唱え続けてきたことばを
つぶやいてみる

心のままに
私は私の人生を歩みます
私は自由です
私は何かを生み出します

さらに
先日の気づきをつぶやいてみる

私は夫に応援してほしい
長男にも、娘にも、次男にも
応援してほしい

そうしたらふとこんなことばが浮かんできた

私は母に、幸せであってほしい

つぶやいた途端、涙がこぼれた。

おや? 私、母を幸せにしたいの…?

思春期手前、母を大嫌いだった時期がある。
中2の春に父が亡くなり、母と協力して生きていくしかないと思った。
進学で実家を離れ、就職で戻り1年同居。
進路変更や夫の卒業を理由に、反対を振り切り実家を飛び出した22歳の春。

母の期待や親切心が煩わしいときもあった。
でも、離れた土地で暮らすぶん、癒着はない。依存もない。
客観的に母の思いを受けとめ、適度に受け取ったり流したりしてきた。

母と私はそれぞれにひとりの大人
思い通りにはできないし、されもしない、
互いに尊重すべき他人

そんなふうにドライに捉えていた

母を幸せにしたい
母に幸せであってほしい

この思いが沸き上がってきたことに驚いた。
現在の母はおそらく幸せだ。
だから、私が取り立てていま何かをする必要はないだろう。

私が私らしく、私の人生を歩む。
その道のりを「母も幸せであってほしい」という思いを抱きながら歩むことは、もしも母に今世で叶えられなかった思いがあるとしたら、それを昇華することにもなるのかもしれない。

そんなことを感じた。

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