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サイクロプスの虹彩(全セクション版:加筆修正アリ)

 窒息するような凄まじいスコールが路地裏を満たす。都市のネオンと喧噪は骨格標本めいてビル間を巡る配管の彼方に沈んでいる。

 ゴミと油の浮かぶ路地裏には闇を凝らせたような大きな人影がそびえ立っていた。通りを駆け抜ける車の鮮烈なヘッドライトが、ネオンに滲む影のシルエットを一瞬だけ確かにする―――雨が滝の如く流れる無骨なコートと、一部を機械に置換したような鋭角の頭部。

 その足元では、汚水に半ば沈んだ汚らしい何かがびくびくと痙攣している。大男は頭を傾け、それを見下ろした。

 突然、大男の視界に柘榴のように爆ぜ割れた死体が現れた。執拗に裂かれた腹、乱暴に引き摺り出された肉塊、悲痛が秘された死顔。掻き毟られた土と、肉塊に伸ばされた手……報いを受けさせろ。直後、濁流と暗黒の世界がノイズに刷新されるようにして路地裏に帰ってきた。視界を雨が流れる。男の頭部で、額から上顎までに貫入した巨大なカメラ・アイが、散乱したネオンを受け止めて鈍く輝いた。

 大男が足元の震える物体を片手で持ち上げた。若い男だ。痙攣する鼻と唇、薄く開いた瞼―――恐怖と反抗心が綯い交ぜになった表情。大男の拳がその顔面に沈んだ。へこんだドラム缶のように汚水と血と吐息を垂れ流すそいつを、もう一度起こして、殴った。そいつは大男のカメラにむかって唾を吐きかけた。すぐに雨が唾液を浚っていった。

 大男はそいつを乱暴に引き摺り、後頭部をわしづかみにするとコンクリートの壁に叩きつけた。頭が音を立てた。ブチャッ。大男はそいつの顔を繰り返し壁に叩きつけた。ブチャッブチャッブチャッブチャッブチャッブチャッ。そして、大男は何度目かで興味を失ったようにそいつを投げ捨てると……その頭に、頑強なブーツをプレス機の如く踏み下ろした。雨音の底に、深い破裂音が浸透していった。

 排水溝に汚水が渦を巻いて吸い込まれていく。

 スコールが猥雑な都市の隘路を闇に沈める。大男はザブザブと汚水を踏み分け、闇の奥深くへ染み入るように消えていった。

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 無数に絡み合う高架橋の下をからっとした風が吹き抜けていく。陽は高く、根のような橋の合間に強烈な光線を差し込んでいる。橋を支える柱には違法に増設された梯子やキャットウォーク、バラックまでもがフジツボの如くびっしりと張り付き、ハイウェイの至るところへ売り子を送り出している。

 巨人の血管とも称されるハイウェイは、おもに”ゲート”の向こう側の住人や、空港からゲートまで直接向かうビジネスパーソンたちに使われている。猥雑な街の営みに混ざらないように配された道だったのだろうが、人々の欲望は熱帯植物のような執着心で階層を気にせず拡がっていく。

 大男は日陰と呼べないほど明るい高架下の街並みを進む。行き交う人々から頭一つ抜けたその頭で、大昔の潜水ヘルメットのようなカメラが鈍く輝き、日なたに出るたびカッと光る。その異様な姿は、しかし、街並みに遜色なく混ざっている。ゲートの向こう―――経済特区から流れる技術の数々は、都市にあらゆる形態のサイバネティクスを蔓延させ、街並みに無限と思えるほどの色や材質のコントラストを生んでいた。感情に合わせて模様を変えるタトゥーを彫ったハイティーンや、機械化した義手や皮膚に食品トレイをアタッチした恐れ知らずの売り子たち、シルバーに輝く流麗な義足で自転車を漕ぐ運び屋たちなどが大男とすれ違っては雑踏に消えていく。

 ハイウェイと違い、道路を走るのは中古車やアニメ・プリントの車、特に多いのはゲート内へ出勤する人々を過剰積載した小型のバスだ。『……で発見された女性の死体……』『……妊娠六か月……』電化製品屋の錆びた鉄格子の奥では乱雑に重なったテレビモニタがニュースをがなり立てている。

 大男が歩む道はハイウェイ周辺のビル街から徐々に離れて閑散とし始め、ゲートを中心としたインフラから、この街本来の営みの中に移り変わっていく。自然の風化と侵食が建物や道路、そして人々を支配していく。

「オイッ」野卑な呼びかけを背に受けた大男は、それを無視して灰色の街並みを進む。「オイッ!てめぇ!撃つぞ!」ほとんど叫びに近い声音に、大男は半身になって振り返った。無骨なコートの襟から覗いたカメラ・アイの威容に打たれ、震える手で銃を握るゴロツキが一歩退く。

 丁度、道路は廃ビルに面していた―――薬物中毒者や浮浪者の溜まり場だ。”カンパニュラ”がもたらした鮮やかで異様な世界のすぐ隣では、何十年と前から変わらない破滅と暴力が転がっている。廃ビルから出て来た、まさしく薬物中毒者と思われる痩せた男は必死の形相で銃を構えている。ビルの入り口に寝そべる老人が事も無げに争いを眺めていた。

 大男は男に向けて完全に振り返りながら両腕を広げた。「撃ってみると良い―――」ぱんっ!反射的な怒りに任せて引き金を引いた男は、そのこと自体に驚いたように尻もちを着いた。―――銃弾は灰色の分厚い胸板にめり込んでいた。「口径が小さすぎたようだな。こんな豆鉄砲では怪物は殺せない」大男は笑いながら、銃弾を払った。

「……あ。ひぃい!許して。許してください」ゴロツキは失禁しながら、尻で退く。ポケットから注射器が零れる。「……なんだってオレを狙った?もっと弱そうなヤツを狙えばよかった」「カネェ……カネ持ってそうだったから」「何でカネがいる。ドラッグでも買うのか」「女房とガキがいるんです。こ、ここに証拠が」男はポケットから携帯端末を取り出し、慌ててフリックすると待ち受けを見せる。そこには、確かに痩せた男と女、それに子供が映っていた。

 大男はコートの内ポケットに手を突っ込むと、ぐしゃぐしゃの紙幣を取り出して放った。「やる」「え?」「さっさと拾え」男は一瞬餓狼のように眼を見張ったが、すぐに卑しく笑って紙幣を摘まみ始めた。「それとな―――」大男はそう言った直後、躓くような軽やかさで、男の顎を蹴り上げた。「あぎッ」ゴロツキが吹き飛ぶ。「オレはガキを言い訳にするヤツは嫌いだ。……そのカネで生活を立て直せ。次にここで見かけたら、殺してやる」

 ゴロツキは跳ね起きると、無表情のカメラ・アイは見つめてから、口をぱくぱくさせた後、走って廃ビルの中に消えて行った。「殺してやるからな!」説教じみた、だが怒りを孕んだ声音。―――ゴロツキが見えなくなってから大男は廃ビルを後にした。廃ビルの入り口で寝転がる老人は倦んだ眼差しでその背を追った―――その眼はある種の猫のように、奇妙に黄色かった。

 大男は廃墟じみたダイナーに辿り着いた。『アーニス』の看板の割れたガラス管と垂れた配線がみすぼらしい。大男が蜘蛛の巣の残骸が張ったドアを押し開けると、ガチャガチャという食器の擦れる音と、テレビから流れるサッカーの試合の大音量、そして男たちの野卑な笑い声が聞こえてきた。

 閑散とした店内に、客は窓際のテーブル席でカロリー過多のジャンクフードを貪る四人の男たちだけだ。大男はその中のオフィスワーカー風のワイシャツ男を見遣った。その男もまた、大男の来店に気付いて意味ありげな眼差しを寄越した。

 おぅ、と携帯端末をいじっていた白髪の男が声をあげた。「来たか。サイクロプス」男の声音にはその呼び名の諧謔を愉しむような響きがある。「相変わらずしみったれた場所だ」サイクロプスと呼ばれた大男が応えた。

「そうだ。この街は元々しみったれてるのさ」通路側で大男に背を向けていた髭面の男がそのままの姿勢で言った。男の名はホセ・サントス―――古くから”パンギル”の名の下で闘ってきた武闘派の重鎮だ。いささか軽薄な調子の白髪の男はジェイソン・キング―――こちらはごく最近組織の幹部に列された男だ。

「そうだ。しみったれててささやかな、オレの街だ。え?そうだろ。シド」シド―――サイクロプスと呼ばれていた大男が喉を鳴らした。肥満体を窓際の席に押し込み食事を貪るのは、街を支配するギャングである”パンギル”のボス、アーマンド・ガルシア。髭とシャツにこべりついた食べかすが汚らしい。

「そうだな。あんたに相応しい地だ」シドは何の感情も窺わせずに言った。テーブル席には酒と体臭と小便の臭いが混ざり合って満ちている。換気扇のぶんぶん、という音が虚しい。

「それで例の話……の前に、そちらの澄ました顔のお客人について聞かせてくれ」シドはワイシャツの男を見もせずに言った。

「彼はタカハシ-サン。オレたちの”協力者”だ」アーマンドが手を広げてにこやかにタカハシを示した。「協力者、ね」「タカハシだ。ミスター・アーマンドに、この街の文化の保存についてアドバイスさせてもらっている」「文化?ここのクソまずいメシか?」シドが嗤った。

「サイクロプス」ジェイソンが色めき立った。ここ『アーニス』はアーマンドの所有する店舗だ。ホセが目配せだけでジェイソンをなだめる。

「味は関係ないが……食事、音楽、建物、もろもろだ」タカハシはにこりともせず言った。「経済特区……とくに大工場カンパニュラがこの街に及ぼした文化的汚染は凄まじいものだ。かつての植民地支配よりなお酷い。我々はこの街、この国の文化を守るために様々な活動を行っている」

「どうにも、あんた自身もゲートの向こう側の人間に見えるがね」シドが言った。「そうだ。だから、私がするのはアドバイスに留まる。過剰な手助けは、それ自体が対象に大きな影響を与えかねん」タカハシは学者然とした表情で応えた。

 シドが捕食者めいて笑い、また何か言い返そうとしたところで、「文化的な会話について、また今度楽しんでもらおう」アーマンドが歯をむき出して笑いながら、それを遮った。「いまは、我々の直面するカンパニュラからの文化的汚染に対する、きわめて具体的な対策の話をしたい」

 仏頂面のタカハシが、食事を押しのけ傷ついた鞄をテーブルに置いた。歴戦の鞄とでも言うべき趣があった。「先日、妙なフォリナー(外国人)共から運搬依頼を受けたと運び屋から連絡があった。その時に押収したものだ」タカハシは鞄から、真っ黒な筒を取り出した。その無骨さは拳銃以外のなにものでもなかったが……そこにはグリップやトリガ―――持ち手が存在しなかった。

 シドはその銃を受け取って調べた。ざらざらとした手触り。カメラ・アイがズームする―――銃の表面には列を成す無数の線。さらに、通常、グリップがついている部分には何らかの端子が嵌まっている。

「判るか?」ホセが言った。タカハシは昆虫めいた眼差しでシドを観察している。「積層造形ってやつだな」シドが呟いた。「なんだそりゃ?」ジェイソンがことさら大仰に言った。「いわゆる3Dプリンタだ。だが、それだけじゃないな」端子に指を這わせ、舌打ちした。「……ニューロルータが仕込まれている」

 ジェイソンがわけがわからんという風に天を仰いだ。シドは銃をアーマンドに手渡す。「つまり……どこでも造れて、誰でも使える銃とでも言おうか」「そんなものが本当に?」ホセが疑義を呈する。「まるで夢の兵器だな。だが、夢とは細部が抜け落ちているものだ」シドが笑いながら、そのテックの集積めいた頭部から言葉を紡ぐ。

「まずは積層造形。はっきりと言えば、生産効率・コスト・照準精度・安全性のどれをとっても、工場の方がハイクオリティだ。それでも3Dプリンタの利点がないわけではないが、この場合のみに限って言えば……ごく短期間に量産体制を整えることができるといった点か」

「ニューロルータのほうは……人間の神経に接続する云わば人工神経で、オレがカンパニュラにいた当時にはまだ研究段階の技術だった。軍用部品なんかには使われているらしいが、まだまだ一般的な技術ではない。この銃の場合……グリップの代わりに、同じくニューロルータ製の端子を持つなにがしかに接続するんだろう。当然、相手側が無くてはならないから、これ単体では使い物にならない」

「脅威ではない、と?」ホセが眼を細めた。この銃器工場がパンギルの利益を侵すかどうか、ということだ。カンパニュラができる遥か昔からこの地には銃の闇工場があった。それを巨大化させ、一大産業にまで発展させたのはパンギルだ。今もってこの旧弊的なギャングこそがこの街の暴力のインフラを支配しているのだ。「……普通なら」シドはわずかに溜めた。「”MAGE”という集団を聞いたことがあるか?」

 アーマンドが促すように頭を上下させた。「ネット上で電子制御銃の自動照準技術を体系化しようとしている集団の……実働部隊のひとつだ。このMAGEって一派は傭兵に近いことをしている。こいつらが”肩に装着する銃”と言って、映画のプレデターみたいな装備をしている画像を見たことがある。台座こそないが、それに良く似ている」

「その連中が、この街に即席の銃工場を作って……根付くつもりか?」ホセの眼が警戒に細まる。「さて……それより、カンパニュラの文化的汚染がどうのと言っていたが、なぜこれが奴らのものだと?」シドはそう発言したアーマンドではなく、タカハシをまっすぐ見つめた。無感情なカメラ・アイに射竦められ、タカハシは少したじろぐ。

「……カンパニュラが、ついにこの街自体が発祥の重要な”産業”や、継承されてきた”技術”をも奪い去ろうとしているのだと考えている」答えながらタカハシはアーマンドを見遣る。口元に笑みを刻んだパンギルのボスは、タカハシを見返してから、悠然とシドを見上げた。「シド。おまえがどこまで判るのか確かめたかったんだ。カンパニュラで生まれたおまえなら何か知ってるかとな」「……そうかい。ニューロルータはカンパニュラの、次世代の基幹技術となるべく研究されていた。普通そこらに出回るものじゃないんだ」

「ボスは策略家だなァ!」ジェイソンが豪快に笑った。ホセも追従して笑う。むん、とシドは憮然として唸った。「だが、MAGEってのは初めて聞いた。タカハシ-サンもそういう話はしてなかったな」アーマンドが笑った。タカハシが引き攣った笑みを浮かべる。「カンパニュラがそのMAGEとやらを先兵としているのでしょう」

「出回ってる銃はこの種類だけなのか?」シドはタカハシの言葉を無視して訊ねた。「MAGEの連中なんて、いても精々十数人だろう。そのためだけにこの棒きれを量産するのか?カンパニュラがパンギルの銃シェアを奪いたいというんだとしても、こんな銃では無理だろう。いや、仮に普通の銃を作ったとしても、こんな性能面で劣るもので我々の産業を奪えるとでも?」シドは片方の口角を吊り上げた。

 アーマンドが下品に笑った。「脅威ではない、と。……だが、それでもカンパニュラの連中がやることなら看過するわけにゃいかん。ヤツらが無責任にバラまいてきたクソを掃除するのは、オレたちだ。この街を守るのは、オレたちなんだッ」アーマンドは突然激昂して叫んだ。「もちろんだ、ボス」ホセが最低限の共感を示して言った。

「ああ、だからオレを呼んだんだろう?くだらん知識自慢じゃなく、工場を特定してブッ潰せってな」シドが言った。「解ってるな。この短小の棒きれをこの街から消し去れ。そしてそのMAGEとかいうクソ共もだ」アーマンドは携帯端末を投げてよこした。「連中と取引した運び屋の連絡先が入ってる。必要なら”戦闘部隊”を出しても良い。任せたぞ」

 シドは端末を受け取ったその場で中身の情報をカメラ・アイのチップに移すと、その機械の板を片手でへし折った。アーマンドがにやりと笑う。シドは甲虫の死骸めいた残骸を投げ捨てるとダイナーを出た。陽が高い。

 そこへ、ホセがきびきびとした歩みで追ってきた。「何だ?タカハシが怪しいから注意しろって話か?」ホセはクスリとも笑わない。「彼は協力者だ。余計な詮索はなしだ」そう言った後、ホセは一拍置いた。「フレッドが殺された。知らないか?」豪雨路地裏顔面を潰された男。「どこのフレッドだ?」シドは言った。

「おまえも会ったことがあるはずだ。二年前の警察所でのいざこざで」「あの間抜けか?奴があのサツの家族を殺らなきゃ、そもそもあんな事態にゃなってなかった」「愚かだったがアーマンドは眼を掛けていた。ジェイソンの弟分でもあった。……死体はチャング通りで見つかった。ヤツはあのあたりの売春宿によく出入りしていた」「たった今アーマンドから依頼を受けたってのに、そっちも調べろって?」「知らないか、と聞いているんだ」

 ホセは笑わない。「ひどい死体だった。知らないか?」「知らないな。死体を探す趣味も男を追う趣味もないんでね」シドはホセを見下ろした。逆光で鏡のようなカメラ・アイは、ホセ自身の顔を映していた。

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 女がシドの象のような皮膚に噛み付きながら、全身をすり合わせるように身もだえした。爪がシドの大きな背でカリカリと音を立てる。シドは女の秘所に突き入れた芋虫めいた太い指を、執拗な熱意を以って震えさせる。

 ひときわ大きな呻き声が上がったあと、女はシドの分厚い胸板にぐったりと身を横たえた。それでもシドは熱気に膨らんでいた躰を凝らせていたが、しばらくすると諦めたように指を抜き、寝転がった。静かな息遣いが閨を満たす。

「……またボスに会ってきたの?」女が呟いた。「判るのか?」「ミスター・アーマンドに会ってきたあとは、いつもと違うもの」「ヤツにミスターなんて付けなくて良い」「そうしないと怒られる」「ここでは怒るやつなんていない」女がシドにしなだれかかる。

「でも、シドだってあの人が怖いんでしょう?」「ああ、恐ろしい。だが、ヤツ本人はただの脂肪の塊だ。オレたちはヤツの影を恐れてるだけなんだ」「また余裕ぶって」女はシドにまたがって、カメラ・アイを覗き込んだ。

「本当のアナタはどこにいるの?」「なんだ?映画のセリフか?」「ううん。アニメ」そう言った女は薄暗い闇を映すカメラ・アイを見つめ続けている。シドは笑った。「どこにもいない。無から生まれたものは……」ぱぁん、と片手で爆発のジェスチャ。「でもここにいるじゃない」「ジェニィの説では、本当のアナタではないもの、ということになる」「何それ」

 シドは壁に背を付け天井を仰いだ。分厚い灰色の皮膚、7フィートにも達そうかという背丈、巨大な単眼めいたカメラ・アイ―――まさにモンスターといった裸体だ。フリークたちが集まる風俗店でも、シドの相手をできる者は少なかった。その貴重な相手である女―――ジェニィがシドの皮膚を撫でながら、片手をその股間にあてがった。

「やめろ」シドが唸った。「いいじゃん」ジェニィがそれを撫でる。小さく萎縮したそれには、そもそも充血する機能が与えられていないようだった。「ジェニィ、やめろ」シドはジェニィを強く押しのけた。ジェニィはいたずらが見つかった子供のようにはにかんだ。シドはそこに、ほんのわずかな恐れを認める。

 しばらく休んだ後、シドはチップを置いて颯爽と部屋を去った。無骨なコートがシドの躰を覆う。傲然と進むサイクロプスの眼に映る娼館の内装が、渦を巻いて黒く黒く凝っていった。

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 ドブと磯のにおいが混ざった腐臭が辺りを満たしている。

 ビル群の貪婪な輝きも、ゲート内の整然とした光点の列もこの港には届かず、深淵のような波間には不快な泡と屑ゴミが身を寄せ合って縄張りを主張している。

 それを見下ろすサイクロプスの眼差しもまた深淵そのものだ。深く重い吐息を漏らしながら無骨な躰を起こしたサイクロプスは、夜空を切り取る四角い建物を見遣った。

 例の運び屋と幾つかの伝手から情報を集めたところ、すぐにその倉庫は発見できた。ゲートから定期的に送られてくる物資の話、パンギルに売られるはずの不法移民が消えた話、奇怪な銃を自慢げに語るフォリナーの話、そしてそいつらが湾岸労働者たちと起こした諍いの話。

 いざ情報を集め始めれば、そもそも隠そうなどとは考えていないのではないかと思えるほどあっさりとMAGEとカンパニュラの影を捉えることができた。それが愚かさと傲慢さによって撒かれたクソなのか、囮めいた意図のクソなのか定かではないが、クソには変わりない。そこには必ず敵の情報が詰まっている。カメラ・アイに敵の情報を収めるサイクロプスは獣めいた密やかさで倉庫に向けて歩みだした。

 ―――しばらくして、サイクロプスは暗闇の中に敵の姿を見出す。倉庫のシャッターに背を預けるのはゴロツキじみたスキンヘッドの男で、ぱっと見ただけではその来歴は探れない―――MAGEの構成員か判断は付かない。サイクロプスはまっすぐに男に近づいていった。ある程度近づいた段階で男が気付いた。暗視ゴーグルを装着しているわけでも無いのにこちらを認識した―――サイバネ・アイ?そこらのゴロツキが置換できるほど安価なものではない。兵隊めいた装備を持つというMAGEの構成員か?それにしては警戒がお粗末だ。

「オイ、あんた―――」男がシャッターから背を浮かせて言った。直後、サイクロプスの巨体が前方に傾いだ、と思う間も有らばこそ、鋭いタックルが男の胸を衝いた。えづいた男をそのまま組み伏せ、コートから取り出したダクトテープで手足を拘束する。即座に男の顔をねじ向け、口も塞ごうとしたところで……サイクロプスは己の失敗に気付いた。

 パァン、と高らかに銃声が鳴り響いた。男の頭頂部に装着された銃が火を噴いた―――ダイナーで見た銃と同じもの。咄嗟に仰け反ったサイクロプスは、すぐに躰を振り戻し鉄槌めいた拳を男の顔面に沈めた。拳を抜きざま、ぴゅうと血が糸を引く。

「どうした!?」倉庫の側面から男が駆け寄ってきた―――その頭頂部にも銃。さらに、男は両手の甲にも銃を装着していた。愕然とした男の動きはまるで素人じみていたが、サイクロプスが熊の如く身を起こすのに反応して、漣走るように纏う雰囲気が変わった―――戦士の佇まい。

 銃火の華が拳法家めいて構える男の躰に咲いた―――銃がほぼ完全にリコイルを制御し、その姿勢はぶれない。銃撃がサイクロプスの防護コートに炸裂し、擦過痕を残して弾ける。サイクロプスは一顧だにせず突進する。眼だけは瞠目させる男は、手練れの格闘家のように躰を沈め、襲い来る単眼の怪物の懐に拳を突き込まんとする。

 サイクロプスは獰猛に突き進みながら―――引き金を引いた。男の胸部が破裂し、血飛沫を上げた。すとんと尻から落ちた男はがくがくと躰を動かして何か反応しようとし……及ばず力尽きた。その眼差しだけが、まだ状況に追いついておらず驚いたように見開かれていた。

 サイクロプスの手には怪物に相応しい大口径の拳銃が握られていた。怪物は唸るように笑った。もはや隠密がどうだこうだという話では無くなっていた。いつも通り、敵の陣地を制圧すれば良いのだ。

 だが―――。サイクロプスは堂々と移動しながら、カメラ・アイに最初の男の死体を再生する。グリップの無い銃―――ニューロルータを人体に這わせることで土台とした。さらに、飛び出た眼球に張った繊維―――おそらく、これもまたニューロルータ。それが、男の眼球に暗視機能を与えたのだと思考が飛躍する。

 画像がもう一つの死体にスライド。こいつはゴミを発見した掃除ロボットみたいにプログラムされた動きに切り替わった。それもまた脳髄に張ったニューロルータの仕業だと断定する。

 さらに連想。MAGE―――技術の体系化を目指す傭兵にしてテスターたち。カメラ・アイに反響するホセの言葉―――『その連中が、この街に即席の銃工場を作って……根付くつもりか?』。まさに躰に根付いたニューロルータが、ヤツらの特異的な技術を躰に定着させる。武器ごとばらまいて、この都市に定着させる。

 サイクロプスの脳髄に思考が短絡して狂熱を発する。頭に銃を付けた馬鹿げた兵隊どもを量産してこの都市に根付かせ、パンギルの暴力のインフラを呑み込み、カンパニュラの支配を完全なものとし―――それで、どうなる?

