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【介護のプロも親を老いには無力でした後編】

【介護のプロも親の老いには無力でした後編】


こんにちは。
介護の世界を笑顔にしたい
介護老人保健施設で働く
看護師のいなむら江美です!

今日は私の家族のお話の続きを。
前回の投稿は

https://note.com/yorisoi_716life/n/n0458266d6977

親の老いの変化を受け入れ
本人にどう説明していくのか。
自分の気持ちをコントロールできずに
苦しみました。
親という特別な存在は
いつも自分よりも上とか
頼りにしていい存在とかそんな思いも
少なからずあるはずです
また、もともとの家族の関係性や
パワーバランスもあると思いますが
私の場合は父との折り合いが悪くて
父への壁のようなものも感じていたので
そういったものもあるのかもしれません


私は母の負担を増やさないことを
一番に考え、父が家に帰るのは
現実的ではないと考えました
歩けない、着替えも手伝いがいる
そんな父が在宅になると
それを一人でやるのは母
そんなの無理…でしたね
じゃー当たり前に『施設でリハビリ』
と考えました


そこに父はどうしたいか
というのが全くなかったのです
父は「家に帰りたい」
どんなに何も出来なくても
「家に帰りたい」
が譲れない意志だったんです
家族内の関係性もありました。
私は父と話をすることが苦手でした

帰りたいと言う父をとにかくわがままだと決めつけてしまい話をして一緒にゴールを決めることを諦めてしまったんです

普段の仕事ならそんなことをするはずもない。家族や本人とゴールを一緒に探します


家族だから、わからないはずがない
出来ないはずがない
どうしてわかってくれないの?
どうしてこんなこともできないの?
何で年を取って衰えてしまうの?
そんなことを思ったのかもしれません

しかし帰ると強く言うのを母が「仕方ないのよ好きにさせよう」「なんとかなるよ」と言って笑ったとき、父も母も年を取って衰えても二人は夫婦だし私の両親なんだなぁ。と衝撃的な感覚がありました。

そしてそれがきっかけで私の親へのフィルターがはずれました
頑固になり、わがままになる。
出来ないことが増えて、手伝いが必要なことが増える。でも、その人は私の両親でその事実も血の繋がりも変わらない。それまでの家族の関係も変わらない。そう思ったら力がふぁっと抜けて。

今までの家族のままでいいんだ

とそう思えました。
そこから、私は介護のプロを家族の前ではちょっぴり休み、一人の娘として今までのように関わることにしました。父母のことは二人が主体で、兄がサポート。私はちょっと遠くから必要な時に手助けをする。


だって老いても私の家族。何も変わらない。
大切な家族だからこそ関係性を維持したい。
親だから子供がしっかり介護しないとと言うことは時にフィルターより重いシャッターのようになって大切なことを見えなくさせてしまうかもしれません。


みなさんの大切な人もいつか年を取って老いていく。


そんな時は、特別何かをすることより家族の関係性や絆を大切にして欲しい。
当たり前の日常の延長に介護という少しだけ特別な世界があるのです


私の願い
介護される人もする人も笑顔を社会!
のんびり発信頑張ります!

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いなむら 江美

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