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サイクロプスの虹彩(③)

②までのあらすじ:頭部に巨大なカメラ・アイを備える異貌の大男、サイクロプス。一つ目の怪物は都市を支配するギャング”パンギル”からの依頼で傭兵集団”MAGE”を追う中、テックが生んだ恐るべき戦士「ナポレオンとマレンゴ」と相対する。辛くもこれを撃破したサイクロプスは、MAGEを影から操る大工場―――カンパニュラに勤める旧友と会話し、その内情を推察する。一方、仲間を討たれたMAGEは都市の暗闇で不気味な動きを見せ始めていた。

 スコールの圧倒的な轟音による沈黙は一瞬のことで、乾いた風が湿気を吹き去っていくとすぐに生の気配が立ち昇った。ぱんっ、ぱんっ、という散発的な銃声と、子どもたちの笑い声、そして男たちと女たちの野卑なやり取り、それらが混然一体となってさびれた共同住宅の吹き抜けに反響している。赤黒いほどの夕陽が未だ夜を拒むように空の彼方に鎮座している。

 音もなくホセが隣に来てタバコを吸った。もうもうとした暗い煙が空に消えるのを待ち、シドは切り出した。「予想通り、3Dプリンタのほうが拡散している。だが、すでに一か所、カンパニュラの流通ルートに便乗して銃器を出荷しているところを見つけた。ごく普通の家庭に偽装しているが中身は不法移民だ」「むかしの家内制手工業といったところか。最新の技術を使ってもやることは変わらんな」ホセは鼻を鳴らした。

「だといいんだがな」「何か懸念が?―――例の射撃技術のほうか」「ああ。正直、粗製乱造の兵隊といった感じで脅威ではない。が……」―――ニューロルータで知性を演算するという忌むべき技術が、あの奇怪な銃器に適応された時、どのような可能性が待ち受けるのか。

 その一つの形がナポレオンとマレンゴだろう。あの喋るペニスほどのものでないにしろ、銃器と遣い手がそれぞれに特殊化していき、異形の戦士として産声を上げる……。恐ろしい可能性だ。だが、それだけではないはずだ。自動照準技術の体系化という本来の目的がどこまで彼らの中で生きているか知らないが、特殊化した技術の回収と反映は当然行われると考えてよいはずだ。

「技術の育成と収穫か……。おまえの妄想であることを願う」ホセが言った。「ああ。だが、一応警察には連絡しておくべきだ。技術を育てると言うなら、必ず使う必要がある。であるなら、それは銃犯罪以外には無い」「わかっている」

 ぱんっ、ぱんっ、とまた銃声が響いた。地下駐車場で子供たちが射撃訓練をしているのだ。パンギル構成員が家族ぐるみで住まうこの場所では、次世代の教育や製品のテストが毎日のように行われている。

「ひとつ、質問がある」ホセはシドの答えを待たずに続けた。「これこそ妄想かもしれんが……ニューロルータが脳にまで伸長したらどうなる?そいつの心や魂を上書きしてしまうのか?」ホセの顔はいたって真面目だ。シドは笑い飛ばした。「ニューロルータは神経そのものじゃないし、ホルモンないし化学物質を運搬することもない。……だが、そうだな、通信することはできるから、そこを端緒に徐々に影響を与えていくということは可能だろう」「通信?脳とニューロルータが直接?」ホセは思いのほか食い下がってきた。「ニューロルータを流れているのも結局のところは電気信号だからな。だがまぁ、それ以上詳しくはオレも知らん」シドは宙を攪拌するように手を振った。

「……そうか。カンパニュラが我々の技術や文化を乗っ取る云々というのはタカハシ-サンから聞いていたが、直接的に精神に干渉できるなら、もっと簡単かとな」「だとすれば恐ろしい話だ。―――いずれにせよ止める」シドの言葉に頷いたホセの胸元で低い振動音がした。ホセはシドに目配せしながら携帯端末を取り出し、耳に当てた。「……わかった」

 一瞬で険しくなっていく表情に夕闇が影を落とす。シドはその横顔を黙って見つめていた。―――ひと通りの指示を終えたホセは、銃口を持ち上げるようにシドに眼差しを向けた。「何があった?」シドはあえて悠長に聞こえるように訊ねた。ホセは一瞬溜めてから、答えた。「うちのシマが襲撃された」

