見出し画像

サイクロプスの虹彩(⑤)

④までのあらすじ:頭部に巨大なカメラ・アイを備える異貌の大男、サイクロプス。彼は傭兵部隊MAGEの恐るべき人間戦車カルロを襲撃し、これを暗殺した。さらに、MAGEの積層造形銃が集められた施設を発見し、パンギルの兵隊と共に強襲をかける。そこで待ち受けていたのは、銃器と射撃技術を躰に刻み込まれた狂った動物たちだった。

 密林じみて氾濫する植物群の只中にそびえる白亜の研究棟は、壁面にびっしりと蔦が張り、まるでホルマリン漬けの臓器のようだ。―――その入り口。探査用装備に身を包んだ”戦闘部隊”のひとりが振り返ってサムズアップすると、パンギルの兵隊たちが研究棟のガラス扉に流れ込んだ。「銃の確保は後でいい!まずは制圧だ!皆殺しにしろ!」大仰な仕草で兵隊たちを送り出しながらジェイソンが叫ぶ。「西の窓には近づくなよ!狙撃手がいる!」

「わかってるっての」ぼやきながら研究棟の壁面に跳び上がったのは真っ黒な義肢を備えたガガンバだ。ボルダリングの如く蔦の覆う壁を駆け上がっていく。「オイッ!」「オレはこっちが適任でしょーが」ガガンバは2階の窓をぐるりと巡る。「敵さんの姿は見えないぜ。室内で待ち構えてんだろうな」3階の窓に到達すると、三肢の指で器用に壁面に留まり、窓に向けて発砲した。「あぶりだしてやるぜ」ガガンバはほとんど走るように窓を駆け、さらに別箇所に発砲しようとした。

 突然、ガガンバの動きが停まった。「は?」―――窓、青空、驚愕する己の顔、視界一杯に拡がるヴァギナ。ドォン!大きな銃声と共に、頭部を失ったガガンバとガラスが降ってきた。まだ研究棟に入り切っていなかったパンギル構成員が目を丸くする。「バカがッ」「蔦に気を付けろ。たぶん中に通うニューロルータがセンサ代わりになってる。こちらの位置は丸見えだと考えた方が良い」「先に言え……」ジェイソンが低く唸った。

「私は入口に仕掛けを施しておく。あの畜生共が入ってこないようにな」探査役のウムランを背に、ジェイソンとサイクロプスも研究棟内部に歩を進めた。―――研究棟は全5階層で研究室、実験室、資料室などがみっしりと詰まっている。一方で、建屋内の階段は一か所で、エレベータも小型と大型がそれぞれ1基しかなく、侵攻経路は限られている。

 ―――兵隊たちは1から3階に分散して慎重に索敵する。それぞれの部屋の備品には長年使われていなかったかのように蔦が張り、霊廟じみた静謐さが物音を立てるのすら躊躇させる。電気系統が支障なく稼働していることが、却って不気味さを増す。

 ……『3階。C班。銃を見つけた。段ボールに詰められてる』ギャングの兵隊たちが機械的に報告を上げていく。『階段は異常なし。物音もなし。こわいぜ』階段で上階からの敵に備える”大盾”カラサグの本当に怖がっているかのような報告に、誰かが微笑の吐息を通信に漏らす。……『……なんだ?』そして、困惑の声。

 『おい、そこアアアーーーギギギギィィィィイイイイイ!』悲鳴が飽和していくような恐ろしいノイズが通信を覆った。「どうした!」ジェイソンが怒鳴り付ける。『3階から銃声!』『チッ。こっちにもなんかきてやがる』正確に報告しろ!―――そう叫ぼうとしたしたのであろうジェイソンの前でドアがスライドして、それが出て来た。

『なんだこりゃ。クソッ。銃のゾンビだ』意味不明な罵倒―――だが、そうとしか表現しようのない怪物が現れた。それの体表には蔦か血管と判然としない筋がびっしりと張っていた。それの人型のシルエットからは幾つもの銃身が生えていた。それの眼は満月のように爛々と輝いていた。

