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(オタクのつぶやき)どうしてドームを目指すのだろう?

アイドルを応援していると「ドーム公演目指してがんばります!」みたいな意気込みをよく耳にする。

「 箱の大きさ = 人気度 」

たぶんそういうことなんだろうなとは思う。
あとは「こんなに大きな会場でコンサートできるまで成長しました!」という意味もあるのかな。

もちろん応援しているアイドルには人気になってもらいたいし、何より本人の幸せを心から願っている。

けれども自分がコンサートに行くとなるとすこ〜し話しは違ってくる。
もしかしたらこれは、わたしだけの感覚かもしれない。
だからここからは小声で話そうと思う。

周年コンサートでドームツアーが開催された。
わたしは行きたい気持ちと「でもドームか……」という気持ちの半々だった。
アリーナツアーだったら「行きたい!行きます!!」となるのだけれど。

どうしてドームだと100%乗りきになれないのか?
その答えは明白で、「肉眼でトキメク率」がぐんと下がるからだ。

収容人数が5万人を超えるドーム公演。
もちろん座席からステージまでは遥かかなた。
またセットはどうしても大掛かりになるから視界の妨げになることもしょっちゅう。

同じ空間にいれるんだからそれでいい。
そう思おうとしたときもあった。
けれどもやっぱり、スクリーンを見ているだけのコンサートはちょっと残念な気持ちになる。

とくにグループの場合、コンサートに行く醍醐味は「ひたすら推しを追えること」だろう。
けれどもドームだとそうはいかない。
幸運にも良席があたればまだいいが、それでも確率はどうしても低くなる。

アリーナだとたとえスタンド席であってもかろうじて肉眼で推しにトキメクことができる。なによりわたしはライブの臨場感をより感じる。
わたしにとってアリーナというのは " 推しとのちょうどよい距離 "なんだと思う。

これがドームになると「推し」がとっても遠くなる。
わざわざ会場に足を運んだのに、遠くにいるキミの幻影を追うことしかできないわたし……

周年コンサートはみんなでお祝いしよう!という意味があるのかもしれない。けれども、オタクってみんなで応援しているのだろうか?だとしたら周囲のことを考えないでうちわやペンライトを高々あげたりするだろうか?あんなにファンサを要求するだろうか?

推し活にいそしんできたわたしの経験上、「推し」というのはあくまでも「じぶん」との二者でしかない。そこに他者を含んだ三者になることはないと思っている。

たとえ友達や仲のよいひとが同じ空間にいても、コンサート中は「推し」と「じぶん」のふたりだけの世界なのだ。(かなり偏った推し活をしているのかもしれない……苦笑)

何をいいたいかと言うと、オタクというのは「推し」に会えたらそれで幸せなのだ。会場がどこか?ということはあまり関係ない。むしろ箱は小さいほうが距離感が近く、またおなじ空間と時間を共有していることを実感できる。

人間とはより上を目指す生きものだと思う。
アリーナツアーができたら今度はドームツアー。

でもそれって本当に大切なことなのだろうか?
そんな疑問が頭をよぎったのだ。

数が入らないのであれば、アリーナ公演の回数を増やしてはどうか?(これもスケジュールの問題があることはわかっている…)
さいきんめっきりアリーナツアーが当たらないわたしはそう考えてしまうのだ。

数年前のわたしだったら、きっとこんなことを考えていないだろう。
「今のわたし」だからこそこんな思考が浮かぶんだと思う。

それはわたしが「モノ」を手放すことで「本当に大切なもの」と向きあうようになったからかもしれない。または「禅」に興味を持つようになったからかもしれない。

「大は小をかねる」

これはすべてに通じる言葉だろうか?
「小さい」からこそいいことだってあるのではないだろうか?
「少ない」からこそ大切なことが見える可能性はないだろうか?

新年というこのタイミングだからこそ、いくつかのアイドルグループから「やっぱりドームは夢ですね」という言葉を何度か耳にした。

その度に「そうなのだろうか?本当にそうなのだろうか?」と思ったわたし。

もしかしてオタク失格なのかもしれない。
新年の「推し活はじめ」にこんなことを考えてしまうだなんて。

いや、推しが幸せならそれでいい。
ドームでやることが幸せなのだったら、叶えられるように応援してあげるだけ。

ただもしも、「大」よりも「小」という思考に変えるときがきたとき、アイドルという存在は、また新たな大旋風を巻きおこすんじゃないだろうかとワクワクするのだ。だからこうしてオタクのヒトリゴトを綴ってしまったのかもしれない。

今年は公演中止なくみんなが幸せにつつがなくエンジョイできますように⭐︎



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