 腐った海の臭いがする。肉を増大させ続け、糞をまき散らし続け、ただ生きるだけの畜生の臭いがする。

 カメラ・アイの内側に腐臭が充満する。怪物は獰悪そのものの笑みを浮かべながら、鉄塊のような躰を駆動させた。

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 モニタには退廃的なフリーク・セックス・ビデオが映り、スピーカから漏れる嬌声が事務室に拡散していた。それを、会議机に肘をつきながら倦んだ眼差しで見つめる長躯の男は全裸で、病的に白い肌を露にしている。

 と、その時、ドアからノック音。「失礼します」男の瞳がじっとりと動いて闖入者に向いた。入室して来たのはスキンヘッドの男で頭頂部には銃器がそそり立っている。「あの、緊急事態なもので……」スキンヘッドはへどもどと言った。スキンヘッドの眼差しは長躯の男からその足元にとぐろを巻くそれと部屋の中央にある物体の間を行き来した。

「……解ってる。銃声ね」長躯の男が小さく呟いた。「……は?あの、銃声がしまして……」男の声が聞こえなかったのであろうスキンヘッドが問い返した。

「侵入者ってパンギルってやつらかな?そりゃ怒るよね。来たのは兵隊かな?それとも、アイツらにも、私たちみたいのがいるのかな?」男はぼそぼそと言った。

 スキンヘッドは対応に困ってかドアの前でおろおろとし、結果的にまたそれと中央の物体を見つめるはめになった。パイプ椅子や会議机は折りたたまれて隅に追いやられ、代わりにビニールシートが部屋の中央に拡げられていた。

 血の拡がるシートの上には……惨殺死体。そうとしか表現しようのない、尊厳も、権威も、人間性も剥奪された骸だった。死体は、おそらく湾岸労働者の監督であろう、筋肉質の中年男だ。骸はズボンを半端に剥かれ、尻を天井に突き出した姿勢で……。

「じゃあ、準備しよっか」長躯の男が、今度は多少は響く声で言った。「あ、はい。了解です。ボス」「ノン」

「挨拶は私たちふたりにしておくれよ。ナポレオンマレンゴ。ふたりで、君の”ボスたち”だ」

 長躯の男―――ナポレオンが立ち上がった。天井に頭を擦るほどの背丈だ。ナポレオンは異様に長い手足を伸ばし、机に置いていた二丁の長い棒状の銃をつまみ上げ、曲芸めいて瞬時に構えた。そして……「行こうか、マレンゴ」ずずず、と床を擦りながら、ゆっくりと、それが……とぐろをまいていた長大で逞しいペニスが身をもたげた。黒々とした皮膚の内側では海綿体の充血でなく、凄まじい筋肉の張りが認められ、さながら東洋の龍といった妖しさを醸し出している。

『……あぁ、次は愉しめると良いな』

 剥き出しの亀頭から、ざらざらとしたスピーカ越しの声が響いた。スキンヘッド男は緊張に全身を凝らせる。本来は果実のように瑞々しかろう陰茎の先端は今もって血まみれで、部屋の中央に鎮座する死骸にどのような残忍な所業を働いたのか察するに余りあった。

「さァて、行くかァ」のんびりと言ったナポレオンのぎらぎらとした眼がどこか遠くを見据えた。その股間から伸びたマレンゴが宙をうねるように進んでドアを押し開けた。その全長は30フィートはくだらないだろうか……。マレンゴの残忍な声が廊下に響く。『オレたちの力を思い知らせてやる』

 巨体を影のように密やかに運び、サイクロプスは倉庫に侵入した。ゴォォォォォ……。上階から注ぐわずかな光に照らされた広大な空間に、幾つかの影がうずくまり、能力を発揮する瞬間を待ち望む暖かな寝息を立てていた―――なんということはない、スタンバイモードの3Dプリンタが整然と並んで排熱しているだけだ。―――むしろ愚鈍な家畜に近い。

 肩を怒らせていたサイクロプスは、造形機のそれよりずっと深い息を吐いて緊張していた躰を鎮めながら、サーモスキャナを視界に重ねて暗闇に生じる熱を精査する。真っ黒な機械の間には作業机が並び、造形銃の後処理と組み立てが行われていた痕跡が確認できた―――同時に、不法移民を作業者に仕立て上げているのであろう痕跡も見つかった。量産を始めて一か月と言ったところか。

 その時、ふっ、と上階の事務室から零れていたライトが消えた。熱が支配する狩人の暗闇が訪れる。サイクロプスは獰猛に笑んだ。熱気に満ちる巨体が音もなく階段を登ると、上階をぐるりと巡るキャットウォークに出る。倉庫2階の長辺には対になるように事務所らしきもの張り出している。

 短辺に上がったサイクロプスの視界に、事務所の開け放たれたドアに隠れる人影が認められた―――ドンッ!「あうぅ」巨大な弾丸にドアごと胸をぶち抜かれたのは、両手と頭頂部に銃を備えた男だ。窓から射し込む月光の薄明りに照らされた死体は、倉庫の外で相対したのと同じ、戦う胆力も意志も無いゴロツキ―――握り手も引き金もない銃を躰に装着した粗製の戦士たちだ。

 パンッパンッ!直後、対岸の事務室の窓を爆ぜ割って銃火が瞬いた。「やったか!?」「よしッ」シャアアア、というガラス片の落下音の間から漏れ聞こえてきた男たちの無邪気な歓声を断ち割ってドンッ!ドンッ!と傲然たる炸裂音―――無骨な防弾コートで銃弾を弾いたサイクロプスはすぐさま撃ち返していた。

「クズどもが」風穴の空いた胸を抱えるようにしてよろよろと下階に落下した男たちを認めると、サイクロプスは先にスキンヘッドを処理した事務室に入ろうとした。と、『やるじゃねぇか!』ザラついたノイズの乗った電子音が下階から響いた。「誰だ!すぐ殺してやる!」サイクロプスは吼えながら巨体を事務室の影に滑らせ、半身を出して3Dプリンタが彫像の如く並ぶ広間を見下ろす。

『穏やかじゃねぇな』「そりゃそうさ。私たちの工場に攻め込みにきたのだもの」二人分の声。だがそれよりもサイクロプスを瞠目させたのは、造形機の間からアナコンダのように身をせり出す……長大にして巨大なペニスだった。『オレたちはナポレオンとマレンゴ』「私がナポレオン。……暗闇の中から失礼するよ。何せ私は銃の魔術師だ」『そうとも!そして、オレなるは魔術師の杖にして忠実なるゴーレム、マレンゴだ』

 ドンドンドンッ!サイクロプスは絶句しながらのたうつ陰茎に向けて何度も引き金を引いた。『おっと』3Dプリンタが爆ぜ、乾いた音が響く―――陰茎は宙を滑るように銃撃を避けていた。サイクロプスは一端事務所に身を隠しながら発条仕掛けめいた動きでリロードを終えると、すぐに身を躍らせ下階に銃口を向けた。

 ―――いない。静かな排熱音ががらんとした広間に伝わる。サイクロプスが一歩引いて視界を広げようとしたところで、『その眼ン玉を抉りてェ』すぐ横に出現したペニスの尿道の虚が輝いた。パンパンパンッ!肉食獣の鋭敏さで身を丸めた巨体に銃弾が突き刺さる。「オオォォォ!」『防弾コートにアーマー……だけじゃねぇな』「頑丈で逞しい躰だね」

 音速の鈍槌を受けたサイクロプスはゴロゴロと転がって、そのまま柵の間から下階に落ちる。先ほど事務室の扉から現れたペニスと、いま事務室の窓にずるりと入り込んでいくナポレオンの裸体―――サイクロプスが壁に身を隠した一瞬で窓からペニスを送り込み、同時に鉤縄めいて躰を持ち上げたのだ。―――大男は猫のように着地して、造形機の影に身を潜ませる。

「さっきとは立場が逆だね」カカカッ、と棒状の長い銃をキャットウォークに引き摺りながら、病的に白い裸体が現れた―――ナポレオン。夜の薄明りを背に、もう一方の手に握った銃を肩に載せながら下階を見下ろすその顔はやせ細り、ごく最近塗りたくったと思われる宗教的なペイントで彩られている。そして、その頭頂部には、彼自身が握る銃と同じ長い銃身が伸びている。

 3Dプリンタの影から土管じみたカメラ・アイだけを僅かに覗かせていたサイクロプスが巨大な銃を突き出そうとしたところへ銃撃が炸裂する。「がッ……ぐ」防弾コートに逸らされぬ位置への正確な射撃―――弾丸が分厚い皮膚を爆ぜ飛ばした。『へへっ……』倉庫の広大な空間に、東洋の龍めいた肉茎がのたうち、サイクロプスを見下ろす―――どこまでも自由な射角。だっ、と脚を駆動させサイクロプスは距離を取る。

「逃がさないよ」『逃がさねぇ』ナポレオンが倉庫短辺側に回り込みながら両手の銃を魔術師のステッキみたいに構えて撃ち、陰茎は―――象の鼻のように筋肉に満ちる触手は、宙を泳いで獲物の位置を探る。迷宮じみた造形機と作業机の間を駆け抜けながら、サイクロプスは折れた右腕から銃を持ち替えると、ある地点で携帯端末がスリープするように気配を絶った。

『どこだ!すぐ殺してやる!』ギャハハハハ、とノイズが支配する哄笑が響く。その無邪気な歓喜を股ぐらから感じながら、ナポレオンは牽制の銃弾をあちこちに乱射する。―――崇高なる魔銃の母体を壊すことへの抵抗は、任務遂行を果たさんとする強大なエネルギーが焼き切ってくれた。MAGEの戦士は眼を爛々と輝かせながら、熱の痕跡をまるで残さない獲物を追う。

 ―――ナポレオンが笑みの内側で、相棒だけに聞こえる言葉を発する。『マレンゴ。ヤツのコートと皮膚は、どうやら赤外光すら遮るらしい』『ナポレオン。遮断するなら、影になるなら、プリンタの排熱を遮ってるデカブツがそうなんだな?』『そうだ、マレンゴ。見つけたのか?』『そうだ、ナポレオン。まるでガーゴイルだ。雨樋に飾りたいぜ』強固な絆で繋がるマレンゴとニューロンの速度で通話する。

『ナポレオン。だが銃弾はちっとばかし利きが悪い。アレでやるのがイイ』『良い案だ、マレンゴ。だが私がフォローできる位置に着くまで待つんだ』『ナポレオン。わかったぜ、そして気を付けろ。ヤツが無様に身を隠すのは、カウンター狙いで、あのどデカい銃でアンタをぶち抜くつもりだからだ』『ああ、マレンゴ。君も気を付けろ、彼の眼はきっと硬いだろうから』

 ―――マレンゴがうれしげに天を向くと、その矛先が割れ、肉に癒着した銃と……血と脂にねっとりと濡れたドリルを露わにした。キュィィィイン、とマレンゴの芯を通って、そのどこまでも冷徹な振動がナポレオンに伝わる。『ブチぬいてやるぜ』ナポレオンだけへ伝わる喊声と共に、マレンゴがその牙をうずくまる影へと向けた……!

 ババッ、という連続した断裂音!『ハァーッ!』影はついに反応できず、マレンゴの迷い無き処刑突きに貫かれた!コートの強化アラミド繊維が突き破られ、予想外に脆弱な肉がぐずぐずに崩れ、鮮やかな血がマレンゴの顔を彩る!……ナポレオンは貫いたものの感触に違和感を覚える。―――直後、万力のような圧迫がマレンゴを締め上げた。

「大した腹話術だな」巨大な単眼を日食じみて輝かせる怪物が闇から腕を伸ばし、造形機の影にマレンゴを引き摺りこんだ。『テメェ、テメェ!』マレンゴはドリルを唸らせサイクロプスのカメラ・アイに身を伸ばすが、それはすんでのところで届かない。それどころか、徐々に後退していく―――巨大な掌が果実を握りつぶすように触手に食い込んでいき、筋肉の帯を引き攣らせる。「マレンゴ!」叫びながら下階に飛び降りたナポレオンは、握りこんだ触手を鞭のようにしならせたサイクロプスの動きによって下半身を引っ張られ無様に転ぶ。

 ぱんぱんっ、と亀頭の先端から銃火が瞬くが、弾丸は明後日の方向で火花を散らすばかりだ。『オオォォオオ!』ノイズをまき散らす触手を……サイクロプスはついに片手の力だけで握りつぶした!ちぎり取ったそれを後方に投げ飛ばす。「お人形遊びに付き合うつもりは無い」パキ、と零れたガラス片を踏み砕く澄んだ音が静寂に伝わった。

 ―――空気が爆ぜた。「貴ッ様ァ!」怒りの絶叫とデタラメな発砲音が倉庫に反響する。だが、その射撃は精細を欠き、ほかのゴロツキのようなプログラムされた動きでないことが伺えた。サイクロプスは血塗れの手で自らの得物のグリップを握り、造形機の上に身を乗り出すと、正確な射撃でナポレオンの両腕を吹き飛ばした。

「ぎぃぃぃいぃ!」たたらを踏んだナポレオンに突貫したサイクロプスは、敵の頭部の銃が狙いを付ける前に、逆にその額に銃口を叩きつけ、そのまま地面に押し倒した。「がッ……」「チェックメイトだ」さらに、先端部を失った触手が動かないように腰部を膝で潰して動きを封じるが、その心配は不要だったか筋肉の蔦は脱力して動かない。

「おまえみたいなやつはあと何人いる?」サイクロプスはそれだけを訊いた。「他はすべて調べが付く。カンパニュラの狂った目標にも興味が無い。戦士として誇り高く死にたいなら答えろ」3Dプリンタの排気音の中に、ナポレオンの腕からだくだくと零れ落ちる血の音が混じる。

「アハ……ハハ……。答えるわけないだろう?ああ、くそ。こんなプロローグで死ぬのか?私たちの大魔術戦はこれからだというのに!」掠れた歓喜の悲鳴と共に、ナポレオンは頭部の銃を天井に向けて乱射した。「アハハハハハ!マレンゴ、君は永遠だ。私がここで終わるのが」ドンッ!サイクロプスは狂笑に痙攣する胸に銃口をスライドさせると、即座に引き金を引いた。

 サイクロプスは排熱みたいな溜息を吐きながら立ち上がると、死体を見下ろした。そして、カメラ・アイでどこかに通信した。『―――死体を回収してくれ』『無事でしたか。了解です』通信の向こうの声にはパンギル構成員には無い、ホワイトカラーの気配があった―――それがカメラ・アイの内に荒れ狂う暴威を鎮める。

 連絡しながら、風穴の空いたコートを持ち上げた。ぬちゃ、と滴った血のカーテンの下には重なったふたり分の死体―――事務室で射殺し落下した男たち。彼らを即席の囮に仕立て上げたのだ。

 コートを肩に背負い、焦土のような静寂を味わいながら倉庫の入り口に向かおうとしていたサイクロプスは視界の隅に転がる触手に気付いた。なんとはなしにそれを確認しようとして、『テメェ、ナポレオンを殺りやがったな』ノイズ混じりの声が向けられた。

「どういうことだ。切断されたはずだ」サイクロプスの呻きは、喋る触手はあくまでナポレオンの二重人格めいた独り芝居だと考えていたことによる。『テメェ、許さねぇ。MAGEがおまえを殺す。おまえ達を殺す』触手はびくりともしないが、その先端部からは間違いなく感情的な声が漏れていた。「人間のフリはやめろ」サイクロプスは無骨なブーツで銃とドリルの収まる触手の先端部を踏み付ける。

『人間じゃない。だが知性さ。おまえにゃ解るまい』「……」サイクロプスは沈黙していた。『オレの頭ン中にゃ脳みそにも負けねぇくらいの……』大男は片足に体重をかけた。『オオォォォォ』「マレンゴ」サイクロプスは初めて、それを名乗った通りの名で呼んだ。「解るさ。出来損ないで、上辺だけそう振舞う、繕いだらけの知性だ」マレンゴが答える前に、サイクロプスは亀頭を踏み潰した。

 血と肉の中に混じった網のようなニューロルータにカメラがフォーカスし、サイクロプスの顔面でカメラ・アイが静かに渦を巻いた。

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 燦然たる太陽光が、神殿のようなパールホワイトの邸宅と瑞々しい樹々に、灼き尽くさんばかりに降り注いでいた。門前に停まった大型のバンの後部座席から降り立ったシドは、思わず唸りながら足早に熱気を孕むタイルの上を進んだ。頭部のカメラ・アイの縁がハレーションじみて輝いている。

 たくましいエンジン音を響かせて発車したバンに向けて軽く手を挙げると、シドは自らの”城”に帰還した。「暑いな」発汗しない肌はどこまでも乾いているが、シドは頬を拭うような仕草をすると、コートを脱ぎながら急いで冷房の効いた私室に向かい、湯につかったようなため息をつきながらレザーチェアに腰かけた。

 さらに、フッ、と息を吐き出し、木目調のデスクに並んだモニタのスリープを解除した―――すでに映像は繋がっており、シドと同じような華美なデスクと、レザーチェアに矮躯を乗せる相手の姿が見えた。『ずいぶん忙しそうだな。まるでビジネスマンだ』「治療と報告、それに後処理だ」シドは淡々と言った。

「そっちはどうなんだ?トードマン。おまえこそ宮仕えの身だろう」画面の向こうの小男の顔は、そのシニカルな呼び名の通りカエルじみている。『引き続き”宮廷魔術師”として研究に励んでいるよ』その言葉にシドは口元を歪めた。『そのおかげで、おまえの検診を担当するチームを用意できているんだ。感謝しろよ』「報告が行っているだろう、アダム」『もちろん。どこの勢力の息もかかってない貴重な部署だ。私のところに直接報告が上がってくる』トードマン―――本名アダムは、自慢げにシドを見下ろした。

「内部抗争の気配があると言っていたが、それはどうなった?」『今日は随分あわただしいな』アダムはここでようやくシドの様子がいつもと違うことに気付いたようだった。『国同士の対立は昔からのことだったが、最近はどうにも妙な閥が出来上がっているようだ』元はこの国の一企業に過ぎなかったカンパニュラは、ゲート―――経済特区内の各国企業との共同事業において癒着じみた効率化と合理化を進め、いつのまにかコングロマリットのような大構造となっていた。現場レベルではどっぷり癒着しているにも関わらず、上層部はそんなことは無関係とばかりに争っている。

「閥とは?」『この街の治安や、カンパニュラの技術の氾濫を憂う声があるのさ。それに対して、改革派と保守派とでも言おうか、もっと積極的にこの街の政治や行政に分け入っていこうというグループと、現状維持を目指すグループがいるんだ』「なるほど」シドはくくっ、と笑った。「感謝する。大体わかってきた」『……例のMAGEとかいうやつの話か?』アダムが優しげな皺が波打つ顔に懸念を滲ませた。

「そうだ。ヤツらは”改革派”なのだろうな」『戦地で相当酷いことをやった集団だと聞く。何人かは国際指名手配もされ、すでに逮捕されたメンバーもいる』「所詮、ウォー・フリーク(戦争狂)どもだ。恐るるに足らん」『私からすると、おまえも似たようなものだよ』アダムはこれみよがしにため息を吐いた。『おまえが私に戦争ゲームや残酷な遊びを覚えさせようとするのを先生がよく止めていたな』「妥協してRPGにされたな。そこで私はサイクロプスになり、おまえはトードマンになった」『なつかしい』「どうした?やけに感傷的だな」シドは弛緩した表情で笑った。

『久しぶりに顔を見て話したもんでな。それに危険な仕事に従事する友人を持つと、そういう気持ちにもなる。……カンパニュラに帰って来る気はないのか』古木の虚のように掠れた問いかけだった。「無い。おれは安全な檻の中より自由を……まぁ、8割ほどの自由を謳歌したい」アダムに検診班を手配してもらっている手前か、遠慮した言い回しだった。

『そうか……こちらからも質問だ。あの事件についてはどうなった?』アダムは気を切り替えて言った。あの事件―――妊婦連続殺人事件だ。街の各地で妊婦の惨殺死体が見つかった事件で、今もって犯人は捕まっていない。それはパンギルに伺いを立てねばろくに動けなくなった警察の無能だけでなく、被害者に共通するある要素のためだった。「―――解決した。犯人は死んだ」シドが答える。路地裏豪雨血液

『……』アダムの顔は沈痛だ。「もうカンパニュラに働きに来ている女どもは死なん。ついでに孕ませておいて逃げ出したクズどもも無罪放免か?」シドの機械の眼差しが暗く強張ったように見えた。『……そうはさせない。おまえが直接採ったデータや、警察から押収したデータから父親が割り出せた。然るべき報いを受けさせる』「殺させろ」

 一つ目の怪物の静かな咆哮はえぐるようだった。「女どもだけ死んで、男のほうが生きているのは納得がいかん」『……』アダムは顔を歪めている。「それか、お前が殺せ。どこの勢力の息もかかっていない部署があるんだろ?」『……然るべき報いを受けさせる』アダムはこれで話は終わりだと言わんばかりに顔を俯けてディスプレイをいじり始めた。直後、コッコッ、と注意を引くように音が響き、アダムがしぶしぶ顔を上げると、シドがカメラ・アイを叩いていた。

「オレはすべてを観ている。記録している。いずれ、すべてが詳らかにされる」アダムは応えられず手を揉んだ。シドは憮然と唸った。「……悪かった。正しい法に基づいて対処してくれ。そうしないと延々繰り返されるだけだからな」『解っている。ありがとう』アダムはそう言ったが、それでもどこかバツが悪そうに俯いてた。

「……じゃあ、また新しいことがわかったら知らせてくれ」『ああ、もちろんだ』アダムは今度こそ通話を切ろうとした。「ああ、最後にもうひとつ」シドが笑みながら言った。「おまえこそ検診は受けているのか?ちゃんと独立したチームから」遠慮がちに手を差し伸べるような言い方だった。

『相変わらず先生がいたチームが担当だよ。おまえのところに行っているチームはゲートの外だから自由ってのもあるんだ』「そうか」シドは口元を緩めた。「いつか、そいつらも従えられるくらい偉くなってくれよ」じゃあな、とお互いに呟くと通話を切った。

 シドの顔には笑顔が刻まれたままだった。

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 はわらたを掻っ捌いたような生暖かく臭い空気が立ち込める高架下の公園を、ときおり闇を切り裂くハイビームが掠めていく。

 キィ、とブランコが揺れた。

「ナポレオンが死んだ」―――いつの間にかブランコに腰かけていた影が陰々とした声を発した。光が一瞬過ぎ去り、錫杖めいた長柄の何かを携えた人影を照らす。

「攻め手はひとりだったんでしょう?パンギルってギャングの兵隊かしらね」ドーム状の滑り台の頂点で、夜の薄明りを受けて彫像めく影が応じた。道路から吹き付けた風がその頭部を覆うベールと髪をはためかせた。

「時代遅れのギャングにも大した戦士がいるものだな」砂場に太い轍を残し公園の中央に進み出たのは無骨な車椅子だ。搭乗者のフードと手足だけがわずかな明かりを享受し、その他はひときわ濃密な闇に覆われている。

『風穴を開けてやるのが楽しみだ』甲高い電子音声を発しながらコートを翻した巨大な影は威圧的にシーソーを踏みにじった。影を撫でるライトは、その輪郭に金属光沢の淀みを残す。

 ブランコの影は周囲の異形のものたちを順繰りに見渡すと、演説の如く両腕を広げた。「ナポレオンは十分に種を撒いた。それが芽吹くまで、我々は害虫駆除に勤しもうではないか。なにやら、ひときわ厄介な甲虫もいるようであるしな」芝居がかった物言いに影たちが笑い声で追従する。