 それこそゾンビのように、それが両腕を前に出す―――手の甲や前腕から銃口が覗く。「ボケっとするな」サイクロプスは凝然とするジェイソンを押しのけ、ドンッと銃ゾンビの頭を撃ち抜いた。「くそッ、くそッ。なんだってんだッ」「落ち着け」大きな手がジェイソンの震えを抑えつけた。

 ドアからは溢れるように銃ゾンビが出て来る!「一旦退け!」ゾンビ共はゆっくりとした動作で腕を伸ばすと、狙いなどハナからつける気など無いかのように全身から爆竹じみて銃火を瞬かせる。壁を穿ち、電灯を割り、後続の銃ゾンビにまで命中させる。「狙いは滅茶苦茶だ。落ち着いて頭にブッ放せ。それよりも、ここにゃMAGEの幹部連中や真っ当な戦士もいるはずだ。そっちを警戒しろ」

 サイクロプスの泰然とした言葉もあってか、通信の向こうの狂奔が収まっていく。対して、ジェイソンは防護アーマーにものをいわせ、両脇に構えたアサルトライフルで銃ゾンビを薙ぎ払っていた。「ナメやがって!くそがッ」

 ……2階。B研究室。「まだるっこしィ!」銃ゾンビの群れと相対していたシガは咆哮と共に火炎放射器を噴射し、蔦も敵も諸共に焼き払う。「蔦でこっちの場所を把握してるってんなら全部焼いちまえばいいんだ」「そうね」―――シガは降り注いできた声に、呆けたように天井を見上げた。ショットガンの銃口。ドォン!……

 ……3階。エントランス。翼状の義手で前面を覆って盾としながら、背後の兵隊たちと連携して着実に銃ゾンビを始末していたアギラの耳に、場違いなポーンという音が届いた。薄暗いエントランスに妙に白い空間が口を開けた―――大型エレベータ。『今度はサイバネティクスで武装した戦士たちというわけかね?』軍服の巨大な影が大きく腕を広げた。……

『天井だ!天井のパネルから蛇みたいな女が出て来た!』『全身銃の男だ!3階エントランス!』来たか―――「行ってくる」と言うが早いか、サイクロプスは乱射するジェイソンに引き留められる前に2階へと駆け上がった。「カサラギ、上はいい。アギラの援護に向かえ」『あいよ!もう行ってる!』「上出来だ」階段を登りながら手早く通信を終える。大盾を構えるカサラギがいれば、あの軍服―――ウォルター相手にもしばらく持つだろう。その間に2階に現れた蛇女―――カラオケ店襲撃時の音声データによればその名はサロメ―――を殺す。

「サイクロプス」2階エントランスに吐き出されたサイクロプスに、駆け寄ってきた人影が話しかけてきた。セバン―――ナイフのような鋭い機械化義足を備えた戦闘部隊のひとりだ。「シガがやられた。ほかの戦闘部隊の連中も各個撃破されてるみたいだ」「兵隊どもはエントランスに戻せ。いくらでも不意打ちされるぞ」「わかった」

 サイクロプスは蔦をこれ見よがしに踏みにじって廊下に出た。廊下には兵隊たちや銃ゾンビ、蔦の残骸が固体液体ないまぜになってぶちまけられていた。単眼の怪物は一顧だにせず進む。「サロメとか言ったか?さっさと出てこい。おまえの悲鳴も聞きたい」そう言うと、サイクロプスはカメラ・アイに備わったスピーカを起動した。

 ―――『ぎぃぃぃぃい!』『ギャアアアアアアアアア!』ふたつの悲鳴がコーラスを奏で、廊下に反響する。サイクロプスは片手に銃を構え、もう一方にはナイフを逆手に持って、廊下を進んでいく。―――曲がり角を進んだ時だった。サイクロプスの背後で、天井パネルがわずかにスライドした。