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 繁華街はケバケバしいイルミネーションや呪術的な燈によって内から輝き、コマーシャル音声や祭囃子めいた音楽が混ざった喧噪がそこに果てない熱狂をもたらすことで、旧正月かクリスマスかといった猥雑な世界を造り上げていた。―――ただ、ある一画を除いて。突然轟いた数発の銃声は、暴力への不安を覆い隠そうと陽気に笑い狂う人々を少なくとも表面上動揺させるには至らなかったが、直後に続いた応酬するような無数の銃撃のデュエットがついに人々を混乱と逃走に追い立てた―――MAGEがパンギルの施設を強襲したのだ。

 光の海の中心に高級サロンめいたベールを被ってどっしりと構えるカラオケ店は、その実、パンギルの種々のビジネスの場として機能しており、モーテルじみた個室の数々では、いまこの瞬間もさまざまな取引が行われている―――否、行われていた。その一室、屈強な5人の男に囲まれて、レザーチェアで思案げに手を組んで座る50がらみの男がいた。禿げかけた頭頂部にはうっすらと汗が浮かぶ。肥満体の男の名はゴーン―――パンギルの幹部のひとりだ。

「どこから攻めてきている?」陽気な音楽を間を縫って届く銃声の中でゴーンの口調に苛立ちが混じる。「駐車場にバスで突っ込んできて、そのままうちの若い衆とやりあってますぜ」周囲の男たちのひとりが答える。「敵が持ってるのはボスが言ってたヘボ銃です。火力ならうちは負けません」「逆に打って出て、制圧してやりましょう」血気に逸る声のなかで、ゴーンは両手の指をすり合わせる。―――そして、ある時決然と立ち上がった。

「パンギルに牙を剥いた馬鹿どもに現実を教えてやるぞ」ゴーンが噛み潰すように言うと、周囲の男たちの間で残忍な薄笑い巻き起こった。「だが、うちの”商品”は守らねばならん。キム、ドーソン、お前らは仲介屋どもと一緒にあれを運べ」ゴーンが顎で促すと、ふたりの男が頷いた。

 銃声の多重奏がどよもす空間に一団が出陣すると、無数の弾痕や崩れた調度品、流血して倒れたパンギルの構成員が転がる戦場が拡がっていた。「行くぞ」ゴーンは無骨なコートを翻して腕を通した。

 広々とした駐車場には3台の装甲バスが並んでいた。カラオケ店の煌々とした照明の届かない暗闇の淵に並んだバスは、壁の向こうから燃え立つ繁華街の灯を背にして小さな砦のようだった。車体の背後や窓からMAGEの銃火が瞬き、パンギルの射撃が装甲に火花を散らす。

「チンタラやってんじゃねェぞ!」その様子を見て取った一団から真っ先に飛び出した男―――アレックスが異常に太い両の腕それぞれにアサルトライフルを構え、哄笑を上げながらバスの窓へ舐めるように斉射した。―――ダダダダダダダッ!

 ―――張り詰めた静寂。そこへ風が吹き込み、ようやく我に返ったかのようなMAGEの雑兵が散発的に撃ち返してきた。久方ぶりの”外敵”への怯臆が一瞬で払拭され、パンギル構成員たちの銃声も勢い付く。「ビビりやがって……報告通り、中身は素人ですね」「ああ、だが油断するなよ。シドの話では、厄介な戦士も混じっている可能性が高い」「とんだフリークだってんで会うのが楽しみですよ」アレックスは銃弾が飛び交う中を平然と進み、雄叫びを上げながら再び銃弾を雨を叩きつける。 

 その時、駐車場に転がる死体を照らしながら、さらに一台のバスが乗り込んできた。それを認め、ゴーンのすぐ横に侍っていた男が一歩前へ出た―――手には大きなハンドガン。男はバイオリンの弦を連想させる整った姿勢で自らの得物を構えると、引き金を引いた。ドンッ。バスの運転手の頭が爆ぜ、夜闇に重低音が浸透する。「いまさら援軍とは……戦力の逐次投入云々という説教が必要ですな」拳銃男―――ギリークが嗤った。