 道路からトラックのものと思われる強烈な明かりが公園へ射し込み、ブランコの影を光に沈める。「―――やつの名はサイクロプス」手に持った巨大な狙撃銃と、頭部のある一部分を除いてぐるぐると覆う頭巾が露になる。「の言では、かの怪物は、我らがこの身に刻み込む福音を最初に享受したもの―――すなわち、ニューロルータの初期の試験体なのだという」渦巻く頭巾の中央……そこには太陽系の如く瞳が散乱する巨大な単眼が蠢いていた。

「さぁ、時代遅れのギャングと、古めかしい技術の産物に、我らが戦地で磨き上げた暴力と科学を見せつけてやろうではないか」影は立ち上がった。ほかの者どもは、いち早く不気味な気配だけを残して闇の奥に消えて行く。

 生暖かい空気が淀む公園にひとり残された影は、頭巾の下でだれにも聞こえないよう、何事か呟いていた。「……あの怪物はそれだけの存在なのか?ただのギャングの先兵なのか?なんだって、あんな試金石的な技術の産物をゲートの外に放置しておくんだ?―――オレが見た、あれはなんだった?」天体模型めいて渦巻いていた瞳が一か所に凝集して、黒点をかたちづくった。

 再びハイビームの光が公園を浚った。そこには、もう誰もいなかった。

 スコールの圧倒的な轟音による沈黙は一瞬のことで、乾いた風が湿気を吹き去っていくとすぐに生の気配が立ち昇った。ぱんっ、ぱんっ、という散発的な銃声と、子どもたちの笑い声、そして男たちと女たちの野卑なやり取り、それらが混然一体となってさびれた共同住宅の吹き抜けに反響している。赤黒いほどの夕陽が未だ夜を拒むように空の彼方に鎮座している。

 音もなくホセが隣に来てタバコを吸った。もうもうとした暗い煙が空に消えるのを待ち、シドは切り出した。「予想通り、3Dプリンタのほうが拡散している。だが、すでに一か所、カンパニュラの流通ルートに便乗して銃器を出荷しているところを見つけた。ごく普通の家庭に偽装しているが中身は不法移民だ」「むかしの家内制手工業といったところか。最新の技術を使ってもやることは変わらんな」ホセは鼻を鳴らした。

「だといいんだがな」「何か懸念が?―――例の射撃技術のほうか」「ああ。正直、粗製乱造の兵隊といった感じで脅威ではない。が―――」ニューロルータで知性を演算するという忌むべき技術が、あの奇怪な銃器に適応された時、どのような可能性が待ち受けるのか。

 その一つの形がナポレオンとマレンゴだろう。あの喋るペニスほどのものでないにしろ、銃器と遣い手がそれぞれに特殊化していき、異形の戦士として産声を上げる……。恐ろしい可能性だ。だが、それだけではないはずだ。自動照準技術の体系化という本来の目的がどこまで彼らの中で生きているか知らないが、特殊化した技術の回収と反映は当然行われると考えてよいはずだ。

「技術の育成と収穫か……。おまえの妄想であることを願う」ホセが言った。「ああ。だが、一応警察には連絡しておくべきだ。技術を育てると言うなら、必ず使う必要がある。であるなら、それは銃犯罪以外には無い」「わかっている」

 ぱんっ、ぱんっ、とまた銃声が響いた。地下駐車場で子供たちが射撃訓練をしているのだ。パンギル構成員が家族ぐるみで住まうこの場所では、次世代の教育や製品のテストが毎日のように行われている。

「ひとつ、質問がある」ホセはシドの答えを待たずに続けた。「これこそ妄想かもしれんが……ニューロルータが脳にまで伸長したらどうなる?そいつの心や魂を上書きしてしまうのか?」ホセの顔はいたって真面目だ。

 シドは笑い飛ばした。「ニューロルータは神経そのものじゃないし、ホルモンないし化学物質を運搬することもない。……だが、そうだな、通信することはできるから、そこを端緒に徐々に影響を与えていくということは可能だろう」「通信?脳とニューロルータが直接?」ホセは思いのほか食い下がってきた。「ニューロルータを流れているのも結局のところは電気信号だからな。だがまぁ、それ以上詳しくはオレも知らん」シドは宙を攪拌するように手を振った。

「……そうか。カンパニュラが我々の技術や文化を乗っ取る云々というのはタカハシ-サンから聞いていたが、直接的に精神に干渉できるなら、もっと簡単かとな」「だとすれば恐ろしい話だ。―――いずれにせよ止める」シドの言葉に頷いたホセの胸元で低い振動音がした。ホセはシドに目配せしながら携帯端末を取り出し、耳に当てた。「……わかった」

 一瞬で険しくなっていく表情に夕闇が影を落とす。シドはその横顔を黙って見つめていた。―――ひと通りの指示を終えたホセは、銃口を持ち上げるようにシドに眼差しを向けた。「何があった?」シドはあえて悠長に聞こえるように訊ねた。ホセは一瞬溜めてから、答えた。「うちのシマが襲撃された」

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 繁華街はケバケバしいイルミネーションや呪術的な燈によって内から輝き、コマーシャル音声や祭囃子めいた音楽が混ざった喧噪がそこに果てない熱狂をもたらすことで、旧正月かクリスマスかといった猥雑な世界を造り上げていた。―――ただ、ある一画を除いて。突然轟いた数発の銃声は、暴力への不安を覆い隠そうと陽気に笑い狂う人々を少なくとも表面上動揺させるには至らなかったが、直後に続いた応酬するような無数の銃撃のデュエットがついに人々を混乱と逃走に追い立てた―――MAGEがパンギルの施設を強襲したのだ。

 繁華街の光の海の中心に高級サロンめいたベールを被ってどっしりと構えるカラオケ店は、その実、パンギルの種々のビジネスの場として機能しており、モーテルじみた個室の数々では、いまこの瞬間もさまざまな取引が行われている―――否、行われていた。その一室、屈強な5人の男に囲まれて、レザーチェアで思案げに手を組んで座る50がらみの男がいた。禿げかけた頭頂部にはうっすらと汗が浮かぶ。肥満体の男の名はゴーン―――パンギルの幹部のひとりだ。

「どこから攻めてきている?」陽気な音楽を間を縫って届く銃声の中でゴーンの口調に苛立ちが混じる。「駐車場にバスで突っ込んできて、そのままうちの若い衆とやりあってますぜ」周囲の男たちのひとりが答える。「敵が持ってるのはボスが言ってたヘボ銃です。火力ならうちは負けません」「逆に打って出て、制圧してやりましょう」血気に逸る声のなかで、ゴーンは両手の指をすり合わせる。―――そして、ある時決然と立ち上がった。

「パンギルに牙を剥いた馬鹿どもに現実を教えてやるぞ」ゴーンが噛み潰すように言うと、周囲の男たちの間で残忍な薄笑い巻き起こった。「だが、うちの”商品”は守らねばならん。キム、ドーソン、お前らは仲介屋どもと一緒にあれを運べ」ゴーンが顎で促すと、ふたりの男が頷いた。「”戦闘部隊”の実力を見せてやれ」

 戦闘部隊―――パンギルが抱える兵隊たちの中でも際立って強力な戦士たちの集団だ。軍隊経験者や元傭兵、ホセに薫陶を受けた生え抜きのギャング、サイバネティクスで身体を強化した者たちなど、この保守的な組織にあって実力至上主義によって集められた優秀な者たちが集まっている。

 ―――銃声の多重奏がどよもす空間に一団が出陣すると、無数の弾痕や崩れた調度品、流血して倒れたパンギルの構成員が転がる戦場が拡がっていた。「行くぞ」ゴーンは無骨なコートを翻して腕を通した。

 広々とした駐車場には3台の装甲バスが並んでいた。カラオケ店の煌々とした照明の届かない暗闇の淵に並んだバスは、壁の向こうから燃え立つ繁華街の灯を背にして小さな砦のようだった。車体の背後や窓からMAGEの銃火が瞬き、パンギルの射撃が装甲に火花を散らす。

 その様子を見て取った一団から、真っ先にひとりの男が跳び出す―――「チンタラやってんじゃねェぞ!」アレックスは異常に太い両の腕それぞれにアサルトライフルを構え、哄笑を上げながらバスの窓へ舐めるように斉射した!―――ダダダダダダダッ!

 ―――張り詰めた静寂。そこへ風が吹き込み、ようやく我に返ったかのようなMAGEの雑兵が散発的に撃ち返してきた。久方ぶりの”外敵”への怯臆が一瞬で払拭され、パンギル構成員たちの銃声も勢い付く。「ビビりやがって……報告通り、中身は素人ですね」「ああ、だが油断するなよ。シドの話では、厄介な戦士もいるとのことだ」「とんだフリークだってんで会うのが楽しみですよ」アレックスは銃弾が飛び交う中を平然と進み、雄叫びを上げながら再び銃弾の雨を叩きつける。 

 その時、駐車場に転がる死体を照らしながら、さらに一台のバスが乗り込んできた。それを認め、ゴーンのすぐ横に侍っていた男が一歩前へ出た―――手には大きなハンドガン。男はバイオリンの弦を連想させる整った姿勢で自らの得物を構えると、引き金を引いた。ドンッ。バスの運転手の頭が爆ぜ、夜闇に重低音が浸透する。「いまさら援軍とは……戦力の逐次投入云々という説教が必要ですな」拳銃男―――ギリークが嗤った。

 ―――バスが死体に乗り上げて停止するのと同時に、車内のライトが消える。「……何か出て来やしたぜ」諸肌に入れ墨を入れた男が警戒を声に滲ませた。……バスを揺らしながらとんでもない巨体の男がタラップを降りてきていた。威圧的な軍帽と扉の如きコートは時代錯誤なWW2じみたものだ。

『諸君!』モノリスじみた巨大な影がバスのライトの前に立つと、後ろ手になって胸を反らせ、甲高い電子音声を轟かせた。『我々は銃の魔術師"MAGE"なるぞ!』叱咤するような響きにMAGEからの銃声が止む―――まるで傾聴するように。『文明の中でくだを巻いているだけの破落戸どもにMAGEは負けない。戦地で磨いた我らの意志は諸君らに』ダダダダダダダッ!―――アレックスの斉射が大男を黄金色に燃やし、耳障りな電子音声を遮った。アレックスはニヤリと笑いかけ、はたと気付いた。……黄金色に燃やし?大男の体表で銃弾は火花を散らして、弾かれていた。

『……諸君らに刻まれている』大男は憮然として言い直した。直後、ギリークの精妙な一射が男の額―――帽章にぶち当たったが、チーンという間抜けな音を立てるに終わった。巨体が肩を怒らせた。『我が名はウォルター!礼儀知らずの破落戸どもよ、戦士の名を知れて光栄と思え』MAGE構成員のみならずパンギル構成員やゴーンの一団ですら、しんとなっていた。

 直後、『構えェ!』静寂を割ってウォルターが叫んだ―――慌ててMAGEたちが手足や頭部、肩に装着した銃を準備をする。が、『撃てェイ!』彼らの射撃準備が終わる前に号令と……銃声が響き渡った―――ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダッ!ウォルターの全身が先ほどになお増して輝く―――内側から炸裂するかのような無数のマズルフラッシュ。

 ―――無風。『ンンー……素晴らしい。これこそ銃火がもたらす沈黙と平和の一端だ』ウォルターの全身に備わった無数の銃口から硝煙が立ち昇っていた。煙を出す指がキィッと軍帽のつばを上げると、その顔が露になる―――目と口にあたる部分に銃身の生えた、黒光りする金属の面……。

 ……ゴーンはぶちまけられたトマトのような肉塊を見下ろした―――アレックスの末路。戦いの緊張すら引き千切られて、脂汗をだらだらと流しながらゴーンは言った。「……退くぞ」「アイ、アイ。ボス」入れ墨男が頷くと同時に、ゴーンはコートをはためかせて脱兎の如くカラオケ店に駆け戻った。『ほぅ!将校たる者が敵前逃亡とは嘆かわしい!』直後、チーン、と再び間抜けな音が響く。『そんなものが……』チーン、チーン、チーン。連続で額に銃撃を受けたウォルターが仰け反る。「このバケモンをオレたちの街で好きにさせてはならん!」ギリークの喊声に合わせて、パンギル構成員たちも捨て鉢な絶叫を上げながら引き金をひいた。

『……フン。あのような弱敵、他の連中に任せても良いか』銃火のなかに虚無のように佇むウォルターはそう呟くと、回転灯めいて片手を振りながら発砲し、進軍の合図をした。

 ……ゴキブリの這い廻るアーケード様通路を足早に進むキムとドーソンの耳に駐車場からのけたたましい銃声が届き、ふたりは一瞬顔を見合わせるも、任務達成を優先すべく剽悍な眼差しを周囲に振り向けた。

 ―――しばらく通路を進むと前方から叫び声と銃声。「駐車場から攻め込んできてるやつだけじゃねぇな」ドーソンがのんびりと呟いた。「あっちに引き付けといて裏からってとこかね」そう応じたキムの動きは素早かった―――警棒と短銃を油断なく構えながら走り寄り、曲がり角の向こうでパンギル構成員と撃ち合うMAGEを確認すると、一気に身を乗り出して引き金を引いた。「がッ」「くそッ。あっちからだ!」MAGEの叫び。ひとりを射殺した後、続くキムの射撃はアーチ天井の縁や窓のフレーム、パイプに跳弾し、てんでばらばらの地点に着弾する。敷地全体にろうする銃声に短銃の発砲音が上塗りされたのもあいまってMAGEたちはキムひとりを集団と勘違いした。

 わっ、と5人のMAGEは一斉にT字路の敵のいない方に駆け出した―――ニューロルータにプログラムされた動きならではの瞬間的な判断だった。と、その背後に人影が生じた―――「オレを撃つなよ!」キムを瞬時に追い抜いたドーソンが両腕にククリ刀を振りかぶって叫んでいた。直後、牙めいた獰猛な銀光が5人のMAGEを片っ端から切り裂いた!

 返り血を浴びた顔で凄惨に笑んで振り返ったドーソンを通路の向こう側で呆然と見つめていたパンギル構成員が、「ありがとうございます!」と感動したように叫んだ。残心するドーソンの迷彩ズボンから、虎のそれの如く柔軟に富み、緊張を孕んだ可変義足が覗いた。

「おう!オマエは退いてな」「ここは我々が制圧する」慎重な足取りで追いついてきたキムが言った。はい!―――と勢いよく応えようとしたのであろう、まだ幼さの残る顔が、瞬間、吹き飛んだ。

「くッそ」血しぶきを浴びた壁面に散弾銃と思われる無数の弾痕を認め、キムは最大限に警戒しつつ素早く距離をつめる。ドーソンは瞬時に挟み撃ちに掛けようと判断し、通路を反転した。

「出てこい!臆病者!」キムはパイプや天井に発砲し、跳弾で通路の向こう側を牽制すると共に、脳内でドーソンが回り込む速度を計算する。タッ、タッ、タッ、と通路を駆け抜けるドーソンと、その足音を脳内でシミュレートするキムの動きが同期し……ばっ、とふたりは完璧なタイミングで敵のいる通路を挟み込んだ!

 ―――そこには誰もいなかった。個室へつながるドアや窓は無くアーチ天井にも破られた後は無い。訝しむキムの眼差しが、開け放たれたごく狭い通気口に滑った。―――直後、通路の向こうのドーソンが弾かれるように飛び退いた。「何だテメェ!」敵を認めれば反射的に躍りかかるほどの強壮な戦士が退く―――その顔は驚愕に染まっていた。そして、近接戦を専らとする者にとって、その一挙は致命的だった。曲がり角からソードオフ・ショットガンの銃身が覗いたのも束の間、ドーソンの分厚い胸板で血が炸裂した。

 キムは震える躰を一息で鎮めた。耳をろうする銃声は遠い。―――ばっ、と音も無くドーソンの斃れた地点に飛び込んだキムの前に、やはり敵はいない。キィ、と個室のドアが揺れていた。

 ―――瞬間、キムが反応できたのは敵は奇襲を仕掛けてくると予想していたからこそだったが、それでも絶技には違いなかった。背後に振り払った警棒がショットガンの銃身を打ち据えると同時に、ドォン!と衝撃が宙を奔った。「あら!」およそ戦場に立つ格好とは思われないスカートとベールを纏った女は、両手にソードオフ・ショットガンを携えていた―――もう一方のそれがキムの顔面に照準を合わせた。カァン、と甲高い音がし、またも銃口が逸らされた―――キムの射撃。ぱんっぱんっぱんっ、とそのまま連続で銃火が瞬き、女の胸に突き刺さる。

「いたぁい」その手ごたえの無さと女の間延びした声に、キムは戦慄する。直後、ずるりと女の躰がキムに覆いかぶさるように伸び上がった。キムは呻きつつも、なんとか警棒を横薙ぎにした。―――そして、今度こそ驚愕に動きを止めた。「サロメ。良い戦士には名乗っておきましょう」ベールがはじけ飛んだ女の顔―――骨ばった顔面のど真ん中には爆ぜ割れたような巨大なヴァギナが口を開けていた。

 その深奥で輝いたマズルフラッシュをキムは認識できたろうか。ドォン、という音と共に仰け反ったサロメは蛇めいてたおやかな五体を整えると、頭部の吹き飛んだ戦士を見下ろした。「ふふん。良い戦士だけれど……やはり噂のサイクロプスでないとダメかしら?」サロメはベールを拾い上げて装着すると、すぐ近くの通気口の中に身を滑りこませた。

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「いまは撤退を優先しやしょう」入れ墨男―――デイビットはせかせかと走るゴーンを先導し、時折現れるMAGEをバルクールめいた動きで射殺しながら、通路を制圧する。「裏口に車がありやす。へへっ、ここのアガりで手に入れたスーパーカーですぜ」焦げ臭いにおいの立ち込める無人の厨房を抜けながら、デイビットは飄々と言ってのける。「ぜぇぜぇ……ああ、”商品”の無事は気になるが、くそっ、背に腹は代えられん」ゴーンは走りながら言い訳じみて呻く。

 銃声の届かぬ灰色の通路の先のドアを抜けると、目の覚めるような真っ赤なスポーツカーが鎮座していた。「おお!」眼を輝かせたゴーンをちらりと見て、皮肉に目元を歪めたデイビットだったが、ただ今は役割を果たさんとシャッターの向こうに耳を澄ませつつ運転席に滑り込んだ。「準備ができたらすぐに乗り込んでくだせぇ」時計仕掛けの如く無駄のない動作を好むデイビットは、実際に着けていもいない腕時計を確認するような所作をした―――それと連動したわけでもないだろうが、シャッターがグーンと音を立てて開きだす。

「……あン?」車庫から漏れるライトに照らされて、車椅子の人影が夜闇に浮かび上がった。怪しげなフードと妙に無骨な車椅子―――敵影を疑ったが、デイビットは頑強な車体を信じ、すっ、と冷めた眼をしながらアクセルを踏み込んだ。

 ボッ

 ―――強大な炸裂音と爆炎がゴーンの感覚の閾値を超えて世界を揺るがした。壁に叩きつけられたゴーンが見たのは、白炎に包まれるスポーツカー……の残骸だった。―――「はっはっは。逃げようとてそうはいかん」拡声器めいてザラつく大音声が響いた。キュラキュラと車庫に近寄ってきた人影が身をもたげた―――その顔面は以前として影であるが、その異様な胴体が火に照らされて黒光りしていた。「私はカルロ。―――来たるべき未来の人類の姿をあらしむる者である」

 カルロの胸から腹に掛けて、迫撃砲めいた巨大な筒が生えていた。周囲にもうもうと立ち込める煙は火炎ばかりでなく、その人体にあり得べからざる鉄塊と虚から生じたものもあった。「う、うおお、ああ」ゴーンは、その分厚い脂肪もあってか、後頭部から血を流しながらもなんとか立ち上がった。「ふはは!やはり一発の銃弾より、一発の砲弾こそが世界を変えるのだな」うっとりとして炎を見つめるカルロを、一瞬だけ怯えた眼で見たゴーンは這う這うのていで来た道をとって返す。「戦術と戦略を仲立ちする破壊力にして威圧力!ふふふ、恐れ入ったか……あっ、おい、待て!」

 朦朧とした頭で無音の通路を進むゴーンの脳裏には走馬灯めいて、パンギルと共に歩んできた道のりが思い出される。ホセに打ち負かされて組織入りしたのが12の頃……犯罪と闘争に明け暮れた10代後半……急激に力を増していく組織の波に乗った20代……そこからの栄達の日々。

 散発的に現れるMAGEに対し、ゴーンは酔ったような動きで撃ち返す―――ニューロルータにそのような不安定な敵への対処はプログラムされていないものかMAGEの銃弾はコートに吸い込まれ、反対にゴーンの銃弾は敵の胴部に血の華を咲かせていく。

 それでも音速の衝撃はボロボロの中年男の躰をたやすく消耗させ、ある時、ゴーンはぶちまけられた血で滑って転んだ。そこは、最初に打って出た駐車場だった。周囲には死体が散乱している。肉塊と化したアレックスに、銃を握り締めたまま膝を着いたギリーク。

 顔を歪めるほどしかめたゴーンは這うようにギリークの下に近づいていき……その側頭部から飛び散った脳みそに手を突っ込んだ。「うわっ……」ゴーンはまるでその肉片に食らい付かれたかのような必死さで腕を振った。ぴちゃ、と挽肉が飛んだ先に小汚いスニーカー。「……これが幹部の姿か。惨めなものだな」

 どこか現実離れした口調に恐る恐る見上げた相手は雑兵じみたMAGE構成員で、ゴーンはかっ、と眼を見開くとハンドガンを撃ち放った。「ふぅ、ふぅーっ」ゴーンはよろめきながら立ち上がって、首から血を噴きながら倒れたMAGEに銃を突きつけた。「オレを!ナメるんじゃねぇ……!」

「訂正しよう。これから、惨めになる」背後からの声に反射的に振り返って発砲しようとしたゴーンの膝が、突然破裂した。「あぅッ!」ゴーンはその勢いに引っ張られるように顔面からコンクリートに倒れ込んだ。「一応聞いておこうか。パンギルの幹部連中はどこを根城にしている?特にアーマンドってやつだ」淡々とした口調は先ほどとよく似ているものの声音は違う。―――顔を振り向けたゴーンの横倒しの視界には先ほどとは別のMAGE構成員。

「テメェは誰だよ。え?雑魚がよ」ゴーンは壮絶な笑みを浮かべた。「こいつは端末だ」そう言ったMAGEの表情はどこか虚ろで、その見開かれた眼は猫目じみて黄色い。

「オレはアルゲース」……MAGEがそう名乗った直前、遥か彼方で同じ呟きを漏らした者がいた。―――そいつは蝟集するハイウェイ付近に屹立するビル群のひとつ、その屋上にあぐらを掻いて長大な狙撃銃を構えていた。「アンタの無様な姿を……はるか遠くから見ている」

「ハッハッ……フハハハ……」ゴーンは笑いとも呻きともつかない息をはきながら、ハンドガンを何とか持ち上げようと苦心した。「―――そうか。残念だよ」MAGEは無感動にそう言うと銃を装着した手を下方に向けた―――ぱんっ。ゴーンの頭がぶるりと震え、それきり動かなくなった。

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『急げ急げ!兵は拙速を尊ぶ!動けないヤツは慈悲深く処断してやれ!』

 大音声で檄を飛ばすウォルターの横には、サロメとカルロ。旅行者みたいにぞろぞろとバスに乗り込んでいくMAGEたちを、異形の戦士たちが並んで眺めている様はどこか滑稽だったが、それはこの襲撃が殲滅に近い結果で終わったことを鑑みれば、勝者の余裕ともとれるものだった。

「おい」暗闇に何対もの光輪が浮かぶ―――姿を現したのはアルゲースの端末たちだ。ウォルターはチラリとそちらを見てから、周囲を気にした。『端末どもを我々と同格みたいに扱うな。それを使う時はへりくだれ』「バイクとスポーツカー。―――例のサイクロプスだ」その言葉に、戦士たちの間に警戒心と好奇心が漣走って、声無き笑いとして大気を揺らした。