 ……サロメは舌なめずりしながら天井パネルから頭を出した。蔦に張ったニューロルータはMAGE幹部たちの知覚に同期し、脳裏に各階のマップを描き出す。現在、パンギル共はエントランスに縮こまり、ガン・ドールたちがそこへ向けてよたよたと進撃している。念願の1対1だ―――怪物の背をその眼で捉えた。……。

 ―――ばっ、と振り返ったサイクロプスが即座に銃撃した。ドンッドンッ!「ギッ!?」驚愕したサロメはずるりと天井に逃げ込むが、下から天井パネルを突き破って銃撃が追ってくる。「ギギギギッ」配管と鉄柱の間を這い進み、サロメは距離を取る。

 ……「チッ」穴の開いた天井からはぽたぽたと血が滴る。サイクロプスはサロメから前腕ごとはじけ飛んだソードオフ・ショットガンを蹴り飛ばす。天井からはどたどたと慌てて逃げ出す音がする。サイクロプスが追い立てるように天井に穴を開けていくと、音が廊下から研究室の天井へと逃げ込んで行く。

「どうして奇襲が通じなかったのか、って思っているよな」サイクロプスは傲然とドアを開け放った。「ロン先生から聞いているか?オレもニューロルータ技術の産物なんだよ。おまえ達みたいにニューロルータにアクセスできるんだ」朗々と語る声が、無人の研究室にこだまする。

 ファイルやビーカの並んだ戸棚には蔦が張っている。「そんなに遠くまで逃げたのか?ショットガンには不利じゃあないか……」そう呟くと、天井をめった撃ちにした。……直後!天井パネルを弾き飛ばして、とぐろを巻く女が落下してきた!

 スカートとベールをはためかせ、サロメは蛇のように飛び掛かってきた。片手のショットガンと、頭部のヴァギナを爆ぜ割って現れる銃口!天井を撃っていたサイクロプスは一瞬銃身を戻す速度が遅れる。……迫るサロメの側頭部を銃弾の嵐が襲った。「ギギギィ!?」

 ゴムじみた肌と骨格は銃弾を吸い込んで大きく変形していた。それでも立とうとしたサロメの片腕に鋭い光が突き刺さる。同時に、サイクロプスの剛腕がヴァギナに突き込まれ、膣内のショットガンを引き摺り出した。「……さっきのは嘘だ。ニューロルータにアクセスってのは登録者じゃないとできん」そう言いながら液体の滴るショットガンを投げ捨てると、ギラリと光るナイフを柔らかな首に突き立てた。

 ……「さっきは助かった」悍ましい首級を掲げながらサイクロプスが言った。セバンが頷いた―――銃撃の援護も、サロメの片腕を縫い留めたのも、その極細の義足をもって蔦の間を縫って進み、サイクロプスにサロメの奇襲を報せたのも、彼女だ。戦闘部隊の名は伊達ではない。

「気にするな。……」そう言いながら、セバンは鋭い眼差しをサイクロプスに向けた。「あんた、ひょっとしてこのMAGEって連中の黒幕を知ってるのか?ロン先生だとかなんとか……」「ニューロルータの技術者でMAGEの背後に着きそうなのはドクター・ロンだけだ。はったりだよ」「……そうか。ならいいけどな」「ああ。もうひとりの幹部も片付けるぞ」

 ……ブルドーザーじみた大きな盾を義手にアタッチするカサラギは、スコールのように盾を叩いていた銃撃が止んだことを訝しんだ。銃声の反響と薬莢の音だけが染み渡る刹那の静寂。―――直後、衝撃が盾にぶち当たり、カサラギを押し潰した。「ギャッ」『埒が明かん』それは盾に対して、浴びせるような蹴りを繰り出していたウォルターだった。全身が銃器にして鎧である怪人にとって、その大質量自体が武器となりうるのだ。