 ―――バスが死体に乗り上げて停止するのと同時に、車内のライトが消える。「……何か出て来やしたぜ」諸肌に入れ墨を入れた男が警戒を声に滲ませた。……バスを揺らしながらとんでもない巨体の男がタラップを降りてきていた。威圧的な軍帽と扉の如きコートは時代錯誤なWW2じみたものだ。

『諸君!』モノリスじみた巨大な影がバスのライトの前に立つと、後ろ手になって胸を反らせ、甲高い電子音声を轟かせた。『我々は銃の魔術師"MAGE"なるぞ!』叱咤するような響きにMAGEからの銃声が止む―――まるで傾聴するよう。『文明の中でくだを巻いているだけの破落戸どもにMAGEは負けない。戦地で磨いた我らの意志は諸君らにダダダダダダダッ!―――アレックスの斉射が大男を黄金色に燃やし、耳障りな電子音声を遮った。アレックスはニヤリと笑いかけ、はたと気付いた。……黄金色に燃やし?大男の体表で銃弾は火花を散らして、弾かれていた。

『……諸君らに刻まれている』大男は憮然として言い直した。直後、ギリークの精妙な一射が男の額―――帽章にぶち当たったが、チーンという間抜けな音を立てるに終わった。巨体が肩を怒らせた。『我が名はウォルター!礼儀知らずの破落戸どもよ、戦士の名を知れて光栄と思え』MAGE構成員のみならずパンギル構成員やゴーンの一団ですら、しんとなっていた。

『構えェ!』ウォルターが叫んだ―――慌ててMAGEたちが手足や頭部、肩に装着した銃を準備をする。が、『撃てェイ!』彼らの射撃準備が終わる前に号令と……銃声が響き渡った―――ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダッ!ウォルターの全身が先ほどになお増して輝く―――内側から炸裂するかのような緋色のマズルフラッシュ。

 ―――無風。『ンンー……素晴らしい。これこそ銃火がもたらす沈黙と平和の一端だ』ウォルターの全身に備わった無数の銃口から硝煙が立ち昇っていた。煙を出す指がキィッと軍帽のつばを上げると、その顔が露になる―――目と口にあたる部分に銃身の生えた、黒光りする金属の面……。

 ……ゴーンはぶちまけられたトマトのような肉塊を見下ろした―――アレックスの末路。戦いの緊張すら引き千切られて、脂汗をだらだらと流しながらゴーンは言った。「……退くぞ」「アイ、アイ。ボス」入れ墨男が頷くと同時に、ゴーンはコートをはためかせて脱兎の如くカラオケ店に駆け戻った。『ほぅ!将校たる者が敵前逃亡とは嘆かわしい!』直後、チーン、と再び間抜けな音が響く。『そんなものが……』チーン、チーン、チーン。連続で額に銃撃を受けたウォルターが仰け反る。「このバケモンをオレたちの街で好きにさせてはならん!」ギリークの喊声に合わせて、パンギル構成員たちも捨て鉢な絶叫を上げながら引き金をひいた。

『……フン。あのような弱敵、他の連中に任せても良いか』銃火のなかに虚無のように佇むウォルターはそう呟くと、回転灯めいて片手を振りながら発砲し、進軍の合図をした。

 ……ゴキブリの這い廻るアーケード様通路を足早に進むキムとドーソンの耳に駐車場からのけたたましい銃声が届き、ふたりは一瞬顔を見合わせるも、任務達成を優先すべく剽悍な眼差しを周囲に振り向けた。

 ―――しばらく通路を進むと前方から叫び声と銃声。「駐車場から攻め込んできてるやつだけじゃねぇな」ドーソンがのんびりと呟いた。「あっちに引き付けといて裏からってとこかね」そう応じたキムの動きは素早かった―――警棒と短銃を油断なく構えながら走り寄り、曲がり角の向こうでパンギル構成員と撃ち合うMAGEを確認すると、一気に身を乗り出して引き金を引いた。「がッ」「くそッ。あっちからだ!」MAGEの叫び。ひとりを射殺した後、続くキムの射撃はアーチ天井の縁や窓のフレーム、パイプに跳弾し、てんでばらばらの地点に着弾する。敷地全体にろうする銃声に短銃の発砲音が上塗りされたのもあいまってMAGEたちはキムひとりを集団と勘違いした。