「楽しみね……。でも、今は少し具合が悪いわね」「間が悪いものよな。誰ぞ残って相手をするか?」「ダメだ。荷物の運搬が最優先だ。他にも増援が来る可能性もあるだろう」アルゲース端末が言った。『致し方あるまい。任務達成が優先だ』「オレと端末で仕掛ける。それで殺せたら、そこまでの奴だったということだ」「狙撃手に言われたくないセリフね」サロメが苦笑した。

 ―――スポーツカーとバイクが猛スピードで駆け抜ける繁華街の沿道に、時折黄色い眼差しがよぎる。その視界を共有するアルゲースは鮮やかなビーズをちりばめたような灯りの底を駆け抜ける敵の姿を幻視する―――何人もの観測手の視界から得た情報を統合し、脳裏に描き出しているのだ。

 アルゲースは狙撃銃を握り締める。華やかな灯りの中心にぽっかりと空いた穴―――カラオケ店の駐車場に吸い込まれるようにスポーツカーとバイクが飛び込んで来た。

「……いない?」駐車場で銃を構える端末たちが同じつぶやきを漏らした。突っ込んできたスポーツカーの運転席には誰もいない―――突貫する質量がそのまま端末たちを弾き飛ばした。それと前後してバスが1台、2台と動き出す。追い縋って来る無人のスポーツカーを撃とうとバスの後部窓から顔を出したMAGEは、直後、頭を吹っ飛ばされた。―――駐車場の手前、アルゲースの射線に入らないギリギリの位置で硝煙を吹くハンドガンを構えるのはホセだ。

「ええい!何をしているのだ!」ボッ―――スポーツカーが爆炎に変わった。ごうごうと胸元から煙を吐くカルロは、口惜しそうに呻きながら素早く最後の1台のバスに乗り込んだ―――座席下の貨物部だ。バスが繁華街に消えて行く。

 ―――「追え!」叫びを上げたホセの背後でライトが点灯し、唸りを上げてバイクが発進する。バイクを駆るのは―――サイクロプス!猛スピードで駐車場に躍り出ると、あっという間にバスと距離を詰めていく。端末を失ったアルゲースは反応しきれず、狙撃はテールランプの軌跡に虚しく火花を散らした。

『おそらく真ん中のバスだ。なんとしてでも止めろ』ホセの通信。ゴーンと”商品”の保護を最優先にしろとの指令だったが、デイビットからの連絡が恐ろしいノイズと共に途絶えた時点で前者については絶望的だと判断していた。一方で、デイビットは散乱する死体から狙撃手の可能性を導き出して、こちらに警戒を促してくれていた。自動運転で車を突っ込ませる作戦はそこから生じたものだ。

 バイクは大通りを進むバスの横っ腹を突こうと、ドリフト走行で繁華街の灯りを9割減した路地に侵入し、曲がり角をジグザグと猛進する。「うおッ」尻もちを着きながらその様を愕然とした様子で見送るホームレスの眼は、黄色い。

 ふっ、と大通りに吐き出されたサイクロプスに、繁華街の燃えるような光と熱と音が一体の波となって覆いかぶさる―――カラオケ店から引きずってきた暴力の気配が一遍にひっぺがされるほどの熱気だった。

 突然飛び出してきたバイクに急ブレーキをかけた乗用車を尻目に、サイクロプスはバスに横づけする。直後、バスの割れた窓から大男を見下ろす人影に気付く―――即座に銃を振り上げたサイクロプスはチッと舌打ちした。「……あ」虚ろな眼を丸くした少年―――パンギルの”商品”だ。その背後に巨大な影が生じる。

『会えて光栄だ。私はウォルター……だが、今はここまで!』ウォルターが巨大な手で子供の肩を抑えながら、顔面で三つの銃身をギチギチと動かした。「……くそッ」ダダダダダダッ!サイクロプスは銃弾の雨に晒され、バイクごと転倒した。―――少年は見る間に遠ざかっていくサイクロプスを食い入るように見つめていた。

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「生きている意味ってなんだろう?」

 コンタクトみたいな空色の大きなレンズに顔面の大部分を支配された少年が呟いた。部屋は無菌室のように白い。

「究極的には、無だね。無意味だ」少し気弱そうな眼差しの男が腰を落として答えた。「でも、それは悪いことではないし、いずれその問いは生命ではなく存在への問いに変わっていくだろう。君たちを構築する技術にはそのような展望がある」

 少年にその言葉の意味するところのすべては解らなかったようだが、優しく微笑んだ男の顔を見て、鏡写しのように微笑んだ。―――その顔のレンズに、もう男の顔は映っていない。代わりに、まったく同じレンズを顔面にはめ込んだ不定形の人影が映っていた。

「生きている意味ってなに?」影が問うた。「存在している意味ってなに?」絶望と諦観と……その小さい躰を爆ぜ割るような憤怒の咆哮だった。影の問いに、少年はわずかにたじろいだものの、決然と構えるとまっすぐに立ち向かった。

「自分で決める。君は……消えろ」毅然とした言葉に……影はいつのまにか暗くなっていた部屋に飽和するように拡散し、哄笑となって応じた。

「オレは消えない。おまえが、消えろ」―――直後、真っ白な部屋が戻ってきていた。だが、凍えるように息を荒くする少年のレンズには、まだ薄笑いを浮かべる影が残留していた。

 ―――それは、熾火のようにずっと揺らめいていた。

 ひゅごっ、と壊れかけのラジオみたいな音を喉から発して、シドは目覚めた。私室のベッドの上から起き上がろうとしたシドは、頸部を後方から引っ張られて呻きながら再びベッドに倒れ込んだ。

「チッ……」舌打ちしたシドは首輪のように頸部に巻かれていた太い縄を解く。輪の一方はベッドの足に繋がれている。シドはようやく立ち上がると、少し運動した後、シャワーを浴び、着替え、防護コートを装着した。最後に、サンドバッグみたいな荷袋を背負う。

 そこで、カメラ・アイの視界に着信の表示―――『おはようございます。体調はいかがですか?』『すこぶる悪い』『おっと……見に行きましょうか?』『いや、いい。嫌な夢を見ただけだ』『はは、意外と感傷的ですね』『ふん……』『では、また必要なら行きます―――ああ、あちらの分析は進んでいます』『そうか。引き続き頼む』『了解です。では』

 通信を終えるとシドは私邸を出た。この邸宅は、長年パンギルの闇の事業に関わり、かつ”戦闘部隊”とも距離をとった、何でも屋じみた絶妙な距離感が生んだ利益によるものだ。―――カネはまだまだある。だが、止まるつもりは無かった。蓄えられた無形の力は、いつかその形を得る日まで、降り積もり続けるのだ。

 ……徒歩で移動していたシドは寂れたスポーツ施設に辿り着いた。高い門は閉ざされ、鎖が何重にも巻かれている。太い手で門を何度かガシャガシャと揺り動かすと、シドは門の上部に手を伸ばし、身を乗り上げた。「ふっ」そして、コートをはためかせて着地する。これが正しい入館方法というのだから人を食っている。

 当然、門を閉ざされたスポーツ施設に一般客はいない―――そもそも、もはや商業目的では運営されていない施設である。入館しても受付には誰もいない。シドはそのまま無灯の薄暗い廊下を歩みプールを目指した。

「おっと」シドはサンドバッグ状の袋をどさっと落とした。プールのドーム状の天井の半分は窓で、蔦の間から陽光が零れている。だが、肝心のプールには水が無く、壁面や底面にはカブトガニじみたドローンが張り付いている。

「おっ?サイクロプスじゃねぇか。どうした」声をかけてきたのは”戦闘部隊”のドノヴァンだ。浅黒い屈強な上半身を晒している。「次の仕事の準備に来た……が、使えそうもないか」「午後までは無理だな」「清掃予定は今日じゃなかったはずだが」「単純な連絡ミスだ……もとい、オレがこの前やるのを忘れていた」「……いい加減、門の封鎖を解いて、ちゃんとした業者を入れたらどうだ。誇り高い戦闘部隊のやることじゃないだろ」

 ドノヴァンが笑った。「ホセが現役の時代から、ここはずっとそういうルールなんだよ」シドはむん、と唸った。「午後まで他ンとこに顔出してみたらどうだ?この前カラオケ屋を襲撃された件で全員やる気がみなぎってるぜ」「MAGEの連中を逃したオレが行ったらリンチにされそうだな」「最初にMAGEを殺したのもあんただ。きっと尊敬されるぜ……それに、あン時の戦いじゃ戦闘部隊が5人もやられてる。あんたにデカい顔できんさ」

 ……広々としたボウリング場は、その本来の用途ではないはずのトレーニング機器や、ボルダリング用のホールド、射撃訓練用の的すらあった。その各所で訓練や娯楽に興じている者がいるが、いずれも常人とは違った肉体をしている―――”サイバネ組”と呼ばれている連中だ。何もチームとしてそういう括りがあるわけではないのだが、いわゆる生身の戦闘技術を学んだ手合いとは少し折り合いが悪いらしい。

「よくここに顔出せたもんだな」ウエイトトレーニングで腹筋を鍛えていた男が汗を拭きながら立ち上がった。男の両腕には猛禽類のような金属の翼が張っている。男の名はアギラ。

「言われると思ったよ」シドは肩をすくめた。「今日は随分と人数が多いな。そんなに人気の施設とは知らなかった」「オレたちは仲が良いんだ」アギラは答えになっていない返しをしたが、サイバネ組はここを完全に根城にしているという噂を聞いたことがあり、人数が多いも何もここで生活をしているのかもしれない。

 シドは薄ら笑いを隠しながら、周囲を見渡した。壁にはボルダリング用のホールドが付けられ手足の真っ黒な義肢で天井付近まで登る男がいる。そのすぐ下では、カタナを磨く落ち着いた風貌の男。カララン、とボウリング場らしくピンの倒れる音がした方を見ると、バレエみたいな動きでボールを投げた義足の女がいる。鳥の肢か、あるいは刃物のようにすら見える鋭い義足だった。それぞれ、義肢の男はガガンバ、サムライはタリム、義足の女はセバンだ。

「おまえがMAGEって連中と商品をみすみす逃したのは知ってるぜ」アギラが顔に不敵な笑みを刻んだ。「……あんたたちのミスは、近々オレたちが挽回することになるだろうぜ」

「アギラ」むくりと、シドの視界の隅に寝転がっていた巨体が起き上がった。シドに匹敵する大男で、異常なまでに発達した筋肉が四角いシルエットを作っている。「傲慢なもの言いは良くないぞ」”大盾”のカサラギだ。

「やぁ、カサラギ。あんたたちにオレの尻を拭かせて悪いな」「気にするな。なに、ゴーンが侍らせていた”肉体組”が死んで、オレたちの有用性を証明する良い機会ができたってもんよ」カサラギは笑うでもなく恬然と言った。”肉体組”などという呼び名は初めて聞いたが、確かにゴーンはサイバネ者をほとんど侍らせていなかった。

「ま、そうなんだが」少し眉を険しげにしていたアギラだったが、カサラギの言葉に、すっと緊張を解いた。「オレたちが挽回する、なんて言ったが、たぶんあんたにも連絡が行くだろう」「何の話だ?」「ホセがMAGEの施設の情報を集めているみたいで、そろそろそっちが特定できそうだってウムランの野郎が言ってやがったんだ」ウムランもサイバネ組のひとりで探査担当だが、電子戦やネット上のビジネスにも手を広げている男で、幹部たちにもその方面で重用されている。

「ほう」「だから、でかいケンカになるかもしれん。ま、確かにウチの”商品”―――大量のガキどもを引き連れたまま逃げ続けるなんてできんわな」アギラが言った。「いや……たぶん、ホセの言う施設は別口だ」シドは言った。「ほう?」カサラギが首をかしげる。

「―――子供たちがいる施設は、オレが襲撃する予定だからだ」

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 天使が飛び立ったような蒼空、つるつるとした水晶の海、黄金の砂浜。その中を道化芝居じみて駆け回る子供たちを、一台の戦車が見つめていた。―――否、それは戦車と似て非なる、異形の傭兵のシルエットだ。頑強な装甲で覆われた車椅子に乗り、迫撃砲の如き筒を胴から生やすそいつの名は、カルロ。フードの下の表情は窺えないが、ときおり好々爺めいた含み笑いを漏らしていた。

 ―――子供たちを眺めながら、カルロはニューロルータが紡ぐ未来を夢想していた。『ヒトとモノの同一化』―――あの男が説いた思想は、カルロが兵器と軍拡に抱いていた積年の苦悩を一挙に解消するものだった。見るが良い―――ビーチを駆ける子供たちの姿が変じていく……砂浜に沈む脚は無限軌道で、大きく開いた口は砲口だ。広げた両腕は翼として空を裂き、水を掻くバタ足はスクリューだろうか?

 無論、カルロの妄想だ。だが、彼の眼には確かに兵器と化した人間たちの姿が見えていた。……「ミスター。時間です」しばらくして、カルロを挟むように立っていたスーツの男女の男のほうが耳打ちした。「そうか。もう少し見ていたかったがね」カルロが喉を鳴らした。「適度な運動。適度な思考。そして、適度な睡眠だ」そう言いながら、カルロはその場で車椅子をくるりと反転すると、海を見据えた。両脇のふたりが耳栓を押さえた。

 ボッ―――大気が波打ち、砂浜が爆発し、巨大な水しぶきがあがった。……衝撃が過ぎ去ったあと、子供たちは根が張ったように座り込んでいた。「さぁさぁ!みんな、お昼寝の時間だよ!」拡声器で増大された声が響き渡る。年長の者が動けない年少の者たちを支え、おぶって、とぼとぼと移動する。―――皆、表情は無い。子供たちが向かうのは、ビーチに不釣り合いなのっぺりとした2階建ての施設で、どこか収容所を連想させた。そのうしろには鬱蒼とした密林が拡がり、どこまでも拡がる海とは正反対の閉塞感を与える。

「ふふ、さすがに子供たちも学んでいる」カルロの笑い声には残忍な響きが混じる。「あと二日もすれば次のステップに入れるそうです」スーツの女が耳打ちする―――その右前腕は巨大な義手で、ガトリング・ガンの如く手首から銃身が生えている。男のほうはスーツの上の両肩と、スキンヘッドに砲塔みたいな台座と銃を備えた威圧的な姿だ。

「くふふ……愉しみだな。それに、いささかこの場所にも飽きてきた」カルロは輝くビーチを見渡した。「あの子たちの中から一体貰って、私好みの調整を施させてもらうとするかな。観光地などよりも、そちらのほうがよほど愉しめる」「私は早く人を撃ちたいです」スーツ女がぽつりとそう呟くと、男が苦笑して言った。「私は、やはり大人のほうが良い」「ははは!さすがMAGE生え抜きの戦士たちだ!そうでなくてはな!」銃の怪物たちは楽しげに談笑する。

 ……魚一匹いない珊瑚礁のすぐそばを黒々とした影がよぎった。それは水面からわずかに頭を出すと、砂浜から白い建物に向かう3つの人影をじっと見つめた。車椅子と巨大な義手の女が建物の中に消えて行くが、男のほうは浜辺に残って携帯端末を操作し始めた。

「なんだ……?変わらないぞ」男は携帯端末をいじりながら、ときおり訝し気に頭上を見上げる―――その背後で、何者かが音もなく海から這い上がった。それは人影としか言いようのない漆黒の巨躯で……ただ、顔面の中央にだけ蒼白な月の如き空白を抱えていた。

「まさか?」そう呟いた男の脳裏にある懸念が浮かび―――それが一瞬で極限の警戒心に飛躍したのは、鍛え抜かれた戦士ゆえのことだったろう。ばっ、と振り返った男の首を銀光が駆け抜けていった―――漆黒の影の手には滴るような大振りのナイフ。

「がッ……ぼ」喉から異音を漏らす男の眼はまだ死んでいなかった。両肩と頭頂部の砲塔が傾く。それを見て取る前に、影はノックするように3度ナイフを上げ下げし、その左右の首筋と、頭部の銃の根元を突いた。「ご……ご……」男は絶望と共に敵を睨み付けた。

 大きな影はいま、燦然とした光を濡れた体表に受けて、まるで両生類のように見えた―――少なくとも人間だとは見えなかった。いや、真っ当な生物ですらない。まるで深海の厭わしい怪物かのような……。

 キュ、とナイフを手に握りこんだ影は、男の肋骨の下へ刃を滑らせた。

 男が絶命したことを確認すると、影は空を仰いだ―――ふっ、と突然太陽が消失し、夜が訪れる。代わりに水平線とは考えられないほど近い位置に、機械的な光が灯る。―――いったい何が起こったのかと疑問に思う様子もなく、影はこの奇怪な夜の下こそ己が領分とばかりに、ひたひたと白い建物に近づいていった。

 ……カルロとにこやかに会話しながらキッチンに入ったスーツの女は突然訪れた夜を異常とは思わず、ただ苦笑した。「設定を間違えたんでしょうか」「ヤツめ……あれでなかなかおっちょこちょいだな」すぐに”夜”は復旧せず、”昼”のつもりでいた建物の中は暗いままだ。「見てきましょうか」「いや、私が見てくる。君は美味しいコーヒーを淹れていてくれ」カルロはキュラキュラと反転する。微笑んで応じた女は巨大な義手で天井付近の戸棚を開くと、コーヒー豆の詰まった袋を取り出す―――その背を、階段踊り場の窓から白熱する単眼が見下ろしていた。

「……」スーツ女は振り返って、窓を見た―――異常なし。やれやれと首を振って台所に向き直った女の視界の隅で、裏口のドアが揺れ動いた。……ダダダダダダダダダダッ!義手にガトリングのように装着された銃身すべてが同時に火を吹き、キッチンを穴だらけにした。ザーッ、と取り落としたコーヒー豆が床に零れる。ふっ、と吐息が暗闇に伝わる。

 直後、ダンッ、とドアが開いたのも束の間、ゴキブリめいた素早さで黒々とした影が迫り……飛び掛かる蛇のようにナイフを繰り出した。―――「あグッ!」バターのように義手側の二の腕を切断されながらも、女は克己してもう一方の腕で銃を引き抜く!だが、瞬間、鉄槌のような拳骨が女の側頭部を叩く。影は倒れた女の腕を踏み付けながら、ナイフを心臓に深く差し込んだ。

 ……スーツ男の死体を見下ろしていたカルロは、施設内から轟いた銃声に振り返ったが、屋内に戻ることは無く、総身に警戒を宿した滑らかな動作で砂浜の中ほどまで進んだ。あまりに手際のよい死体。続かない銃声。敵は手練れだ。この”夜”はハッキングによるものだろう。―――必殺の構えで来ていると考えて良い……。

「面白い……!」カルロは笑い、フードを上げた―――その頭部は現代版の兜とでも言うべきヘルメットで覆われていた。いや、それだけではない。全身が車椅子と同等の装甲で覆われているのだ。ヘルメットに開いたスリットの奥で血走った眼が戦意に輝く。「かかってくるが良い!我が徹甲弾がおまえのはらわたを砂浜にブチ撒けるであろう!」大音声!

 カルロは車椅子の各所に設けられたカメラと視界を共有し、前後左右を余さず確認する―――海、敵影なし!建屋、敵影なし!密林、敵影なし!指差し確認じみて、正確で執拗な索敵!……だが、依然として敵影は確認できない。「油断するな……」……どれほど時間が経っただろうか。ヘルメットの中を汗が流れる。

 ――――――――――――。影が降りてきた。夜空が圧縮されたような巨巨大な影。そして、月のような一つ目。「―――」飛来した影に、カルロは直前で気付いた。車輪が駆動した。砲身が射角を確保しようとした。すべて、遅すぎた。影が直撃しカルロを揺らした。

 ―――ナイフがヘルメットのスリットを掻っ切った。「ギャアアアアアアア!」凄まじい悲鳴が拡声器で増大されてビーチに反響した。カルロは車椅子を疾駆させながら、脊髄反射的に砲撃する。ボッ―――水の柱。ボッ―――密林が消し飛ぶ。ボッ―――砂浜が爆散する。影は砲撃の衝撃をものともせず、カルロに取り付いたまま機械的にスリットにナイフを突き込み続ける。

 狂ったように回転する車椅子があまりの速度に車輪を浮かせ……仰向けに倒れた。「ア、ア、ア」ボッ―――砲撃が空に消える。……否、それは空中で爆発し、粉塵をまき散らした。夜空がひっ裂け、天使が迎えに来たような光の柱がカルロと影を照らした。影の怪物は頭上を―――風穴の開いたドームの天井を見上げた。―――青空。

 パネルの破片が落下し、水面と砂浜に音を立てた。崩落の下でキュラキュラと空転する車椅子に仰向けになったカルロは、動かない。影は―――ダイビングスーツを着たサイクロプスは、天然光でライトアップされたMAGEの戦士の凄惨な死体を一瞥すると、ナイフの血をそのフードで拭った。

「まさにモンスターだな」鬱蒼とした樹々の間から砂浜に降りてきた人物が賞賛の呟きを漏らした。と同時に、天井パネルに青空が復活し、光の柱が薄らぐ。「タカハシ-サン。ゲートへの手引き感謝する」サイクロプスは……シドは言った。「いつのまにやら、こんな施設ができているとはな」

「ゲート内企業向けの慰安施設だ。まぁ、南国に来たのだから海を見たいがゲート内で済ませたいという者のためのものだろう」「横着な……と言いたいところだが、この街の海は酷いものだしな」「まったくだよ」カンパニュラ側の人間にも関わらずタカハシは顔を歪ませた。あながち、この街の文化や資源を守りたいというのも建前ばかりではないのかもしれない―――シドはスーツの下で微笑んだ。

「この男の砲弾はどこへ行ったかな?それに施設も破損してしまったが……」「”我々の勢力”が責任を持つ。……ヤツら、ゲート内でもめ事を起こしたのは失敗だったな。日和見を決め込んでいた連中もこちらに傾くだろう」「勢力ね……」改革派と保守派―――MAGEは前者でタカハシは後者か。

「MAGEの連中は”荷物”をどうするつもりだったんだろうな」シドの言葉に、タカハシが眉を顰める。「―――”子供たち”をどう利用するか。アンタならよく知っているんじゃないのか?」タカハシの持って回った問いに、シドは笑った―――己の出生のことを言っているのだろう。「オレと”荷物”では事情が違う。それに、最近はカンパニュラの倫理観もまともになってきたんじゃないか?」タカハシは答えなかった。

 その時、施設のドアを開けて、死相すら浮かんで見えるほど緊張した様子の少年が現れた。「……あ」少年の眼差しは倒れた車椅子に注がれている。「3人ともオレが殺した」シドの言葉を聞いていたかどうか、途端、少年はワッと泣き出した。「大丈夫、大丈夫だ」タカハシが優しげな笑みを浮かべながら少年に近寄っていくと、抱きしめた。「他の子たちも、みんな保護する」

 ―――MAGEがゲート内に”荷物”を運んでいたことが判った時点で、その奪還は難しいという話になった。そのため、タカハシの一派に保護という形で一時的に確保しておいてもらい、然るべき手続きの後、パンギルに返却するという流れになったのだ。だから、タカハシの言は間違いではない。

「……この”荷物”は、親から売られたり、身寄りが無かったり……そういう、リスクの少ない商品なんだ」シドの言葉に、少年が身を強張らせるのが判った。「何が言いたい?」少年を抱きしめながら、タカハシが訊ねた。「本当に保護してやるつもりなら、然るべき手を考えろ、と言っている」―――タカハシの言動や行動の端々からは本当に子供たちを保護するのではないかという意志が感じられた。それは裏切りに他ならなかったが……。

「ああ。大丈夫だ。うまくやる」タカハシの眼差しの力強さに、シドは思わず頬に皮肉げな笑みを刻む。

 少年の叫びが安堵のためのものだと気付いてか、施設の奥からぞろぞろと幅広い年代の子供たちが出てくる。どうやら最初の少年が一番年上のようだ。

 突然、甲高い悲鳴。子供たちのうちのひとり―――諦観が恐怖に上塗られた少女の顔がまっすぐにシドを見据えている。「大丈夫だ。あのおじさんが君たちを助けてくれたんだ」タカハシが立ち上がり、大きく腕を広げた。カメラ・アイが少女をまっすぐに見つめ返す。

