02|1人の時間
「登竜門」。鯉が龍になるという中国の伝説がある。鯉でなくとも金魚だって本気出せばなれるさという吉祥画を描いています。
異端者扱いされるのは怖い。大切な人に変だと思われるのは辛い。
でも一度覚悟すれば、金魚では見られなかった世界が見える。
〈孤独は心地良い〉
幼い頃、両親は共働きで朝はバタバタ。
父の出勤に伴われ、誰もいない保育園の門の前。ヤクルトを飲みながら園の先生が来るのを待つ。夕方は、1人また1人、と迎えに来る誰かの親を見ながら、1つだけ明かりのついた部屋で折り紙や落書きをしながら母の迎えを待った。
最初からそうだったのでそれをどうと思うことはない。自分の作った世界の中で架空の人をつくり、それらの人と話したり描いたりして過ごす楽しい時間。毎日コツコツと孤独に向き合う鍛錬をここで積んだ。
1人でいる時間は今でも大切だ。
〈慣れると手放せないもの〉
絵描きをしていると、絵を描くきっかけを聞かれる。
最初の最初、絵が好きということよりも大切なことは、私はちゃんと1人で時間をつぶせているというアピールだったのだと思う。
家に紙はたくさんあった。いつも母が薬局からミスプリント用紙を持って帰ってきてくれ、辞書のような厚さで常備されていた。
描いても描いてもなくならない、紙と時間が呆れる程あったあの頃は、今思えば何と贅沢なひとときだろうか。落書き、記憶や願望のメモ、夢に見たもの、模写を気の向くままに。
マンガやアニメ、小説という娯楽を得るようになってから、より孤独に耐性がついた。知識は精神世界を豊かにしてくれるのだと知る。
知識の量と妄想の楽しさは比例する。考えて、検討して、アウトプットをより豊かにするためには、膨大なインプットも必要だ。全てが中毒的に楽しく、1人でないと叶わない時間。手放せるわけがない。
〈孤独とぼっち〉
孤独と1人ぼっちは違う。
格好悪い言い方をすれば、集中する1人の時間が孤独であり、闇雲に1人なのがぼっちではないだろうか。
とはいえ家にこもりっぱなしはいろいろよろしくない。それに私の場合、集中するにはある程度のノイズがある方がやりやすい。
人がいれば見た目や所作に多少の気遣いもするし、幾分真っ当に過ごさなければと意識も働く。これからも、より良い孤独を求めたいと思う。