 わっ、と5人のMAGEは一斉にT字路の敵のいない方に駆け出した―――ニューロルータにプログラムされた動きならではの瞬間的な判断だった。と、その背後に人影が生じた―――「オレを撃つなよ!」キムを瞬時に追い抜いたドーソンが両腕にククリ刀を振りかぶって叫んでいた。直後、牙めいた獰猛な銀光が5人のMAGEを片っ端から切り裂いた!

 返り血を浴びた顔で凄惨に笑んで振り返ったドーソンを通路の向こう側で呆然と見つめていたパンギル構成員が、「ありがとうございます!」と感動したように叫んだ。残心するドーソンの迷彩ズボンから虎のそれの如く柔軟に富み、緊張を孕んだ可変義足が覗いた。

「おう!オマエは退いてな」「ここは我々が制圧する」慎重な足取りで追いついてきたキムが言った。はい!―――と勢いよく応えようとしたのであろう、まだ幼さの残る顔が、瞬間、吹き飛んだ。「くッそ」血しぶきを浴びた壁面に散弾銃と思われる無数の弾痕を認め、キムは最大限に警戒しつつ素早く距離をつめる。ドーソンは瞬時に挟み撃ちに掛けようと判断し、通路を反転した。

「出てこい!臆病者!」キムはパイプや天井に発砲し、跳弾で通路の向こう側を牽制すると共に、脳内でドーソンが回り込む速度を計算する。タッ、タッ、タッ、と通路を駆け抜けるドーソンと、その足音を脳内でシミュレートするキムの動きが同期し……ばっ、とふたりは完璧なタイミングで敵のいる通路を挟み込んだ!

 ……そこには誰もいなかった。個室へつながるドアや窓は無くアーチ天井にも破られた後は無い。訝しむキムの眼差しが、開け放たれたごく狭い通気口に滑った。―――直後、通路の向こうのドーソンが弾かれるように飛び退いた。「何だテメェ!」敵を認めれば反射的に躍りかかるほどの強壮な戦士が退く―――その顔は驚愕に染まっていた。そして、近接戦を専らとする者にとって、その一挙は致命的だった。曲がり角からソードオフ・ショットガンの銃身が覗いたのも束の間、ドーソンの分厚い胸板で血が炸裂した。

 キムは震える躰を一息で鎮めた。耳をろうする銃声は遠い。ばっ、と音も無くドーソンの斃れた地点に飛び込んだキムの前に、やはり敵はいない。キィ、と個室のドアが揺れていた。

 ―――瞬間、キムが反応できたのは敵は奇襲を仕掛けてくると予想していたからこそだったが、それでも絶技には違いなかった。背後に振り払った警棒がショットガンの銃身を打ち据えると同時に、ドォン!と衝撃が宙を奔った。「あら!」およそ戦場に立つ格好とは思われないスカートとベールを纏った女は、両手にソードオフ・ショットガンを携えていた―――もう一方のそれがキムの顔面に照準を合わせた。カァン、と甲高い音がし、またも銃口が逸らされた―――キムの射撃。ぱんっぱんっぱんっ、とそのまま連続で銃火が瞬き、女の胸に突き刺さる。

「いたぁい」その手ごたえの無さと女の間延びした声に、キムは戦慄する。直後、ずるりと女の躰がキムに覆いかぶさるように伸び上がった。キムは呻きつつも、なんとか警棒を横薙ぎにした。―――そして、今度こそ驚愕に動きを止めた。「サロメ。良い戦士には名乗っておきましょう」ベールがはじけ飛んだ女の顔―――骨ばった顔面のど真ん中には爆ぜ割れたような巨大なヴァギナが口を開けていた。

 その深奥で輝いたマズルフラッシュをキムは認識できたろうか。ドォン、という音と共に仰け反ったサロメは蛇めいてたおやかな五体を整えると、頭部の吹き飛んだ戦士を見下ろした。「ふふん。良い戦士だけれど……やはり噂のサイクロプスでないとダメかしら?」サロメはベールを拾い上げて装着すると、すぐ近くの通気口の中に身を滑りこませた。