「オイ、怖がらせるなよ。アスワン(吸血鬼)のフリでもして見せろ」タカハシは真面目くさった顔で言った。

 おびえる少女を、輝く単眼がじっと見つめていた。

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 MRIじみた装置を始めとした多数の医療機器はプラスティックのフレームで覆われて、これでもかというくらいに清潔であることをアピールしていた。機械に囲まれてシドは居心地悪そうにスツールに座っている。

「終わりましたよ。問題ありません」機械の影からひょっこりと現れた女が言った。「助かった」シドはすぐに立ち上がって言った。

「あ、待ってくださいよ。まだほかにも報告がありますよ」「何だ?癌でも見つかったか?」シドはつまらなそうに言った。「だとしたらすぐに報告しています。先日、回収したペニスについてです」女は手にしたタブレットをフリックする。

 彼女―――バーバラはシドの肉体を検診するためゲート外にアダムが派遣した”チーム”のリーダーだ。カンパニュラの社員でありながら、ほとんどの時間をゲート外で過ごすため、社内の政治に対してかなり鈍感かつ自由に振舞える。―――実際の所、シドの検診はアダムが社内に公表している業務の中には表立っては記載されていないようだ。

「こういう面白いものを見ると、ゲートの外で仕事できて良かったなって思います」バーバラは特段面白くもなさそうに言った。「まず筋肉のほうですが、これはカンパニュラ産の人工筋肉ですね」

 バーバラがシドに画面を見せた。出力、強度、靭性のいずれも生体より勝った代物だ。「でも、最新バージョンじゃないですね。2世代前のモデルです。これだって一般に出回るものじゃないですけどね」「カンパニュラの先兵にしては中途半端な装備をしているな」

「ですね。―――それは、ちょっと、次の話と関わる部分があります」フリック―――マレンゴの名とニューロルータの情報。こちらに関してはデータを見てもシドには何のことやら解らない。「シドさんが構造を破壊してしまったせいで明確には判りませんでしたが、かなりヒトの人格に近いものが演算されていたと思います」シドは肩をすくめた。

「……それで、ニューロルータでこのような研究ができる人というと」「待った」シドは手を差し出した。バーバラが首をかしげる。「……わかった。そいつがMAGEの裏にいる可能性があるんだな?」「そうですね。そいつです。旧世代の技術を使用しているのも、もうそいつがカンパニュラにいないからです」シドにはその人物に心当たりがあった。じわりと、心の底で何かが膨れ上がった。

「……そちらも、対処を考えておこう」「もうひとつ。もうひとつ報告があります」バーバラが目を丸くして言った。

「いま、”サイクロプス”用の新しい”装備”を考えています」バーバラの瞳が暗く輝いたように見えた。「あなたに相応しい器になると思います」それは、MAGEなどよりもよほど魔術師然とした眼差しだった。

 ―――巨大なカメラ・アイは無表情でバーバラを見返した。

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 カメラ・アイに跨っていたジェニィが満足げな嬉笑を上げながら、ベッドに横たわった。シドはむくりと起き上がると、びしょぬれになったガラス・フィルタを洗浄液で丁寧に拭く。

「いまのやつのどこが良いんだ」ジェニィの要求で特殊なプレイに興じていたシドは、いささか不満げに唸りながらベッドに沈んだ。「見てたんでしょ?」ジェニィはクスクスと笑う。「なに?」「そのカメラで見てるものって、ずっと録画してるんでしょ?」「それは、そうだが……そういう趣向があったとはな」「そういうわけじゃない」ふてくされたように言った。

「むかし、私、雑誌に載ったことあるんだよ」ジェニィが遠くを見据えた―――かわいらしいが、どこかうらぶれた様子の横顔。「……記録に残りたいということか?」ジェニィは黙ってシドの腹筋に雑誌を投げ出した。「ネットのニュースにも載ったんだけど、そっちは何年か前にサイトが無くなっちゃった」「取っておいてあるのか……」シドは雑誌を手に取った。

 シドは雑誌をパラパラとめくり、あるページで止めると、ジェニィと見比べた。「……フゥン。少し肉付きが良くなったな」「太ってないから!」「オレは今のほうが好きだ」ジェニィは甘えるように歯をむき出して、ぽかぽかとシドを叩いた。―――その笑みの奥底で凝っていた不安と恐怖に、この時は気付けなかった。―――。

……「おい、ボケっとしてんじゃねぇぞ」ジェニィのちょっと出た腹が視界の隅に消え、白髪の大男が覗き込んできた。「なんだ?その眼ン玉に映画でも映してたか?できるんだろそういうの」「……ああ。なにせ、無事に帰れるかわからないだろ?気になってたのを最後まで観ておきたくてな」その言葉に、苛立たしげだったジェイソンの表情がくるりと豪快な笑みに変わった。「違ぇねぇ」そして、またキュッと引き締まる。「だが、これから映画よりド派手な襲撃を掛けるんだ。そんなもんカスに思えるぜ」そう言うと、ジェイソンはメットを被った―――その全身はホッケーキーパーみたいな分厚いアーマーで覆われている。

 ―――窓の向こうを過ぎていくのは陽気に輝くコンクリート・ジャングルだ。サイクロプスとジェイソン、それにあと4人のパンギル構成員はバンに揺られながら戦いに備える。―――ホセが率いるチームによる密造銃器の追跡作戦によって、MAGEが造形した銃が闇市場に流れるだけでなく、街のある一か所に運搬されていることが判ったのだ。

 パンギル構成員の内まだ若いひとりが、似合わないアサルトライフルをギュッと抱き締めた。「安心しろよ。このサイクロプスはMAGEの化け物をふたりも殺ってるんだ」ジェイソンが豪快に笑って若者の背を揺すった。直後、もっと大きな揺れが車体を突き上げた。「……そろそろだ」サイクロプスは呟いた。

 目的地に近づき、別ルートを進んでいたバンが次々と合流してくる―――合計で8台、先頭の1台は衝角めいたバンパーを増設している。襲撃のためパンギルが用意したのは、48名の構成員と、サイバネティクスや各種戦闘技術をその身に刻んだ”戦闘部隊”10名だ。バンの群れが進む道路は青々とした熱帯植物に囲まれ、その向こうに都市のビル群が見える。「狙撃に注意しろよ。なるべくバンで奥まで進むが、当然襲撃対策はしているだろう」

 ……とある商業ビルの屋上で修行僧じみてあぐらをかく男がいた。アルゲース―――MAGEの狙撃手。落ちてくるような青空と、密林の陰湿さと熱狂をそのまま文明に置き換えたような都市に囲まれてアルゲースは思考する。……『カンパニュラの張る根はこの街を肥え太らせ、あらゆる価値や技術を育んできた。そして今、それは我々の手によって収穫され、真に意味ある果実として人類文明に輝くであろう』あの男の言葉だ。……育成と収穫―――それはニューロルータによって強化されたMAGEにもいえることである。我々を収穫するのはカンパニュラか、どうか……。

 ―――いや、そもそもカンパニュラが、経済特区を利用する各国に注力されまるまると太り、そしていまは逆に力を貪り喰うようにすらなったのではないか。銃の魔術師こそが、逆に世界を銃火と混沌に呑み込んでやるのだ……。

 その時、アルゲースの視界にバンの列が飛び込んで来た―――観測手と同期した視界によるものだ。彼らアルゲース端末は、薬物でせん妄状態にした脳にニューロルータを這わせ、電気刺激を与えることで洗脳人格を形成されている。約1週間で造ることでき、MAGEの本格的な活動前から、すでにかなりの数がこの街に放たれている。

「……」アルゲースはカラオケ店での手痛い失敗を思い返す。あそこでサイクロプスを仕留められていればあの人間戦車を失うことは無かったはずだ。―――突然、とある端末が見かけた光景がフラッシュバックした。単眼の巨漢が、路地裏で行った陰惨な処刑。……そして、ゴミ捨て場の死体から逃げるように去っていく大きな背……。

 ―――アルゲースは狙撃銃を構え直した。思考がスッと冷えていき、枝葉がもげ落ちていく。バンの列は一直線になり、そこへ向けて加速していく。そして、ついに、先頭の角付きのバンが”動物園”の門をぶち破った。

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 ダニエル記念動物園。自然保護や研究を主な目的として、現地の動植物を集めた施設で、土と鉄とコンクリートでできた無味乾燥な設備が特徴的だ。そういった目的から、表向きは政府の支援で成り立っている施設だが……カンパニュラのための実験用動物の斡旋を請け負う繁殖場としての側面も強い。

「進め進め!」ジェイソンが運転手に叫び掛けた。各車を繋ぐ通信機はノイズ混じりの喊声をがなり立てる。バンは檻や柵のあいだを蛇行して進んでいく。「目指すは中央研究棟だ!ヤツらの根城はそこにあるぞ!」ジェイソンの叫びに呼応して、他の車両でも雄叫びがあがり、パパパパパッと空へ銃弾を撃ちあげたやつもある。

「ボス!ストッパーだ!このまま進むとパンクする!」道を横断するように、棘の生えたタイヤ・ストッパーが拡げられている―――その先の道にも一定の間隔で同じもの。「どけさせろ。このまま……」パンッパンッ、と断続的な銃声が轟いた。いや、それは瞬く間に雹のような音を立てて車体側面を叩きはじめる。『囲まれてる!』『どこにいやがった!?』「落ち着け!セバン!アギラ!ストッパーをどけてこい!それ以外の連中はバンを盾にして応戦しろ!」

 後方のバンからふたつの人影が飛び出し、猛烈な勢いで駆け抜けていき、それぞれ、鋭いサイバネ脚と翼のようなサイバネ腕でストッパーを排除していく。「オレたちも出るぞ!」ジェイソンとサイクロプスらもバンから出て、周囲に構える―――銃声はすれども敵の姿はない。

 いや……サルが、キリンが、トラが、ゾウが、こちらを見ている。―――その躰の各所についた銃

 パパパパパパッ!アサルトライフルがキリンの躰に血の華を咲かせる。「ギャッ」悲鳴の下にはトラに首を噛み砕かれるパンギル構成員。ショットガンがエミューの首をはじき飛ばす。「バンの上だ!」車上に降り立ったハゲワシが頭部を輝かせる。バンの間を何匹ものイヌが駆け回る。ゾウが巨大な鼻でバンをひっくり返す……。

「ちくしょう!なんだこれは!」ジェイソンが吼えた。バンの間をゾウの鼻がのたうつ―――マレンゴに似た動き。サイクロプスは鼻が狙いを付ける前に一気に距離を詰めると、ドンッと象の頭部に撃ち込んだ。一撃で巨体がくずおれる。サイクロプスは防護コートと頑丈な肌にものをいわせ、狂った動物を次々と撃ち殺していく―――口を血で染めたトラと眼差しが交わる。

 ドンッ!宙で身を捩らせたトラの躰に弾道の軌跡が血の轍を刻む―――だが停止させるに及ばず、そのままサイクロプスの腕に喰い付く。「そうがっつくなよ。え?」骨を砕かんとする顎の中で……怪物の腕がパンプアップする。トラの顎が開き、ぼとぼとと涎を垂らす。慄くトラの眼に不気味な知性の輝きが生じると、人間じみた動きで両の上腕に備わった銃を構えた。

「化け物め」吐き捨てるように言いながら、サイクロプスはトラの首筋に突き込んだ銃の引き金を引いた。ドンッ!しなやかな獣の躰が肉塊に変わる。「あらかた罠は排除された!バンに乗り込め!」通信を受けていた風だったジェイソンが叫んだ。サイクロプスはイヌを蹴飛ばしながらバンのドアを閉めようとした。「待って!」

 ゾウガメの群れに向けてアサルトライフルを連射していた若者が、慌てた様子で駆け戻ってきた。その頭が爆ぜた。「チッ」サイクロプスはドアを閉めた。見渡すと明らかに大きな弾痕が開いた死体が幾つも転がっている。おそらくはスナイパーによるものだろう。「出せ!」バンが急発進する。

「何人残ってる!」ジェイソンの咆哮に各車から報告が上がる。『5号車は4人……あ?』呆然とした声と共に、一台のバンが突如大きくカーブを切って柵を踏み壊し……水しぶきを上げて池に没した。その直前、サイクロプスはバンの運転席に座ったサルを見た。その顔がニカッと笑ったように見えた。

「何だ?おい!何が起きた!」「サルがバンを乗っ取ってやがった」サイクロプスの言葉に、ジェイソンが喉を詰まらせた。『全部で33人……戦闘部隊は全員生き残ってます』遠慮がちな報告の最中も、散発的な銃声と車体を叩く擦過音が響く。キャッと前方から駆けてきたイヌが轢かれる。

「ニューロルータってのは何なんだ?ここまでのことができるのか?」「やろうと思えばできる。が、やる意味があるのか?」「この惨状を見て、よくもそんなことが言えたもんだな」「言えるさ。イヌならともかく他の動物をどうやったら戦争だのテロだのに使える?狂ってるとしか思えん」「クソッ。フリークどものやることは解らねぇ」

 ジェイソンと会話しながら、サイクロプスはカメラ・アイの虚に少し前のトードマン―――アダムとの通話を再生していた。

……「ニューロルータの技術がかなり深いレベルで使われている」『……と、言うと?』アダムの声は無感情だ。「……オレたちと同レベル、ということだ」沈黙―――ふたりにとって禁忌に近い話題だった。排気音のようなため息の後、アダムが語り始めた。『……ロン先生が消えた』「あの人は……」『一度、本国からカンパニュラに戻って来ていたんだが、今度は本当に失踪してしまったんだ』

 ―――ドクター・ロン。ニューロルータ技術の開発者のひとりで、その生態への適応について特に多大な貢献を成した人物だ。そして、ふたりにとって育ての親でもある。

 シドとアダム。ふたりは重度の遺伝子疾患で、脳の正常な発達が見込めないという診断を下されていた。当時の医療技術でも躰を生かすこと自体は可能だったが、それには莫大な費用がかかるだけでなく、倫理的な問題も多々含んでいた―――シドの母親はカンパニュラにその命の行方を委ねた。そう記録されている。

 ニューロルータによる脳の代替。ハード的に発達しえない生体脳を足掛かりに、頭蓋を満たすように膨れ上がったニューロルータが知性を演算し続ける―――人体実験まがいの臨床試験は成功した。そして、その3年後。同様の症状を抱えたアダムにも、この”治療”は適応された。

 だが、その後、ニューロルータそのものが一時封印される始末となった。今でこそ再び利用され始めているが、こと”脳の代替”技術については完全に闇の中だ。世界の技術史のなかに、まさしく影も形もない。―――技術の封印と前後して、ドクター・ロンは帰国している。

「仮にロン先生がMAGEの裏にいるとして……何を目指しているんだろうな」『わからん。禁忌にされた技術の復活か……俗っぽいところもあった人だから、もっと単純な利益狙いかもしれない』「かもな。……会ったら聞いてみるよ」『……できるなら』アダムは沈痛な様子で言った。『できるなら、殺さないでほしい。あの人はオレたちの親なんだ』「ああ。わかっている」シドは淡々と応えた。

 ―――ジェイソンが当たり散らすのを止め、ふいごのように息をつく。「入口が見えたぞ」サイクロプスの射るような声に、ジェイソンがいきり立って運転席に身を乗り出した。「入口が見えて来たぞ!」ジェイソンはサイクロプスの言葉を繰り返すように通信端末に怒鳴りつけた。「あそこが中央研究棟。敵が銃をたらふく溜め込んでるクソ穴だ」

 樹々の衝立が払われ、びっしりと蔦で覆われた白亜の建物が現れる。テックに汚染された不気味な動物たちを見てきた一団の目に、それはホルマリン漬けされた脳髄のような悍ましい建築に見えた。

 ―――あそこに先生がいる。サイクロプスはまっすぐに中央研究棟を見据えると、無骨な銃身をさすった。

 密林じみて氾濫する植物群の只中にそびえる白亜の研究棟―――その入り口へも血管じみて蔦が伸びており、そこには生物の体腔じみた何か生々しい気配があった。探査用装備に身を包んだ”戦闘部隊”のひとりが振り返ってサムズアップすると、パンギルの兵隊たちが研究棟のガラス扉に流れ込んだ。「銃の確保は後でいい!まずは制圧だ!皆殺しにしろ!」大仰な仕草で兵隊たちを送り出しながらジェイソンが叫ぶ。「西の窓には近づくなよ!狙撃手がいる!」

「わかってるっての」ぼやきながら研究棟の壁面に跳び上がったのは真っ黒な義肢を備えたガガンバだ。ボルダリングの如く蔦の覆う壁を駆け上がっていく。「オイッ!」「オレはこっちが適任でしょーが」ガガンバはそのまま2階の窓をぐるりと巡る。「敵さんの姿は見えないぜ。室内で待ち構えてんだろうな」3階の窓に到達すると、三肢の指で器用に壁面に留まり、窓に向けて発砲した。「あぶりだしてやるぜ」ガガンバはほとんど走るように窓を駆け、さらに別箇所に発砲しようとした。

 突然、ガガンバの動きが停まった。「は?」―――窓、青空、驚愕する己の顔、視界一杯に拡がるヴァギナ。ドォン!大きな銃声と共に、頭部を失ったガガンバとガラスが降ってきた。まだ研究棟に入り切っていなかったパンギル構成員が目を丸くする。「バカがッ」「蔦に気を付けろ。たぶん中に通うニューロルータがセンサ代わりになってる。こちらの位置は丸見えだと考えた方が良い」「先に言え……」ジェイソンが低く唸った。

「私は入口に仕掛けを施しておく。あの畜生共が入ってこないようにな」探査役のウムランを背に、ジェイソンとサイクロプスも研究棟内部に歩を進めた。―――研究棟は全5階層で研究室、実験室、資料室などがみっしりと詰まっている。一方で、建屋内の階段は一か所で、エレベータも小型と大型がそれぞれ1基しかなく、侵攻経路は限られている。

 ―――兵隊たちは1から3階に分散して慎重に索敵する。それぞれの部屋の備品には長年使われていなかったかのように蔦が張り、霊廟じみた静謐さが物音を立てるのすら躊躇させる。電気系統が支障なく稼働していることが、却って不気味さを増す。

 ……『3階。C班。銃を見つけた。段ボールに詰められてる』ギャングの兵隊たちが機械的に報告を上げていく。『階段は異常なし。物音もなし。こわいぜ』階段で上階からの敵に備える”大盾”カラサグの本当に怖がっているかのような報告に、誰かが微笑の吐息を通信に漏らす。……『……なんだ?』そして、困惑の声。

 『おい、そこアアアーーーギギギギィィィィイイイイイ!』悲鳴が飽和していくような恐ろしいノイズが通信を覆った。「どうした!」ジェイソンが怒鳴り付ける。『3階から銃声!』『チッ。こっちにもなんかきてやがる』正確に報告しろ!―――そう叫ぼうとしたしたのであろうジェイソンの前でドアがスライドして、それが出て来た。

『なんだこりゃ。クソッ。銃のゾンビだ』意味不明な罵倒―――だが、そうとしか表現しようのない怪物が現れた。それの体表には蔦か血管と判然としない筋がびっしりと張っていた。それの人型のシルエットからは幾つもの銃身が生えていた。それの眼は満月のように爛々と輝いていた。

 それこそゾンビのように、それが両腕を前に出す―――手の甲や前腕から銃口が覗く。「ボケっとするな」サイクロプスは凝然とするジェイソンを押しのけ、ドンッと銃ゾンビの頭を撃ち抜いた。「くそッ、くそッ。なんだってんだッ」「落ち着け」大きな手がジェイソンの震えを抑えつけた。

 ドアからは溢れるように銃ゾンビが出て来る!「一旦退け!」ゾンビ共はゆっくりとした動作で腕を伸ばすと、狙いなどハナからつける気など無いかのように全身から爆竹じみて銃火を瞬かせる。壁を穿ち、電灯を割り、後続の銃ゾンビにまで命中させる。「狙いは滅茶苦茶だ。落ち着いて頭にブッ放せ。それよりも、ここにゃMAGEの幹部連中や真っ当な戦士もいるはずだ。そっちを警戒しろ」

 サイクロプスの泰然とした言葉もあってか、通信の向こうの狂奔が収まっていく。対して、ジェイソンは防護アーマーにものをいわせ、両脇に構えたアサルトライフルで銃ゾンビを薙ぎ払っていた。「ナメやがって!くそがッ」

 ……2階。B研究室。「まだるっこしィ!」銃ゾンビの群れと相対していたシガは咆哮と共に火炎放射器を噴射し、蔦も敵も諸共に焼き払う。「蔦でこっちの場所を把握してるってんなら全部焼いちまえばいいんだ」「そうね」―――シガは降り注いできた声に、呆けたように天井を見上げた。ショットガンの銃口―――ドォン!……

 ……3階。エントランス。翼状の義手で前面を覆って盾としながら、背後の兵隊たちと連携して着実に銃ゾンビを始末していたアギラの耳に、場違いなポーンという音が届いた。薄暗いエントランスに妙に白い空間が口を開けた―――大型エレベータ。『今度はサイバネティクスで武装した戦士たちというわけかね?』軍服の巨大な影が大きく腕を広げた。……

『天井だ!天井のパネルから蛇みたいな女が出て来た!』『全身銃の男だ!3階エントランス!』来たか―――「行ってくる」と言うが早いか、サイクロプスは乱射するジェイソンに引き留められる前に2階へと駆け上がった。「カサラギ、上はいい。アギラの援護に向かえ」『あいよ!もう行ってる!』「上出来だ」階段を登りながら手早く通信を終える。大盾を構えるカサラギがいれば、あの軍服―――ウォルター相手にもしばらく持つだろう。その間に2階に現れた蛇女―――カラオケ店襲撃時の音声データによればその名はサロメ―――を殺す。

「サイクロプス」2階エントランスに吐き出されたサイクロプスに、駆け寄ってきた人影が話しかけてきた。セバン―――ナイフのような鋭い機械化義足を備えた戦闘部隊のひとりだ。「シガがやられた。ほかの戦闘部隊の連中は銃ゾンビに手一杯みたいだ」「兵隊どもはエントランスに戻せ。いくらでも不意打ちされるぞ」「わかった」移動しようとしたセバンが耳の通信機を押さえた。サイクロプスはそれをまっすぐに観ている。セバンが頷いた。

 ―――サイクロプスは蔦をこれ見よがしに踏みにじって廊下に出た。廊下には兵隊たちや銃ゾンビ、蔦の残骸が固体液体ないまぜになってぶちまけられていた。単眼の怪物は一顧だにせず進む。「サロメとか言ったか?さっさと出てこい。おまえの悲鳴も聞きたい」そう言うと、サイクロプスはカメラ・アイに備わったスピーカを起動した。

 ―――『ぎぃぃぃぃい!』『ギャアアアアアアアアア!』ふたつの悲鳴がコーラスを奏で、廊下に反響する。サイクロプスは片手に銃を構え、もう一方にはナイフを逆手に持って、廊下を進んでいく。―――曲がり角を進んだ時だった。サイクロプスの背後で、天井パネルがわずかにスライドした。

 ……サロメは舌なめずりしながら天井パネルから頭を出した。蔦に張ったニューロルータはMAGE幹部たちの知覚に同期し、脳裏に各階のマップを描き出す。現在、パンギル共はエントランスに縮こまり、ガン・ドールたちがそこへ向けてよたよたと進撃している。念願の1対1だ―――怪物の背をその眼で捉えた。……

 ―――ばっ、と振り返ったサイクロプスが即座に銃撃した。ドンッドンッ!「ギッ!?」驚愕したサロメはずるりと天井に逃げ込むが、下から天井パネルを突き破って銃撃が追ってくる。「ギギギギッ」配管と鉄柱の間を這い進み、サロメは距離を取る。

 ……「チッ」穴の開いた天井からはぽたぽたと血が滴る。サイクロプスはサロメから前腕ごとはじけ飛んだソードオフ・ショットガンを蹴り飛ばす。天井からはどたどたと慌てて逃げ出す音がする。サイクロプスが追い立てるように天井に穴を開けていくと、音が廊下から研究室の天井へと逃げ込んで行く。

「どうして奇襲が通じなかったのか、って思っているよな」サイクロプスは傲然とドアを開け放った。「ロン先生から聞いているか?オレもニューロルータ技術の産物なんだよ。おまえ達みたいにニューロルータにアクセスできるんだ」朗々と語る声が、無人の研究室にこだまする。

 ファイルやビーカの並んだ戸棚には蔦が張っている。「そんなに遠くまで逃げたのか?ショットガンには不利じゃあないか……」そう呟くと、天井をめった撃ちにした。……直後!天井パネルを弾き飛ばして、とぐろを巻く女が落下してきた!

