弁護士視点からの「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」解説〜第16話
第16話冒頭、以前のエピソードにてテ・スミがデパートで商品がズレなく揃えていたシーン(第6話)に続き、テ・スミの息子テ・サンヒョンの自室でルービックキューブ含め全ての物が揃っている光景を写すことで、ヨンウとの血縁関係を示唆しています。
「情報通信法の改正に目を付けたのは事件記録をよく見ているからこそでしょ」
とハン・ソニョン。これはその通り。
事件記録とは、双方の主張を文書化した書面や双方から提出された証拠、証拠にはしていない資料その他当該案件に関わる一切合切の資料のことです。なかでも証拠やその他資料を丹念に検討したり、繰り返し見返しているときに、弁護士は新たな主張やアイデアを思いつく或いは気付くことが多いのです。その点は、ヨンウのような映像記憶能力を持っていようがいまいが関係ありません。
前話で服毒自殺を図った共同代表の1人ペ・インチョルが未だ意識不明のため、もう1人の共同代表キム・チャノンがネットプラットフォーム企業ラオン理事会で同社の単独代表に選ばれます。
はて株式会社の代表者を理事会で決定?と疑問に感じて調べてみたところ、韓国法では日本会社法の取締役に相当する役職のことを理事、取締役会に相当する機関のことを理事会と言うようです。
ミョンソクを見舞いに来た元妻ジヌが問います。
「事務所を辞める?」「ハンバダに戻ったら何も変わらないはず」
これに似たやり取りをリアルで複数人分見聞きしています。
「僕は変わるから 一緒になろう」
ミョンソクの台詞に自分は目頭が熱くなりました。しかしうちの妻はこのシーンを観ても、また違う感想を持つかもしれません。
再びミヌがテ・スミに面会。
「これからはバカになろうかと」
一つ一つの言葉をつむぐタイミングと間、その瞬間瞬間の表情。第1話から一貫して助演に徹して演技力を発揮してきた彼が、初めてソロ演奏を許された場面のように自分は感じました。
もはやテサンに移籍するつもりはないのに、たったこれだけの情報を直接伝えるためにわざわざテ・スミに会いに来るところが、これまでのミヌと新しい彼の両方に整合しているように思います。
テ・スミの息子、チェ・サンヒョンがヨンウの執務室に尋ねてきたとき、第5話で相手方社長からの手紙を裏に貼り付けた弁護士倫理綱領の額が画角に入っています。サンヒョンがヨンウと会話を交わしながら、一瞬でルービックキューブを揃えてしまいます。
ちなみにネットフリックスには「スピードキューバーズ」という優れたドキュメンタリー映画があります。この作品に登場するルービックキューブ大会世界王者も自閉症者です。
母親に拒絶され、警察にも追い返されたサンヒョンが言います。
「姉さんはみんなと違う」
最終話のこの局面に来て、この台詞をこの文脈で彼に言わせるのかと唸りました。第1話から第15話にわたる大ボリュームの物語がすべて、ラストエピソードのための伏線に過ぎなかったのではないかとすら感じます。
そして問題はラオン代表者キム・チャノンとの利益相反。第12話と第16話では描き方に危ういところがあり厳しい批評を書きましたが、本作では一貫して弁護士倫理と弁護士実務の実際との葛藤が通底しており、最終話でもそれをメインテーマに据えてきました。ミョンソクの口を借りて第6話及び第12話との関連性を視聴者に分かり易く提示します。
「ウ弁護士は普通の弁護士とは違うから」
第1話のミョンソクの台詞とここで連動させてくる脚本家の畳み掛けように、息を呑みます。
「ですが弁護士は真実を隠蔽してはいけません。公益上の理由があれば秘匿特権を守る必要はありません」
ヨンウの主張には複数の混乱がみられます。
