弁護士視点からの「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」解説〜第6話
執務室に来たヨンウに、スヨンは事件の説明をします。
「ヒャンシムさんの件?」
「被告人の名前だよ」
「サバサバしてて頼れるお姉さんみたい」
われわれ弁護士には当たり前のことですが、犯罪を行ったことにつき争いのない被告人であっても1人のクライアントであり、リスペクトすべき名前と人格があります。日本メディア風の報道なら「脱北者の女が〜」と表現されるかもしれません。その人には、その人の名前とその人の人生とその人の家族があります。
弁護士ならこの感覚は、きっと世界共通でしょう。
しかし次のシーンで、日本弁護士はやや動揺します。
”弁護人が遮蔽のない部屋で拘置所に勾留されてる被告人と接見してるやないか。これはドラマゆえの設定か?しかしこれまでの本作のリアルさを考えるとこれが韓国刑事司法の実務なのか…”
日本では弁護士といえども、遮蔽のない部屋で接見できるのは鑑別所だけです。身体拘束されている成人の被疑者や被告人と会って話をするには、留置場や拘置所に赴きアクリル板遮蔽のある接見室に入らなければなりません。その遮蔽が暴力的なクライアントから弁護人を守ってくれることもあります。が、事案によってはやはり民事事件の依頼者同様、近い距離で何も挟まず話をしたいケースもあります。透明のアクリル板一枚が遮っているものは、その物理的サイズ以上に大きいのです。
スヨンは接見室でヒャンシムと会うなり、笑顔で自ら手を差し伸べて握手をしています。2人が弁護士とクライアントとして、人間同士の関係を構築していることが分かります。
ヒャンシムがオモニと呼ぶ脱北ブローカーに貸している1000万ウォンに返済を要求したところ、オモニはまた別の女性イ・スニョンに金を貸しているからそこから回収しろと言う。その言に従ってヒャンシムはイ・スニョンの家に押し入る。
金を返して欲しかったら自分が貸している別の人から取り立てて来いなんて言い分に従うなんて一見、荒唐無稽にも見えます。けど、こういうこと言う人もそれに乗っかってしまう人も現実にはいるんですよね。もしかすると脱北者は脱北者に対して強く出られない精神的な関係があるのかもしれません。
債務者に舐められてはならないと虚勢を張って、債権回収が恐喝や強盗になってしまうことも、弁護士実務的にはあるあるです。その結果、ほんの少しでも被害者がケガをしていれば強盗傷害、重大犯罪です。
ミョンソクがスヨンとヨンウに強盗傷害事件弁護の難しさを説明します。刑法で定められている刑罰の範囲=法定刑の下限が7年。刑法が裁判官に与えている情状酌量の裁量権が法定刑下限の半分なので3年6ヶ月。やはり刑法が裁判官に執行猶予の権限を与えているのが3年以下の懲役刑なので、強盗傷害罪では執行猶予判決はあり得ません。
日本でも以前は同じでした。自分が弁護士になった当時は、検事と交渉して起訴罪名を強盗傷害罪から強盗罪+傷害罪に変えてもらうのが刑事弁護の常道でした。暴行や脅迫によって人から財物を奪取し、その結果傷害を負わせたという事実と行為そのものは変わらないのに、強盗罪+傷害罪なら執行猶予が可能になるからです。
ただこの第6話が示しているように強盗傷害の態様も様々であり、一律に執行猶予がつかないのはおかしい、そこは実情に応じて判断しうるよう裁判所の裁量を拡げるべきだという議論があり、現在の日本刑法では強盗傷害の下限は6年に下げられ、執行猶予判決も可能となっています。
共犯者の弁護人であったクォン弁護士が言います。
「刑事事件で一番力を持つのはずばり医師の診断書です」
「でも提出されるほとんどの診断書は患者の発言に基づいて書かれている。客観的なテスト結果を伴っていません」
そうなんです、ここなんですよね。医師が作成した診断書に「加療2週間」とでも書いてあれば、それが刑事訴訟における「傷害」となってしまう。そして、医師は患者を疑って問い質し事実関係を探る仕事ではないので、その「傷害」が生じた原因については患者から聞いたままをカルテと診断書に書き込みます。