 盾の向こうで縮こまっていた兵隊たちは、ワッと蜘蛛の子を散らすように逃げ、謳うように腕を広げたウォルターの銃撃に撃ち抜かれた。立っているのはアギラひとりだ。盾にも刃にも変ずる翼は、ところどころ欠けている。『さて、どれだけ愉しませてくれるかな?』ウォルターが黒光りする手指を脂汗を流すアギラに向けた。

 バババババババッ!吠え猛るような銃声が火を伴ってウォルターに覆いかぶさった。無数の火花が散る。「化け物がッ」息を切らせて駆け付けたジェイソンが両腕のアサルトライフルを斉射したのだ。『また乱射狂かね?今度はアーマーを着ているようだが……マイナーチェンジといった感じだ』ウォルターは増援に驚いた様子もない。

 そこで、ウォルターはおもむろに廊下に退くと、近くの資料室へと入っていった。ピシャリとドアが閉まる。呆然として顔を見合わせたジェイソンとアギラの耳に、すぐまたドアが開閉する音が響く。『……失礼。雑魚相手に弾を使いすぎたものでね。リロードしていた』再び現れたウォルターの悠然とした言葉への返答は嵐のような銃弾だった。

 ウォルターは音速の弾雨の中を轟然と突き進む。その圧に一歩、また一歩と退くジェイソンの前で、ウォルターは大きく右腕を振りかぶった。『サイクロプスを出せ。来ているんだろう?』車輪めいて事務的で無関心な言葉に、ジェイソンは初めてといってもいい、心の底からの恐怖を覚えた。グシャッ―――鉄拳がヘルメットに沈み、一瞬遅れてジェイソンの巨体が階段踊り場まで吹っ飛んだ。

 その様子を見ていたアギラは……脱兎の如く廊下に駆け出した。『まったく……』裏拳を繰り出しながらの銃撃がアギラの脚を薙いだ。「がァッ」アギラは翼で胴体を守りながら、ずるずると廊下に躰を引きずる。『戦士としての誇りはないのかね』ウォルターは後ろ手に組んで、厳然とした足取りでアギラに歩み寄る。

「おまえはサイクロプスに殺される」アギラは屈辱に歪んだ顔で銃器の魔人を見上げて呻いた。『やはり、あの怪物と相対せねばならんようだな』ウォルターの漆黒の顔面で触覚めいて目口の銃身が蠢く。―――その背後で立ち上がる人影。

 ―――『くどい!』ビシッ、と敬礼するような素早さでウォルターが背後に向けた腕が火を吹く!だが!「うおおああああああ!」咆哮と共に、穴だらけになったカサラギがウォルターに躍りかかる!『貴様!』ウォルターにぶつかったカサラギは、その勢いのまま、研究棟の壁を……ぶち破った!瞬間、アギラの目にカサラギの壮絶な姿が焼き付く―――血まみれの巨大な義手と、赤く膨れ上がった筋肉、そして潰れた顔面に除く白い歯。

 咆哮と悲鳴が急速に下方に消えて行く。―――グシャッ。風穴から地面を覗き込んだアギラの目に、血と臓物をぶちまけるカサラギと、その下敷きになったウォルターが飛び込んで来た。ぴくりとも動かない。ふっ、と息をついたアギラの肩に何かが触れた。「ヒッ……」「安心しろ。オレだ」サイクロプスが大きな手でぽんぽんと肩を叩いた。

「さすがは戦闘部隊だな」サイクロプスは風穴を見下ろした。「ジェイソンは気ィ失ってるみたいだ」セバンが駆け寄ってくる。「そうか。ゾンビ共はあらかた始末したみたいだ。生き残ったヤツを再編して4階に向かうぞ。……アギラ、来れるか?」……アギラはギュッと瞼を閉じ、開いた。「ああ、いける」「上出来だ」