まず、弁護士は真実を隠蔽してはならないか。自ら積極的に証拠隠しに加担すれば、もちろん弁護士でも証拠隠滅罪に問われます。しかしクライアントが行った犯罪行為その他の違法行為を認識したとしても、それを公開する義務は弁護士にはありません。むしろ弁護士にならどんなことを話しても口外されない社会環境が整備されていて初めて、人々は弁護士に事実と真実を話すことが出来るのです。弁護士になら何でも話すことが出来るからこそ司法制度は円滑に機能し、結果的に社会正義と社会秩序は実現されるのだという考えが、弁護士業界のメインストリームです。考えてもみて下さい。思い切って告白したところその弁護士の判断で捜査機関その他外部に口外されるような国や社会で、弁護士に何かを相談しようと思えるでしょうか。
そのため、各国がマネーロンダリング対策として守秘義務を超越した通報義務を法制化しようとした際、日本のみならず世界各地の弁護士が反対運動を展開しました。
弁護士による依頼者密告制度(いわゆるゲートキーパー制度)に反対する会長声明
第二東京弁護士会
日本におけるゲートキーパー制度 ―犯罪収益移転防止法と弁護士の役割―
村岡啓一
https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/hermes/ir/re/18477/0411000112.pdf
次に秘匿特権とは、弁護士が国家権力その他の他者からクライアントとのコミュニケーション内容の開示を求められても、それを拒む権利のことです。本話のこの場面は他者から情報開示を求められている場面ではないので、秘匿特権の問題ではありません。自ら情報開示しようとしているのだから、単に守秘義務が問題になるだけです。
公益上の理由があれば守秘義務が解除されるかどうかについては、様々な考え方があり得るでしょう。前述の通り、弁護士のマジョリティは弁護士に対しては犯罪行為の「自白」も含めて何でも話せる社会状態の維持を重視しています。が、その具体的行為の内容にもよるので、実際にはケースバイケースかつ個別弁護士の判断によるのでしょう。
自分自身、子ども虐待のケースで守秘義務を優先したものの(児童福祉法25条の通告義務は弁護士の守秘義務には劣後すると考えられています)、たとえ懲戒処分を受けてでも通告すべきだったと後悔したことがあります。しかし「公益」などという曖昧なもので守秘義務の解除を正当化しうる場面があるとは、自分は考えません。
「ハッキングを自作自演した人がラオンの代表に居座ってる。そんな人の利益のために事実を隠すのは反対です」
スヨンのこの立論はよく分かります。弁護士はあくまで民間事業者つまり一私人ですから、やりたくない仕事は断って良いのです。クライアントが自分の良心にそぐわない行為をしていることが判明したとき、クライアントと協議して契約関係を合意解消することはあります。前述のゲートキーパー問題についても、弁護士側がマネーロンダリングに加担しない内規を自ら制定し、遵守することが政府との落としどころとなりました。
ともあれ、弁護士としての倫理上は依頼者であるラオン代表の利益を損なうのは避けたい、巨大弁護士法人トップとしては消費者側についたライバル法人テサンに対抗して企業側であるとのイメージと地位も維持すべき、しかし敵視しているテ・スミを失脚させたいという個人的願望がそれらを凌駕するハン・ソミョンの造形が何とも魅力的です。
「依頼人の利益を守りつつ事実を明かすには…」とソミョン。
ここでクジラが登場し、ヨンウが閃きます。
本解説シリーズを始めるにあたり、冒頭で次のように書きました。
”それに加えて自分が本作にハマった理由は、主人公ヨンウがその天才性ゆえに気付いた思いついたように表現されている機転が、実はクライアントに徹底して寄り添った弁護士なら古今東西を問わず、必ずその思考に行きつく普遍的なものとなっていることです。そのための伏線もエピソード前半に必ず提示されています。つまり、「特殊」な弁護士が活躍する物語でありながら、弁護士業務の普遍的かつ核心的な部分を毎回描いていたドラマなのです”
