中小事業経営者のためのミニマム法律知識シリーズ1:事業用賃貸借の勘所
はじめに〜シリーズのコンセプト
弁護士ですと自己紹介すると「何かあったときにはお願いします」と返されることがよくあります。実際、弁護士になってこの20年間、「何かあった」から相談に来られた方々の紛争解決に従事してきました。しかし「何かあっ」てからでは弁護士が全力を尽くしても、ダメージを最小限度に抑えるのがやっとということが多々ありました。それが事業に決定的なダメージを与えることもあります。もっと早く相談に来ていただければと思ったことは数えきれません。
これまでの経験から、本業に水を差すような余計なトラブルに巻き込まれないように、中小事業或いは中小企業を営む方々には最低限この辺りの法的感覚を持っておいていただきたいと考えていることが私なりに幾つかあります。それを順次紹介していくのが、本シリーズのコンセプトです。
事業用賃貸で発生しがちなトラブルその1〜契約解除
さて今回の本題です。シリーズ第1弾には賃貸借を選びました。自社物件で全ての事業を営んでいる方を除き、殆どの事業者は賃貸借契約を締結していることでしょう。
不動産の賃貸借契約は、定期借地借家契約を除き、土地や建物を借りている賃借人(いわゆる店子)の権利が法律で強く保障されています。したがって、賃貸人(いわゆる家主)が賃料を上げたい、或いはテナントから出て行かせたいと思っても、それを法的に実現することにはかなりの困難を伴います。國本が趣味でやっているブラジリアン柔術に例えると、家主がトップポジション、店子がボトムポジションみたいなもので、家主が自分の希望を叶えるには攻めて明確なポイントを獲得することが必要です。他方店子はディフェンスに徹していれば、家主側によほど強力な根拠がない限り、そう簡単には負けません。
しかし基本的に有利な店子でも、それをやってしまうと一発逆転される典型的なミスが幾つかあります。ブラジリアン柔術で言うと、一発でポイントを献上する或いは一本負けを喫するに等しい重大なミスです(しつこい)。①賃料不払い、②転貸(又貸し)、③用途違反、この3つが賃貸借契約において店子がおかしがちな致命的ミスです。
①いくら店子の賃借権が強く保障されていると言っても、家賃を未払ではそれら権利も吹き飛んでしまいます。住宅の賃貸物件なら契約解除となるのは賃料不払いが総額2回分まで溜まったときと契約書に定めていることもありますが、事業用物件なら累計2回で解除可能となっているのが殆どでしょう。家主と意見が食い違ってトラブルになったとき、交渉手段として家賃の支払いを止めたり減額したるする方がいますが、それをやってしまうと契約解除され、いくら言い分があっても問答無用で追い出されてしまうので、これは致命的な悪手です。
②家主の了解を得ない転貸いわゆる又貸しが一発解除事由であることを知らない方が多いのか、世間ではわりとあるトラブルです。友人知人の紹介で居抜きで借りられるし良い条件だからと又貸し物件に飛び付くのは厳禁です。家主の了承が得られていない場合、改装等の投資もしてようやくお客さんもついて営業が軌道に乗ってきたところで家主が知るところとなり、裸一貫で追い出されるということが現実にあります。
③用途違反も②と同種の問題です。事業用建物賃貸借の場合、その建物で行う事業目的が契約内容として定められており、家主の了解なしに事業を変更すると、契約違反だとして解除されることがあります。例えば、不動産業を営んでいたが営業不振だったのでその店舗建物を使って飲食店を始めた場合、家主の了解を得ていなくてかつその不興を買った場合、文字通り無条件で追い出されかねません。よくある誤解で、店子が出ていく際には立退料を請求することが出来るというものがあります。しかし①②③のように店子に解除される原因があるときは、立退料は請求できません。
気をつけていただきたいのは、複数の法人で様々な事業を経営している場合です。先ほどの例で言うと、クニモト不動産株式会社で借りていた店舗を、実質的な経営者は同じだからと軽い気持ちで株式会社くにもと商店の飲食店に変更したりすると、両者は形式的には別法人だから②の又貸しにあたる上、③の用途違反でもあるので、解除理由が2つもあることになります。
というわけで、事業用建物の用途を変更したり又貸ししたりする場合には、家主の許可を取っておく必要があります。ポイントは必ず書面で許可ないし了解を取っておくということです。ここで一つ、事業を営む方々に身に付けて貰いたい、本シリーズに通底する法的感覚があります。それは「証明」です。
家主から用途変更や又貸しの了解を得ていても、証拠がなければ後から「そんなことは了承していない」と言われてしまえば終わりです。本気でトラブル回避するなら、そういったことも想定して書面で了解を取っておく必要があるのです。
賃貸借を巡るトラブルは、家主の事業承継を契機に生じることがままあります。完全に代替わりしなくても、元の家主が高齢となって家族のサポートを受けるようになって家庭内での発言力が衰え、実質的な家主となった次世代が無茶な要求をしてくるというケースは実は少なくありません。そのとき、こちらに何も落ち度がなければ防御に徹していれば良いのですが、先代が用途変更や又貸しの了解をしていたことを証明する証拠がなければ、提訴されれば負けてしまうかもしれません。