 ―――突入時に33人いたパンギルの突入部隊の内、上階に攻め上がることのできる者はわずか11人にまで減っていた。頼りの戦闘部隊すら、4名を残すのみだ。

「手早く片付けっぞ」戦闘部隊のドノヴァンが睥睨するように廊下を見据えて呟いた。二丁拳銃を巧みに扱う恐るべきガンマンだ。迎え撃つMAGEはまたしても銃ゾンビ……だけではない。その中にはサイクロプスがカルロ暗殺時に始末したスーツの男女のような、明らかに動きの洗練された者たちがいた。

 ……アギラが盾となって進み、兵隊たちが弾幕を張る。MAGEの戦士が装弾のため壁に身を引いたところを、セバンが素早く切り裂く。MAGEも負けじと銃ゾンビの集団を壁として突っ込んでくる者がいるが、ドノヴァンの精緻な射撃が頭部を穿つ。体勢を立て直そうと集団から外れたMAGEには、天井パネルから降り立った戦闘部隊のタリムがカタナで斬りかかった。

 ―――激しい戦闘を尻目に、サイクロプスはひとり5階へと登っていった。当然、パンギルの者たちには告げていない。

 先だっての報告で5階階段部はシャッターで閉じられていることが判っていた。……それが、サイクロプスが現れた途端、ゆっくりと開き始めた。「ふん。招いているってとこか」

 シャッターをくぐったサイクロプスの前には誰もいない……蔦も張っていない静かな研究施設の姿があった。4階からのくぐもった銃声が実際より遠く感じられるほど、下界とは隔絶された空間だった。―――どこか、カンパニュラの研究施設を想起させた。

 サイクロプスは慎重な足取りで廊下を進みながらも、待ち伏せがないことを直感していた。―――そして、大男はひときわ大きな部屋の扉の前で立ち止まった。その背に逡巡や躊躇は見受けられず、実際に大きな手はすぐに扉に掛けられた。

 分厚い扉を開けると、無菌室じみた清潔な空間が拡がっていた。そして、中心には見知った人影。―――「やあ、シド」

////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////

 銃ゾンビの群れが雪崩をうって倒れたのを確認した兵隊のひとりが雄叫びを上げて追撃に掛かる!「……あっ。オイ!止まれ!」アギラの叫びも虚しくハイになった男は倒れたMAGEを乱射しながら距離を詰める―――窓ガラスが割れ、その頭が爆ぜた。「くそっ。まだスナイパーが見てやがる」

 ……タリムは両腕を肩口から銃に置換したMAGEの首を断ち割った。周囲には銃ゾンビの死体が散乱している。「少々無理をしたか」躰のそこかしこに銃弾を受けたタリムは、息を整えると懐から電気砥石を取り出しカタナをピュアに戻す。「―――だが、あらかた始末したように思う」

「まだだ!最後の一団が奥の材料保管室に立て籠もってやがる!」ドノヴァンが通話にがなり立て、ちょっと沈黙したあと、訊ねた。「……サイクロプスの野郎はどこだ?」『ア?そっちにいるはずだろ』「いねぇよ。……野郎、逃げたか?」『……たぶん、先に5階に行きやがったんだ』セバンが答えた。『だが、いまは4階の残飯を始末するのが先だ。ヤツばかりがパンギルの戦士じゃねぇってことをボスに示すんだ』「応とも」

 ドアを蹴破ったアギラは翼を盾とし、残り3人になった兵隊たちと共に進む。材料保管室にはスチールラックが並び、その上には段ボールがぎっしりと詰まっている。ドノヴァンとセバンはそれぞれ独自に動き、段ボールとラックの壁に慎重に身を隠しながら進む。タリムは再び天井パネルの上だ。