「そう言えば、その医師は偏見を持っていました」
ここ最近の韓ドラは社会問題を反映する流れもあり、脱北者に対する差別や偏見を扱った作品をまま見かけるようになりました。
自分が今年上半期に観た映画「パーフェクトドライバー」「不思議の国の数学者」は、いずれもメインキャラクターが脱北者という設定でした。それだけ韓国社会においてこの問題が深刻だということなのか、それとも可視化と克服の努力が進んできたということなのでしょうか。
脱北者への偏見を露わにする当該医師の記事を読んで、クォン弁護士は「読んで苦々しい気持ちになった。被告人たちは脱北者なのになぜこんな人が診断書を作成したのかと」と言います。
この場面に先立ち、法廷から一緒に出てきたホームレスの依頼者(おそらく執行猶予判決を得たばかりの被告人)から小銭をせびられたクォン弁護士が、さらっと断る様子が描かれています。国選弁護事件を多数取り扱っている弁護士が誰に対してもフラットに接するキャラ設定がまた、自分はとてもリアルだと感じました。
被害者イ・スニョンの証人尋問を請求するスヨンに対して、検察官が5年前に共犯事件で尋問しているから必要ないと主張します。
検察側の証拠である被害者供述に対しては、それぞれの被告人とその弁護人が固有の反対尋問権を有しているはずであり、別件で尋問済みであるからと言う理由で証人尋問を省くことが出来るのかどうか、やや疑問です。
日本の刑事訴訟では別件での証人尋問調書を検察官が刑訴法321条2項に基づき請求してくるはずですが、それでも証人尋問そのものは省略できないように思います(自信がない…)。韓国では刑事訴訟法上、可能なのでしょうか。
また被告人であるヒャンシムが在廷していないことから、この手続は公判ではないことが分かります。日本法における公判前整理手続のような手続でしょうか。
裁判長が法廷でヨンウとスヨンの「本貫」を尋ねます。
ここまで私情をあからさまに差し挟む様子が韓国司法の実務をどの程度反映しているのか、自分には判断つきかねます。が、いい加減な審理を進める裁判官は刑事にも民事にもいるので、この辺りの感覚は自分にも分かります。誇張はあるかもしれませんが、現実を反映してないとも言えません。
訴訟経験豊かな弁護士は、そういう裁判官に当たった場合の対応方法もノウハウとして自分の中に集積しています。依頼者の利益を実現するのが弁護士の第一任務なので、納得いかないことがあってもそれをぶちまけるわけにはいきません。クライアントを人質に取られているようなものだという感覚は、多くの弁護士が共有するところです。クライアントの利益を守るためには毅然と裁判官に立ち向かうべきときもあり、ことを荒立てるべきか否かの判断は、現場ではなかなか難しいところです。
せっかく実現した被害者イ・スニョンの尋問を、エキサイトしたヒャンシムが台無しにしてしまいます。1日も早く子どもと再会するという目的を実現するために、弁護人の方針に協力して貰うことが必要だとヨンウが説得します。
アザだらけの顔で出廷したイ・スニョンに、その怪我のことから聞き始めるのはあり得ることでしょう。遠回しに聞き始める弁護人と、それに異議を出す検察官も、その異議に対抗すべくせっかく秘匿していた質問の意図を証人の前で説明せざるを得なくなるのもリアルです。
ただ5年前の共犯者訴訟資料を検討したときに、イ・スニョンが夫による暴力を隠そうとしていることは読み取れていたはずです。真実は決して話さないと心に決めて出廷してくる証人からどうやって被告人に有利な証言を引き出すか、真っ当な弁護人なら事前に徹底的に準備して、弁護人同士の役割分担も綿密に決めた上で公判に臨みます。
なので、イ・スニョンの顔の傷を見たミョンソクがその場でスヨンに尋問を指示する場面は、あり得なくはないけどドラマ的な演出だなと思いました。