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「いまは撤退を優先しやしょう」入れ墨男―――デイビットはせかせかと走るゴーンを先導し、時折現れるMAGEをバルクールめいた動きで射殺しながら、通路を制圧する。「裏口に車がありやす。へへっ、ここのアガりで手に入れたスーパーカーですぜ」焦げ臭いにおいの立ち込める無人の厨房を抜けながら、デイビットは飄々と言ってのける。「ぜぇぜぇ……ああ、商品は気になるが、くそっ、背に腹は代えられん」ゴーンは走りながら言い訳じみて呻く。

 銃声の届かぬ灰色の通路の先のドアを抜けると、目の覚めるような真っ赤なスポーツカーが鎮座していた。「おお!」眼を輝かせたゴーンをちらりと見て、皮肉に目元を歪めたデイビットだったが、ただ今は役割を果たさんとシャッターの向こうに耳を澄ませつつ運転席に滑り込んだ。「準備ができたらすぐに乗り込んでくだせぇ」時計仕掛けの如く無駄のない動作を好むデイビットは、実際に着けていもいない腕時計を確認するような所作をした―――それと連動したわけでもないだろうが、シャッターがグーンと音を立てて開きだす。

「……あン?」車庫から漏れるライトに照らされて、車椅子の人影が夜闇に浮かび上がった。怪しげなフードと妙に無骨な車椅子―――デイビットは対弾性・対爆性の車体を信じ、すっ、と冷めた眼をしながらアクセルを踏み込んだ。

 ボッ

 ―――強大な炸裂音と爆炎がゴーンの感覚の閾値を超えて世界を揺るがした。壁に叩きつけられたゴーンが見たのは、白炎に包まれるスポーツカー……の残骸だった。―――「はっはっは。逃げようとてそうはいかん」拡声器めいてザラつく大音声が響いた。キュラキュラと車庫に近寄ってきた人影が身をもたげた―――その顔面は以前として影であるが、その異様な胴体が火に照らされて黒光りしていた。「私はカルロ。―――来たるべき未来の人類の姿をあらしむる者である」

 カルロの胸から腹に掛けて、迫撃砲めいた巨大な筒が生えていた。周囲にもうもうと立ち込める煙は火炎ばかりでなく、その人体にあり得べからざる鉄塊と虚から生じたものもあった。「う、うおお、ああ」ゴーンは、その分厚い脂肪もあってか、後頭部から血を流しながらもなんとか立ち上がった。「ふはは!やはり一発の銃弾より、一発の砲弾こそが世界を変えるのだな」うっとりとして炎を見つめるカルロを一瞬だけ怯えた眼で見たゴーンは這う這うのていで来た道をとって返す。「戦術と戦略を仲立ちする破壊力にして威圧力!ふふふ、恐れ入ったか……あっ、おい、待て!」

 朦朧とした頭で無音の通路を進むゴーンの脳裏には走馬灯めいて、パンギルと共に歩んできた道のりが思い出される。ホセに打ち負かされて組織入りしたのが12の頃……犯罪と闘争に明け暮れた10代後半……急激に力を増していく組織の波に乗った20代……そこからの栄達の日々。

 散発的に現れるMAGEに対し、ゴーンは酔ったような動きで撃ち返す―――ニューロルータにそのような不安定な敵への対処はプログラムされていないものかMAGEの銃弾はコートに吸い込まれ、反対にゴーンの銃弾は敵の胴部に血の華を咲かせていく。

 それでも音速の衝撃はボロボロの中年男の躰をたやすく消耗させ、ある時、ゴーンはぶちまけられた血で滑って転んだ。そこは、最初に打って出た駐車場だった。周囲には死体が散乱している。肉塊と化したアレックスに、銃を握り締めたまま膝を着いたギリーク。

 顔を歪めるほどしかめたゴーンは這うようにギリークの下に近づいていき……その側頭部から飛び散った脳みそに手を突っ込んだ。「うわっ……」ゴーンはまるでその肉片に食らい付かれたかのような必死さで腕を振った。ぴちゃ、と挽肉が飛んだ先に小汚いスニーカー。「……これが幹部の姿か。惨めなものだな」