 スカートとベールをはためかせ、サロメは蛇のように飛び掛かってきた。片手のショットガンと、頭部のヴァギナを爆ぜ割って現れる銃口!天井を撃っていたサイクロプスは一瞬銃身を戻す速度が遅れる。……刹那、迫るサロメの側頭部を銃弾の嵐が襲った。「ギギギィ!?」

 ゴムじみた肌と骨格は銃弾を吸い込んで大きく変形していた。それでも立とうとしたサロメの片腕に鋭い光が突き刺さる。同時に、サイクロプスの剛腕がヴァギナに突き込まれ、膣内のショットガンを引き摺り出した。「……さっきのは嘘だ。ニューロルータへのハッキング技術ってのは、まだ、無い」そう言いながら液体の滴るショットガンを投げ捨てると、ギラリと光るナイフを柔らかな首に突き立てた。

 ……「さっきは助かった」悍ましい首級を掲げながらサイクロプスが言った。セバンが頷いた―――銃撃の援護も、サロメの片腕を縫い留めたのも、その極細の義足をもって蔦の間を縫って進み、サイクロプスにサロメの奇襲を報せたのも、彼女だ。戦闘部隊の名は伊達ではない。

「気にするな。……」そう言いながら、セバンは鋭い眼差しをサイクロプスに向けた。「あんた、ひょっとしてこのMAGEって連中の黒幕を知ってるのか?ロン先生だとかなんとか……」「ニューロルータの技術者でMAGEの背後に着きそうなのはドクター・ロンだけだ。はったりだよ」「……そうか。ならいいけどな」「ああ。もうひとりの幹部も片付けるぞ」

 ……ブルドーザーじみた大きな盾を丸太のような義手にアタッチするカサラギは、スコールのように盾を叩いていた銃撃が止んだことを訝しんだ。銃声の反響と薬莢の音だけが染み渡る刹那の静寂。―――直後、衝撃が盾にぶち当たり、カサラギを押し潰した。「ギャッ」『埒が明かん』それは盾に対して、浴びせるような蹴りを繰り出していたウォルターだった。全身が銃器にして鎧である怪人にとって、その大質量自体が武器となりうるのだ。

 盾の向こうで縮こまっていた兵隊たちは、ワッと蜘蛛の子を散らすように逃げ、謳うように腕を広げたウォルターの銃撃に撃ち抜かれた。一瞬で立っているのはアギラひとりになった。盾にも刃にも変ずる翼は、ところどころ欠けている。『さて、どれだけ愉しませてくれるかな?』ウォルターが黒光りする手指を脂汗を流すアギラに向けた。―――瞬間。バババババババッ!

 吠え猛るような銃声が火を伴ってウォルターに覆いかぶさった。無数の火花が散る。「化け物がッ」息を切らせて駆け付けたジェイソンが両腕のアサルトライフルを斉射したのだ。『また乱射狂かね?今度はアーマーを着ているようだが……マイナーチェンジといった感じだ』ウォルターは増援に驚いた様子もない。

 ウォルターは音速の弾雨の中を轟然と突き進む。その圧に一歩、また一歩と退くジェイソンの前で、ウォルターは大きく右腕を振りかぶった。『サイクロプスを出せ。来ているんだろう?』車輪めいて事務的で無関心な言葉に、ジェイソンは初めてといってもいい、心の底からの恐怖を覚えた。グシャッ―――鉄拳がヘルメットに沈み、一瞬遅れてジェイソンの巨体が階段踊り場まで吹っ飛んだ。

 その様子を見ていたアギラは……脱兎の如く廊下に駆け出した。『まったく……』裏拳を繰り出しながらの銃撃がアギラの脚を薙いだ。「がァッ」アギラは翼で胴体を守りながら、ずるずると廊下に躰を引きずる。『戦士としての誇りはないのかね』ウォルターは後ろ手に組んで、厳然とした足取りでアギラに歩み寄る。

「おまえはサイクロプスに殺される」アギラは屈辱に歪んだ顔で銃器の魔人を見上げて呻いた。『やはり、あの怪物と相対せねばならんようだな』ウォルターの漆黒の顔面で触覚めいて目口の銃身が蠢く。―――その背後で立ち上がる人影。

 ―――『くどい!』ビシッ、と敬礼するような素早さでウォルターが背後に向けた腕が火を吹く!だが!「うおおああああああ!」咆哮と共に、穴だらけになったカサラギがウォルターに躍りかかる!『貴様!』ウォルターにぶつかったカサラギは、その勢いのまま、研究棟の壁を……ぶち破った!瞬間、アギラの目にカサラギの壮絶な姿が焼き付く―――血まみれの巨大な義手と、赤く膨れ上がった筋肉、そして潰れた顔面に除く白い歯。

 咆哮と悲鳴が急速に下方に消えて行く。―――グシャッ。風穴から地面を覗き込んだアギラの目に、血と臓物をぶちまけるカサラギと、その下敷きになったウォルターが飛び込んで来た。ぴくりとも動かない。ふっ、と息をついたアギラの肩に何かが触れた。「ヒッ……」「安心しろ。オレだ」サイクロプスが大きな手でぽんぽんと肩を叩いた。

「さすがは戦闘部隊だな」サイクロプスは風穴を見下ろすと、一瞬だけ祈るように手を翳した。「ジェイソンは気ィ失ってるみたいだ」セバンが駆け寄ってくる。「そうか。ゾンビ共はあらかた始末したみたいだ。生き残ったヤツを再編して4階に向かうぞ。……アギラ、来れるか?」……アギラはギュッと瞼を閉じ、開いた。「ああ、いける」「上出来だ」

 ―――突入時に33人いたパンギルの突入部隊の内、上階に攻め上がることのできる者はわずか11人にまで減っていた。頼りの戦闘部隊すら、4名を残すのみだ。

「手早く片付けっぞ」戦闘部隊のドノヴァンが睥睨するように廊下を見据えて呟いた。二丁拳銃を巧みに扱う恐るべきガンマンだ。迎え撃つMAGEはまたしても銃ゾンビ……だけではない。その中にはサイクロプスがカルロ暗殺時に始末したスーツの男女のような、明らかに動きの洗練された者たちがいた。幹部のあとに兵隊が出てくるとはおかしな話だが、おそらく奴らの中ではこれが普通なのだ。

 ……アギラが盾となって進み、兵隊たちが弾幕を張る。MAGEの戦士が装弾のため壁に身を引いたところを、セバンが素早く切り裂く。MAGEも負けじと銃ゾンビの集団を壁として突っ込んでくる者がいるが、ドノヴァンの精緻な射撃が頭部を穿つ。体勢を立て直そうと集団から外れたMAGEには、天井パネルから降り立った戦闘部隊のタリムがカタナで斬りかかった。

 ―――激しい戦闘を尻目に、サイクロプスはひとり5階へと登っていった。当然、パンギルの者たちには告げていない。

 先だっての報告で5階階段部はシャッターで閉じられていることが判っていた。……それが、サイクロプスが現れた途端、ゆっくりと開き始めた。「ふん。招いているってとこか」

 シャッターをくぐったサイクロプスの前には誰もいない……蔦も張っていない静かな研究施設の姿があった。4階からのくぐもった銃声が実際より遠く感じられるほど、下界とは隔絶された空間だった。―――どこか、カンパニュラの研究施設を想起させた。

 サイクロプスは慎重な足取りで廊下を進みながらも、待ち伏せがないことを直感していた。―――そして、大男はひときわ大きな部屋の扉の前で立ち止まった。その背に逡巡や躊躇は見受けられず、実際に大きな手はすぐに扉に掛けられた。

 分厚い扉を開けると、無菌室じみた清潔な空間が拡がっていた。そして、中心には見知った人影。―――「やあ、シド」

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 銃ゾンビの群れが雪崩をうって倒れたのを確認した兵隊のひとりが雄叫びを上げて追撃に掛かる!「……あっ。オイ!止まれ!」アギラの叫びも虚しくハイになった男は、倒れたMAGEへ乱射しながら距離を詰める―――窓ガラスが割れ、その頭が爆ぜた。「くそっ。まだスナイパーが見てやがる」

 ……タリムは両腕を肩口から銃に置換したMAGEの首を断ち割った。周囲には銃ゾンビの死体が散乱している。「少々無理をしたか」躰のそこかしこに銃弾を受けたタリムは、息を整えると懐から電気砥石を取り出しカタナをピュアに戻す。「―――だが、あらかた始末したように思う」

「まだだ!最後の一団が奥の材料保管室に立て籠もってやがる!」ドノヴァンが通話にがなり立て、ちょっと沈黙したあと、訊ねた。「……サイクロプスの野郎はどこだ?」『ア?そっちにいるはずだろ』「いねぇよ。……野郎、逃げたか?」『……たぶん、先に5階に行きやがったんだ』セバンが答えた。『だが、いまは4階の残飯を始末するのが先だ。ヤツばかりがパンギルの戦士じゃねぇってことをボスに示すんだ』「応とも」

 ドアを蹴破ったアギラは翼を盾とし、残り3人になった兵隊たちと共に進む。材料保管室にはスチールラックが並び、その上には段ボールがぎっしりと詰まっている。ドノヴァンとセバンはそれぞれ独自に動き、段ボールとラックの壁に慎重に身を隠しながら進む。タリムは再び天井パネルの上だ。

 ……ドサッ、と段ボールが落ちた。アギラと兵隊は突然背後で生じた物音に色めき立って警戒する。「後ろだ!」兵隊のひとりが棚の後ろに回る。「……誰もいない!」『フォローに向かう』セバンが言う。兵隊たちが棚の回りをおっかなびっくり哨戒する中、アギラは横倒しになった段ボールをそっと覗いた―――大量の造形銃。

『天井にも敵影なし』タリムの報告。「ちくしょう。誰か肘でもぶつけたのか?くそ。落ち着け、落ち着け」憔悴した様子のアギラは瞼をギュッと閉じ、開く。「アギラ」音もなく近寄っていたセバンがリラックスを促すような調子で言った。「ああ……」アギラはため息をつきながら、立ち上がった。―――同時に、アギラの影が膨らんだ。そう錯覚させる何かが、段ボールからあふれ出た。

「後ろだ!」振り返ったアギラの目に、無数の銃身を生やした肉塊が聳えていた。銃ゾンビを何十倍にも厭わしく変異させた何か―――それが発砲した。銃声と、悲鳴と、怒号の中、またひとつ段ボールが落ちた。ドサッ。……またひとつ……ドサッ。……ドサッ、ドサッ、ドサッ、ドサッ、ドサッ、ドサッ、ドサッ、ドサッ……。……。

 ……最後の仕掛けが発動したのを確認すると、はるか遠くのビルから研究棟を覗いていたアルゲースは素早く撤収の準備を始めた。……が、思い直したのか、狙撃銃を置くと、両手を挙げながらくるりと背後を向いた。「……降参だ」

「……気付いていたのか」銃を構えた男―――確か、ホセとかいうパンギルの幹部―――が、驚きを押さえた口調で言った。「蔦そのもののセンサには引っかかって無かったさ」ホセは屋上と階段に張り巡らせた蔦を踏まずにここまで近づいて来るという人間離れした技でアルゲースの背後を取ったのだ。「だが、ニューロルータってのはスゴイもんで、監視カメラにハード的に接続してデータをオレのとこに引っこ抜いてたのさ」

「それで?両手を挙げて何をするつもりだ?」「世界共通のジェスチャだと思ってたが」ホセは警戒を緩めない―――だが、殺すつもりなら射程に入った時点で撃っていたはずだ。アルゲースは意を決して言った。「フレッドって知ってるか?」「―――何?」ホセがほんのわずかに眉をひそめた。「パンギルの構成員で、チャング通りで死体が見つかった……。もちろん殺したのはオレじゃない」ビルの屋上で、アルゲースはホセと決闘じみて向かい合う。―――そして、告げた。

「殺したのはサイクロプスだ」

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 ……「ああ、本当に久しぶりだ」ロンは記憶のなかの面影より、ずっとくたびれ、摩耗し、滲んでいた。ロンの立つ研究室は5階全体の静けさを煮詰めたような、息苦しいほどの静寂が凝っていた。狂った動物の臭いも、銃ゾンビの異形さも、MAGEの変態性も、ここには無い。―――ビンやビーカに収まった多種の動植物が棚に整然と並び、色とりどりの被膜で覆われたコードが回路みたいに繋がっている。

 サイクロプスはすっ、と銃口をロンに向けた。「……質問は1つだ」「随分他人行儀だね。何十年ぶりか……」ドンッ!ビンが割れ、あやふやな輪郭をした何かが零れた。「オレはサイクロプスだ。パンギルの兵隊としてここにいる」「わかった。わかった」……ロンは瞳を怯えに揺らし、恭順の笑みを浮かべる。―――サイクロプスは、口元を歪めた。

「MAGEとアンタの関係を教えろ」カメラ・アイの厳然たる眼差しに打たれ、ロンは静かに語り出す。

「―――MAGEは、君たちの次に私が着手したプロジェクトだ。……無論、あんな銃や自動照準なんてものは本質的な部分じゃない。陳腐な話だが、戦争や治安維持目的の技術というものは湯水のように資金をくれるものなんだ。―――外の化け物?……同じ類の話だ。カンパニュラの次世代の基幹技術はバイオ・サイバネティクスだからね。さまざまな生体に適応できる技術でなければならなかった。」……

 ……下階では、銃弾の牙でアギラを貫いた悍ましい怪物が身をねじらせ、セバンにその毒牙を向けていた。「化け物がッ」セバンの回し蹴りが閃光を残して怪物の肉を断った……が、筋肉とも臓器ともつかない断面を晒す怪物はアメーバじみた動きで傷口を塞ぎ、ワームの触覚めいて銃口をせり出す。その間にも、部屋中で怪物が身をもたげていく……。……

 ……「だから、彼らとそう深い関係があるわけじゃない。……ああ、だが、悲しいかな彼らの作戦の成功如何が、私の前途にも影響するんだ。本来はもっとリスクの少ない土地で試験を進める予定だったのに、カンパニュラの”道徳心”の足掛かりにされてしまった……。―――そうか、それを知らなかったか。そもそもパンギルの隆盛はカンパニュラの協力あってのことだ。政府や公権力を内側から蝕む牙として、カンパニュラが資金や武器を提供したんだよ」……

 ……「退けッ」ドノヴァンが雄たけびを上げる。セバンは即座に転身して部屋から出る。『私も退避できた』天井のタリム。わずか3人になったパンギル構成員も肉塊に追われながら必死に脱出する。「ドノヴァン!逃げるのか!?」「こいつで仕留める」ドノヴァンは懐からスティック状の指向性爆弾を取り出す。その間にも肉塊がドアに向かってずるずると近寄って来る。「離れろ!」精緻極まる動作で爆弾を室内に設置すると、ドノヴァンは駆け出した。……

 ……「おっと。すごい振動だ。ただのギャングの装備にしてはスゴイだろう?今でも彼らはカンパニュラのお得意様なんだよ。……だが、”改革派”はそれを変えようとしているんだ。丁度、植民地主義の時代が終わり、先進国が正義や公正さで他を支配し始めようとするようなものだな。ギャングによる支配から、より直接的な―――ニューロルータを始めとした通信技術による支配に切り替えるんだ。―――ああ!そうだ。だから君を招いたんだよ。30年に渡って君の脳に伸張したニューロルータを分析して得られるデータは、MAGEのものとは質も量も段違いだ」……

「嘘だな」サイクロプスは吐き捨てた。くぐもった爆発にも、動じず銃を構え続けている。「な―――なにが嘘だと?」ロンが狼狽えた。「すべてだ。……ニューロルータ技術が、生を超えて存在への問いを提起するという話はどうした?研究の純粋さはどこへ行った?」何がサイクロプスの琴線に触れたのか解らない様子のロンの顔面は蒼白だ。

「アンタには失望したよ」巨大な銃が身をもたげる。「待ってくれ!そうだ!君の本当の出自の話をしよう!ずっと黙っていたが……」「知っている」「え?」「知っている。……それは命乞いにする話じゃないな」その言葉に混じった怒りにロンが気付く前に―――ドンッ、その右腕が吹っ飛んだ。「アァギィィィィィイ」転げまわるロンへ、一歩近づく。「オレは、それを、克服した」

 カメラ・アイのレンズが回転する―――さながら虹彩が収縮するが如し。それは、瞳の虚にロンを呑み込もうとするかのようだった。「オレはシドじゃない。サイクロプスだ」―――その言葉の意味がロンにわかったか、どうか……ドンッ

 ―――清潔な部屋に、血と脳漿が飛び散っていた。顔面の半分が飛んだ男の眼は虚ろだ。その姿が、大男のカメラ・アイに反射する。―――顔を上げると、もうそこにはレンズの虚だけが拡がっていた。

 凄まじいスコールの中に在って、都市の貪婪な光はその癒着を断たれまいとするかのように、いっそう煌々と輝いていた。ビルとビルの隙間から、その光の柱を見上げる人影は一息つくと、よろよろと崩落したような都市の影に分け入っていく。弾丸のような雨粒がその背を苛む。

 ―――パッと灯りが射し、豪雨を裂いて人影を照らした。反射的に太い腕で顔を隠した大男は一糸纏わぬ姿で、そこにはあらゆる尊厳を否定するかのような無数の疵が刻まれていた。「……サイクロプス」灯りの主が呟きを漏らした。「……ライトを下げてくれ。サブカメラじゃ調整がうまく利かないんだ」大男―――シドが少し腕を下ろすと……その顔面にはまっていたはずのカメラ・アイの大部分が無かった。前頭部の欠けた頭部には、垂れ下がった配線と、ひしゃげたアタッチメントが剥き出した。

 ライトが下ろされるのと同時に、シドは汚水に倒れ込んだ。その大質量を支えた人影は、そこでようやくその左腕が二の腕の辺りから断ち切られていることに気付いた。「随分な目にあったな」「アンタは大丈夫だったのか?タカハシ-サン」人影は―――タカハシはシドに肩を貸して、路地裏を進む。「アーマンド氏の好意によって生かされているよ……実際の所は、私の立場は宙ぶらりなんだ」

 ……動物園の襲撃後、状況は一変した。MAGEの幹部たちを倒し、3Dプリンタ銃を押収し、ニューロルータ技術の研究者たるロンを殺害し、事態は収拾したかに思えた。だが、MAGE幹部最後の一人であるアルギースがホセとコンタクトを取ったことが転機となった。

 MAGEの技術をパンギルに提供することを約束し、さらにはカンパニュラとの新たなパイプ役になることを申し出たのだ。―――茶番だ。もとよりパンギルはカンパニュラの先兵だったのだから。だが、パンギルの構成員たちにとって、それは敵の降伏としか映らなかったし、一方のカンパニュラ側にとって、”保守派”と”改革派”の争いは前者の勝利となったわけだが、これがどういうわけか両派閥の和平のきっかけになったらしい。

 ―――問題はシドの処遇だった。ロンの独断での殺害は少なからず幹部たちの心象を悪くしたが、そもそも皆殺しが目的だったのだから、それ自体はさして咎められはしなかった。……だが、アルギースの密告がすべてを変えた。

 もともとホセはフレッド殺害の犯人としてシドを疑っていたのだ。そこへ、アルギースが与えた映像記録が決定打となった。仲間殺しは大罪である―――それだけではない。ひとつ、フレッドは幼少からのパンギルメンバーで幹部たちに気に入られていた。ひとつ、シドに搭載されたニューロルータのデータをカンパニュラが欲している。ひとつ、MAGEを滅ぼされたアルギースの意趣返し。……ほかにも思い当たることはある。

 ジェニィと寝ていたシドは動物園で死闘を共にした戦闘部隊と、冷徹そのもののホセに襲撃された。……シドを畜生に堕とさんとする蛮行が為された。

 ―――ふたりは濁流の中を一歩一歩進む。「とりあえず今は喋るな。隠れ家に行ったらじっくり聞いてやる」タカハシがシドの耳元で強く言った。「喋っていた方が気が紛れる。―――アンタが保護した子供たちはどうした?」「そんなことを心配してる場合か?」タカハシが苦笑したが、そこには賛嘆が含まれているようだった。

「……正直、マズい状況だ。両派閥が手を組んでしまって、ニューロルータを埋め込まれた子供たちは純粋な資産になってしまった」タカハシは苦しげに言った。「いまは他の隠れ家に保護してるが……本音を言うと、自分の首と子供たちの運命を天秤にかけてる。下手をすると、私は死ぬ」「……オレのチームを使え」「チーム?味方がいるのか?」「オレの躰を検診するためにカンパニュラからゲート外に出向しているチームがいる。どうにか利用できないか?」「……ふむ」タカハシは思案する。

 しばらくの間、スコールのノイズだけが響く。「……アンタのチームを犠牲にすることになる」タカハシが吐き出すように言った。「そういう方法しか思いつかなかった。……すまない。アンタが判断してくれ」「問題ない」シドは即答する。「オレがゲートの外に来てからずっと一緒の連中だ。それに、オレの友人の直属でもある。善良な連中だよ」

「すまない……」タカハシは、シドよりよほど重傷を負っているかのように沈痛な呟きを漏らした。―――過ぎ去る気配のない雨は、拷問官のような勤勉さで敗者たちを敵から覆い隠し、同時に終わることのない呵責を与え続けた。シドは己の躰すべてが雨と一体化していくような錯覚を覚えていた。

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『そうか……。伝えてくれてありがとう』アダムは十字を切った。「ああ。……だが、最後に色々とぶちまけて死んでいったよ」シドは喉に物が引っかかったような言い方をした。

 動物園の襲撃から2日後。シドの邸宅。ふたりはテレビ通話で顔を合わせ、恩師の辿った末路について話していた。そこまでの会話には、葬儀というよりは、墓標を訪ねるようなドライさがあった。『ぶちまけたとは?』「先生が自害する前にオレたちの出生について……その、色々とな」シドは自分でも咀嚼できていないという風だ。

『教えてくれ』アダムが両手を組み、老成した眼差しを投げかけた。『正直にいえば、ずっと疑問には思っていたんだ』シドは大きくため息をつくと、語り始めた。

「オレたちは遺伝子疾患の影響で脳が健常に発達しないと診断されていた。だから、ニューロルータを這わせて脳機能を代替させようと試みられた」『続けてくれ』「……まず、それが嘘だった」『……』「オレたちは、そもそも遺伝子疾患などでは無かったんだ。健常な脳にニューロルータを伸張させ、躰のほうは後から損壊させたんだ

 モニタの向こうで、アダムは停止している。「オレたちの肉体がほぼ人工細胞やサイバネなのは、それを覆い隠すためでもある」『な―――なんのために、そんなことをしたんだ』「実のところ、本来の研究の目的がそこだったのさ。今思えばニューロルータの人体への適応の第一弾として、遺伝子疾患の”治療”を目指すなんて、ちょっと出来すぎだったな。だが、表向きはそう報告することで、人体実験の誹りを免れたんだろう」シドの口は滑らかだ。

「……もちろん、本当に病気の赤子を治療しようともしたらしい。そういうのはこの街じゃいくらでも手に入る。当時から、カンパニュラに自分のガキを投げ込む親は多かったしな。……こっちはそもそも表沙汰にはならなかった」シドは吐き捨てるように言った。