それより大事なことは、自分のクライアントが法廷でエキサイトすることを想定した準備をしてきていないことです。証人が嘘をつくであろうことも、クライアントであるヒョンソクが一本気な性格であることも、弁護人は把握しているわけです。
自分ならクライアントに、当日は証人はこういう嘘をつく、だから自分はこういう尋問をする、その意図はこうであると事前に依頼者に説明しておきます。そうすると全員とは言わないまでも多くのクライアントは、事前に聞いていたとおりだなと安心して証人の供述を聞き流し、弁護士の方針を信頼して興奮せずに待ってくれるのです。
とはいえこれがリアル法廷なら、裁判所は被告人を退廷させた上で重要証人の尋問を続行させたのではないかと思います。
なお「尋問で予想外のことが起きることは絶対に絶対にあり得ない。予想外だと思えることが起きたならそれは弁護士が準備を怠ったことの証左だ」てのが、自分の持論です。
以下も引き続き、韓国の刑事訴訟法を知らないので、その場面と日本法知識を掛け合わせた推測と想像に基づく感想です。
医師の尋問場面です。
予想通り医師はこちらに有利な証言はしません。医師の見解を書いた記事を示します。弾劾証拠としての提示でしょう。日本の刑事訴訟法では328条に規定されている手法です。
医師は証言を控えたいと言います。その記事を公開した当時、批判や嫌がらせを受けたのが理由です。証言すると自分自身が犯罪に問われうる事柄や専門家としての守秘義務に触れることなら、証人は証言を拒否できます。恐らく韓国法も似た規定なのでしょう。裁判長は証言拒否の理由がないとして証言を促します。
ヨンウが記事の内容を要約して陪審員にアピールした上で、医師証人に「事実ですか?」と質問します。医師はここから朗々と脱北者への偏見にまみれた持論を展開します。
排外主義医師をヨンウがやり込めた結果、重要な顧客を失ったとミョンソクの同期であるチャン弁護士が怒鳴り込んできます。一方的に怒鳴り続けられても穏当に対応する姿で、ミョンソクの人柄がまた一つ分かります。
謝るスヨンとヨンウにミョンソクは言います。
新人が謝るな 私のせいだ
悪いのは私だし 恥ずかしいと思ってる
でも”たかが公益案件” とか ”たかが脱北者” とか考えるのはよそう
数十億が入る案件ではないけど、頑張ろう
ミョンソクは、国内最大手法律事務所ハンバダの経営に責任を持つパートナー弁護士です。弁護士として間違ったことをしていないことは頭では分かってはいても、同期から経営責任を追及されたこと、自分が利益相反関係を事前チェックを怠ったことについてショックを受けています。それでも上記の言葉を部下のために捻り出せるミョンソクの人柄。そして、これらを仕草と表情で表現する芝居の繊細さ。
なお、何度も公益案件という言葉が出てくるので、国選弁護事件ではないことが分かります。アメリカもしくはイギリスから始まった流れだと思いますが、大手の法律事務所は金儲けばかりやっているという批判を避けるため、一定のプロボノ活動を引き受けています。米コメディ作品「DROP DEAD DIVA(邦題「私はラブ・リーガル」)」にもそういう場面があります。おそらく韓国の大手法律事務所でも同じなのでしょう。
ヒョンソクが子どもと面会する場面。ここは日本の弁護士には、ややショックなシーンです。オモチャや絵本が置いてあるので、それ専用の部屋であることが分かります。裁判は続いているので、ヒョンソクは未だ被告人の状態であり、身体拘束されている場所は拘置所です。刑務所ではありません。
都島にある大阪拘置所に行くと、親族に連れられたお子さんを見かけます。日本ではたとえ親子であっても面会できるのは狭い個室。透明なアクリル板の遮蔽を挟みます。我が子を抱きしめることは叶いません。
有罪判決を受けるまでは無罪と推定されるのが原則(無罪推定原則)の近代国家においては、刑事裁判を受けている最中の被告人は罪人ではありません。罪証隠滅や逃亡の恐れがあるとして身体拘束を受けているとしても、われわれと同じ一般市民です。
