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自分がもっているもの、これまで叶えてきたことを意識しよう。

わたしはついつい「⚪︎⚪︎がしたい」や、「⚪︎⚪︎がほしい」と思ってしまいがちだ。

つまり「不足」に意識が向いてしまうのだ。
「できない自分」がデフォルトだと思ってしまうのだ。

けれども今、5年ほど前に思い描いた暮らしをわたしは実現している。
「ここで暮らしたい」と願った歌劇の街で、今日もわたしは心地よく過ごしている。

お煎茶を飲みながら頬張ったラムレーズンのアイスクリーム。
最近気になって仕方ないジェンヌさんのポストカードを買い、そろそろ替え時だなと思っていたお気に入りの靴や布巾だって新調した。
母と思う存分電話で話し、夜は弟とスプラトゥーンをやる予定だってある。

すごく幸せな休日ではないか。

収入は決して多くない。
だから欲しいものややりたいことを、今すぐ全て手に入れることはできない。

けれども「ない」ものではなく「ある」ものに目を向けると、途端に満たされている感覚でいっぱいになる。

望んでいることが現実化しないと思ってしまいがちだけど、過去を振り返れば自分はたくさんのことを実現してきたことに気づくことができるのだ。

どんなに小さくても、わたしには沢山の成功体験があるではないか。

観たいと思った舞台を観ることができたし、行きたいと思ったレストランに行くことだってできた。他にもたくさん、やりたいことを叶えてきたではないか。

そう振り返ると、自分には夢を叶える力があるんだなと、パワーが湧いてきた。

私たちはついつい「欲」があふれ出してしまう生き物だ。
そしてそれを手にするのに時間がかかると、途端に不足感に苛まれる。

不足を感じて気分が落ち込むのと、今あるものに目を向けて幸せを感じたり、これまで叶えてきたことを思い出して自分を信じられるようになることと、どちらがいいだろうか?

わたしは断然、後者がいい。

不足を感じることも大切だとは思う。
それで人は次の夢や目標を設定することができるから。

けれどもそれと同時に、自分が今もっているもの、これまで叶えていきたことを意識することで、次の夢に向かってワクワクすることができるではないか。そのワクワクはきっと、実現化への近道になるような気がしてならない。

そんなことを考えながら、暮らしの中に「余白」は必要不可欠だなと思った休日。

こういう大切なことに気づくことのできる時間と余裕が、わたしにはやっぱり必要なのだ。

いつも読んでいただきありがとうございます☆