『健常な脳にニューロルータを這わせて何の意味があるんだ?』「オイオイ、カンパニュラの”魔術師”殿、アンタのほうが詳しんじゃないか?」シドの言葉に、アダムは思わず苦笑した。『専門じゃない、まぁ、予想は付くさ。脳波データなどの取得、ニューロルータ側からの刺激の付与―――それに、精神活動の上書き』

「ご明察。ロン先生が言っていたのはそんなところだ。最後のは……言ってなかったが」『そうなら、助かるな……』アダムはそう言うと、モニタの外を見上げて溜息を吐いた。『……少し、安心した。ずっと自分が人間じゃないかもしれないと思って生きてきた。脳髄だって所詮は信号と構造によるものだが、それでも、消えない孤独感があった』告解するような言葉だった。―――シドは口を固く結んでいる。

『ああ、くそ。そうだ、何で思いつかなかった?』突然、アダムは清々したような悲しげな笑みで言った。『頭蓋を直接スキャンしてみればよかったじゃないか……。何で思いつかなかった?シドも考えたことなかったか?』「思いついたさ」『なら』「きっと、おまえも思いついてたさ」『あ?』「思いついて、実行して、その記憶を消されたんだ」シドは苦しげに言った。

「脳波データなどの取得、ニューロルータ側からの刺激の付与……誰かがまだデータを取得し続けているんだ。誰かがまだ刺激を与え続けているんだ。おまえの脳みそをいじくりまわしてる連中がいるんだよ」『……』アダムの表情は無だ。「オレの検診チームもデータを欺瞞するようなソフトウェアを使用させられていたみたいだ、オマエのところは元ロン先生の部署の連中だろう。奴らが、今でも、オマエを支配している」―――元はふつうの人間であったろう銃ゾンビたちの姿がシドの脳裏に浮かんだ。

 アダムの眼から涙がこぼれた。『私は……』「安心しろ。昔から人格が大きく変わったようなことは無い」シドは力強く笑いかけた。「それに、おまえはよくやってきた。操られてようがなんだろうが、価値があったからカンパニュラで地位を獲得できたんだ。検診のノウハウはオレのとこに送ってくれたチームが持ってる。ひょっとすると、昔の部署の連中を排除できるんじゃないか?」アダムは沈黙している。……しばらくして、呼吸を整えるとモニタを向いた。

『ああ、そうだな。……さっそく、策略を練っていた』「さすが」シドは笑った。『ヤツらめ、優しげな顔をしてよくもやってくれたな』「その意気だ。必要ならオレも手を貸す」『大丈夫だ。やってやるさ』「頼もしいね。……で、だ。頼もしいついでに、あの事件の処理のことを聞かせてもらいたい」シドの言葉がスッと冷えた。

 あの事件―――ゲート外で起きた妊婦連続殺害事件だ。シドの報告では”犯人は処理”され、あとは無責任に種だけ撒いてゲート外に逃げ込んだ者たちの対処がアダムに依頼されていた。

『排除した』アダムの眼差しには鋳造物のような強さがあった。『カンパニュラ内での対差別プロジェクトを動かして、警察に逮捕させた』「上出来だ。できれば殺したかったがな」シドは平然と言う。『私の地位のためにも我慢してくれ』アダムは笑った。『それよりも、おまえのほうはどうなんだ。処理したっていう犯人はパンギルの連中だったみたいじゃないか』「今のところバレていない」シドはとぼけた答えを返す。

『そうか……。用心しろよ』「わかっている」そう言うと、シドは通話を切った。

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 ジェニィは炎のように燃え上がり、事が終わると、鎮火したかのように沈んだ。「どうしたんだ」ベッドに寝そべったシドは、同じ体勢で隣に寝るジェニィに猫撫で声で言った。

「どうもしない」ジェニィはすげない。シドは起き上がった。「……この前、様子がおかしかったな。何かあったか」静かに乾いた呟きを漏らす。ジェニィは翳った目じりをよせ、電灯を見据えていた―――そっと、おなかをさする。「赤ちゃんができたの」

「堕ろせ」ジェニィは跳ね起きて、シドの横面を殴りつけた。「……ッ」カメラ・アイの縁で手を切る。シドはその腕を掴んだ。「誰のガキだ。そいつ、責任持てるのか」「アンタよりはね!」ジェニィは叫んだ。

 歯を剥き出すジェニィは腕を振りほどこうと身もだえするが、大男の巨体はびくともしない。鋼鉄のカメラ・アイが微動だにせずジェニィを見つめる。「ミスター・アーマンド。怪物の女の味を確かめに来たって……」ジェニィの眼から絞られるように涙が零れる。

 シドはパッとジェニィの腕を離すと、立ち上がった。「そんなに気に入らない!?私はボスの情婦になるの!今よりずっと幸せ!」砕け散ったような顔面から叫びが迸る。シドはコートから何か取り出すと、黙ってジェニィに押し付けた。「どこか外国に行って、そのガキと十数年は食っていける金が入っている。暗証番号も送っておく」

 ジェニィは口に何か詰まらせたように呻いた。「とにかく、この街にいちゃいけない。パンギルともかかわるな。もちろん、カンパニュラにもな」「なに。なんで」ジェニィは焦土のように疲労した表情だ。「アーマンドは情婦のガキなんて認知しない。そのうえジェニィは移民の子孫だろ」

「そんなの……」「わかる。調べろ。前例はいくらでもあるぞ」ジェニィは俯いた。「それに……この街には妊婦を狙った殺人鬼がいる」シドは、そこで一瞬冷気に襲われたように息を震わせた。「この街にいちゃいけないんだ」「それは、それは何か月も前が最後で、もうどこかで死んだんだって噂で……」「ヤツは死んでいない」

 その剣幕にジェニィは押されて縮こまる……が、すぐに押し返すように首を突き出して言った。「じゃあ、シドも一緒に来てよ。こんな街から出ようよ」「オレはカンパニュラから離れられん」「友達のアダムって人に頼めないの?お願い」シドの鎖骨をひっかくように掴む。「お願い……」

 カメラ・アイが揺れた。完全な無表情のカメラ・アイの周囲で、わななく口が、震える肩が、緊張した僧帽筋が、何かの感情を伝えようとした。

 その時、廊下で何かがぶつかる物音がした。続く、完全な静寂―――違和感。「いいか、ジェニィ。必ず、この街を出るんだ」「そんな」「必ずだ。生きていたら連絡する」シドは防護コートを羽織り、銃を取り出すと、ジェニィを部屋の奥においやった。

 ダンッ、とドアが蹴破られた。「すまないな、シド」廊下の灯りを背にして、恐ろしく姿勢の良い人影が現れた。「ホセ」室内に踏み入ってきたパンギル随一の武闘派の顔は普段といささかも何も変わらない。

 シドはすでに銃をまっすぐにホセに向けている。対するホセはまったく泰然としていた。ジェニィは震えている。「フレッド殺害の犯人が判った」「どのフレッドだ?」シドの言葉にホセが苦笑した。シドが初めて見るその表情は、恐ろしく陰気なものだった。

「これからその怪物狩りだ」ホセがそう言った直後、シドが銃を構える手に、壁を割って横合いからまっすぐに閃光が突き立った。シドは銃を取り落しながらも、ホセに躍りかかった。―――ホセは繰り出されたシドの巨腕を取り、巧みに躰を滑らせると……その大質量を投げ飛ばした!

 廊下に転がり出たシドは猫のように体勢を立て直して膝立ちになり、左右を見た。左―――壁からナイフのような義足を引き出すセバン。右―――二丁拳銃を祈るように構えるドノヴァン。そして、正面には悠然としてシドを見下ろすホセ・サントス。

「……そこの女は逃がしてくれないか」「構わん。アレが例の、おまえの女だろう?オレにも慈悲はある」ホセが目配せすると、廊下の奥に詰まっていたパンギル構成員が室内へと向かい、ジェニィを引っ立ててきた。「シド……」「行け」シドは吐き捨てるようにいった―――ジェニィはその眼をまっすぐに見返す。

 ジェニィが下階に消えていく間もホセはシドに目を光らせていた。「さて……」ホセが片頬を歪めた。「何か釈明はあるか?」「カンパニュラのお偉いさんから怪物を仕留めてこいとでも言われたか?下っ端体質が抜けんな、ホセ」「まったくだ。いつまでもオレが最前線に立たにゃならん。戦闘部隊も大半が死んでしまったしな」「幹部連中が無策だったせいだろう」「ふむ……。この状況でも口が減らないな。さすがだ」

 そう言うと、ホセは恐ろしい素早さで銃を抜き、シドの股間を撃ち抜いた。「ごッ……オォ!」「そんな矮小なブツでも神経は通ってるわけか」ホセは微笑んだ。「あのタフで無表情の怪物がどんな悲鳴を上げるか楽しみだ。……連れて行け」

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 暗いコンクリートの牢獄で獣のような咆哮を上げるシドを、暗い影が見ていた。サブ・カメラの平易な視界の中、そいつだけが異様な深みを持っていた。

『おまえは怪物だ』影が嗤う。『オレの人生を台無しにしやがって』

「―――違う。オレは贖おうとした。少しでも幸福に生きようとした」

「こいつ、何か呻いてる」義足の女が近づいて来た。その足先がシドの腿を裂く。シドは吼える。「ふふ。敏感なことで」「ホセが続きをやるまで、あまり虐めんなよ」「わかってる」

 女が消え、影が深まる。『嘘だな。オレって影を目の当たりにして、それに合わせて、さも真っ当みたいな人格を演じてるだけだ。幻だよ』

 シドは喉の奥から言葉を絞り出す。「オレはおまえだ。幻はおまえだ。消えろ」『いいね、本性が出て来た。だが、おまえは、オレじゃない』

 ……「凄まじい頑強さだ」濁流のような絶叫を迸らせるシドの腕が半ばから断たれ、水で一杯のコップを傾けたかのように血を零す。カタナを持った男が血を払う。「傷口は……ああ、灼くかい?ウムラン」「あまり戦闘が得意じゃないんでね。こういう機会に楽しんでおきたい」絶叫……。……

『オレはずっと殺したかった。オレを産んだ下らない連中も、それを許した連中もだ』「……おまえは、存在しない。初めから、いなかったはずだ」『そんなことは無い。ずっと存在していた。ただ、形が無かっただけだ。おまえがその器になったんだ―――シド』

 ……MAGEの銃を頭に装着したパンギル構成員が怪物を見下ろした。「……へっ。あの偉そうなバケモンがこのザマとはなぁ」そいつはズボンのチャックを下ろすと、ペニスを繰り出した。「オレも小便っと……」ビシャビシャと降りかかるそれに―――サイクロプスは躍りかかった。「へ?」カメラ・アイを失った顔が口で一杯になる。そして、噛み付いた。……

『―――正直、おまえには感謝しているんだ。オレが存在できるのはおまえのおかげだ』「やめろ。おまえはオレだ。別人のような顔をするな」『だったら、彼女たちを殺したのもおまえなんだな?』「……」『なぜ答えられない。そう、オレが殺したからだ』「違う……」『違わない。―――もう、オレに委ねろ。すべて、終わらせてやる』

 ……豪雨のなか、タカハシに背負われたシドは空を見上げた。影は今や視界すべてに拡がっていた。カメラ・アイを失った虚に、雨が溜まり、少しして濁流のようにあふれ出した。スコールが何もかもを浚っていく。最後に心にこべりついていたちょっとした感傷の切れ端が、一緒に流れ落ちていった。……

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 ……灰色の空と霞んだビル群が窓から覗き、薄明りに部屋に舞う埃がチラチラと輝く。真っ暗な部屋は、罅の入ったコンクリートの壁が覆っている。―――その中で、むくりと何かが起き上がって光の粒をかき消した。そして、監視カメラのような動きで、首をドアに振り向けた。

 満月のような一つの眼が昏く輝いていた。

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「突入」口ひげの下から、静かで冷徹な喊声が繰り出された。

 ハイウェイ街から大きく離れたスラムじみた住宅街にて、曇天の下、廃ビルの前に停車していた数台のバンから、武装した人間たちが吐き出された。その動きは戦士というより、処刑人じみて粛々としている。

 探査装置を背負った男がビル正面のガラス扉に近づき、サムズアップした。その後ろをナイフのような義足の女、二丁拳銃の屈強な男、そして通常の武装のほかに頭頂部に銃を備えた何十人かの男女が続く。

「……大丈夫ですかね」廃墟じみたビルの虚に呑み込まれていく戦闘部隊を見送りながら、白髪の男が呟いた。顔面の中央にでかでかとガーゼと張り付けており、その傷がまだ衝撃を与え続けているかのように大きな躰を縮こませている。―――ジェイソンだ。

「ヤツは手負いだ。……いや、もしかするとヤツの”チーム”とやらが治療を施したかもしれんが、それでも逃れられはせん」口ひげの男―――ホセが応えた。「さらに言えば、隠れ家がバレているなどとは思っていないだろうし、我々には頼りがいのある”ビジネスパートナー”もいる」

 ジェイソンが顔をしかめた。「アルギースってヤツですか……。ヤツぁ、敵だった。納得できません」その言葉に、ホセが楽しげに苦笑した。「おまえも、これからパンギルのやり方を学んでいくことになる」そう言うと、ホセは後方のビルを見上げた。

「突入部隊、狙撃手、区画の閉鎖……そして、暗殺者」ホセとジェイソンの前で、ビルの壁面に跳び上がった人影がある。人影―――カタナを背負ったタリムは、かつての同僚の義肢を移植しており、壁を易々と駆け上がっていく。「まさに万全の構えだな」

『6階の一番左の窓で何か動いた感じがした。最上階か。船倉の鼠のようだな』アルギースが告げる。『曖昧な報告だな、スナイパー殿』タリムは淡々と言った。だが、その顔には不信と猜疑が露だ。『端末がいない以上、これがオレの限界だ。がんばってくれ』アルゲースもまた淡々としている。MAGEの恐るべき幹部のひとりも、今やパンギルの一兵員に過ぎない―――その事実に溜飲を下げ、タリムは進む。

 当該の部屋に辿り着いたタリムは窓の一部を斬ると、まずカメラが付いたカタナの柄を差し入れて様子をうかがってから、安全を確かめ慎重に室内に潜入した。廃墟のような部屋にはベッドだけがある―――誰かが暴れたような乱れ具合。『6階最南端の部屋で何者かの痕跡』『探索を続けろ。薬物中毒者でも斬って構わん』『了解』

 タリムは漆黒の手足で音もなく部屋を抜け、廊下に出た。廊下側にも薄汚れた窓があり、ゴミの溜まった通路をわずかに照らしていた。タリムは割れた注射器や、空き缶、インスタント麺のカップ、蜘蛛の巣、ゴキブリの死骸……諸々を踏み越え、一部屋一部屋、獲物の存在を確認していく。

 ある時、視界の奥で何かが翻った―――あの男がよく羽織っていたコートだろうか。『6階、階段付近の部屋だ。何かがいた』『オマエが先に見つけちまったか。今度はもう一方の腕まで切っちまうつもりか?』ドノヴァンが通信に軽口を漏らす。『足にしておく』タリムはそう言いながら、豹のように駆けた。そして、ドアに辿り着くと、油断なく開け放った。

『―――あ?』ため息に近い困惑の呟きだった。キィン、とカタナが滑る音がした。『ワッ……ああああああがががガガガガガガアアアアア』凄まじい悲鳴と雑音が通信を聾し……途絶えた。―――ドノヴァンは足を止め、呆然と通信に聞き入っていた。『どうした?タリム。どうした?』セバンが繰り返し言う。3階を探索していた戦闘部隊に動揺が広がる。

 その時、ひとり3階の階段付近で待機していたウムランが何かに気付いた。背負った探査装置の振動センサが反応している。上の階から、何かが、転がって来る。ドチャッ、と音を立てて、それがウムランの前に伸びた。「うッ」―――綿を抜いた人形とでも評しようか……壊れたタリムの躰だった。

 ウムランの支離滅裂な報告と、セバンの必死な呼びかけが通信を飛び交う。『落ち着けッ』通信にホセの檄が飛ぶ。『落ち着いて何があったか報告しろ。その間、ドノヴァンは部隊を一か所に固めろ』『了解』すでに衝撃から立ち直っていたドノヴァンは部隊を集める。―――報告内容は単純で、タリムが全身の骨を砕かれて死んだ、ということだ。

「全員、銃を構えろ!」ドノヴァンが雄たけびを上げた。廊下に声が反響する。「この中にゃ、この前の動物園襲撃を生き残った連中もいる。あの銃弾の雨と、化け物共の中を耐え抜いたんだ。今さら、怪物一匹なんだってんだ」ドノヴァンは豪快に笑った。「実際の所、タリムは不用意に近づいたから死んだ……ヤツはサムライだったからな。だが、サイクロプスの野郎はとんでもない剛力で、近接戦はちときつい。……だが、オレたちにゃこれがある!」ドノヴァンが銃を掲げると、パンギル構成員たちも追従してライフルを掲げ、雄叫びを上げた。「「「ウォォオオオーッ!」」」

 ドンッ。重たい銃声が響き、歓声を塗り潰した。頭の爆ぜたウムランが倒れた。上階から、ずるりと、それが現れた。

 大きい。10フィートはあろうかという躰を大きく前傾している。光沢のない真っ黒な肌もあって、ファインアートのような気位すら感じられた。太く長い首の先端には、鏡のように周囲を映す円形のガラス―――カメラ・アイが輝いていた。

「……ッ!撃てッ!撃てーッ!」絶叫と共に、凄まじい銃火が廊下を埋め尽くした。燎原の火とでも呼ぶべき光景に、音速の弾丸が飛び立った。……怪物は一人をちぎった。一人を投げた。一人を潰した。一人を殴った。瞬く間に銃火の量が減っていく。

「ああッ……ヒーッ!」繰り出した義足を掴まれたセバンが悲鳴を上げる。両の義足を掴んだ怪物は、そのままセバンを引き裂いた。恐慌を来して逃げる余裕すらなく、そういう機構かのようにパンギル構成員たちは引き金を引き続ける。―――ドノヴァンは大きく息を吸うと、一息に部隊の間を駆け抜け、怪物の股下に抜けた。懐からスティック状の爆薬を取り出す。その目はすでに死を覚悟している……!

 ドンッ。ドノヴァンは目を丸くして、飛び散った手を見た。それから、くるくると廊下を滑る爆薬を見た。怪物はこちらに背を向けている―――その股間から生えた尾の先端で、硝煙が上がっていた。「―――はっ」笑いかけたドノヴァンの顔に銃口が向けられ、光った。―――尾ではない、長大なペニスだ……。ドノヴァンの狂い笑いを浮かべた頭部が爆ぜた。

 ……通信の向こうで繰り広げられる狂騒を耳にしながら、ホセは歯噛みする。「アルギース!どうなってる!」『こっちからじゃなにも見えないな。廊下側から見ないと』何を悠長な―――そう怒鳴り付けようとして、アルギースであればタリムが死んだときの様子を視認出来ていたのではないかということに思い当たった。

「アルギース」『ははは……焦っておられる』「ひとつ訊きたい。タリムが死ぬところが見えていたな?」『……ああ。アレは化け物だ。ちょっと、勝てないだろうな』「ふざけたことを言うな!」ホセは思わず怒鳴りつけた……通信は切れていた。今すぐアルギースのいるビルに攻め込みたい気持ちを押さえながら、ホセはまっすぐに廃ビルの入り口を見つめる。すでに通信越しの悲鳴や絶叫、銃声は途絶えている。

 ……カァ、カァ、と遠くでカラスの鳴き声が聞こえた。灰色の空は落ちてくるかのように重い。

 廃ビルの入り口で何かが動いた。次の瞬間、ブチャッ、と音を立てて赤黒い物体がバンに叩きつけられた。生暖かい血しぶきと臓物が飛び散る。バンの周囲に待機していたパンギル構成員たちが悲鳴を上げる。ジェイソンがそっと退き、バンの運転席に向かう。ホセは、現れたそれを真っ向から見据えた。

 廃ビルの内の影が具象したかのような暗黒そのものの怪物は、勢いよく道路に飛び出すと、バンの底部に手を差し込み、まるでオモチャを扱うように転がした。何人かが潰れる。怪物が別のバンの窓を拳で突き破ると、悲鳴と共に窓の内側に血しぶきが散った。パパパパパッ、と銃声が虚しく響き渡る。

「ちくしょうッ。動けッ!」ジェイソンは震える手でバンを操作しようとするが、上手くいかない。バックミラーに、こちらに向かってくる怪物が見えた。「ちくしょう」そこで、ようやくバンのエンジンがかかった。怪物など見なければ存在しないと言わんばかりに、ジェイソンはただ真っ直ぐ前を見てアクセルを踏んだ。―――それでも視界の隅に映っていたバックミラーから、怪物の姿が消える。ジェイソンにその意味を考える余裕はない。

 グシャッ、と衝撃と共に暗い影が車体の上部を塗り潰した―――ジェイソンの頭部も諸共に圧縮される。……鉄槌のような両拳をバンに叩きこんだ怪物は、蛇行する車体から跳び上がると事も無げに道路に着地した。電柱に激突したバンが火を噴く。

 もはやライフルの銃声は無く、ただ散発的にぱんっ、ぱんっ、と拳銃の音がするだけだ―――ホセだけが虚しい抵抗を続けていた。振り返った怪物の丸いカメラ・アイに弾丸が二度三度突き刺さるが、一瞬弾痕じみて白く濁ったガラスは、すぐに透明に戻る。それでも、ホセは怪物が眼前に迫るまで銃撃を止めなかった。

「シド」ホセが呟いた。「これは、なんだ。教えてくれ」周囲には千切れた死体が散乱し、転がったバンが炎上している。勇壮なパンギルの戦闘部隊は、廃ビルの虚無に消えた。悲鳴だけが、まだホセの耳に響いていた。

 怪物は答えない―――ぐぐぐ、と10フィートの躰を曇天に伸ばし、遥か高みからホセを見下ろす。上を向いたホセは哀願ではなく、ただただ疑問だというように周囲を手で示した。「……これは、パンギルが安寧を得るための、最後の大仕事だった。怪物を殺して……めでたしめでたしって……」弛緩した表情のホセは、絞り出されるように言い訳じみた言葉を零した。

 ―――怪物はホセの首を掴み、持ち上げた。枷のように頑強な手を、ホセは震えながら押し開こうとし、足をじたばたとさせる。苦しげな表情で何か言おうとしたのも束の間、凄まじい圧迫が顔を腫瘍のように膨らませ、ただ苦痛で一杯になった。

『……オマエたちの下らない営みは、もう終わりだ』怪物が、ただカメラ・アイだけの顔から電子音声を放った。ホセは、それを聞き取れただろうか。直後、低く浸透するような破砕音が灰色の空に響き、消えた。―――怪物は首の砕けたホセを落下させると、次の獲物を探すかのように周囲を見渡し、跳んだ。

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 廃墟じみたダイナーの窓際の席に、立ち上がって怒鳴り散らす男と、それを悠然と見返す肥満体の男がいた。店内にはカウンター奥の店員以外には、こにふたりしかいない。

「何を悠長に!我々も殺されてしまう!」叫んでいた男―――タカハシは混乱の極みといった様子で頭を抱え、座り込んだ。対して、肥満体の男―――アーマンドは薄ら笑いを浮かべるのみだ。「タカハシ-サン。不思議な話だ。そもそもアンタがオレたちの戦闘部隊を死地に送ったんじゃないか」

「アレはッ……ヤツが、そんな化け物になっているなんて知らなかった」「それに、オレたちの”商品”も、まるまるヤツの”チーム”に奪われたって言う訳だろ?―――アンタが無傷でオレの前にいるのが不思議だな」一瞬、アーマンドの燃えるような眼差しがタカハシに向けられた。「……今やオレも裏切り者だ。アンタたちと一蓮托生だよ」タカハシは弱々しく言った。