 ……ドサッ、と段ボールが落ちた。アギラと兵隊は突然背後で生じた物音に色めき立って警戒する。「後ろだ!」兵隊のひとりが棚の後ろに回る。「……誰もいない!」『フォローに向かう』セバンが言う。兵隊たちが棚の回りをおっかなびっくり哨戒する中、アギラは横倒しになった段ボールをそっと覗いた―――大量の造形銃。

『天井にも敵影なし』タリムの報告。「ちくしょう。誰か肘でもぶつけたのか?くそ。落ち着け、落ち着け」憔悴した様子のアギラは瞼をギュッと閉じ、開く。「アギラ」音もなく近寄っていたセバンがリラックスを促すような調子で言った。「ああ……」アギラはため息をつきながら、立ち上がった。―――同時に、アギラの影が膨らんだ。そう錯覚させる何かが、段ボールからあふれ出た。

「後ろだ!」振り返ったアギラの目に、無数の銃身を生やした肉塊が聳えていた。銃ゾンビを何十倍にも厭わしく変異させた何か―――それが発砲した。銃声と、悲鳴と、怒号の中、またひとつ段ボールが落ちた。ドサッ。……またひとつ……ドサッ。……ドサッ、ドサッ、ドサッ、ドサッ、ドサッ、ドサッ、ドサッ、ドサッ……。……。

 ……最後の仕掛けが発動したのを確認すると、はるか遠くのビルから研究棟を覗いていたアルゲースは素早く撤収の準備を始めた。……が、思い直したのか、狙撃銃を置くと、両手を挙げながらくるりと背後を向いた。「……降参だ」

「……気付いていたのか」銃を構えた男―――確か、ホセとかいうパンギルの幹部―――が、驚きを押さえた口調で言った。「蔦そのもののセンサには引っかかって無かったさ」ホセは屋上と階段に張り巡らせた蔦を踏まずにここまで近づいて来るという人間離れした技でアルゲースの背後を取ったのだ。「だが、ニューロルータってのはスゴイもんで、監視カメラにハード的に接続してデータをオレのとこに引っこ抜いてたのさ」

「それで?両手を挙げて何をするつもりだ?」「世界共通のジェスチャだと思ってたが」ホセは警戒を緩めない―――だが、殺すつもりなら射程に入った時点で撃っていたはずだ。アルゲースは意を決して言った。「フレッドって知ってるか?」「―――何?」ホセがほんのわずかに眉をひそめた。「パンギルの構成員で、チャング通りで死体が見つかった……。もちろん殺したのはオレじゃない」ビルの屋上で、アルゲースはホセと決闘じみて向かい合う。―――そして、告げた。

「殺したのはサイクロプスだ」

////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////

 ……「ああ、本当に久しぶりだ」ロンは記憶のなかの面影より、ずっとくたびれ、摩耗し、滲んでいた。ロンの立つ研究室は5階全体の静けさを煮詰めたような、息苦しいほどの静寂が凝っていた。狂った動物の臭いも、銃ゾンビの異形さも、MAGEの変態性も、ここには無い。―――ビンやビーカに収まった多種の動植物が棚に整然と並び、色とりどりの被膜で覆われたコードが回路みたいに繋がっている。

 サイクロプスはすっ、と銃口をロンに向けた。「……質問は1つだ」「随分他人行儀だね。何十年ぶりか……」ドンッ!ビンが割れ、あやふやな輪郭をした何かが零れた。「オレはサイクロプスだ。パンギルの兵隊としてここにいる」「わかった。わかった」……ロンは瞳を怯えに揺らし、恭順の笑みを浮かべる。―――サイクロプスは、口元を歪めた。

「MAGEとアンタの関係を教えろ」カメラ・アイの厳然たる眼差しに打たれ、ロンは静かに語り出す。

 ―――MAGEは、君たちの次に私が着手したプロジェクトだ。……無論、あんな銃や自動照準なんてものは本質的な部分じゃない。陳腐な話だが、戦争や治安維持目的の技術というものは湯水のように資金をくれるものなんだ。―――外の化け物?……同じ類の話だ。カンパニュラの次世代の基幹技術はバイオ・サイバネティクスだからね。さまざまな生体に適応できる技術でなければならなかった。

