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夢中になって、いつの間にか50年【代表よもやま話⑮】
いらっしゃいませ!
養老乃瀧株式会社代表・矢満田敏之(やまだ・としゆき)のコラム。
第15回は、50周年を迎えた加盟店のお話です。
ぜひ、最後まで読んでみてください!
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■日々の生活動線が「グランド」と「学食」
皆さんは、何か一つのことを夢中でやり続けたことはありますか?
学生時代、僕はアメリカンフットボール部に所属していました。4年間アメフト漬けの毎日を送り、それ以外に何かをした記憶が正直ほとんどありません。
日々の生活動線が「グランド」と「学食」。そんな、かなり偏った学生生活でした。
でも、夢中になって一つのことをやり続けた経験は、振り返るととても貴重だったように思います。もう一度やれと言われたら、断りますが(笑)。
■数少ない評価された仕事
そんな学生生活を終え、1994年に銀行員として社会人の一歩を踏み出すことになります。
最初に配属されたのは、東京都世田谷区の尾山台支店という営業店でした。
天性のガサツさから、仕事では大小さまざまなミスをしました。当時の先輩や上司の皆さんから、毎日叱られていた記憶しかありません(諸先輩方、その節は大変失礼いたしました…)。
そんな優等生とはほど遠い新入行員ではありましたが、数少ない評価された仕事もありました。その一つが宴会幹事の仕事。この段取りだけは評価が高かった(笑)。
当時勤務していた支店のすぐ近くにあったのが、養老乃瀧尾山台店です。
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ここでよく宴会をしました。東急大井町線の尾山台駅からほど近い、商店街の中にあるこの店は養老乃瀧のフランチャイズ加盟店です。
開店したのは1967年。55年前のことです。今なお、二代目オーナー・波多野さんが元気に営業されています。波多野さんは、この商店街の顔役でもあります。
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■50周年を迎えた加盟店を「永年経営者」として表彰
当社は、居酒屋チェーンとしては日本で一番早くフランチャイズという仕組みを取り入れ、チェーン店展開を始めた会社だと思います。
フランチャイズの1号店は1966年に東京都板橋区に出した成増店。それから56年が経過し、2022年12月現在で、50年以上の加盟店経営者は13名となりました。
養老乃瀧本社では毎年、その年に50周年を迎えた加盟店を「永年経営者」として表彰しています。
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僕も店舗へ赴き、開店当時の話や開店から半世紀の間にあったさまざまなエピソードをうかがっているのですが、これが本当に楽しい。それぞれの店にそれぞれの歴史があり「親子三代で常連さん」なんてお客様もいらっしゃいます。
今年50周年を迎えたのは、神奈川県横浜市の養老乃瀧瀬谷店、福島県福島市の養老乃瀧福島大町店、沖縄県那覇市の養老乃瀧松山店の3加盟店でした。
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今から50年前ですから、オープンしたのは1972年ということになります。
中でも、沖縄県の養老乃瀧松山店のオープンはとてもシンボリックです。それは、1972年は沖縄が本土に復帰した年だからです。
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1972年5月15日は、沖縄が本土復帰した日。この半月後の6月1日に、養老乃瀧松山店はオープンしました。
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当時の沖縄では、焼き鳥などの本土のメニューは珍しい存在。もの珍しさから。店舗をのぞき込んでくる人も多かったそうです。
今では沖縄一の繁華街となり、居酒屋も数多くある松山エリア。当時は居酒屋という業態はまだなかったようです。つまり松山店は、沖縄の居酒屋の歴史ということです。
50年間の営業を振り返り、つらいことがなかったはずがありません。それなのに経営者の高良さんは、お客様とのさまざまなエピソードを目を細めながら、楽しそうに話してくれました。
高良さんが、笑いながらこうおっしゃっていたのが印象的でした。
先のことはわからないので、くよくよ考えても仕方ない。毎日を一生懸命にやっていたら、あっという間に50年経っていた。
■毎日を一生懸命にやっていたら、あっという間に50年。
今回、50周年を迎えた3つの加盟店を訪問させていただきました。経営者の皆さんは個性的な方々ばかり。でもその中に、多くの共通点があることに気づきました。
それは以下の5つです。
①居酒屋の仕事が好き
皆さん、50年間のさまざまなエピソードを本当に楽しそうに話してくれます。思い出の総量が多すぎて「そういえば、こんなこともあった」と話が止まりません。そして、笑顔が絶えません。「好きこそものの上手なれ」という言葉がまさにピッタリです。
②切り替えが早い
50年も営業していれば、それはそれは大変なこともあったはず。実際、自分の過去の失敗談を話してくれる経営者も多いです。そうした話をうかがっていると、失敗の内容そのものより、やらかした後の頭の切り替えの早さが印象的だったりします。失敗しても引きずらず、前を向いて進んでいく。そのスタンスが素晴らしいです。
③よい意味で楽観主義
慎重に考えているけれど、一度決めたら迷わない。最後は「何とかなる」。そう考えられている方が多いです。生前、京セラ創業者の稲盛和夫さんが「楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する」とおっしゃっていたことを思い出しました。これを地でいっています。
④「50年なんて、アッという間」と言う
沖縄の高良さんがおっしゃっていた「毎日を一生懸命にやっていたら、アッという間に50年になっていた」という言葉。経営者の皆さんは言葉こそ違えど、皆さん「アッという間」だったと口をそろえます。
⑤笑顔が素敵
50年間「笑顔が集う場所」を創ってきた皆さんです。それぞれの笑顔がやっぱり素敵でした。
今回、50周年を迎えた3加盟店におじゃまして、痛感したことがあります。それは
夢中になって、ひたすら毎日の仕事に没頭するからこそ、やり抜くことができる。
ということでした。
偉大な先輩方に学びながら、これからも「笑顔が集う場所」を夢中で作り続けていきたいと思います。
(終わり)