ラストエピソードも同様です。われわれ弁護士は弁護士倫理上の問題に直面したとき、具体的に何が問題なのか、当該ケースの依頼者は誰なのか徹底的に考え、同僚と議論します。ハンバダの依頼者がキム・チャノンではなく、ラオンという法人であることにヨンウたちが気付いたのは必然です。ミラクルでもなければ天才的閃きでもありません。
他方、ヨンウを守ることでハンバダの利益と自分の個人的野望の両方をソミョンが手中にしてしまう、この脚本と展開はまさにミラクルです。
チャン弁護士からの要望を受け入れ、裁判長が傍聴人を退席させます。「共同訴訟人のみ残るように」とのこと。本話冒頭で、傍聴席には無関係の傍聴人のみならず原告も座しているとの説明がありました。原告が多人数の訴訟ではままあることです。であれば、動画再生時に傍聴席にちらほら人が座ってなくてはならないはずなのに、弁護士のみ法廷に残っていた不自然さは残念です。
チャノンは知らないうちにラオンの代表を理事会で解任されていました。ハンバダの弁護士たちが秘密裏に他の理事たちに働きかけたのでしょう。ハンバダに本件訴訟を依頼したのはラオンという会社つまり法人であり、チャノン個人ではありません。法人という制度の仕組み或いは間隙を突いたストーリーです。
しかし、そうは言っても弁護士たちが実際に打ち合わせをしてきたのはチャノンであり、法制度の建前を盾にして彼を騙し討ちするようなことまでやって良いのかなという疑問が自分にはあります。
チャン弁護士いわく「議長が緊急だと判断した場合、理事会の30分前までにメールで通知し、招集することが可能」とのこと。韓国法の規定がどのようになっているのか、自分には分かりません。日本では1週間前の招集が会社法上の原則で、定款でより短い期間を定めることが可能になっています(会社法368条1項)。ただ、30分という超短期招集を定めている会社が存在するのかどうか、自分は寡聞にして知りません。
ここからの裁判長の訴訟指揮が的確かつ極めてリアルです。エピソード後半に入ってリアルさを犠牲にする場面が増えていたので、それらとのギャップにやや面食らいました。
裁判長は次のように整理します。
まず、被告ラオンの代表者変更をその場では認めません。緊急取締役会議事録の提出だけでは判断資料が不十分だからです。登記簿等の追加資料提出と当事者の表示訂正手続を指示します。
次に、キム・チャノンの刑事責任については別途刑事手続で判断されるべきで、本法廷の審理対象ではないことを確認します。
そしてサンヒョンの「自白」動画については、その証拠採用を拒否します。劇中では、証拠能力を否定するという表現を使っていました。民事訴訟において証拠能力の肯定否定及び証拠の採否は、裁判所の裁量です。第12話では、違法に原告代理人の手元に渡った証拠(ムン部長の手帳)を裁判所は証拠として採用し、その証拠能力を認めました。本話の動画は、被告代理人が入手できた経緯は不明のままであり、違法収集証拠と言えるかどうかすら判然としない状態でしたが、裁判長はその証拠能力を否定しました。その理由は、その後の裁判長の台詞から推認できます。この「事実」を法廷に顕出したいのであれば、相手方である原告側が反対尋問で対抗することによってその信用性をテストできるよう、サンヒョンを証人として請求しなさいという指示です。被告側には証人尋問によって立証することが可能なので、今この場で出所の不確かな「自白」動画を証拠採用する必要がないのです。
さらにサンヒョンを証人にしたいのであれば、中立公正な立場にある裁判所に召喚させるのではなく、その「事実」を立証したい被告代理人が自ら証人尋問請求をして、改めて証拠採否についての裁判所の判断を仰ぎなさいと言っているのです。
訴訟におけるフェアネスを重視した見事な訴訟指揮です。裁判官や裁判所の訴訟指揮をここまで細かく描写したフィクション作品は、あまり記憶にありません。訴訟指揮を描くことの多かった本作の中でも、ここは別格のように思います。その上、この訴訟指揮の結果がテ・スミに証人尋問を阻止する猶予を与えるのだから、ドラマ展開としても面白く、完璧です。
