途上国ベンチャーで働いてみた:出逢いと政治抗争の狭間
2020年中頃から、バングラ現地の病院内検査事業を承継し、病院リニューアルオープンに合わせて院内検査室を刷新するプロジェクトが本格的に動き始めた。前回の記事で書いたMOUに基づく準備段階から、コロナ騒ぎで建設作業が滞った半年近くを経て、ようやくといった感覚だった。
(その間、PCR検査室の立ち上げや新規顧客開拓に奔走していて、新しいプロジェクトどころではなかったので、工事が滞っていたのはむしろありがたかった…ちなみに冒頭の写真は工事中の検査室現場)
既存の病院検査事業の人員を引き継ぐにあたり、攻略しなければならない現主任の座に座る病理医に対峙するため、こちらも信頼のおける医師を新検査室の新たな主任として立てる必要があった。なにしろ、バングラデシュの検査室は臨床検査技師ではなく医師が運営責任を負うことが一般的であり、特に病院内検査室においては各診療科の医師が検査室主任となる医師を信頼してくれなければ、それぞれの医師の裁量で平気で外部の検査機関に検査を外注されてしまう(そこから得られるキックバックも、未だ医師の貴重な収入源であったりする)。
人選は難航した。複数のシニア且つ地位のある大学病院教授等にアプローチを試み、前向きな反応は得られるものの、肩書があればあるほどそういった立場の医師たちは手を動かしてはくれない。既存検査室の運営者に対して発言権をもつためにも肩書や知名度は重要であったが、それと同時に私たちには病院内検査室の運営オペレーションに必要な多くのマニュアル類を整備する必要があり、その作業をリードし、ある程度手を動かしてくれる医師が不可欠だった。
結局、一人の人材にすべての役割を期待することはできないという結論に至り、肩書と知名度で重石となってもらえる医師と、より現場オペレーションのマネジメントとして動いてもらえる医師とにそれぞれ仲間になっていただくことにした。手を動かす役割は、仲間になっていただいた医師たち監修のもと、私たちが一番信頼してきた設立当初からの若手技師たちの力量に委ねる決意をした。さらに、日本から遠隔で経験値のある検査技師の方々に監修を支援していただくことにした。
ちなみに、日本人の感覚からすると、一人当たりの生産性と人件費(途上国で得られる収益に対してハイレイヤー人材の給与はどうしたって高い)のバランスが悪く映り、一つのプロジェクトに対する複数人材の採用に足踏みしてしまう場面は現地でオペレーションしていると多々遭遇する。でも、大事なことはプロジェクトなり日々の業務が進み少しでも早く成果が出ること。優秀な人材であるほど能力がなにかひとつに特化していて汎用性が高くないというのは、バングラデシュに限らずジョブ型雇用文化の国々ではあるあるではないかと思う。勿論、将来の期待収益とのバランスではあるけれども、途上国ベンチャーにおいて事業を推進する人員あるいは対外的に影響力を及ぼす人員の確保にかかるコストを渋っていては何も進まないということを、いまだに痛感している。
仲間になってくれた医師たちはどちらもとても人柄の良い、温厚で付き合いやすいシニアな医師たちで、日本人として異国で奮闘する私たちを温かく迎えてくれた。特に、現場オペレーションのマネジメントとしてフルタイムで入っていただくことになった医師の方は、オープンマインドで、裏表がなく、相手の目を心でみつめて対話をしようと試みるとても温かい人だった。現地では、そうした人柄の良さが政治的に利用されたり、仕事の面でマイナスに働くことも勿論多くあったが、私自身はこの医師と1年間二人三脚ができたことが何よりも誇りであり、気持ちの支えになった。人間として、その精神性を尊敬できる人たちと働く機会に恵まれたことを、本当に感謝している。
また、肩書や職位の力を拝借することになった医師も、だいぶご高齢で現場を走り回るようなお歳ではないにもかかわらず、工事中の検査室予定地に足を運び、検査業務の動線の検討に協力してくださった。
しかし、こうした人選のもとにつくりあげた新検査室の組織図・運営体制案は、既存検査室の主任であった病理医に始まり、その影響を多分に受けた病院側の経営陣から粘り強い抵抗にあった。
抵抗も何も、そもそも新検査室の運営人員の人選は契約上こちらに権限があり、どのような時間軸でどのように投資を拡大していくかも合意されていた(なにせ合意まで2年以上時間がかかっている)わけで、口を出される筋合いのない話といえばそれまでだったが、組織体制に対する根強い抵抗は新検査室の運営が始まった後もつづき、明らかに意図的な検査室内のトラブルを起こされては、こちらの人選で選ばれた医師および検査技師たちの学位、職位、専門、年齢、あらゆる点に言いがかりをつけられ、病院側経営陣への説明と釈明に週に一度は足を運ばなければならないような日々だった。
じつは、現場の検査オペレーションのマネジメントに就いていただいた医師からは、とあるカフェで初めて顔を合わせてプロジェクトの概要を説明した当初(上の写真を撮った時)から、このプロジェクトの背景にあるさまざまなリスクについて指摘されていた。
「Miss Y(私の名前)、この案件には裏にべつの思惑がはたらいている。十分に気を付けなければならない」
それは火を見るよりも明らかだった。でも、もはや前に進むしかない。
「私たちにはA先生が必要。一緒に日本式の新しい検査室をつくってほしい」
そうお願いして、おそらく外国人の私には想像できていなかった様々なリスクも飲み込んだうえで仲間になってくださった先生を思い出すと、改めて申し訳ない気持ちがわいてくる。私は、彼にとって居心地の良い環境をつくってあげることが最後までできなかった。1年後に私が現地を去る時、先生は、私と二人三脚で新検査室開設の準備に奔走した日々がとても充実しててたのしかった、と言ってくれた。それでも、院内の政治抗争は私の手に負えるような話ではなかったし、現地の人だからこそその渦に巻き込まれて先生が非常に傷つく場面もあった。
それは、あるとき暴力沙汰の事件にまで発展した。
(続)
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