 そこで、ダイナーのドアが開く音がした。タカハシはビクリとして背後を確認し、アーマンドは少し首を傾けてそちらを見た。まだ10代に満たないと思われる子供だった―――タカハシはその少女を知っている。「キャス?」「ウチの”商品”か」アーマンドが笑いながら言った。「キャス?どうしてここに?」タカハシが疑念よりも心配の割合が大きい声音で訊ねた。キャサリンは帽子を深くかぶり、俯いているせいで表情が判らない。

 ―――サイクロプスとの計画では、彼のチームを利用して、子供たちの保護とタカハシのカンパニュラ内の地位の復帰を同時に成し遂げるはずだった。だが、彼のチームは子供たちの下には訪れず……その間にタカハシは、キャサリンから凄惨な体験の告白を受け、それがタカハシがサイクロプスを裏切った直接の理由になった。

「キャス。……仕方ない、一緒に帰ろう。クソッ。こうなれば、みんな一緒に国外逃亡だ」「ハッハッハ!そうでなくてはな、タカハシ-サン」アーマンドはニヤニヤとふたりを見つめている。「……その、なんだ?アンタの余裕は何なんだ?」タカハシは何か恐ろしいものを感じて、アーマンドを見遣った。

「我々はこのゲームを観覧しに来たのだよ」アーマンドの眼が黄金に光った―――アルゲースの端末の特徴。タカハシはキャサリンを抱え、バッと窓から離れた。「落ち着きたまえ。同様の機能を利用してはいるが……我々はカンパニュラそのものに属する集団だよ。タカハシ-サン」最後の呼びかけだけがアーマンドの口調の名残りを残していた。

「アルギースはよくやってくれた。端末たちを着実に増やしていき、ついにその近親者からパンギルのボスにまでたどり着いて支配することができたのだ。本来はこれでチェックメイトだった。……だが、いささか気を逸したと言わざるをえん。すでにこの老人が盤面に与える影響はわずかだ。無論、パンギルの仕事の数々は利用させてもらうがね……」

「あ……あんたたちはどの派閥なんだ?」タカハシが狼狽えて言う。「どちらでもない。和平を結んだという話を聞いていなかったかな?保守派にしろ改革派にしろ、カンパニュラの利益を最大にすることが共通の目標だ―――なるべく、”平和的”にね。もともと、その手段に、いささかの相違があっただけなのだよ」その語り方には、植物が根を伸ばすような、水流が岩石を削っていくような、短絡的で強大な力が滲んでいた。

「私をどうするつもりだ。……この娘だけは助けろ」「我々はどうもせんよ。我々はね……」アーマンドが優しげな眼でふたりを見る。「あああ……キャス、逃げよう。なんとか、ヤツに慈悲を乞うてでも」タカハシがキャサリンの肩に触れるが、少女はピクリとも動かない。「行こう。……お願いだ」懇願するようにタカハシが言った。

「まだ役者が足りない」ゾッとする冷たい声音。顔を上げてタカハシを見た少女の眼は、黄色い。「あ、あ……」「これは驚いた。アルギースか」「ええ。子供たちにはカルロがニューロルータを仕込んでいました。年少者ですからね。ちょっと手を加えれば端末にすることは容易い」少女の超然とした物言いに、タカハシは尻もちを着いた。

「……ああ、なるほど。では、今からここが、その舞台になるのだな?」アーマンドが訊ねた。「はい。……残念ですが、その躰は生き残れる可能性がありません」「まぁ、だろうな。……我々は君たちMAGEとあのサイクロプス、ほとんどフィフティ・フィフティで期待している。勝った方が新たな都市の支配者になるだろう」

「な、なにをいってる……」立ち上がったタカハシが震えながら言った。「なにがゲームだ!なにが支配者だ!結局アンタたちの掌の上だろうが!」タカハシは叫んだ。「そうではない」アーマンドは静止するように手を伸ばした。「我々は―――大工場カンパニュラは、常にツールだった。経済特区の諸外国からの注力で成長し、今でも世界の人々の需要を先んじて満たさんと企業努力を続けている。この街はその土台として必要だったから改良したのだし、パンギルによって政府を汚染したのもそのためだ」

 アーマンドは手を組んだ。「だが、今、ゲームの質が変わろうとしている。MAGEもサイクロプスもカンパニュラの顧客に相応しい資格を得ようとしているのだ。パンギルのように、自分たちの保守にしか興味のない者たちではない。他者から奪い、強大化し続けることのできる巨大な車輪たる資格だ」

 アーマンドが―――カンパニュラの何者かが大演説を終えた直後だった。タカハシは膝を着いて泣きそうになっていた。キャサリンは冷徹な眼差しで周囲を観察していた。……それが、訪れた。

 窓の外に、真っ黒な影が降り立った。遠近感や、日常や、常識というものをすべて吹き飛ばして、ただ存在していた。「ほう」笑んだアーマンドの顔が、暗黒の奔流によって窓ごと吹き飛ばされた。ダイナーに突き込まれた長大な腕を見て逃げようとした店員の頭が、ドンッ、と吹き飛んだ。タカハシは転び、失禁する。

「あああ……すまない。すまない。助けてくれ!」タカハシは廊下を這いずって逃げ出す。怪物はその脚を掴むと、壁に投げつけた。タカハシが血を吐く。怪物は肉食獣のように身を屈めてダイナーの中に入る。「サイクロプス」呼びかけた少女に、怪物がぬっと顔を向ける。―――カメラ・アイに映ったその顔は、いつぞやの海岸模倣施設で悲鳴を上げた少女のものだ。

『オマエがタカハシに告げたわけか』ただの事実確認といった怪物の言葉―――少女は頷く。「だが、オレもそれらしい姿を目撃している」アルゲース端末は眼を輝かせる。「別件だろうがな。―――そこから、おまえの存在がずっと気にかかっていた」『そうか』―――刹那、獰猛な筋力が充填した怪物の躰、その側頭部に衝撃がぶち当たり、大きくよろめいた。

 ……ハイウェイ周辺のビル街。あぐら姿勢で銃を構えていたアルギースは顔を上げた。「オイオイ……」頭部に銃弾を受けた怪物が……立ち上がっていた。「戦車だってぶち抜ける代物だぞ……」アルギースが構える銃は、かつて使用していたものより遥かに巨大で無骨なものだった―――それは、彼が言うように現代の分厚い装甲を持つ戦車すら撃ち抜く異形の対戦車ライフルだった。起き上がった怪物の頭部には巨大な擦過痕がある。分厚い皮膚、装甲、筋肉、骨格、さらには円筒様の頭部形状―――もはや怪物狩りと称して何ら遜色ない。

「さて、と……」怪物がまっすぐにビル街に眼を向けた。と、思う間も有らばこそ刹那の内に視界から消える。それを見届けたアルゲースは立ち上がり、ジェット・パックを背負うと移動を開始した。「MAGEの力を見せてやろう」

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 何層にも渦巻くハイウェイと、聳え立つビル群、そして、その間を満たすように拡がる人々の営み。曇り空の下、ケガや負傷をサイバネで補い、むしろ肉体を強化する売り子たちが、今日もハイウェイで危険な街頭販売や呼び込みに従事する。

 ずん……と、そこへ、ゴムの怪物みたいな巨大な影が現れた。突如ハイウェイに生じたそれに、売り子や車の運転手たちが眼を丸くする。車両が我関せずといった調子で別車線へ避けていく中、怪物は頭を上げて周囲をきょろきょろと窺っていた。―――その時、ハイウェイの彼方から売り子たちの悲鳴を媒質に巨大な存在感が漣のように伝わってきた。

 怪物はそちらを見遣る。そして、何気ない動きで横に動いた怪物の脇を、轟然と何かが過ぎ去っていった。―――直後、爆発。

 ハイウェイ上のあらゆるものが、一方向への強烈なベクトルを抱えて吹き飛んだ―――ただ怪物だけがその勢いに抗うように爆発の主へ向かっていった。―――再び、凄まじい勢いの飛来物が脇を抜け、停車していたスポーツカーに着弾した。ドォン!逞しい売り子たちの間に叫喚が満ち溢れる。

 怪物の接近を察知してか、停止していたそれが後退し始めた。平たく、ごつごつとしたシルエットに、あの暗黒色の怪物に対峙するに相応しい漆黒の躯体―――それは戦車であった。……いや、それに類するなにかであろうが、中央に備わった砲身こそそれらしいものの、前後左右に自在に動くホイール、全体に過剰に搭載された銃身……そして、車体上部にちょこんと装着された軍帽が、戦車ですらない何か恐ろしいテックの怪物なのだと誇示していた。

『―――久しいなァ!サイクロプス!』暴力による沈黙と停滞が訪れたハイウェイに、傲然とした電子音声が放たれた。『あの武器庫で貴様と戦えなかったことが心残りでなァ!こうして新たな軀で現れたというわけよ!』MAGEの幹部―――ウォルター。動物園の戦いで重体になっており、タカハシが保守派に引き渡す予定だった―――当然、ご破算になっているはずだ。

『死にぞこないが』怪物もまた大音声の電子音声で応じた。ハイウェイに倒れた者たちに、それはどこまでも乾いていて無関心な重機の咆哮にしか聞こえなかった。

 ボッ―――時速30kmほどで後退しながらも、戦車もどきは次々と徹甲弾を撃ち放つ。ドォン!怪物はそれを巧みに避けつつ、徐々に距離を詰めていく。『どうした!?弾の一発でも受け止めてみたらどうなんだ!サイクロプスゥ!』哄笑が風に流れていく。『……ム』その時、ウォルターの背後に、乗り捨てられた車両の列が見えた。怪物の眼が光った。

 停車した戦車は昆虫の触覚めいて砲塔を動かし、二度怪物に砲弾を撃ち込んだ。怪物は稲妻のような体捌きで避けると、銃の魔獣に拳を振り上げた。―――刹那、怪物の躰が傾いだ。肩に銃弾が突き刺さっていた―――アルギースの狙撃。

『MAGEの力を思い知るが良い!』ボッ―――体勢を崩しつつも伸ばしていた右腕が、爆散した。衝撃で怪物が大きく仰け反る。同時に……ウォルターの影が膨らむ。まるで躰を縮こませていた節足動物が躰を伸ばしたような変化だった―――ウォルターは四本の肢で立ち上がる。

 ウォルターの姿は、今や面前の怪物以上の異形だった。四本の肢に支えられた上半身は装甲と銃身に満ち、胴体のど真ん中には迫撃砲じみた砲身、そして頭部には、軍帽のみならずウォルターの自身のものたる銃身が三つ生えた顔があった。『もはやMAGEに戦えぬ地は無し。世界全てに銃弾の祝福を』

 敵の変形を見て取った怪物は、猫のように対向車線に跳び込んだ。『ハハハハ!』銃弾と砲弾が、天災を超えた破壊を渋滞した車両の列に叩きこむ。爆炎の中、怪物は一層下のハイウェイに逃げ込む。『よくよくこの街の連中は敵前逃亡が好きと見える!』鋼鉄の魔獣はギチギチと肢を動かし、怪物を追ってハイウェイを飛び降りる。

 上層での異変など知らん顔で行き交っていた車両と、知ってなお働くのを止めなかった売り子たちの間に、上層で起こったのと同じ反応が生じた。―――眼を丸くし、無関係を装い、爆発が生じ、死と絶叫が巻き起こった。ただ、今度は怪物のほうが逃げ惑うばかりで、一方的に追い立てるのは昆虫じみた形態に変形したMAGEの兵器だ。

 ……『ウォルター。おびき寄せられているぞ』アルゲースが通信を寄越す。『判っている。ヤツに適応された技術であれば、止血などすぐなはずだ』速度ではサイクロプスのほうが圧倒的に勝る以上、痕跡を残さなければアサルトモードのウォルターなど簡単に撒けるはずなのだ。

『フン。だが、奴がどこに誘い込むにせよ、お前の端末共が見ているはずだろう』『まぁ、そうだ』……アルゲースの端末は、もはや都市の大部分に拡がっている。無論、行動を正確に操れるレベルとなるとごく少数だが、ただ視覚をジャックするだけのレベルならば、都市を網羅したと考えて支障ない。

 MAGEのふたりは怪物のスペックをある程度把握している。サイクロプスと並ぶニューロルータ技術の最初の適応者であるアダムが率いる第四兵器開発部が、怪物の新たな躰を組み上げたのだ。―――それは人間が創る最強の獣とでも言うべき、オーバースペックの化け物だった。

 だが!ウォルタ―はハイウェイから降りて都市の下層に逃げ込んでいく怪物を追いながら、快哉を上げる。『銃弾のエネルギーと、鋼鉄の堅牢さには決して勝てまい!』

 怪物が道路を駆け抜けると、人々の悲鳴と倒れた自転車やバイクの音が余波のように拡がっていく。怪物を過ぎ去った道路沿いの電化製品屋で、喧噪を嫌ってか店主が街頭に並ぶテレビの音を上げた。『……続報です。亡くなったのは20代と見られる……』『……腹部を重機のようなもので叩き潰され……』『……市内の風俗店に勤める……』その画面に、雑誌から切り取ったと思われる写真が載る。颶風が舞い、タンク・モードになったウォルターが道路を駆け抜けていった。轢き殺された人々の血の轍が道路に残る。

 ……ゴロゴロと暗雲が音を立てた。ウォルターは路地に消えた怪物を追って、小さな商業ビルの屋上に登った。蜘蛛のような動きでビル上を飛び渡り、浮浪者に混じったアルギース端末の黄色い眼差しに応じて、獲物を追う。もはや血の跡は残っていないが、敵もこちらが追ってきているのを判っているだろう。

『ヤツは地下駐車場に入る……援護ができん』『もとより追いついて来ていないだろう。地下か……フン。浅知恵だな』ウォルターはタンク・モードに転身し、ビルの下に大口を開けた暗闇に突入する。―――闇の向こう、暗黒そのものの躰に猛獣の熱を宿した怪物がいた。

『1対1なら負けないとでも思ったかね!』大音声が木霊する。ドンッドンッ、と怪物は尾に装着した銃を撃つが、ウォルターにとっては豆鉄砲に等しい。そして、ボッ―――地下であることなど一向に構わない鮮烈な放火が暗闇に炸裂した。

 ウォルターは再びアサルト・モードになり、車列と柱の間を縫う怪物を銃火と放火で追い立てる。弾丸はまだまだある。必要であれば補給ポイントも使用できる。ウォルターは地下に反響する戦争の唄にうっとりと耳を傾ける。

 ……気付けば怪物の姿はない。ただ夥しい出血と、千切れた尾―――マレンゴを思い出す―――が散らばっていた。『そろそろ限界だろう!』そう謳いながら、血痕を追うと、もう一方の出口に繋がっていた。

 ……ザアアアアアアア―――いつの間にかノイズのようなスコールがやって来ていた。烈風が世界を揺らし、排水溝は凄まじい音を立てている。『サイクロプスは見えたか?』『いや、ダメだ。何も見えん』一瞬、アルギースのほうが狙われるかと考えたが、距離があまりに離れすぎている。

『……これが狙いだったのかね!スコール程度で我が銃弾の雨が弱まるとでも!?』ビルに挟まれた無人の道路で、暗雲を仰いで鋼鉄の魔獣が咆哮した。豪雨が道路を煙らせる。先よりの轟音で、人々はこの一帯から消えていた。

 ザアアアアア……ウォルターは道路に踏み出し、慎重に周囲を窺う。MAGEの幹部たちの死に様は、ことごとく不意打ちと奇襲によるものであった。なるほど、銃の魔術師たちに対して凡人が抗おうとすればそうもなるのであろう。だが、もはやこの躯体はそのような次元を超越した。爆薬であろうが、化学兵器であろうが、電撃であろうが負けはしない……!

 ……ウォルターはまったく遅滞なく、それの出現に気づいた。道路の少し離れた地点に怪物が出現していた。滝のような雨に寸断された影の中、カメラ・アイだけが不気味に輝いている。ウォルターはすぐに発砲せず、躰を慎重に怪物のほうへと向けた。

 ―――ドォン!海嘯が岩にぶち当たったかのような水の爆発が生じた。怪物は躰を滑らせ徹甲弾を回避するが、そこへ横薙ぎのスコール―――銃弾の雨が襲い掛かる。ライフルの斉射すらものともしない皮膚をもつ怪物だが、その鋼の逆風の中を突っ切って来られるかは別の話だ。

 怪物は道路を横切るように駆け、銃弾の雨はそれに追随する。壁際まで追い詰められた怪物は……跳んだ。そして、そのまま壁に着地して駆け出す!『ヌゥッ』上向くウォルターの銃撃が窓を割り、砲弾が壁面を叩き壊すが、疾駆する怪物に追いつかない。―――スコールの影響などないと豪語したウォルターだが、実際には風速15m/s付近の台風じみた烈風と、天然の弾丸じみた雨粒は確実にこの銃の魔獣の動きを阻んでいた。

 一方で、怪物はまるで己が領域こそ此処に在りといわんばかりに全霊の動きを発揮している。突如、スッ、とビルを駆けていた怪物が消えた―――滑って落ちたのだ、と考えるほどウォルターは愚かではなかった。反射的に砲口を地面にねじ戻した時、突風の後押しを受けた怪物は、すでに足元にいた。

『おおぉッ!?』怪物はウォルターの肢を掴み、投げ上げた!180℃転倒した四肢の兵器は体勢を立て直そうとするが、その一肢を再び怪物が掴んでいた。ギギイィィ!鋼鉄の機構と人工筋肉が引き千切れる複層的な異音が、雨の中に響く。『貴様!』股下に向けて銃弾を放つが、それは到底決定打にならない。

 ギギイィィ!ギギイィィ!ギギイィィ!サイバネ四肢をすべてもぎ取った怪物はその断面に手を触れた。掌から珊瑚の触手じみた何かが伸び、断面に分け入っていく……。『何を……何をしている!』『このままオマエをばらばらに引き裂いても良いが……時間が掛かる』怪物は淡々と言った。

 うつ伏せの状態になっていたウォルターは、体内で徹甲弾が蠢くのを感じた。『……!やめろ!やめろッ!』『おまえたちが、カンパニュラが、散々やって来たことだろう』ガコン、と砲弾が装填される。『ニューロルータ……精神も魂もあっさりと隷属させ、乗っ取ってしまう。馬鹿げた技術だ』『やめろ!』怪物は手を離す。直後。

 ボッ―――くぐもった衝撃が大地を揺らした。接地した状態で砲撃した鋼鉄の躯体は衝撃でわずかに跳ね上がった。ウォルターはこのような成りでも、元は人間である―――ビルからの落下など比較にならない凄まじい衝撃は、体内に保護された脳髄を完全に破壊していた。

 怪物は空を見上げた。巨大な口腔のような暗雲からは数え切れないほどの雨粒が降り注いでくる。一瞬、怪物は浮遊感を幻覚して、すぐに、完全に人ならざるものに変じた肉体の重みを自覚した。

 怪物は駆け出した。

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 つい数分前まで都市を押し潰そうとしていた暗雲は、すでにこの地に興味を失ったかのように空の彼方に移動していた。傾きかけた陽が青空に黄金を宿す。

「……一つだけ訊きたいことがある」アルギースは未だ雨粒が輝き、突風が吹き荒れるビルの屋上で呟いた。背後の気配が身じろぎした。

「オレがこの都市に訪れて最初にあんたを―――あんたらしい影を見たのは、あるゴミ山だった。そういう場所に住んでるような連中から支配していくのがオレのやり方なんだが……そこで、端末が殺人を見かけた。大男が女を組み拉いで、ナイフで腹をかっ捌いてた」アルゲースは風に吹かれながら都市を見下ろしている。

「まだ数少ない端末を危険に晒したくなかったから、良く見ちゃいなかったが……あれはあんただったんじゃないか?それに、今はオレの端末になったキャサリンってガキも、あんたを見ていた。端末とはいえ、さすがに記憶までは参照できないが……タカハシに、母親が殺されたとこにあんたがいたって告げてたよ。だからタカハシに裏切られたわけだ」

「最後だ。……オレの端末がジェニィって女の死体を見つけた。ひでぇ死に様だったよ。いま、ニュースにもなってるはずだ。……アンタの女で、アンタが殺したんだろ?なんでだ?それが訊きたい」アルゲースは振り返った。

 彼が良く見知った防護コートの男ではなく、そこにはやはり完全に姿を変えてしまった黒色の怪物がいた。怪物が頭を上げた。『オレはサイクロプスだ』「怪物だから殺したって言うんじゃないだろうな」

『オレは誰も許さない。カンパニュラも、パンギルも、MAGEも、ガキを捨てる女どもも、意味も無く孕ませる男どもも……オレを乗っ取ろうとしたシドというやつのことも』

 サイクロプスの眼にアルギースが映る。そこにカメラ・アイを備えた少年の姿が重なる。5歳に満たない男の子―――シドは、矮躯を機械で補強されて元気に駆け回っている。―――少年が首を吊ったのは、ちょっとした入力ミスだった。遺伝疾患で正常に脳が発達せず、ニューロルータだけで構成された知性は、実のところほとんど外部からのプログラミングによって創られていた。

 ……構造化したニューロルータをそのまま破棄するのは、あまりに勿体の無い行為だった。だが、それを正常に発達させるには培地たる人体が不可欠だった。―――検体には少し年下の少年が選ばれた。カンパニュラに検体として提供された捨て子に、名前は無かった。

『オレはサイクロプスだ』呪文のように繰り返すと、怪物は腕を伸ばした。逃げようとしたアルギースの顔に掌の影が掛かった。

 ……黄昏に返り血の散ったカメラ・アイが輝く。振り返り、陽をまっすぐに見つめ返した怪物の眼から、雨粒が零れ落ちた。

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 各層のハイウェイ上には、高架を支える柱に蝟集したバラックから蟻のように売り子たちが展開している。車両のエンジン音にすら負けない元気の良い大声は、高架下の現地人たちの活発な営みに太陽のように降り注いでいた。高架下の日陰とは思えないほど明るい街路沿いには、衣服や食品、携帯端末など生活雑貨店が多数並んでいる。

 そこからわずかに離れると銀色のビル群が太陽を照り返して聳え立つ。そこだけは人々の営みも遠く、カンパニュラの威光を表すかのように冷然としている。

 都市を支配していたパンギルが滅び、その事業の数々は独立していくことになった。ハイウェイ街から離れ、少しローカルな地に踏み入れば、未だに銃の闇市場は盛況し、人身売買の餌食となった子供たちが路地裏で背を丸めている。そして、パンギルと抗争していたというMAGEの置き土産も都市に新たな光と影を投げていた。

 感情が高ぶると眼の色が黄色くなる人々を称して、ムーン・ゲイザーという名が生まれた。都市において珍しい部類の改造ではないが、本人たちの記憶の混濁などに共通点があり、今ではひとつの勢力になっている。その躰はグリップの無い奇妙な銃に適正があり、その奇妙な銃が見つかるとムーン・ゲイザーはそれなりの値で買い取ってくれるという。

 一方で、MAGEが残した積層造形機そのものは、そのエンジニアたる不法入国者たちを含め、都市に散逸した。彼らはパンギル崩壊後に雨後の筍のように生まれたギャングたちに囲われ、密かに武器を製造しているというが、この都市で造形機用の精緻な3D設計が行えるものは限られている。―――すなわち、カンパニュラである。

 ―――パンギルとMAGEが共倒れした巨大な抗争の果てに、あるフォークロアが生まれていた。妊婦と子供を襲う単眼の怪物の話だ。それは抗争の後で明らかになったカンパニュラの過去の人身売買の記録や、ゲート内の者たちの無責任な行動、あるいは捨てられた子供たちの末路……そういった話と、未だ未解決の妊婦連続殺人事件が混同されて生まれたものだろう。

 だが、実際に単眼の怪物に襲われたという話や、そいつが妊婦や子供を殺したという目撃情報も少なくなかった。ネット上にアップされた路地に蠢く人影と、満月のような瞳の動画は世界中で再生されている。

 この噂は、どこまでも明るく、暴力と熱狂に満ちていた都市の夜に、ほんの少しだけ得たいの知れない恐怖を生み出していた。

 それでも、人々は産み、増え、営みを続けるだろう。

 そして、サイクロプスの眼はずっとそれを見続けるだろう。

(完)(同様のものが「小説家になろう」に掲載されています)

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