ここでいう「証明する証拠」は証人では極めて不安定で、安心して事業を継続するためには書面による証明が必要です。そして契約書は、証明に使う書面の中で最強の部類に入ります。
以上より、引き続き同じ賃貸物件を利用して異なる事業を始める場合、家主との間で改めて賃貸借契約を締結し直す方が無難です。賃借人となる法人を別法人に変更する場合も同様です。
事業用賃貸で発生しがちなトラブルその2〜原状回復
事業用賃貸借をめぐる2大トラブルの2つめ、それは物件明渡時の原状回復をめぐる紛争です。
賃貸借契約では通常、店子は契約終了時に借りていた物件を「原状回復」して家主に返さなければなりません。しかし住居用物件と異なり、事業用物件の「原状」はバリエーションに富んでいるので、いざ契約終了して物件を返すときに家主との間で原状回復をめぐって紛争になるケースが後を絶ちません。
居抜きで物件を借りた場合、そのときの「原状」がどのようなものであったか、店子と家主の記憶や意見が食い違い、紛争になることがあります。スケルトン状態での賃借であっても、どこまで撤去工事と清掃をすれば「原状回復」になるのか、両者の意見に隔たりが出ることも珍しくはありません。
そのため家主側の防衛策として、事業用不動産の契約書には、何をもって「原状回復」とみなすかを決める権限は家主側が独占すると明記してるものもあります。また家主が指名する業者を使って原状回復工事を実施しなければならないと定めている契約書もあります。いざ物件を返却するときにこのような契約となっていることに気付いても後の祭りです。店子側に抵抗する術はありません。
以上を前提に、店子側は防衛策として何を用意しておけば良いか。まず第1に、契約締結当初、内装等の工事に着手する前にその当時の「原状」を写真等で保全しておくべきです。その写真を契約書に添付して双方で認識と証拠を共有しておければなお良いでしょう。上記事業承継に伴うトラブルを未然に防ぐ保険にもなります。
第2に、契約締結時に契約書の内容をよく読んでおくことです。ただ契約書の文言は難しく、読み慣れてなければポイントを摑むことは容易ではありません。出来れば契約締結前、遅くとも契約締結直後には信頼できる弁護士に見せてその内容を解説して貰って下さい。
すでに事業進行中で原状の写真撮影もしていなければ契約書の中身も検討したことないという方、原状の保全はもう仕方がないので、とりあえず賃貸借契約書を弁護士のもとに持参し、ご自身の賃貸借がどのような契約になっているかを把握して下さい。圧倒的に家主に有利な契約となっている場合、決して家主と勝ち目のない法的紛争を起こしてはならないということが判明するので、それを認識するだけでも後のトラブル回避につながります。
今回の本論は以上です。
付録:法律と証明
弁護士に成り立ての頃は「司法試験受けるために六法を全部覚えたんですか?」とよく尋ねられました。司法試験は基本六法を使いこなす力があるかどうかを試す試験です。試験本番では試験用六法を渡されます。法律の条文を暗記する必要はありません。
しかしながら基本六法の更に重要条文のみとは言え、その分量は相当な上に、自由に使いこなすレベルに達するためにはかなりのトレーニングを要します。だから司法試験は難しいのです。
とはいえ司法試験で要求されているのは、所与の事実に正しく法律を当てはめる能力です。それが一定の能力に達したとはいえ、司法研修所に入所する資格を得たに過ぎません。
司法研修所ではいよいよプロの法曹になるための本格的なトレーニングを受けます。その中核の一つが「証明」のトレーニングです。上記本論で述べたように、現実社会のケースでは、自分のクライアントに有利な事実を証明する証拠が存在するとは必ずしも限りません。弁護士にはクライアントに現状の手持ち証拠で証明できることや勝敗の見通し、どんな証拠があればどの事実を証明できるのか、将来のトラブルに備えてどのような資料を証拠として揃えておくべきか等を助言する能力が不可欠です。その能力は僅か1〜2年の研修で身に付くものではなく、弁護士になった後も一生研鑽を積むことになります。
付録その2:各士業について
以上、留保なしに「証明」という言葉を使ってきました。しかし上記の「証明」は主に訴訟その他裁判所での法的手続における証明のことを言っています。第三者委員会等における事実調査における「証明」判断も弁護士の得意とするところではありますが、それは裁判手続での証明手法が汎用性が高いこと、第三者委員会等事実調査における事実認定が裁判手続類似であるからだと思います。
ところで日本の法律家制度の特徴として、法律家資格が細分化され、それぞれ独自に高度な専門性を有していることがあります。税理士は税務申告、司法書士は登記申請、行政書士は各種許認可申請、弁理士は特許等知的財産の出願といった形でそれぞれの得意分野があります。それは各士業がそれぞれ申請先である官庁で要求される証明に精通していることを意味します。弁護士含め士業はそれぞれ、主たる専門業務とする業務における事実証明の法的専門家であり、ひとり弁護士だけが証明の専門家なわけではありません。事業を営む人は、それぞれの専門分野と得手不得手をよく理解して、そのサービスを利用することが肝要です。
本シリーズでは各士業の専門性とその活用方法についても、機会あるごとに触れていくつもりです。