弁論終結後、ミョンソクが自分は事務所に戻るけどどうするかと尋ねます。ヨンウとスヨンは判決言い渡しまで残ると答えます。
第1話の記事で言い渡し時に弁護人が法廷にいないのはおかしいんじゃないかと書きましたが、第6話でもこのように描かれているところを見ると、韓国の刑事裁判では判決言い渡し時に弁護人が在廷しないことは珍しくないのかもしれません。
被告人のヒョンソクが退廷するとき、促されて女性警備員2名と共に出ていきます。
日本では勾留中の被告人は手錠と腰縄を付けられた状態で入退廷させられており、これは無罪推定原則に反するものであると弁護士会は問題視しています。手錠と腰縄で拘束された状態で連れて来られ出ていく姿は、如何にも罪人であるとの印象を裁判官や裁判員に与えうるからです。
裁判官室に乗り込むヨンウとスヨン。韓国の裁判所では、裁判官の執務室は法廷と別棟にあるんですね。日本では同じ建物にあるので、これだけの描写でも自分には新鮮です。
ヨンウが何かをひらめくシーンで、弁護士である自分は何となく先の展開が見えます。しかし本話では他のエピソードと異なり全く予測がつかないので、ヨンウは何を思いついたのだろう?と思いながら観ました。
ところが何のこたない、法律論としては極めて稚拙で一蹴されるであろうことが分かっている主張であっても一縷の望みがあるのならぶつけてみる、クライアントのために最後の一瞬まで諦めない、ただそれだけのことでした。本エピソードでヨンウが見せたのは天才的閃きではなく、弁護士魂でした。
ヨンウが裁判長を説得するために捻りだした主張の根幹は法律論ではなく、「偉大な母親」という被告人ヒョンシクが5年も逃亡生活を続けた上で自ら出頭した本事件の本質を突く言葉でした。
「今のは法廷外の議論です。これ以上聞かないし判決にも影響しない」
そう言いつつ、裁判長は明らかにヨンウの必死の訴えに耳を傾けていました。気持ちが動かされたとしても訴訟のルールは曲げない。
当初、非公開手続では独特の価値観に基づく雑談を弁護人に強要し、横暴で狭隘な人物かと思われた裁判長は、公判中は法に基づいた厳格な訴訟指揮を見せました。大声で怒りながらも、若い弁護士の熱意は買うとも言ってます。最初の印象と異なり、自らにも厳格な職業人であることが分かります。
本件で自首を主張し忘れていたことは、弁護過誤レベルの大チョンボです。それを美談風に仕立ててることには、自分はやや抵抗があります。
ただ自分も1〜2年目のとき、全く気付いておらず弁論でも主張しなかった事実を無罪理由のひとつとして判決の中で触れられたことがありました。あれは落ち込みました。
それともうひとつ、執行猶予判決を求めて徹底的に戦った結果、罰金判決に未決勾留期間を1日あたり5千円で換算して即日無条件釈放という自分が全く想定していなかった終わり方をした国選事件のことも思い出しました。弁護士が持つ最終にして最強の武器は、熱意と気迫なのかもしれません。
なお、日本刑法では犯人が発覚した後に捜査機関に出頭しても自首は成立しません。以下に引用しているウィキソースの翻訳情報が正しいのであれば、韓国刑法52条ではそのような限定はなさそうです。本来なら一発実刑である強盗傷害罪の成立を認めていながら裁量による大幅減刑を認めているので、裁判所にその裁量を認めるだけの法定要素が何かあったはずであり、これは自首を認めたのだと自分は判断しました。ただ、裁判長もヨンウもスヨンも「自首」を使わず「出頭」という言葉を使っている点が気になります。
以上のとおり、刑事事件の部分だけを抜き出してみると、法廷ドラマとして非凡ながらもシンプルなストーリーです。しかし刑事訴訟の縦糸に母子関係の謎を伏線の横糸として所々混ぜ込む手法の見事さに感服しました。
さて次回はいよいよ、各話で弁護士業務の核心を示す本作の中でも自分が一番好きな第7話と第8話、ソドク洞物語です。