サンヒョンの動画をメディアに流すようにとのソミョンの指示を、ヨンウは拒絶します。
「動画をマスコミに渡せばサンヒョン君は自白する機会を奪われます。自分の過ちを明らかにしたいと私を訪ねてきました。そんな子を国外逃亡して捕まった金持ちの子に仕立て上げることはできません」
これはヨンウが正しい。サンヒョンは弟として訪ねてきてはいるけど、その目的は明らかに法律相談でした。いったん法律相談を受けた以上、たとえ委任契約を結んでいなくとも、弁護士はその相談者の利益に反すること、ましてや相談を受けた内容を他のクライアントのために利用することは許されません。チャンが「彼の弁護士か?」とヨンウに問い質しますが、相談を受けたことでサンヒョンは既にヨンウのクライアントの1人になっているのです。しかもサンヒョンの犯行であることはまだ正式に捜査機関の知るところとなっていないので(以前に警察に行ったときは追い返されている)、今ならまだ自首が成立する可能性が残っています。なおさらヨンウは、サンヒョンの同意なしにメディアリークなど出来ません。
一方のクライアントであるラオンと、他方のクライアントであるサンヒョンの利害を両立させることは出来ず(さらにはハンバダ代表であるソミョンの個人的野望も)、行き詰まったように見えます。そういうときこそ第三の道を探る、テ・スミを説得するという打開策に挑戦するヨンウの判断と行動は、常にクライアントたちのためにベストを尽くすべき弁護士の姿勢として至極真っ当かつ正しいものです。
第1話の冒頭から繰り返し注意されてきた、第15話までのエピソードでは「普通でない」ことのネガティブ要素として何度も登場したヨンウのクジラ話が、最後の最後でテ・スミの心を突き動かします。全16話を横断する、こんな壮大な伏線マジックがあってよいものでしょうか。
テサンの弁護士たちがハンバダに乗り込んできて、サンヒョンの証人尋問についてのルールを提案します。これだけでテ・スミがヨンウの説得に応じたことをうかがわせる演出が素晴らしい。
尋問実施前に尋問についてのルールを当事者同士で設定する場面はこれまでのエピソードにも無かったので、韓国でも異例だと思われます。本話ならではの演出ではないでしょうか。ただ、誰よりも多くの情報を保有しているハン・ソニョンが、瞬時にテサンの要望を呑むことのメリットとデメリットを算定して判断を下すところは、いかにも巨大法律事務所を率いる弁護士だと思いました。時間を掛けるべきときに熟考し、瞬時に判断すべき時に即断することは、弁護士の重要な資質だと思います。
サンヒョンがハッキングしたラオンの顧客情報が外部に流出していなかったため、裁判所は損害が発生していないとして利用者たちによるラオンに対する損害賠償請求を棄却しました。ただし、第2話で明らかになったように韓国法は日本法と同じ損害賠償システムを採用しているので、基本的に賠償が認められるのは実害が生じている部分のみで、精神的損害に対する慰謝料が認容されるのは少額です。したがって、テサンの依頼者である利用者たちがたとえ勝っていたとしても、クレジット情報の流出などの実害が発生していないこのケースでは、それほど大きな賠償額にならなかったようにも思います。
「今日から私は法律事務所ハンバダの正規の弁護士です」
第5話でミヌが彼ら新人は1年契約だと言ってました。長めの試用期間のようなものだったのでしょうか。第16話では有休という言葉も登場しているので、やはり業務委託ではなく雇用契約のようです。が、それ以上のヒントがないので、ヨンウらとハンバダの契約がどのようなものなのか、未だに分かりません。
ボールドにしたエピソードは、第16話の中でほぼ明示的に前話に言及されていた箇所です。それら以外にも第1〜15話が伏線として機能していた場所が多数ありました。何たる脚本、何たる大団円でしょうか。
ともあれ、全16話を見終わって、またキンパが食べたいです。
以上