 どこか現実離れした口調に恐る恐る見上げた相手は雑兵じみたMAGE構成員で、ゴーンはかっ、と眼を見開くとハンドガンを撃ち放った。「ふぅ、ふぅーっ」ゴーンはよろめきながら立ち上がって、首から血を噴きながら倒れたMAGEに銃を突きつけた。「オレを!ナメるんじゃねぇ……!」

「訂正しよう。これから、惨めになる」背後からの声に反射的に振り返って発砲しようとしたゴーンの膝が、突然破裂した。「あぅッ!」ゴーンはその勢いに引っ張られるように顔面からコンクリートに倒れ込んだ。「一応聞いておこうか。パンギルの幹部連中はどこを根城にしている?特にアーマンドってやつだ」淡々とした口調は先ほどとよく似ているものの声音は違う。―――顔を振り向けたゴーンの横倒しの視界には先ほどとは別のMAGE構成員。

「テメェは誰だよ。え?雑魚がよ」ゴーンは壮絶な笑みを浮かべた。「こいつは端末だ」そう言ったMAGEの表情はどこか虚ろで、その見開かれた眼は猫目じみて黄色い。

「オレはアルゲース」……MAGEがそう名乗った直前、遥か彼方で同じ呟きを漏らした者がいた。―――そいつは蝟集するハイウェイ付近に屹立するビル群のひとつ、その屋上にあぐらを掻いて長大な狙撃銃を構えていた。「アンタの無様な姿を……はるか遠くから見ている」

「ハッハッ……フハハハ……」ゴーンは笑いとも呻きともつかない息をはきながら、ハンドガンを何とか持ち上げようと苦心した。「―――そうか。残念だよ」MAGEは無感動にそう言うと銃を装着した手を下方に向けた―――ぱんっ。ゴーンの頭がぶるりと震え、それきり動かなくなった。

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『急げ急げ!兵は拙速を尊ぶ!動けないヤツは慈悲深く処断してやれ!』

 大音声で檄を飛ばすウォルターの横には、サロメとカルロ。旅行者めいてぞろぞろとバスに乗り込んでいくMAGEたちを、異形の戦士たちが並んで眺めている様はどこか滑稽だったが、それはこの襲撃が殲滅に近い結果で終わったことを鑑みれば、勝者の余裕ともとれるものだった。

「おい」暗闇に何対もの光輪が浮かぶ―――姿を現したのはアルゲースの端末たちだ。ウォルターはチラリとそちらを見てから、周囲を気にした。『端末どもを我々と同格みたいに扱うな。それを使う時はへりくだれ』「バイクとスポーツカー。―――例のサイクロプスだ」その言葉に、戦士たちの間に警戒心と好奇心が漣走って、声無き笑いとして大気を揺らした。

「楽しみね……。でも、今は少し具合が悪いわね」「間が悪いものよな。誰ぞ残って相手をするか?」「ダメだ。荷物の運搬が最優先だ。他にも増援が来る可能性もあるだろう」アルゲース端末が言った。『致し方あるまい。任務達成が優先だ』「オレと端末で仕掛ける。それで殺せたら、そこまでの奴だったということだ」「狙撃手に言われたくないセリフね」サロメが苦笑した。

 ―――スポーツカーとバイクが猛スピードで駆け抜ける繁華街の沿道に、時折黄色い眼差しがよぎる。その視界を共有するアルゲースは鮮やかなビーズをちりばめたような灯りの底を駆け抜ける敵の姿を幻視する―――何人もの観測手の視界から得た情報を統合し、脳裏に描き出しているのだ。

 アルゲースは狙撃銃を握り締める。華やかな灯りの中心にぽっかりと空いた穴―――カラオケ店の駐車場に吸い込まれるようにスポーツカーとバイクが飛び込んで来た。

「……いない?」駐車場で銃を構える端末たちが同じつぶやきを漏らした。突っ込んできたスポーツカーの運転席には誰もいない―――突貫する質量がそのまま端末たちを弾き飛ばした。それと前後してバスが1台、2台と動き出す。追い縋って来る無人のスポーツカーを撃とうとバスの後部窓から顔を出したMAGEは、直後、頭を吹っ飛ばされた。―――駐車場の手前、アルゲースの射線に入らないギリギリの位置で硝煙を吹くハンドガンを構えるのはホセだ。

