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【加盟店 レジェンド列伝②】土方紘子さん(養老乃瀧国分寺南口店)

いらっしゃいませ!

全国津々浦々の加盟店にいらっしゃる"この道ウン十年"のオーナーさん達の「人となり」をご紹介。第2回目は東京・国分寺市から。養老乃瀧国分寺南口店のオーナー・土方紘子さんにお話をうかがいます。

■少し高い日本酒を出したら、そういう人達は徐々に来なくなりました

土方紘子さんは昭和17年生まれで、10代で宮崎から上京。その後、ご結婚された旦那様が養老乃瀧のお店を始めることとなったのが55年前。

当時はちょうど、長女の小代(さよ)さんが生まれたばかり。紘子さんは小代さんの世話をしながら、旦那さんと二人で、頑張ってお店を切り盛りしてきました。

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「私にはそれまで居酒屋の経験がなかったので苦労しましたね。焼き鳥の串打ちとか、何もできませんでしたから。主人に怒られながら二人で一所懸命やりましたね。あのころは大変でした。

 昔は府中競馬場に行く電車が国分寺を通っていました。お店を出したころは競馬帰りの方がよく来ていて、その人達は少しガラが悪かったんです。大きい声を出して暴れたりするので、焼酎を出すのをやめて日本酒にしたんですよ。当時の焼酎は安くてみんなたくさん飲んでしまうから、少し高い日本酒を出したら、そういう人達は徐々に来なくなりました」

■子育てといっても、、ほぼほったらかし(笑)

それ以降は、会社帰りのサラリーマンなどが増えていったそうです。

「学生さんが宴会でよく使ってくれましたね。昔。中央鉄道学園という国鉄の学校が西国分寺にあって、そこの方達が毎週のように大勢で来てくれてね。大人数が入れる座敷があって、ほどほどの値段で飲めるお店が当時少なかったんです。

あのころは忙しくてね。宴会の間、まだ小さかった娘を部屋に閉じ込めて漫画を読ませて静かにさせておくんです。でも読み終わると泣き出すんですよ(笑)。それをお客さんが気にしてくれて『ママ、俺達のことは後でいいから子どもを見てやりなよ』と言ってくれてね。よく助けてもらいましたよ。

いいお客さんばかりでした。宴会が終わると、お客さんたちが座った座布団のカバーをコインランドリーで洗ってね。洗濯の待ち時間に夜食を食べて一杯飲みながら、終わるのを待っていました。お酒は強くはないけれど少し飲みますよ。でも、夜中にそんなことができたのは、若いうちだけです。

そんな毎日で、子育てといってもほぼほったらかし(笑)。常連さんがよく娘の面倒を見てくれてね。近くに遊びに連れて行ってくれたり。いい時代でした」

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土方鉱子さんと娘の小代さん、そして鈴木店長

ちなみに長女の小代さんは現在、紘子さんと一緒にお店を切り盛りしています。小代さんは子ども時代の思い出をこう語ります。

「私はまったく記憶がないのですが、素っ裸で駅まで走って行って、交番のお巡りさんに抱っこして連れて帰ってもらったりしていたみたいです。覚えているのは、アルバイトのお兄さんたちが遊んでくれたこと。お店の前で一緒に野球をしたり、小学生のころはお座敷で逆立ちを教えてもらいました(笑)」

■自分のペースで楽しく仕事をして、ダメだったらやめればいいのよ

温かい常連さんや学生さん、そして息の合った従業員さんのおかげで50年。振り返ればあっという間でした。

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主にキッチンを切り盛りするのは鈴木店長

「大変だった時期もあったような気もするけど、夢中だったからあまり覚えていませんね。印象に残っているのは旅行かな。2年に1回、本部の海外旅行があったんですよ。従業員も連れてハワイとかフィリピンとかオーストラリアとか、いろいろ行きました。楽しかったですよ。旅行は確か90年代の途中ぐらいまでありましたね。本部の人や他の加盟店とのつながりもできたりしてね」

そんな紘子さんが、元気に働き続けてこられた秘訣は何だったのでしょう。

「それが何もないんですよ。丈夫に産んでくれた親に感謝ですね。何でもあまり考え過ぎずに、のんびり構えてどんぶり勘定(笑)。せこせこしないで生きていくのがいいの。ダメだったら確定申告の時に『来年は頑張ろう』ってだけ。みんながどうにか食べてさえいければそれでいい。何事も健康が第一。頑張りすぎて体を悪くしちゃったら、どうにもならないからね。学生さんにもよく言うんだけど『偉くならなくていいよ』って。自分のペースで楽しく仕事をして、ダメだったらやめればいいのよ」

結局、大事なのはまず体。紘子さんには、この先もまだまだお元気でお店に出ていただきたいものです。

(終わり)

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