 ……下階では、銃弾の牙でアギラを貫いた悍ましい怪物が身をねじらせ、セバンにその毒牙を向けていた。「化け物がッ」セバンの回し蹴りが閃光を残して怪物の肉を断った……が、筋肉とも臓器ともつかない断面を晒す怪物はアメーバじみた動きで傷口を塞ぎ、ワームの触覚めいて銃口をせり出す。その間にも、部屋中で怪物が身をもたげていく……。……。

 ……だから、彼らとそう深い関係があるわけじゃない。……ああ、だが、悲しいかな彼らの作戦の成功如何が、私の前途にも影響するんだ。本来はもっとリスクの少ない土地で試験を進める予定だったのに、カンパニュラの”道徳心”の足掛かりにされてしまった……。―――そうか、それを知らなかったか。そもそもパンギルの隆盛はカンパニュラの協力あってのことだ。政府や公権力を内側から蝕む牙として、カンパニュラが資金や武器を提供したんだよ。

 ……「退けッ」ドノヴァンが雄たけびを上げる。セバンは即座に転身して部屋から出る。『私も退避できた』天井のタリム。わずか3人になったパンギル構成員も肉塊に追われながら必死に脱出する。「ドノヴァン!逃げるのか!?」「こいつで仕留める」ドノヴァンは懐からスティック状の指向性爆弾を取り出す。その間にも肉塊がドアに向かってずるずると近寄って来る。「離れろ!」精緻極まる動作で爆弾を室内に設置すると、ドノヴァンは駆け出した。……。

 ……おっと。すごい振動だ。ただのギャングの装備にしてはスゴイだろう?今でも彼らはカンパニュラのお得意様なんだよ。……だが、”改革派”はそれを変えようとしているんだ。丁度、植民地主義の時代が終わり、先進国が正義や公正さで他を支配し始めようとするようなものだな。ギャングによる支配から、より直接的な―――ニューロルータを始めとした通信技術による支配に切り替えるんだ。―――ああ!そうだ。だから君を招いたんだよ。30年に渡って君の脳に伸張したニューロルータを分析して得られるデータは、MAGEのものとは質も量も段違いだ。……。

「嘘だな」サイクロプスは吐き捨てた。くぐもった爆発にも、動じず銃を構え続けている。「な―――なにが嘘だと?」ロンが狼狽えた。「すべてだ。……ニューロルータ技術が、生を超えて存在への問いを提起するという話はどうした?研究の純粋さはどこへ行った?」何がサイクロプスの琴線に触れたのか解らない様子のロンの顔面は蒼白だ。

「アンタには失望したよ」巨大な銃が身をもたげる。「待ってくれ!そうだ!君の本当の出自の話をしよう!ずっと黙っていたが……」「知っている」「え?」「知っている。……それは命乞いにする話じゃないな」その言葉に混じった怒りにロンが気付く前に―――ドンッ、その右腕が吹っ飛んだ。「アァギィィィィィイ」転げまわるロンへ、一歩近づく。「オレは、それを、克服した」

 カメラ・アイのレンズが回転する―――さながら虹彩が収縮するが如し。それは、瞳の虚にロンを呑み込もうとするかのようだった。「オレはシドじゃない。サイクロプスだ」―――その言葉の意味がロンにわかったか、どうか……ドンッ

 ―――清潔な部屋に、血と脳漿が飛び散っていた。顔面の半分が飛んだ男の眼は虚ろだ。その姿が、大男のカメラ・アイに反射する。―――顔を上げると、もうそこにはレンズの虚だけが拡がっていた。

(⑤終わり。⑥に続く) 

いいなと思ったら応援しよう!