「ええい!何をしているのだ!」ボッ―――スポーツカーが爆炎に変わった。ごうごうと胸元から煙を吐くカルロは、口惜しそうに呻きながら素早く最後の1台のバスに乗り込んだ―――座席下の貨物部だ。バスが繁華街に消えて行く。

 ―――「追え!」叫びを上げたホセの背後でライトが点灯し、唸りを上げてバイクが発進する。バイクを駆るのは―――サイクロプス!猛スピードで駐車場に躍り出ると、あっという間にバスと距離を詰めていく。端末を失ったアルゲースは反応しきれず、狙撃はテールランプの軌跡に虚しく火花を散らすのみだ。

『おそらく真ん中のバスだ。なんとしてでも止めろ』ホセの通信。ゴーンと”商品”の保護を最優先にしろとの指令だったが、デイビットからの連絡が恐ろしいノイズと共に途絶えた時点で前者については絶望的だと判断していた。一方で、デイビットは散乱する死体から狙撃手の可能性を導き出して、こちらに警戒を促してくれていた。自動運転で車を突っ込ませる作戦はそこから生じたものだ。

 バイクは大通りを進むバスの横っ腹を突こうと、ドリフト走行で繁華街の灯りを9割減した路地に侵入し、曲がり角をジグザグと猛進する。「うおッ」尻もちを着きながらその様を愕然とした様子で見送るホームレスの眼は、黄色い。

 ふっ、と大通りに吐き出されたサイクロプスに、繁華街の燃えるような光と熱と音が一体の波となって覆いかぶさる―――カラオケ店から引きずってきた暴力の気配が一遍にひっぺがされるほどの熱気だった。

 突然飛び出してきたバイクに急ブレーキをかけた乗用車を尻目に、サイクロプスはバスに横づけする。直後、バスの割れた窓から大男を見下ろす人影に気付く―――即座に銃を振り上げたサイクロプスはチッと舌打ちした。「……あ」虚ろな眼を丸くした少年―――パンギルの”商品”だ。その背後に巨大な影が生じる。

『会えて光栄だ。私はウォルター……だが、今はここまで!』ウォルターが巨大な手で子供の肩を抑えながら、顔面で三つの銃身をギチギチと動かした。「……くそッ」ダダダダダダッ!サイクロプスは銃弾の雨に晒され、バイクごと転倒した。―――少年は見る間に遠ざかっていくサイクロプスを食い入るように見つめていた。

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「生きている意味ってなんだろう?」

 コンタクトみたいな空色の大きなレンズに顔面の大部分を支配された少年が呟いた。部屋は無菌室のように白い。

「究極的には、無だね。無意味だ」少し気弱そうな眼差しの男が腰を落として答えた。「でも、それは悪いことではないし、いずれその問いは生命ではなく存在への問いに変わっていくだろう。君たちを構築する技術にはそのような展望がある」

 少年にその言葉の意味するところのすべては解らなかったようだが、優しく微笑んだ男の顔を見て、鏡写しのように微笑んだ。―――その顔のレンズに、もう男の顔は映っていない。代わりに、まったく同じレンズを顔面にはめ込んだ不定形の人影が映っていた。

「生きている意味ってなに?」影が問うた。「存在している意味ってなに?」絶望と諦観と……その小さい躰を爆ぜ割るような憤怒の咆哮だった。影の問いに、少年はわずかにたじろいだものの、決然と構えるとまっすぐに立ち向かった。

「自分で決める。君は……消えろ」毅然とした言葉に……影はいつのまにか暗くなっていた部屋に飽和するように拡散し、哄笑となって応じた。

「オレは消えない。おまえが、消えろ」―――直後、真っ白な部屋が戻ってきていた。だが、凍えるように息を荒くする少年のレンズには、まだ薄笑いを浮かべる影が残留していた。

 ―――それは、熾火のようにずっと揺らめいていた。

(③終わり。④に続く)

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